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万葉の歌

 『万葉集』の中でいちばん好きな歌は何って訊かれたら、どう答えようかと空想していたら、ふと出てきた言葉が、「朝影にわが身はなりぬ玉かぎる」なんだね。ところが続き下の句が出てこない。そこで調べてみると、この歌は、

  朝影に 我(あ)が身はぬ 玉かぎる 
     ほのかに見えて 去(い)にし児(こ)ゆえに


 (参っちゃたな、一瞬ちらっと見えたあの素敵な子、どこの子やろ、あの子のことがつねに頭に浮かんできて、もうやせ細っちゃたよ。)

 じつはこの歌は重出歌で、まったく同じ歌が『万葉集』の二か所で出てくるのです。想像するに、たぶん奈良時代にはこの「朝影に・・・」という歌は、若者の間では頻繁に口に上っていた流行語だったのではないのかな。

 『万葉集』が世に出たのとほぼ同時代に書かれた『日本霊異記』にある話で、ある男が野原を歩いていて、いい女に出会った。二人は結婚し子供もできた。ところが、その男の家の犬が女に吠えたり噛んだり。ついにその女は狐の正体を顕して逃げいってしまう。残念に思った男は歌を詠うのです、

  恋はみな我が上に落ちぬたまかぎる
      はろかに見えて去にし子ゆゑに


 (あらゆる恋心が私の上に落ちてきたと思われるほど恋しい気持ちだ、あの去っていった女のために。)

ついでに、面白いのは、女狐が逃げようとするときに、男は言うの、「いつでも待っているから、来て、そして寝ようね」と。女はその言葉(来て、寝よう)を忘れずに口すさんでいるうちに、〈来つ寝〉というようになったとか。 冗談みたいだね。

 ところで、この重出歌、同じ歌ではあっても、原文はどう書いてあるのかを見ると、一つは、

  朝影 吾身成 玉垣入 
      風所見 去子故
 (2394)

 もう一つは、

  朝影尓 吾身者成奴 玉蜻 
    髣髴所見而 往之児故尓
 (3085)

 だいぶん違います。後の方には、助詞(尓、奴、而)が書いてあって、これ前者の略体歌に対して非略体歌と言って、時代が違うんだそうですね。ま、それはともかく、『万葉集』は、御存じのようにすべて漢字で書かれていて、なかなか難解で未だに解読できない歌もあるようです。

 とはいえ、逆に解読できた歌は本当に解読できたのか、ひょっとして間違っているのではないか、という疑問がありますね。まさにそのようで、いったい奈良時代は、発音やリズムはもとより、じっさいどのようにコトバを詠んでいたのか難しいそうで、今なお専門の先生方が解明にはげんでおられますね。

 本当にどう読んでいたのか、一つだけ有名な例をあげますと、人麿で有名なこの歌、

  ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて
       かへり見すれば月かたぶきぬ


 原文は、東野炎立所見而反見為者月西渡 です。

 『万葉集』が編纂されてから、まもなく(9世紀)仮名文字が発明され、そのころから歌人たちは、『万葉集』の歌の解読をはじめました。いったいそのころは、上の漢字の羅列をどのように読んたのか判っていません。

 白石良夫著『古語の謎』によりますと、平安時代末(1184年)に書写された「元歴校本」では、「あづまのの けぶりのたてる ところみて かへりみすれば つきかたぶきぬ」と読んでいて、その後ずっとその読みを踏襲していた。しかし、江戸時代に入り、学僧である契沖が、東野は〈ひむかし〉あるいは〈はるのの〉と読むべきと提唱し、荷田春満は、東を〈あけがたに〉と読むことを提唱したのです。そして、江戸中期に至って、賀茂真淵が「ひむがしの のにかげろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ」と訓じたのですね。学問的にはこの読みはずいぶん無理があるようです。が、この真淵の〈創った〉読みが人麿の歌として相応しい、として以後だれもこの読み方にあえて異を唱えることなく、現在に至っているのだそうです。人麿がこう詠んだという確証はないにもかかわらず。

 要するに、古代の歌をどう読んだのかは、その時代時代の学問的研究成果と歌人らの古代への想いおよび音響的感覚によって決まるように思われます。それにしても、紀貫之をはじめとして、各時代の天皇や藤原家の面々、時の政府高官や僧、江戸時代の国学者は言うに及ばず、鎌倉武士たちでさえ、万葉集の受容・解釈・保存・書写に、何と情熱を傾けてきたのだろうと驚かざるをえません。(その辺は、小川靖彦著『万葉集と日本人』に詳しい)。それはちょうど、ギリシャの学問が、ローマ、中世キリスト教およびイスラム教世界を経て現在に至るまで、いかに大事に保存・解読・書写・研究されてきたかを思い起こさせます。
  
 もちろん、『万葉集』受容には、純粋に学問的動機もあったけれど、大いに政治的にも利用されたのですね。とくに中世においては、天皇親政を目指した醍醐・村上・後三条・白河・二条天皇は言うに及ばす、徳川家康、明治新政府、戦前の昭和政府は、諸本に加えて『万葉集』の保存・普及につとめたのですね。裏を返せば、日本人はそれほど『万葉集』の権威を認めていたと言えます。

 『万葉集』は、天皇から一般人に至るまで、歌数こそ少ないけれど、兵士、主婦、遊女、ちょっとおかしい人、乞食、罪人まで、あらゆる人たちの歌を含んでいて、小生などは、そこが面白いと感じるのです。この、いわば国民的歌謡集という性格は、今なお、歌会始における天皇・皇室以下万民の詠歌をもって新しい年が始まるという伝統に繋がっているのですね。もちろん、歌会始は王政復古を目指した明治政府の叡知によるものですが。

 今の神道は明治政府が創った国家神道だとは、よく言われるところではありますが、小生は、明治政府が創ったいろいろなシステムは、もちろん今となっては修正すべき綻びがいっぱいあるでしょうが、おおむねの所は共感するものです。共感できること出来ないことは、奈良時代に創らようが、明治や昭和時代に創られようが、時代に関係ありません。また、それぞれの時代は、それぞれの困難な課題があったはずで、それを思わずに、そう軽々に批判するものではありませんね。

 わが国の歌の伝統。これは本当に古い話で、そもそも歌は何時から始まったのか。スサノヲ命の「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」か、さらに古いイザナミ・イザナミの唱和から始まったとも。ともかく、わが国は神話が始まったときに歌があった。

 初めに触れた「朝影に 我が身はなりぬ・・・」の歌も、文字の使用が始まったずっと前から、人々は日常的に口にしていたのかもしれませんね。
   


     

     
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山吹の花

 この季節、わが小庭にもいろいろな花が芽を出し始め、今日はどうなっているのかとわくわくし、朝夕に逍遥して時間が過ぎる。二年ほど前、知人にもらった山吹がわが庭にある。しかし、これは白山吹で、あの山吹色の山吹ではない。品種も違うようだ。どうも面白くないので、昨年の晩夏、思い切って文字通り、すっぱり切ってしまった。  

     白山吹
  
 しかし、植物というのは強いもので、枝がみんな切られても、根さえ付いていれば、また出てくる。これもそうだ。また、反対に五体満足に見えて枯れてしまうのもある。植物の生命の根源、動物に例えれば心臓に当たる部分はどこに在るのだろうとよく考えるが分からない。

 山吹というと、ふと万葉集にある歌を耳にして、ああそうだったのかと微かな記憶を呼び起こして、何といういい歌なんだろうと思った。それは、十市皇女が急死したときに、異母兄弟であった高市皇子尊の作った三首のなかの一首。(158)

  山吹の立ちよそひたる山清水
      汲みに行かめど道の知らなく

 水を汲みに行きたい(ああ皇女にもう一度逢いに行きたいものだ)けれど道が分からない。というのは、その清水の辺りには山吹が咲いている、そのゆかりの色の黄泉路には、生身の私は入っていけないはずだから。・・・それにしても、山吹に面影草との異名があるのはなぜだろう。

 この十市皇女は天武天皇の娘さんで、壬申の乱の敵将・大友皇子の妻であった。ということは、父と夫が戦って夫が殺されたわけですね。そうして、天武の息子さんである(異母兄弟の)高市皇子とは以前から結ばれていたらしい。

 そうして皇女の急死は、壬申の乱後、天武天皇が神々へ戦勝のご報告の儀に出発する、まさにその直前だった。それで、後世の史家は、彼女の死因をいろいろと想像している。

 それはそれとして、この山吹の歌の調べは、わが民族らしい神話的な美しさに満ち溢れている。

あのナルシスとはだいぶん違うね。




     


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万葉集 3314

つぎねふ 山背道を 他夫(ひとづま)の 馬より行くに 
己夫(おのづま)し 徒歩より行けば 
見るごとに 音のみし泣かゆ そこ思ふに 心痛し 
たらちねの 母が形見と 我が持てる 
まそみ鏡に 蜻蛉領巾(あきづひれ) 
負ひ並め持ちて 馬買へ我が背


現代語訳(絵文字入り)
 
山城ハイウエイを、近所の夫たち
ベンツだのレクサスだので出勤して行く。
でも私の夫は軽の中古で、下道を行く。
それを見るたびに泣けてくる。心が痛む。
そう言えば、母の形見のダイヤの指輪と大島紬があったわ。
これ二つとも売っちゃっていい車買ったらいいわ。


英訳

Each time I see my husband
Walks up on the road of sand
While other men go on horseback
I can’t hold the tears back.

I remember I have scarf and jewelry
That my mother left me.
For this large amount of money
Get a horse in exchange, Honey!


  

 

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『英語でよむ万葉集』

 『英語でよむ万葉集』 リービ英雄著を読む

 昔から詩の翻訳は不可能だと思っていた。小説は可能であろう、なぜなら小説の命はストーリーだから、ストーリーなら外国語に移せるであろう。学術論文、とくに科学の分野なら何語で読もうが〈同じ内容〉を受け取ることができる。

 しかし、詩の命は響きであり、リズムであり、要するに声に出して読むときの歌―音楽であるから。これを変えてしまうと、まったく別の新しい歌を創ることになる。

 だが、詩は厳密には音楽ではない。単語の一つ一つの意味、そしてその連続体の意味も、重要な要素である。そのため詩は非常に微妙ではあるが意味の世界でもある。

 われわれは『万葉集』に慣れてくると、ついついその歴史的・政治的背景や歌の隠された意味を探ったり、あるいは使われている言葉の統計的推移を考えたり、今の短歌の感覚から判断したりしてしまって、初めて万葉に触れたときのあのなんとも言えぬ新鮮な感覚、新しい言葉の世界というものを、ついつい忘れてしまいがちである。

 この『英語でよむ万葉集』は、もちろん半信半疑で手にしたのだが、読み進むうちに成るほどと合点した。というのは、作者は一つ一つの歌をどのように英語に出来るのか四苦八苦しているのだが、その手続きを読む小生は、あの初めての万葉、意味とも音楽とも言えないような、あの感覚を呼び戻したのである。

 作者はどういうつもりか知らないが、英訳作業に伴って見えてくるのは、何千年もの間、口と耳だけで豊かに生活していた人たちが、中国から入ってきた便利なしかし限定的で融通の利かぬ漢字を使用して、なんとか大和民族の歌を書き記そうとしたことだった。

 それは、たとえて言えば、われわれが知っている墨書の美しさを、便利なパソコンの規格文字だけで、なんとか伝えようと工夫しようとするようなものだ。それほど、あの何千年と口から口へと歌い継がれてきた神話的・自然的・生命的・直接的な精神を、ぎこちない記号で表すことの難しさがあったと想像する。もちろん万葉と一口で言っても、その最古の歌から最新の歌まで何百年という隔たりがあって、文字化の困難はだいぶん軽減していったであろうが。しかし、それと同時に、あの神話的な抒情は衰退していったが。

 まあ、そのようなことを漠然と想像した。一例を挙げよう。(原歌と英訳とその説明がセットになっている。)

 「 鳴呼見(あみ)の浦に 船乗りすらむ 少女(おとめ)らが 玉裳(たまも)のすそに 潮満らむか
  On Ami bay, the girls must now
  Be riding in their boats.
  Does the ride rise
  to touch the trains
  of their beautiful robes?

 ・・・・やわらかな、やわらかな、古代日本語の推測の動詞変化〈らむ〉と〈らむか〉を、〈~しているのだろう〉や〈~しているのだろうか〉と現代の日本語に訳しても、〈must be〉や〈are they doing?〉や〈Could they be doing?〉と現代の英語に訳しても、そのやわらかさは完璧には復元できない。
 想像された〈少女ら〉の精緻で夢幻的な動き、〈鳴呼見の浦に 船乗りすらむ〉を、

  On Ami Bay, the girls must be now
  Be riding in their boats

 と推測の英語で訳す。〈船乗りすらむ〉の美しさは出ない。しかし、〈船に乗って遊んでいるのだろう〉とか〈~違いない〉という現代の日本語にもそれは出ない。
 その〈少女ら〉の〈玉裳のすそに 潮満つらむか〉。現代の日本語では〈潮が満ちているのだろうか〉となるところは、英語で、

   Does the tide rise
  to touch the trains
  of their beautiful robes?

となる。Could the tide be rising? とか、I wonder if・・・と言い換えてもいいが、わざとらしい印象を与えるので、簡単な質問形式にとどめる。云々。」

 もちろん『万葉集』を英語に訳すことなどとてもできない、とあらためて思う。しかし、このようになんとか英語にしよとする努力のうちに、万葉を書き記るそうとした古人の困難な思いの何分の一でも、そして現代からみると新鮮な世界を垣間見ることが出来るような気がした。

 
       
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万葉集編纂

 万葉集の大きな特徴は、もう何度も言われてきて今さらながらの感ではあるが、罪人の歌が載っていることである。有間皇子、大津皇子、長屋王、は罪人とは言え、時の権力者(皇太子、天皇、藤原氏)の陰謀によって殺されたのであるが、もし勅撰和歌集なら、どうして罪人の歌を載せるかと言われる。

しかも、この三人には罪がない、謀られたのだ、ということを、誰もが感じている。そのことが読む者は判るようになっている。長屋王は罪人として葬られず、死後十年にして名誉が回復されている。つまり政府、権力側の誤りであったことを認めている。
 こういった、権力側の失政をわざわざ残すであろうか。そこで万葉集編纂は初めは私的に(大伴家)なされたいたものであった、うんと後に時代が変わってから、それらが公的に発表されたという、例えば井沢元彦氏の意見がある。
  
 そういえば、編纂者と目される大伴家持も、最後は東北に転任させられ、死後!謀反人として官位を剥奪されて、つまり犯罪者の仲間にいれられている。万葉集中もっとも多くの歌が残っている家持がそのようであるならば、万葉集は初めおそらく大伴家の私家版としてあったが、公表されたのは、かなり後、権力者の諸事件に対する見方が変ってからである、それは『古今集』のかな序に「万葉集の歌が広まったのは、ならの御時」(真名序では「平城天子…令撰万葉集」)、これすなわち平安時代の始まりであるところの平城(へいぜい)天皇の御代ではないか、と井沢氏は主張する。(契沖以来の主なる学説では奈良時代ということになっているらしい)
 
 『古今集』序では〈歌聖〉である柿本人麻呂は三位という高位の人であったと書かれてはいるが、万葉集では六位以下の〈死〉をもって取り扱われているのは不審である。人麻呂の死についての歌が幾つか残っているが、これはまた謎に満ちていて、多くの研究者は、特に齋藤茂吉は人麻呂の死場所に生涯こだわった。折口信夫は個人としての人麻呂は存在しなかったのではないかとも。  

 梅原猛氏は、人麻呂はじつは比較的位の高い人(五位以上)であったが水死刑されたのだという説で一世を風靡した。梅原氏によって、『万葉集』は処刑された人たちのための鎮魂の書であるとされた。
 後の権力者が「犯罪者の私家版」(井沢氏)を発表することによって、その祟りを抑える、つまり鎮魂をしたのだ、という。

 なるほど、万葉集には挽歌が多く(特に巻二は)暗いトーンが流れている。そこには、たしかに古代日本人の感性、ケガレとかタタリとかいう、魂につながっているような雰囲気に満ちている。古代人は、われわれが今なお御彼岸やお盆に感じるようなものを、日常つよく感じて生きていたのではないのかな。

 それにしても、あれほどの詞華集を残したということは、まあいろいろな理由があるにせよ、時の権力者が天皇にとって代わらなかったという感覚と、どこかで繋がっているような気がしてならない。


何となくそのように感じる人は↓↓

             

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万葉巻19

この巻の始まりは、

4139 春の園 紅にほふ 桃の花
     下照る道に 出で立つ娘子
 
 あの正倉院にある樹下美人図を思い出させる、じつにほのぼのとした明るい情景の歌である。あるいはルノワールの絵を連想する人もいるかもしれない。ここには暖色の幸福が漲っている。

 そして終わりは、

4292 うらうらに 照れる春日に ひばり上がり
     心悲しも ひとりし思へば

 ああなんという憂鬱であろう。空はたしかに晴れてはいるが、しかしその青のなんと閉ざされた空間であることか。

 大伴家持という人の近代的憂鬱。藤原勢力に敗北していく大伴一族。抵抗するすべもない嘆き節。政治的敗北にともなう詩の衰退。

 思い返せば、『万葉集』は、巻一の巻頭を飾る雄略天皇の実にすがすがしい、率直、力、雅、神話的な源泉から溢れる詩情を持って始まり、巻二十の大尾を飾る家持の沈鬱な歌(あらたしき年の初めの初春の・・・)をもって終わる、一つの壮大な物語ではないか。

 そしてこんなことを想像する。
 いつの日か、いまわれわれが「インカ文明展」とか「古代ローマ展」を観るように、後世の人々は「日本展」を観るであろう。

「日本展―神々の国」。入ってすぐには、日本文化の最大特徴としての天皇の説明が書かれ、続いて歴代天皇の御製と事績が、明治天皇の御真影、大正天皇、昭和天皇、そして皇族の御写真が飾られ、滅亡の機縁となった大東亜戦争関係の写真や遺品が並べられ、戦後の猛スピードの変化の写真が貼られ、ガラスケースには、縄文土器や信楽焼から清水焼、輪島塗などの伝統工芸品、『古事記』『万葉集』『源氏物語』から戦国時代の武人や文人の書、浮世絵、昭和二十年の特攻兵士の手記、そして最後に美智子皇太后の和歌集が飾られている。

 そして、映像コーナーでは、能・歌舞伎などの伝統芸能のさわりが上映されており、アジア人が白人に勝った奇跡「日露戦争」、特攻隊の出撃風景、日本の田園風景、神社仏閣、桜や紅葉の名所が、映し出されている。
また、日本庭園を模した茶の湯コーナーで口を潤すこともできる。

 そこで萩焼の茶わんから茶をすすりながら、物珍しいものを観た満足感を顔に表しながら、A氏はつれあいに言うであろう、(もちろん英語で)「滅んだのは残念だけど、それでも島国だったから、あんなに長く古代的な文明が続いていたんだろうなぁ。変質した漢字文化とは言え、日本人はほんとうに言葉遊び好きで平和な民族だったんだな・・・そして近代日本は不思議な文明国だったんだ。」そして退屈そうに付け加える、「まあ、よく判らん点もあるが、なかなか優れていたところもあるんじゃない」と。
 そして出口の売店コーナーで富士山と桜の絵ハガキの二、三葉を買って、外に出る。明るい日差しが照りつけ、木々の緑がA氏の目をうばう。さっき観たものはすっかり頭を去って、つれあいに言う「昼飯どこにしよ」。


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万葉巻15・16

 『万葉集』巻十五は全体として物語の流れがあって分かりやすく読める。大きく分けて二つの部分からなり、前の部分は遣新羅使節の航海途上で創られた歌からなる紀行文学である。

 難波津(大阪港)から瀬戸内海、北九州、壱岐・対馬を経て新羅へ向かう。航海は予想を超えて長引き、しかも外交は失敗に終わった。使節らと都で待つ妻との逢い難さ、相思う気持ちから連想的に、後半の中臣宅守と狭野娘子との贈答歌に移る。
 宅守は越前国に配流。都に残る娘子との間で交わされた歌は六十三首にも及ぶ。

 万葉歌人では、概して女性の方が情熱的、繊細にして大胆。与謝野晶子系が目立つ。というか、だいたい男性がなんか水っぽく軟弱だ。草食系男子とか言うけれど、我が国では今に始まったことではない。古代からそのようであった。
 狭野娘子の歌
  君が行く道の長手を繰り畳ね
  焼き滅ぼさむ天の火もがも 3724

  我が背子が帰り来まさむ時のため
     命のこさむ忘れたまふな 3774  

          *

 『万葉集』全二十巻のうち、第一巻から第十六巻までがいわば本体で、一旦ここまでが完成され、十七巻から二十巻までは大伴家持周辺の作であり、時代的にも新しく、後で付け加えられたものとされている。 

 ということは、この巻十六は最後に残った雑纂という感じは否めない。題詞にも「有由縁并雑歌」とある。作歌事情が付されている歌も多く、また雅とは反対の露骨で猥雑な狂歌からまるで意味のない超現代歌まであって、考えようによっては、その広がり、新しい領域への可能性に満ち満ちている。連歌・俳諧への意志はここに胚胎している。
 
  一二の目のみにはあらず五六三
    四さへありけり双六のさえ 3774  
 (人間の目は一つか二つ。それなのに双六の目は五六三四なんてのがある。面白いなぁ双六の目は)

 からたちのうばら刈り除け倉建てむ
  糞遠くまれ 櫛造る刀自  3832
 (からたちの木を切って倉をたてよう。 櫛作りのおばさんよ、うんこはあっちへ行ってしてよ。)

 童ども草はな刈りそ八穂蓼を
  穂積の朝臣が腋草を刈れ  3842
 (草を刈らずに穂積さんのわきを刈ってやれ)

 我妹子が額に生ふる双六の
   牡の牛の鞍の上の瘡  3838
 (妻の額に生えた双六の牡牛の鞍の上のかさぶた)

 これは題詞に「無心所著の歌」つまりまったくナンセンスな歌と書いてある。こうなると、音楽でいえば、ジョンケージの『4分33秒』であって、芸術の極点にして否定。創作の発展的解消である。
 言語芸術は万葉で始まり万葉で終わるといえる所以である。


  
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万葉集巻13

 万葉全20巻のうち、巻13は長歌の数が一番多い。また短歌よりもやや多い、という点で際立っている。

 小生は長歌が好きで、声を出して読んでいて、なんとも気持ちがいい。五七調のリズムが小生を運んで行く。イメージの変化はメロディである。歌の意味はもちろんあるのだけれど、ある言葉の音響や意味の唐突な連想から次に続く言葉を持ってくることによって、一方で内容の切実さを増しあるいは軽減し、他方思わぬ方向を示唆し膨らみを持つ。この方法が万葉人に共有され、ある言い回しは頻用されて枕詞や序詞として固定化された。

 たとえば、誰でも知っている、青によし→奈良。神風の→伊勢。また、若草の→妻。玉の緒→継ぐ。大舟の→思ひ頼む。吉野→好し。松→待つ。杉→過ぎ。身を尽くし→水脈つくし。もののふの→八十氏(やそうぢ=文武百官)→宇治。玉かつま(かつまは籠)→蓋があふ→合ふ→逢ふ。こういった言葉遊びは数えきれないどころか、長歌においてはこの音韻と意味の連想ゲームのオンパレードであって、これが小生にはたまらない。この長歌の膨らみは、後にいっそう和漢の詩歌を取り込んで、遠く室町期の謡曲のうちに洗練されマニアックな展開をとげる。

 巻13においては、人麻呂を中心としたあの万葉の黄金時代の歌歌は人々に暗誦され、その言い回し、その固定されたイメージの模倣が目立つ。単なる模倣を主としたつまらないと感じる歌もあるが、概して面白いと小生は感じる。

3272
 うちはへて 思ひし小野は 遠からぬ その里人の 標結ふと 聞きてし日より 立てらくの たづきも知らに 居らくの 奥かも知らに にきびにし 我が家すらを 草枕 旅寝のごとく 思ふ空 苦しきものを 嘆く空 過ぐし得ぬものを 天雲の ゆくらゆくらに 葦垣の 思ひ乱れて 乱れ麻の 麻笥をなみと 我が恋ふる 千重の一重も 人知れず もとなや恋ひむ 息の緒にして

(大意)私が心を寄せていた小野(あの娘)は、その近くの奴が標を結った(手に入れた)と聞いた日から、立っていても座っていてもぼーっとして煩悶し、慣れ親しんだ我が家にいても漂泊の思い苦しく、ふらふらし、麻のごとく乱れた心を支えてくれる笥(入れ物)もなし、この気持ちの千分の一も解ってくれないあの人を恋死にそうだ・・・。


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紅葉の候

人気ブログランキングへ  一昨日東山植物園に行きました。冷たく澄んだ空気の中、紅葉がとても綺麗で、深紅など口では表せないほど色々な色が、見事に混在していて、夢の中の気分でした。

 『万葉集』にも紅葉を詠んだ歌が沢山ありますが、『万葉集』では〈もみぢ〉を紅葉と書かずに黄葉と書きますね。(まだかな文字がないですから、すべて漢字で書かれています) 例えば

(2202) 黄葉為 時尓成良之 月人 楓枝乃 色付見者 (もみぢする 時になるらし 月ひとの かつらの枝の 色つく見れば)
月に桂の木があって、それが色づいてきて、月の光の色も変わってきた。そうか紅葉の季節になってきたのだ、ってことですね。中国王朝風の理屈の歌ですね。

(2297)黄葉之 過不勝児乎 人妻跡 見乍哉将有 恋敷物乎 (もみぢばの過ぎかてぬ児を人妻と見つつやあらむ恋しきものを)
直ぐ散ってしまう紅葉のように見過ごしてしまえない美しいあの人を人妻として指をくわえて見てのみいられようか、こんなに恋しい・・・。万葉らしいですね。

(2209)秋萩の 下葉の黄葉 花に継ぎ 時過ぎ行かば 後恋ひむかも   ・・・・花が散ってそれに引き続いて下葉が色づきはじめる、こうして時が過ぎて行くと後にこの瞬間を恋しく思うだろう・・・

この歌からas time goes byという文句を連想してしまいます。ご存知、映画『カサブランカ』の主題曲ですね。あの音楽を奏でるピアニストのサムが途中で間奏曲ふうにチラッと弾くthe very thought of youって曲ご存知ですか。小生はあの曲を思い出すだけでしびれます。CDあれば手に入れたいと思っているのですが、バラードふうのいやにゆっくりした歌ばかりで、映画で奏でられるアップテンポのピアノバージョンがないのです。だれか知ってたらおしえて。

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金木犀の香りに想う

道を歩いていると金木犀の香りがそこはかとなく漂ってくるこのごろ。
 そこで一首 (下手の横好き)

  秋空にあまきかをりの漂ひて天つ乙女の降りきたるらん

目下『万葉集』を少しずつ読んでいるんですが、秋の植物については、萩が多いですね。もちろん秋と言っても今より一ヶ月くらい早い時をいいますが。巻十の秋の雑歌の中の花を詠んだ歌三十四首中三十二首が萩ですね。その一つ、

 秋風は日に異に吹きぬ高円の野辺の秋萩散らまく惜しも

 判りやすくて素直で無理がない、心と言葉とが一体でいいですねぇ。
 それにしても『万葉集』は、西暦四五〇年代(?)の雄略天皇の御製から、最後はおそらく西暦七五九年の大伴家持の歌まで、約三百年間の様々な人たち、すなわち天皇から官僚、軍人、百姓、主婦、乞食、遊女、さらには罪人ら、あらゆる人たちの歌四千首以上からなる大歌集ですね。
わが国のもっとも大切な宝です。
われわれ日本人の感性の原点、こんこんと湧き出る尽きせぬ泉という感じがします。ここには信仰と反逆、青春と老境、希望と諦念が、そしてそれらの中にすでに〈みやび〉の馥郁たる香りが漂い始めているのを感じずにはおれません。
 本当に「うましくにぞ あきつしま やまとのくには」ですね。



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額田王

天智天皇の御世、日本軍は百済救援に出発する。その時の額田王の有名な歌:
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

素晴らしい、意気盛んな歌だな。

しかし、白村江の戦いで破れ、多くの難民が日本にやって来る。そのおかけで、わが国には漢詩文化が栄えた、と言う。・・・その4年後、天智天皇は、防衛上安全の地と考えたからであろうか、近江に遷都する。その次の年、一行は蒲生野に狩猟旅行に行く。その時の額田王と後の天武天皇の歌は、余りにも有名。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫のにほへる妹をにくくあらば人妻ゆゑに我恋めやも

これは宴席での笑いの歌だというのが、近年の通説である。このとき額田王は40歳前だった。(今の感覚で行けば50歳くらいか)この才女が、宴席で誰かが袖を振ったのを、即興の歌に創った。と、そのとき大海人皇子が、その紫を取って「にほへる妹」と言って、満場の笑いを誘った、というのが伊藤博氏の説だ。とすれば、大海人も、当意即妙とはいえ、ずいぶんの冗談を言ったものだ。
しかし、昔の三角関係説より、この諧謔的雰囲気の方が本当らしいし、面白いし、明るくっていい。

だが、昨年のNHKカルチャーアワー『万葉びとの言葉とこころ』において、坂本信幸氏は、大海人の歌の原文での〈むらさきの〉は〈紫草能〉であって、この語の使用法は万葉では、紫草のことで、この花は白い清楚な花だそうだ。だから、若い頃とは違った落ち着いた白い花の美しさをたたえた女性であると、大海人は言ったのであって、満座の笑いを誘うものではない、と解釈しておられる。
そうして、額田王が天智天皇の妻であったという確証は、実は昔からない。坂本氏は、この時、額田王は後宮人であったのではないか、としている。
なるほど、この解釈の方がしっとりとしていていい。



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雄略天皇御製

以前漠然と思っていたんだけど、わが国の文学は、平安時代に入って〈みやび〉の自覚が顕れたのだと思っていた。すなわち伊勢物語にいわく「・・・みちのくの しのぶもぢずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに という歌のこころばへなり 昔人は かくいちはやき みやびをなむしける」。
そして、これが、『源氏物語』のもののあはれになり、下っては『好色一代男』の粋につながる・・。

最近、万葉集をたらたら読んでいて知ったのだが、すでに〈みやび〉は明瞭な概念として使われている。巻頭そうそう雄略天皇の歌が出てくる 「籠よ み籠もち ふくしもよ みぶくしもち 菜摘ます児 ・・・」で始まるこの御製は、すでに天皇が女性に声をかけ、みやびを実践している。万葉集には、みやびという言葉(風流とか遊とか美也備とか書かれている・・)が、しばしば出てくる。この言葉のニュアンスの変遷と広がりが、わが国の精神を象徴しているように思う。
そしてまた、雄略天皇といえば、日本書紀においては、若くして従兄弟など皇位継承者を皆殺しにする〈荒魂〉の権化として描かれているが、古事記や万葉のこの御製においては、また違った面を表していて、面白い。


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