国会周辺漫談
「はい、閣下」
・・・・
「閣下、大変でございます。暴風雨のために転覆しつつある大型漁船から救援の報せが入りました。約100名の乗組員が助けを待っているそうです。気象庁によりますと今後風雨はだんだん強くなるとのことです。」
「うーむ。じゃが自衛隊員をそんな危険な所に行かせてはイカン。そのまま放っておけ。」
「はい、閣下」
*
「とおちゃん、今度できた日本の戦闘機はすごい性能らしいね。」
「うわさではね。しかし、実際はどうなんだろう」
「とおちゃん、哨戒機も潜水艦も日本のは、世界一・二を争うようだね。日本の軍隊はけっこうすごいのだね」
「坊や、日本には軍隊はなくて、あれは自衛隊なんだよ。」
「でも、とおちゃん、隣のスミスさんは自衛隊の事を軍隊って言ってたよ。」
「坊や、日本国憲法で軍隊をもってはいけないと書いてあるから、あれは自衛隊なんだよ。」
「言葉変えれば、すべてよし、なんだね」
「そうだよ、坊や、おまえは賢い子だねぇ」
*
「とおちゃん、アンポ法案がどうのこうのって、沢山の人が騒いでいるでど、なんなの?」
「パパもよく解らないけれど、あれは、自衛隊が外国で外国人を救うために武器を使ってもいいのかどうか、っていう問題じゃないのかな。」
「他の国には悪い人たちが沢山いるのだね。大事な遺跡を壊したり、女学生をさらっていったり、平気で虐殺したり、だから難民がいっぱいいるのだって。世界の良い国の軍隊がそういう悪い奴をやっつけに行かなければいけないね。自衛隊もやっつけに行かなければね、パパ」
「いや、自衛隊は悪いやつらをやっつけることはできないのだよ。」
「どうしてなの、パパ。日本の憲法には、どんな国も自国のことのみに専念してはいけない、全力で崇高な理想と目的を達成する、と書いてあるよ。」
「ははは、坊や、誰もそんなことを信じていないよ。憲法の言葉なんてただ恰好をつけるために書いてあるのだよ。どこの国も本当は自分の国さえよければいいのさ、儲けられそうな時だけ、助けに行くのだよ。」
「書いてあることはただ格好なの?」
「そうなんだよ。大事なのは恰好なんだよ。大人は憲法に書かれていることを文字通り信じてはいないのだよ。」
「う~ん、本音と建前ってやつだね、国連と同じだね、パパ」
「おお、そうだよ。お前はなんて賢い子なんだ。」
*
「戦争反対! アメリカの力に屈するな! 平和憲法を守れ!」
「おばちゃん、戦争反対って、いま戦争している国に行って言わなきゃ」
「そんな怖い国に行って、そんなこと言えるか、アホ!」
「おばちゃん、おばちゃんが必死で守りたがっている憲法はアメリカの力に屈して創られたものだけど・・・。」
「うるさ子やねー。昔は昔、今は今。昔のことをほじくり出さんといて!」
「でもなぁ、今もすぐ昔になるよ。」
「ほんまうるさい子やわ。ごちゃごちゃ難しいこと言わんといて!」
*
わが民は禅問答に大真面目。先哲曰く、「絶対矛盾的自己同一」。(笑と拍手)
シェイクスピアならこう言ったかも、この世のすべては喜劇の素材に成らざるはなし。


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政治音痴の感想
同盟の誓いなんて、過去を振り返れば一目瞭然、いざとなったらいかなる国が他国を守るか。アメリカなんかは、裏切る前に、いろいろともっともらしい理屈をつける。よく言えば、外交に強い。ロシアなど多くの国は、どうどうと先ず裏切る。後で下手な理屈をつける。ずうずうしいから他国から嫌われる。
では、どうすればいいの。とりあえず自分(わが国)は強いという自信をもてるようになるべきだ。いざ戦いになっても負けないという自信を持つこと。初めから誰かに頼らなくてはならないという考えを捨て、いつも毅然とした態度を見せられるよう訓練すること。
強力な軍事力をもつということではない。現在毎日のように、大量のハッカーが世界中の政府や大企業などに入り込んで、じつに手の込んだ方法で情報収集や破壊活動を行っていると聞く。今日の新聞にも、日本年基金機構の流出事件は中国系だとアメリカの会社が断定したとある。これは、小生の目には戦争準備状態に見える。先の大戦からはっきり判るが、軍事力のハードの部分は必要ではあるが、それより諜報力がモノを言う。
70年前、世界最高のハイテク戦艦であった大和・武蔵も、その位置・動きは把握されていた。そもそも、ミッドウエー戦以来、わが国の通信はほぼ傍受解読されていたというではないか。それなら、いかな大和・武蔵も鉄くずに等しい。
そういう意味でも、核戦力は不要であると考える。ついでに言えば、そんなもの持っていたって、正常な人間なら使えっこないし、朝原やビンラディンやイスラム国に洗脳された子供らなどキチ○○の手に渡ったら、こんな地球が滅びても構わぬと考えている奴らに、こちらの核武装が抑止力となるはずがない。
むしろ、大事なことは、他国の核や化学兵器の施設やミサイル基地がどこにあるか、ミサイルや潜水艦が今どこに向かっているかを、正確に丸裸に把握する情報収集能力を持つことが、強いことの秘訣ではないかと思う。兵器は通常兵器でいい、とは言っても性能はいいに越したことはない。
したがって、小生の提唱は、まず強力な諜報員の養成。バイリンガル・トリリンガルの人間が多くいれば、その中から優秀な諜報員が出てくる可能性が多くなる。育ちのいい日本人は諜報活動ときくと顔をしかめるが、要するに優秀な外国人と親しくなることだ。子供の内から外国語ができるようにしたいと考えている大人が多いご時世は結構なことだ。
そして、スパイ衛星など情報収集ハイテク技術の絶えざる改良が大事だ。先に言った、他国の軍事施設の場所を正確に知ることと、パトリオットのような迎撃機械をわが国のあらゆる所に配置すること。ハッカーに対しては、遮断はもちろん、偽情報流し、逆探知破壊などの巧妙な対応ができるよう、強力な専門家を早急に養成せねばならない。毎日、わが政府高官の通信や企業秘密が外国に垂れ流しになっていると思うと、残念でならない。
これらはすべて、他国に戦争を仕掛けるためではなく、あくまで万一の時の防衛のためであることを確認すべきである。まず防衛に自信を持てば、そんなに厳しい集団的自衛に縛られることはないと感じた。


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昭和の日 2
もろびとをしてこの時代に
想ひをいだかざるをなからしめよ
明治よりこのかたわが貧しき國は
世界に伍さんと大陸に足を踏み入れ
列強の批難を浴びぬ
しかはあれども民草はみな互ひに
思ひやり美しき言葉を話し、
家を思ひて生業にいそしみ、
日に夜をついで働きけるも
―いかなる星のもとなりし
大いくさの始まれり
若き兵士らは国を守らんと
次々に山を駈け海をめぐりて
命を捨てぬ 銃後の民草みな
おのもおのもに汗流しけるが
つひに力尽き国滅ぼされたり
ここにわがスメラミコトは民草を
守りたまはんとご一身をなげうち
くにぐにを巡りたまひき
などてスメラミコトは人と
なりたまひしといふ声あれど
人となりたまひてこそ民草の
こころ動かさざりしや
かかるがゆえに人人ふたたび
胸を張り上を見つめ互ひ互ひに
手をとりあって勤めをはたし
やうやくに国土は立ち直りたり
民草飲食豊かに絶ゆることなく
日に日に弥栄えゆき
―いつしか平成の世となり
人みなこぞりて足るを忘れ
さらに物欲しげなる様子にて
遊楽をきはめんと競ひあひ
欲念の留まるところを知らず
つひに浅ましき誇大な夢は
はじけりて泡と消えにけり
人々袖振り臥しまろび
足摺しつつ歎けども
還らぬは邯鄲の夢
しかすがに浮かれ心は
なほ消えやらず
いにしへを振り返ることはなく
おとなこどもも上も下も
祝日を休日と取りたがへ
さらなる逸楽をもとめつつ
黄金週間などとうそぶきあひ
安んじたるこのありさま
わが父母よ 祖父母たちよ
いかさまに思ほしめせか
―ああ〈昭和の日〉有名無実と
なるぞ悲しき


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政治音痴の弁明
同盟国軍がかくかくの場合、わが国軍が(あっ、そんなのなかったっけ)、どうすべきか、ああでもないこうでもないと髪を黒く染めた議員さんらが大真面目な顔を装って議論している光景は、じつにイヤな光景だ。
あんな重箱の隅をつつくような議論から始めることがあるものか。地球の裏側であれどこであれ、同盟国が危険であると判断すれば、助けるのが当たり前ではないの。そうでなければ、同盟という言葉に意味がない。いやなら同盟など結ぶな、と言いたくなる。
しかし、小生は空想家ではないから、同盟なんていとも簡単に破られるとも思っている。そんなこと古今東西の歴史を振り返れば一目瞭然、文明開化の21世紀に入って突然国際マナーが変わったとは考えられない。だから、ふだんから自国でしっかり守りを固めていなければならない。すなわち、間諜、偵察衛星、軍事訓練、防衛ミサイルの配備などは怠ってはならないのは当然ではないの。
いや、今は昔と違う、他国には信頼の態度で接して行け、話せば分かる、という人が居るが、話しても通じないふりをする怜悧な集団は常にいる。そいつらからあなたたちを守ってくれているのは警察力だよ。しかし国連が当てにできると思っている人はウクライナか南シナ海に行ってくればよか。
まあ小生、政治というものにちょっと不気味なものを感じるし、あまり深入りしたくないけれど、自分は国家に税金を払い、国家のシステムの上で生きているというくらいのことは、よく分かる。


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昭和の日
昭和という時代は、わが国建国以来もっとも長く、かつ苦難に満ちた時代、だからこそ国民全員がもっとも固く結束し、また離反した時代であった。そして日本という国柄をもっとも国民が深刻に考えた時代であった。
だから、今日はテレビなどでわが国の建国の歴史や昭和という時代、映像が沢山残っている父母や祖父母の生きた時代の特集番組などをやっていると思ってテレビ欄を探したが、ぜんぜんそれらしい番組はない。小生ははっと息を呑んだ。ない。不思議だ。
戦後すでにして、明治節は文化の日に、新嘗祭は勤労感謝の日に、端午の節句は子供の日にというふうに、なんか漠とした定まらない名称に変えられてしまっている。あたかも自らの歴史を羞恥し、祝祭日をただの休日にしてしまおうとしているかのようだ。
だから、わが国の子供たちは、祝日というと、スマホゲームしたり、家族旅行したり、要するにただの休日だと思っている。彼らを養ってきた祖先たちの苦難や夢を思うことなく、受験やゲームに熱中する猿たれと教え込む。豊かな生活とは今現在のモノや金のある生活だと思わされている。
何のための祝日か。



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日本国憲法前文
初めて日本国憲法前文を読んだ時から、何かしっくりこないものを感じていた。日本語としても、素直でない、シャチこばった感じを受けたし、内容もなにか継ぎはぎだらけで統一がなく、何よりも誇らしい気持ちを欠いている。
福田恒存氏によって著された「當用憲法論」(昭和40年)を再読して、小生の懐いた感じの正体が分かったので、この論を紹介しつつ書いてみよう。
日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、[いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると]信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ
まず、赤字で書いた部分は、こう書く方が日本語として自然ではなかろうか。
正当に選挙された(duly elected) → 公正なる選挙によって選ばれた
いかにも直訳。正当に選挙されたなんて、中国じゃあるまいし。
確定する(establish) → 制定する
研究社英和活用大辞典ではまず〈確定する〉とのっているな、たしかに。
排除する(reject and revoke) → 拒否する
排除するって、今までにあったものを取り除くというイメージでは?
欠乏(want) → 窮乏
欠乏って何の欠乏? とくになければ、窮乏から逸れ、じゃないの?
確認する(recognize) → 認める
まだ確認までいってないのじゃないの?
これらの誤りではないけれど、自然な日本語の文章としては変だなと思われるのは、おそらく素人の翻訳者が英文(The Constitution of Japan)を、辞書を片手に翻訳した為であろうと思われる。
他にも、例えば第一文の「わが国全土にわたって…」というのも、また第二文の「その福利は国民がこれを享受する」なんていうのも、なんかしっくりしない。
それから、全体に読点が多すぎ。文章の構成に関しては、初めの文章は長すぎる。緑色で示した〈し〉が三つもでてくる。原文の直訳でなければ、こんな文章はなかなか書けない。
最後から二番目の文章も、「われらは[・・・・・・・]信ずる」の緑括弧が長すぎ、日本語としてはとても不自然な感じを与える。
水色で書いた「よるものであって」と「するのであって」は、主語と述語が、その後では変わる場合に使っている。五番目の文章の、「信頼して」の緑文字〈して〉というのは分詞構文のところ。いずれも出来るだけ忠実に翻訳しようとした賜物だと思われる。
とにかく、これは英和辞典を片手に慣れぬ英文を、急いでできるだけ原文に忠実に翻訳した形跡が見うけられる。
参考に原文(英文)も附しておきます。
The Constitution of Japan (promulgated november 3, 1946)
We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the national diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this constitution.
Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people.
This is a universal principle of mankind upon which this constitution is founded.
We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.
We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth.
We recognize that all peoples of the world have the right to live in peace, free from fear and want.
We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.
We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.
内容であるが、文全体に何か暗い卑屈なトーンが流れていて、これを作った人たち自身が本気で語っているような気がしない。
第一文から、下線の部分「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに」なんて出てくる。のっけからこんなケッタイなことを書く憲法が他の国にありや?
第三文の「これは人類普遍の原理」でありの〈これは〉は何を表しているのだろうか。それにしても「人類普遍の原理」とは大きく出たものである。これを書いた人は神になったつもりか。
第四文「これに反する一切の憲法・・・・を排除する」という、〈これ〉とは何か。普遍的原理を掲げ、したがってもうこれから先はない最高憲法だから、もはや憲法改正などはありえない、と言っているに等しい。
したがって、例えば九条を解りやすいように変更することもできず、その解釈について、手練手管の応酬でもって貴重な議会を空費し続けているのもむべなるかな。
第五文の「人間相互の関係を支配する崇高な理想を」とつぜんカントのような文句が出てくるが、もっとやわらかい言い方がないものか。まあ、翻訳だからしようがないか。一番笑えるのは、「諸国民の公正と信義に信頼して」という下りだ。まあ、これも政治用語と思えばいいかもしれないが、もし本気で信じ込む日本の子供がいたら罪な話だ。
第六文の「名誉ある地位を占めたい」に至っては、いじらしいというか泣けてくる。
第八文の「他国を無視してはならない」って威勢のいいこと言って、どうすんの。そんな覚悟あるの。極めつけは政治道徳って言葉だ。政治は嘘八百を駆使した技術であって、道徳とは対極にある。政治は道徳さえ利用する。Political moralityって誰が書いたか知らんが、こんな言葉を日本人に使わせやがって。
この憲法が作られた経緯はだいたいは知られている。要点は、作成時期は日本は占領下にあった、すなわち主権を喪失していた、と思わされていた。GHQが皇居の目の前の日本生命ビルに陣取り、日本に銃口を向けていたときであった。しかも、日本の主要都市は廃墟となり、国民は食うや食わずの状態であった。
のちに公文書で明らかになったことだが、連合国軍総司令部が憲法を起草したことを一般国民に知らしめないよう、このことについて触れるような一切の文言も検閲の対象であった。
昭和20年(1945)
8月15日 終戦
9月 2日 降伏~昭和27年(1952) 4月28日まで日本は占領下に
10月11日 マッカーサーが幣原首相に改憲を指示
昭和21年(1946)
2月3日 日本側草案を受け取ったマッカーサーは失望し、根本的に改めるべく民政局に指示
2月13日 改正案を日本側に提示
・・・ 国会で審議
11月3日 日本国憲法発布
昭和22年(1947)
5月3日 日本国憲法施行
驚くべき短期間で、しかもこの憲法を起草したアメリカのスタッフらは27人とか、かなりの素人ぞろい。そのうちの一人、当時22歳であった米国女性ベテア・ゴードン氏は、「日本国憲法はアメリカの押し付け憲法だ」という意見に対して、ずっと後にこう語った、
「人がほかの人に何か押し付けるとき、自分のものよりいいものは押し付けないでしょう。日本の憲法はアメリカの憲法より素晴らしい。世界の憲法のいいところを集めた歴史の叡知です。いい憲法であればそれでいい。誰が書いたかを穿鑿することは意味がありません。」
小生は開いた口がふさがらない。アホか、この人。しかも面白いのは、じつに語るに落ちるとはこのことで、「世界の憲法のいいところを集めた歴史の叡知です」。 歴史というものは、国民の分割できない精神の深い流れであって、その表現は内発的でなければならず、どこからかちょっと切り取って張り付けができるようなパッチワークではない。おたんこなす!
日本国憲法は、このような軽薄なスタッフによってつくられた、あまりにも表面的で軽々しい、実意のない文字の羅列なのだ。この前文を、「素晴らしい、生徒に暗記させよう」と言う日本の教師がいるそうだが、日本人もここまで感覚がおかしくなったのは、まさにこの憲法のお陰だと、あらためて感心する次第だ。
そして、この憲法と対をなすものがあって、この両者がぴったり咬みあって、相乗効果を発揮している。この対をなすものこそいわゆる東京裁判である。もう今では世界の法律家が認めているそうだが、あの裁判は法的に正しいものではなく、ただ戦勝国が敗戦国を悪者にした茶番劇だった。
東京裁判 昭和21年5月3日 ~ 昭和23年11月12日判決
これによって、日本は世界的な悪者にされてしまった。おかげで、ハイエナのような国が、虎の威を借りて、「正しい歴史認識」だの「従軍慰安婦」だのと罵り騒ぐ情況が出現している。占領されるということ、7年間も主権を失うということの恐ろしさをまざまざと見る思いがする。
このことを考慮に入れてみると、日本国憲法前文の意味がはっきりする。
では判り易く超訳してみよう。
日本国憲法前文
「日本国民は悪い国民でした。戦争を起こして、多くの国に御迷惑をかけてごめんなさい。
ぼくら日本はみんな悪い。聖徳太子からはじまって、紫式部も西郷隆盛も小野田中尉も、みんな悪者でした。ぼくらの祖父母たちは犯罪人でした。ごめんなさい。だから墓参りはいたしません。
人類普遍の原理を教えて頂いたからには、心を入れ替えて、日本の歴史、文化、伝統を否定し、あなたがたのように立派な国になるように精進いたします。
あなたがた、とくに国連安全保障委員会の常任理事国入りされている立派な平和主義の国々の背後を拝みながら進みます。ふつつか者ですが、どうぞご指導をよろしくお願いいたします。
このような究極の素晴らしい理想の憲法を作って頂いてありがとうございました。再拝」
結論:この憲法は大急ぎでアメリカ人が作った文章の直訳であって、戦勝国が無理やりわれわれの手をとって書かせた証文であり、こんなもの日本人はだれも心の底から信じていない。しかし改正しようにもできにくいような仕組みになっている。
独立国家が歴史も伝統も異なる外国人よって書かれた憲法をありがたくいただいているのはおかしい。よって、この憲法を一刻も早く廃棄し、日本人らしい、仰々しくない、素直な文章の憲法を作るべきであると思う。


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時事漫才
& 終わったな。それにしても、今年は夏が長くて突然冬になったような気がする。
@ そうやなぁ。ヘンな気候やった。日本だけやなく世界的にも異常気象やった。6月ごろやったか、東南アジアや東欧の豪雨。10月ごろのイギリス、オランダの暴風。
& あれはすごかったな。ロンドンでは街路樹が倒されとったな。風速100メートルとか。
@ ええ、ほんとか?
& とか言うとったで。でもまあ、異常気象ゆうても、このところずっと毎年、異常気象言われてるみたいな気もするぜ。
@ そうや、毎年異常気象や。
& へんやな。毎年異常なら、正常やないか。
@ そうやがな。正常や。異常が正常や。
& なんか、難しいなぁ。
@ 世の中どんどん変わってくでぇ。ボケーとしてたら置いてきぼりや。
& フィリピンの台風もすごかったなぁ。
@ うん、流された家もいっぱいいあった。親を亡くした子供の映像が忘れられんわ。可哀そうになぁ。
& フィリピン政府もどうしようもなかったみたいやで。
@ 世界から援助の手が差し伸べられた。日本もいち早く救助隊を出したみたいやな。
& 自衛隊と米軍が組んで、大規模な援助活動をしたんやけど、それに対して、中国は日本の海外派兵やと揶揄したちゅうやないか。
@ まあ、日米がフィリピンと仲よくなるのは、中国としては気に食わんことや。
& そやったら、中国もいち早く援助隊を出したらよかったちゃうの。
@ でもそれはできん。フィリピンが断るやろ。あんな、領土取りに来る国の援助受けたら、後でえらい目に逢うからな。
& そやかて、断っても怒るやろ。
@ 厄介な国や。ちょっとまえ防空識別圏というのを設定したやろ。
& うん。
@ きみ、知っとるか、防空識別圏というの。
& なんでも、この空を飛ぶ他国の飛行機は注意してくださいよー、ちゅうことみたい。そやから、そんなの設定したところで、べつにどーってことやないの?
@ でもなあ、尖閣を含んどるやで。他国の領空内に、飛行注意せよなんて、そんなこと言える権利があるか。
& ない。
@ ないやろ。だからどうすればいい。
& 無礼者と言ってやれ。
@ そうや、無礼者や。
& そういえば、つい先日、安倍さんが靖国参拝したやろ。そのときも、中国は、なんか言いがかりをつけてきたな。いつものことやけど。
@ うん。日経新聞は、日本製品の不買運動が起こるかもしれないで困った、と書いとった。
& 東京新聞は激しく抗議しとった。中国や韓国に悪いことしたとか、そういうこと書いとったな。
@ でもな、ぼくいつも不思議に思うことがあるんや。
& なんや。
@ 日本の大臣が靖国参拝することを悪いことや、と非難するのに、どうして中国なんかが、不買運動したり、日本の会社の建物を壊したりするのを悪いことと非難しないのかな、と思うのや。いったいこの新聞どこの国の味方しとるんやと思うことがよくあるな。
& それ、靖国にはA級戦犯が祀られているからやろ。
@ 君、A級戦犯て何か、知ってるのか。
& 70年経ったいまだに戦犯と言われとるからや。
@ どう関係あるンや。
& 70年経っても言われとるということは、今後もずーっと言われるやろ。
@ そうや。
& そうやから、永久戦犯や。
@ あほか。A級戦犯はABCのAと書くんや。
& そんなこと知っとるわ。
@ それはどう言う意味や、ときいているのや。
& A級はA級に決まっとるやがな。
@ そうや、ではB級とどうちがう?
& Aのが、上や。
@ まあ、いいわ。でも、それ誰が決めた。
& 裁判官やろ。
@ どんな裁判官や。
& アメリカ人ら敵国の奴らだらけや。だから、日本人の誰かを戦争犯罪人にせんならんかった。
@ お、君わかっとるやんか。それなら、彼らは人身御供やないか。
& そうや。可哀そうに。
@ だから日本人の気持ちとして彼らだけを戦争に導いた罪人とは感じられへんやろ。
& 当たり前や。向こうがけしかけた戦争や。でないとしても、喧嘩はどちらにも原因があるはずや。
@ そうそう。それでも、勝った方が、戦後の秩序をつくるんや。嘘八百ならべて、負けた方の指導者を悪者にすることになっとる。
& うーん、困ったこっちゃ。
@ でもな、考えみな。もしも日本が勝っとったら、どうなる。
& 逆に、マッカーサーが甲級戦犯で処刑される。
@ なんや、甲級戦犯て。
& 君知らんのか。当時Abcは敵性語やから、甲乙丙や。
@ あっ、そうか。君、賢いな。
& それぐらいは分かる。そして今ごろ世界中に日本語学校がぎょーさん出来とる。それにしても、勝者が歴史をつくるというのに抵抗をおぼえるな。
@ でも国際政治とはそんなもんや。それで、ぼくは安倍さんの靖国参拝を評価してるんや。
& どうしてや。
@ おそらく安倍さんは、あれで周りの国が騒ぐやろ、騒いでなんか言う、それを捕まえて、なんとか対話にもっていこうとしているんやと思う。
& ほんまかいな。
@ そうでもせんと、隣の二カ国はどうしても対話しようとせーへんからなぁ。「日本は誤った歴史認識をしている」これ一辺倒で、対話することから逃げとるからな。
& でも、アメリカも安倍さんの参拝を非難しとるぜ。
@ そりゃ、中東の方で忙しいやろからアジアの安定を求めておるからな。でもなぁ、多少の不安定があったほうが、戦闘機なんかがよく売れてええと考えているかもなぁ。
& そうやなぁ、とにかく国益第一やからな。アメリカは賢いなぁ。
@ そうや。
& さすが世界中から優秀な頭脳があつまっとるだけのことはある。
@ ハーバード大学では、先生と学生とが〈正義〉についての討論をしているんやて。
& ほう、たいしたもんやなぁ。
@ そんなすごい学生らが、政府の要人になるんや。
& そうか。それはアメリカが強くなるはずや。
@ でもな、どんなに賢い人でも、ミスすることもあるやろ。とくに、物事がいちばん上手くいった時に、ふとミスをする。
& 慢心相違と言うからなぁ。
@ なんやそれ。
& 思いあがると間違うぞっ、てことや。
@ あったかな、そんなん。
& ある。また、成功は失敗の元ちゅう諺もあるしな。
@ なんか変やなぁ。・・・まあ、いけけど。とにかく、安倍さんの靖国参拝に対するアメリカの非難はこうや。
& なんや。君にそんなこと分かるんか。
@ 誰でも知っとるよ。アメリカが恐れているのは、歴史認識の議論が深まると、どうしても東京裁判の再吟味に行きつくことや。アメさんはこれをなんとしても避けたいのや。君でもそれくらい分かるやろ。中国も韓国も自分らの言い分の間違いを指摘されたら困るやろ。英仏もそうや。
& そうか。日本は孤独な戦いを強いられているんやなぁ。泣けてくるわ。
@ 泣けるやろ。
& それなら、悔しいけれど、やっぱり、日本だけが悪者になり続けて、直謝りに謝る演技をし続けて、今の国際秩序に順応していく方が得策ではないの。後ろ向いて、あっかんべって舌出しといたらいいんやないの。
@ うーん、君はそう思うか。そうかもしれんなぁ。それなら、しかし日本はいっぱい金積まんならんぜ。いろんな面で。国連にも。
& あんな国連にわれわれの税金を吸い取られていると思うと、しゃくや。でもなあ、これ以上いじめられたり戦争したりするよりいいわ。
@ 国連なんて、あの勝ち組の五カ国が残りの190何カ国を支配するシステムやぜ。
& そうそう、あの五カ国は、今の体制をぜったい壊したくないと思てるやろ。
@ 日本は常任理事国入りの為に必死に金積んだり裏工作したりしとるようだが、絶対に阻止する国があるから、まあ無理やな。
& いっそ、残りの190何カ国が、こんな不平等、非民主的な国連なんて脱退するよ、と言えば、おもろいのにな。
@ そうやけど、五カ国が許さんやろな。
& なんか、とてつもないことでも起こらんやろか。巨大隕石が地球にぶつかって来るとか、宇宙人が攻めてくるとか。
@ 隕石が君の家に落ちてきたら、君真っ先に死ぬぜ。
& うちの家に落ちたらいかんわ。
@ そうやなぁ、来年は何か面白いことでも起こらんかなぁ。そうや、正月休みに、餅でも食べながら、面白いことをいろいろ空想して楽しも。
& そうしましょ。どうにもならん世の中でも、空想はどんだけでもできるし、タダでできる。



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今年も終わり

東北大震災で、鮮明に焼き付いているのは、津波でビルの上に大きな船が乗っかっている像だ。これは、もう早くに撤去されてしまったのかな。そうだとすれば残念だ。たしか2、3階建の白い建物の上に大きな船がでんと乗っているなんて、そうそうないことだ。あれを、そのまま残せなかったのか。崩れる心配があれば、補強してそのまま残し、周辺もろとも、地方自治体か国が買い上げて、震災記念公園とでもし、震災の一切を保管、研究、展示、イヴェント会場とでもしたら、世界中の誰もが一度は見に行きたいと思うのではないだろうか。まあ、そうならなかったのだから、あまりそういう発想の人が居なかったのであろうし、土地の所有者の都合もあったのだろう。
原発の是非について、いろいろ議論がある。誰でも、あんな恐ろしいことを目の当たりにしては、原発なんてない方がいいと思う。しかし、これ急にすべてをなくせと言うのも、コスト、温暖化、製造業や生活にも支障が出そうだし、今きな臭いホルムズ海峡封鎖なんてことがおこればと考えると、現実的ではなさそうだ。
で、小生が素人考えで思うに、効率は悪くなるが、万一の場合を考えて、原発を小さくし、いろいろな所に分散させてはどうだろう。福島でも4基あったけど、もし1基だけだったら、あれほどの被害はなかったのでは。いま敦賀に大地震が起こったら、琵琶湖全滅、京都に人も犬も居なくなり、阪神・中京工業地帯もアウト、となると日本アウト。しかし、1基だけだったら、そこまでならんのでは。…これあまり合理的ではないやろか。
今月選挙で自民党の圧勝。それで、ようやく憲法改正が本格始動しそうだ。30年前なら国会で改憲を口にすることはタブー、一般人でも危険視されるという風潮だったが、時代も変わってきたなと感慨をあらたにする。
それにしても、わが国独立(昭和27年)後、ただちに、あるいは高度成長期(昭和40年代後半)ごろでも、どうして自国民が憲法を作ろう、少なくとも見なおそうとしなかったのか不思議である。まあ、これが日本人気質というものなんだな。
そこで一首
をかしいと思ひながらも日本人
止めぬ特攻 変へぬ憲法
ただ、ずっと思ってきたことだけど、憲法改正と九条改正とはまるで意味が違うのに、それを混同して議論されることがあまりに多い、これが気に食わない。もし、日本人の多くが九条をそのままでいいとみとめれば、それはそれでいいと小生は考える。もちろん個人的には、現行では非現実だから変えるべきだとは思うが。
憲法改正は、やはり自国の憲法は自国民が作るべきであって、そうでなかったと知っているからこそ、その負い目がわれわれの無意識に沈殿して、いつまでも対外的には自信がない、それが、もともと謙虚な日本人気質にわをかけて、諸外国も驚くほど自己主張をせず、国益を損じているのではないか。
法についてよくわからんとはいえ、日本語は解る。現行憲法が外国製の憲法であることの最たる象徴は、その前文にある。だれでも一度はこの前文を、原文(英語)とその翻訳である日本語のとを読み比べてみるべきだ。
そこで、自民党の日本国憲法改正草案を見た。たしかに、現行の独立国家日本にそぐわぬ、下手な翻訳調にも気が付いて、改正されてはいる。が、しかし、もうちょっとなんとかならんかと、恥ずかしながら柄でもなく、出しゃばってつい口出しをしたくなった。
「自民党御中。自民党の憲法草案の前文を読ませていただきました。これは五つの文からなっています。現行憲法の、くだくだしい、言い訳がましい、日本語としては最低のものより、よほどすっきりしていいと思いますが、いくつか引っかかるので、素人ながら、御意見いたします。
第一文は、いきなり日本国や国家という言葉はいかにも硬い、中国的であって、日本的ではありません、こうあるべきではないでしょうか、「日本は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国であって、・・・。」
第三文、現行憲法の翻訳調が残っているように感じます。たとえば「日本国民は、国と郷土を愛し、他者を尊重し、社会全体で互いに助け合うことを誇りとして、国を形成する。」とでもしたら、すっきりしませんか。
第四文と第五文はまとめていいのではないですか。たとえば、「われわれは、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ科学技術を振興し、また良き伝統文化を継承し、この国を末永く子孫に伝えるために、この憲法を制定する。」
前文くらい、気負わず、柔らかく、すっきり気持ちいいものにしたい、ではありませんか。」
これで、今年も終わった。



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テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済
新聞の選挙公表
「こんにちは。○○新聞社様。
毎日読ませていただいております。
貴紙12月5日の朝刊を一目見て気になることがありましたので、書かせていただきます。
まず第一面大見出しに〈12党混戦 最多1504人 「災後」問う衆議院16日投開票〉とその記事、そしてその横に「こんなに怖い選挙はない」とハッと読者の目を引く見出しの社会部長某氏の意見が書かれています。
その意見とは、党の主張をよく咀嚼せずに投票先(明らかに自民党を指している)を決めるのは危険である、なぜなら「先の大戦での教訓は二度と戦争をしてはならい、戦争に近付くことはいけないことだ」と書かれています。
つまり、憲法九条を変えるような党に投票してはいけないと、衆議院選挙の投開票のお知らせである第一面で、うたっているのです。これは、フェアでない、もし書くのなら社説として違う面に書くべきではないか、とそう感じたのです。
またそれ以上に、もっと根本的なことがあります。この記事を書いた部長は、先の大戦での教訓を戦争絶対忌避であるとしていますが、これはあまりにも独りよがりの意見で、例えば、単純な私などは、負けたのは弱かったからで、日本はもっと強くなるべきであるというのが教訓だと思っています。そうではありませんか。もし、あの戦争で勝っていたとしたら、いまごろマスメディアは戦争=悪とは言わないでしょう、むしろ正義の戦争は必要であったのだと書いているはずです。
あの戦争の教訓は、人により様々で、他にも、日本人は誤解を避けるべくもっと外国語に堪能であったならばとか、あの戦争はコミンテルンらによって画策され起こされたのだからもっと日本は情報収集能力を強化すべきであるとか、諸外国に向かってはっきり言うべきことを言わなかったから戦争になったのだとか、いろいろな意見があるのです。常に想定外のことが起こるこの世で、戦争反対だけ言っていても少しも向上しないと思う人も多いのです。
一方的に、〈教訓=戦争反対〉だけを当然のようにこの一面で書いているのは、選挙人たる国民に〈改憲=戦争へ=自民党はいけない〉との心理的誘導をたくらんでいるのは見え見えです。青色も赤に囲まれた場合と黒に囲まれた場合と異なって見えることを手品師は上手く利用します。国民をうまく誘導しようという態度は、戦前戦中のマスメディアのそれと同じです。国民愚弄の態度はまったく変わっていません。それこそ「あの教訓」は少しも生かされてはおりません。
この点につき、貴社のご意見を聞きたく思っています。」
しかしまあ、新聞が事実のみを公表しアンフェアであってはいけない、という決まりはないし、真面目に読んだことがないけれどたぶん『赤旗』みたいに正々堂々と偏っているのは気持ちがいい。



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日本衰退
中国のデモに扮した暴動・略奪、交易の削減などは、国内事情および国益を考えた上での中国政府の方針だろうけれど、その裏ではフォルクスワーゲンやサムソンからの一筋の糸が引かれているのではなかろうか。かつてアメリカでさえ日本車の不具合をでっち上げたことがあった。巨大プロジェクトの受注競争では、賄賂はもちろんのこと酒女、嘘八百の風評のばらまき等あらゆる手練手管を駆使されていることが、小生でも想像できる。その昔、日本との交易を独占するためにオランダはポルトガルの〈野心〉を、幕府にどのように伝えたのであろう。
紳士の国イギリスはアヘンを使ってさえ、国益を守ろうとした。今ではそんな露骨で下手な手段を使うことはないであろうが、逆にそれだけ手の込んだ手法を駆使していると思われる。明治の初めに国際政治のなんたるかについてはっきり警告を与えた諭吉つぁんは大したものだ。日露戦争においては、日本はロシアにおける共産革命を焚きつけ、厭戦気分を煽るよう間諜を送り込んで活動させた。
あの時代の日本もなかなかのものであった。しかし、いま日本は外国に間諜を送り込んでいるのであろうか。もちろんそんなことは一市民たる小生が知る所であってはならない。しかし、〈民度が高い〉ことを誇りとしている日本人が、外国でどのようなロビー活動をしているのか、なんか心もとない。
日本政府は、隣国のやり方に惑わされことなく、ゆっくり落ち着いて、あくまで法にのっとって対処すべきだと言う。小生はこれが口先だけのモノでありますように、と祈るばかりである。
悪いこと、ずるいこと、汚いこと、恥ずかしいことをしてはならない。日常生活において、個人道徳として、ほとんどそうありたいとも思う。しかし、それも現実の運用となると、判断が難しい場合が多いではないか。しかも国際関係となると、法すら道徳すら時に応じて利用したり逃れたりできるほど自由でなくては、と思う。
名著『戦艦大和の最後』にある有名な文句を、この文脈に付会しよう。「日本は進歩ということを軽んじしすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。破れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるのか、今目覚めずしていつ救われるか、俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃないか。」(白渕大尉 大和特攻作戦で戦死)


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怒りの九月
イミョンバクの気の弱さかな
子供らは正しく議論ができなくて
暴れ狂って親を悩ます
話せども話通じぬキジルシは
力で押さへ込むしかないよ
理性的平和を愛する日本人
勇気のなさをひた隠しする
あはれなり45年ソ連を頼み
今また米を頼んでゐるよ
追歌
さるにても愚衆をたのむ共産党
その計算をしたたかといふか


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テーマ : このままで、いいのか日本 - ジャンル : 政治・経済
山本五十六
この映画の主人公はもちろん山本五十六であるが、一人の新聞記者の心を通して、開戦にいたる経緯、そして戦争および終戦時の国内世論を描写しているところが新しい点であったのかな。
それにしても、この頃はCGというのか、大掛かりなセットを作らずとも、広大な戦闘場面をかなりな臨場感をもって映し出されるようになったものだ。
ともあれ開戦に至るところはよくわかって、高校の現代日本史の授業で見せればいいのにと思われた。昭和18年山本五十六の乗る飛行機が南方で撃墜されそれで終わりとなるかと思っていたら、その後に尾びれが付いていて、敗戦そして戦後の一部を新聞記者が見る所で終わる。
戦前・戦中にそれいけとばかり対米戦を後押ししていた編集長らしい人が、戦後ただちに〈民主主義〉という語を大きく掲げていこう!と豹変するところなど、マスメディアの体質を物語って面白かったが、せっかくそこまで描いたのなら、どうしてGHQの検閲に触れなかったのだろうと不思議であった。
日本は戦争に負けたというよりも戦後に負けたと小生は強く感じている。あの時点から7年近くに及ぶGHQのラジオ、新聞、あらゆる出版物の徹底的な検閲および歪曲的公表に触れないで、戦後を語ることが出来ようか。
『坂の上の雲』まではよかったが、その後の軍が悪かったなどとの言説がまことしやかにまかり通っているのも、いまだにGHQの影響大なることをものがたる。
まあ、いつの時代も、マスメディアというものはそんなものだ。
つい先日、NHK番組の連続番組「日本人とは何か」だったけ、その第一回目「福沢諭吉と中江兆民」というのがあった。それを見ていて、あれっ?と不思議に感じたことがあった。それは、外交に関するところで、両者の意見を披露するところ、兆民の「国際外交も個人の付き合いと同じ道徳をもってしなければならない」との主張を解説者が述べていたのに、福沢の個人道徳と外交との峻別についてはまったく触れられていなかったからだ。
この福沢の大事な主張を対比的に提示しないのは大きな片手落ちだと思い、早速NHKにその理由を問い合わせてみた。答えて曰く「たしかにどこそこで福沢はそのように語っている。・・・ご意見ありがとうございました云々」答えになっていない。
まあ、いつの世もマスメディアとはそんなもんだ。われわれはいつもそれによって動かされている。だからテレビや新聞なんぞ見ない方がよい、とは思いつつ、つい見てしまう。ああ、また熱でてきそう。


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皇位継承問題3
天皇のお仕事は猛烈に多い。一月一日は四方拝、歳旦祭の儀、新年祝賀、晴の御膳、新年祝賀の儀、二日は新年一般参賀(7回お出まし)、三日は元始祭の儀、四日は奏事始の儀、人事異動者の拝謁、・・・・・その他、内政や外交関係の国事行為、歌会始や園遊会、記念祝典、植樹祭、地方視察、外国との親善交流などの公的行為で、もう一年中手いっぱい。その間を縫って、海洋生物の御研究・論文御執筆。これで定年退職が無いというのは、ちょっと気の毒すぎる。しかも外国王室に比べて御生活は質素そのもの、給料なんて・・・・。
しかし天皇は、天皇にお生まれになったからには完全に前向きで居られる。自堕落な生活をしているくせに不平を洩らすわれわれ一般人とは格が違う、覚悟が違う。しかし、これでこそ世界に誇る、美的・倫理的極点としての皇室ではなかろうか。
天皇の特殊なお仕事と御覚悟、それを支える天皇家、皇族というものの特殊性。それを考えると、たしかに、いくら神武天皇の男系の血を継いでいる人でも、皇族から離れて一般人となって60年以上たってしまった旧宮家の人に皇族復帰していただき天皇になってもらうということが、はたして可能か。今の国民が求めているものからすると、男系の血だけに恋々とするのは笑止な話ではないか。現在の皇族には、若い未婚の女性がまだ幾人か居られるではないか。というのが、女系容認派の気持ち。
しかし、男系原理主義派は、天皇は他国の王様やローマ法王とは違って、その根拠は神武天皇から男系が125代続いているということである。それはわれわれの人智を超えていることであって、美的・倫理的云々とは次元が違う、また天皇に個人としての人格を求めるのは存在の本質にそぐわぬ、という気持ち。
女系容認派は、男系継続は本質的なことではなく、慣習にすぎないのではないか、それは、イスラムのある国においては、一夫多妻や女性の外出時の不気味な黒マントなどは千年続く文化であり、また聖典の教えに沿うものであろうと言うに等しく、たしかにそれは貴重な文化かもしれぬが、閉鎖的である、わが皇室の文化はもっと開かれたものだ、伝統とは絶えざる理念による革新だ、一般平民である正田美智子さんが御正室となられた例を見よ、と吠える。
男系原理主義者は、男系とそれらと一緒にしてもらっては困る。理念だけでは文化ではない、形式を離れて文化はない、文化は小ざかしい頭で合理的に考えられるものではない、具体的に続いているものが大事だ。三種の神器とてそうである。神話は民族を根底から支える夢だ。とにかく男系の血をもった人を皇族復帰させよ、と額に青筋立てて一歩も譲らぬ。
容認派 「天皇という日本の中心的文化を守るために今議論しているのじゃないの?」
男系派 「男系が文化だ」
容認派 「一旦平民になった者はどんな血をもっていようと永遠に平民だ。」
男系派 「ノー。皇后陛下も皇太子妃も元平民であられた。」
容認派 「結婚となると話は別だ。いま問題なのは、皇族を降りられて60年も経っている人のことだ。時効ってものがある。」
男系派 「血に時効などはない。神武天皇の男系の血を明らかに受け継いでいる人ではある。」
容認派 「そんな人はゴマンといる。毛沢東もそうかもしれん。」
男系派 「とにかくGHQがやって来るまでは皇族だった男子なのだ。」
容認派 「60年間もほったらかしにして、いまさら何さ!」
男系派 「戦後の為政者に腹が立つ!」
容認派 「それがわが国政の伝統だ!」
男系派 「伝統は大事にしなきゃ、・・・?」
両者 「そんなことこれ以上話していても、埒があかん、とにかく一刻も早くなんとかしなくては。愛子様も悠仁様も刻一刻御成長あそばされているのだから。」
幕


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皇位継承問題2
あれこれの論文や議論に接するうちに、腹にじーんと入って来たことがある。それは、これこそ日本だ、これこそ日本の歴史だ、って思いだ。西洋の歴史はキリスト教を除いては考えられないように、日本の歴史は天皇を除いては考えられない。
つまるところ、これは、天皇とは何か、って問うことだ。天皇とは何かを問うことは、天皇とは何であるべきかを問うことに他ならない。それはわれわれ日本人がいかに生きるべきかと自問することである。つまり、神神の時代から連続して、人代が125代続いてきた祭祀王と崇敬の対象、そういった物語を日本人全員で創り上げてきた、そして今後どのように物語を発展させていくべきか、という日本歴史の運動の真っただ中にいる感覚だ。
さて、議論の具体的な論点は、女系天皇を容認するかどうかだ。とはいっても、万一、男子の血筋が絶えた時は、その時から女系天皇にシフトせざるを得ない、という点は、ほぼ全員が一致している。
そりゃ中には、天皇の男性の血が絶えたら、それで天皇・皇室は打ち切りにしてもいい、という男系原理主義者も居るには居る。が、これはかなり少数派であり、むしろ皇室がなくなるより、女系天皇でも続いたほうがいいと考えている人が圧倒的に多いのが現実である。
女系容認派の主張は、皇女でも確実に天皇の血を受け継いでいるのだから、その皇女が女性天皇になられ、一般人と結婚され、そのお子さんが将来天皇になられても、その方は必ず昔からの天皇の血を受け継いでおられるのだからそれでよいではないか、そのほうが、万一の時の受け皿が広く、天皇の存続には、これを容認するに越したことはない、との考えだ。
この考えは近年に始まったことではなさそうだが、従来の皇室典範はこれを回避してきた。それは皇族男子が多かったことや、側室制度があったおかげだ。ところが、今やごらんのとおりの頼りなさ。女系天皇もかなり現実味を帯びて浮かび上がってきた。
天皇が永久に安定的に存続できるようにするには、どうするか。



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皇位継承問題1
今から五年ほど前のこと、このままでは皇室男系が絶えてしまうと国中が不安の渦に巻き込まれ、戦後ながらく放っておかれた皇室典範の改正が叫ばれ、女系天皇容認発言をした小泉首相があんぽんたんだの何だのと貶められた、そんなある日。
秋篠宮ご夫妻に男子ご誕生のニュース。あれほど募らせた危機感、喧喧囂囂の紛糾議論はなりを潜め、これで当分大丈夫とほっと胸をなでおろし、これぞ天与、さすが神国日本と万歳三唱。
喉元過ぐれば熱さ忘るるという世のならい、あのときの緊迫感は去って久しく、さりながら依然として皇統は危機に瀕していることには変わりなく、失礼ながら悠仁親王にご万一のことがあれば、あるいはご成婚のあかつきもし男児がお生まれならなかったとしたら。
さような不吉なことを口にするではない、という叱責を受けるのは昔も今も変わりなし。我が国民は神代の昔から悪事を口にすれば、悪事が起こると信ずる傾きはなはだ強く、ましてや最悪の事態を想定し、それに対処すること大の苦手、問題の先送りを大いに好むこと、先日の大震災復興をめぐって、明瞭に顕れたるわが国民性。
ああ、占領から解放され、晴れて独立してはや六十年。その間、憲法も皇室典範も放りっぱなしで、奴(やっこ)さん何をしていたのか不思議なり。あたかも何かの用事で家を出た番頭が、なにさ途中で遇った知り合いに儲け話を聞かされて、そのまま悪友と何やらに熱をあげること数刻、気がつきゃ早や日も暮れ、臍をかんでも時すでに遅し、途方に暮れて、まあ明日がある、今宵は友の家で泊まるとするか。だが慙愧に堪えぬ胸の内、廻る思いは昔の栄光。
思えば日の本は陛下あってのお国柄。日々(にちにち)四方の神さまたちに祈ってくださるのが陛下のお勤め。富士の御山も御伊勢さんも美しけれど、皇室の美しさはまたとない。われらがこうやって生きておれるのも、美しき流れがあればこそ。西洋には何もかもお見通しの神がおられるそうな。何人もその前では誤魔化しがきかぬ、そんな怖い、だがまた何人も救ってくださる、まあとにかく有り難い神様であるそうな。残念ながら、われらにぁそんな神様おられないが、こっちには、善いことずくめのちゃんちゃらちゃん、飲めや歌え、美しいお言葉が湧き出る、流れるその泉、天皇陛下がいらっしゃる。
ところがだ、陛下には男のお孫さんがたった一人しかいらっしゃらないとの噂。そりゃ困った、困った。皇室の安定的永続を確保せにゃならん、なにはともあれ皇室典範の改定が喫緊の課題たること明らかなり。ところが現場の話し合い、お偉い先生方が女系天皇を認めるか認めないかで意見は真っ二つ。そこから一歩も前に進めず立ち往生。
下心のある取り巻き連中は、何か一言たくてたまらぬ、気に食わぬ相手方を、共産党の手先だの、在日だの、国賊だのと、戦争中いきり立った御仁どもと同じ言葉を吐きまくり、そりゃ皇国の美しき民とは思えぬ罵詈雑言。さてさて呆れたものだ。
とはいえ、たしかにこいつは難しそうだ。ちとお偉方の話し合いに耳傾けて、柄ではないが考えてみようでないか。
さて御立ち合い。続きの話がまた面白い、その前に、水あめ一本買っとくんな。今日はおっかさんの生まれた日だから特別にまけてやる。一本五円にしてやろう。さあ、並んだ並んだ。」
そこにすっと出たのは隠れ代官。
「おいこら。さっきから聴いていると、お前お上の為すことあれやこれや人前でしゃべったな、それ御法度と分かって言ったのか、知らずに言ったのか。いやどっちにしても重罪だ、しかもそれを商売繁盛のダシにしやがって。現行犯逮捕する。それ、ものども、こいつをひったてい!」
「ひぇ~、おっかさん、助けて~」


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日本人気質
いま東日本大震災における救援活動をアメリカ軍が一生懸命してくれている。有り難いことだ。しかし、これをアメリカの無条件の奉仕だと思ったら大間違いであることは、政治に疎い小生でも解る。この機を捉え、極東におけるアメリカ軍の機動性を中露に見せつけることによって、東アジアの安定を保とうとする狙いがあるにちがいない。
想定外であった、ということはどこの国においてもある。しかし、危機管理の甘さは我が国は断トツであるらしい。福島原発事故もニュースを聞いているとどうもそういう側面があるようだが、何よりも国家を守る軍隊がないということが、その最たるものだ。
憲法と言い皇室典範と言い、今のうちにしっかり決めておかなければならないと判っているのに、国会で真剣に取り上げない、あたかも触れてはならないように逃げている。おかしな国だ。
なんとなく危険そうなことや嫌なこと、争いや不和を考えたり、口にしたりするのが日本人は苦手だ、そんなことを不謹慎と感じる民族だ。
聖徳太子は、篤く三宝(仏・法・僧)を敬えや、君を天とし臣を地とせよ、よりも、まず「和をもって尊しとなす、逆らうことなきを旨とせよ」を第一条に据えた。
大本営は発表する。
神風特攻機敵空母三隻を撃沈、わが軍の被害軽微なり。
日ソ中立条約があるから、たぶんソ連は攻めてこないであろう。
どこそこの原子力発電所は、脆弱を指摘されているが、今回の点検で異常なしであった。
こちらが軍事力をもたず誠意をもって当たれば、他国が侵略してくるはずがない。
悲しくも麗しいわが国民性だ。今回の大災害で、実に日本民族の良さと悪さが明瞭に出た。この良し悪しは紙の裏表のように切り離せない。あるいは連続していて、どこまでが長所でどこからが短所なのか。外国人が驚くほど和をもって秩序を維持した、しかし、何よりも争いを避けよとは、話し合いで決めろ、談合で行け、対立する様々な角度からチェックする機構を設けるな。仲良くするためにこんなものでいいだろうとなる。
人を信頼して生きていたい。他人を疑ってばかりいる社会は味気なく嫌だ。本当にそう思う。ペリーがやってきて150年経ったが、民族の性格はそう簡単に変わるものではない。
しかし、世界と付き合い始めたその初めにすでに、福沢諭吉は個人と個人との付き合いにおける道徳と組織と組織あるいは国と国との付き合いにおける政略とはまったく異なるべきことを警告した。



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テーマ : それでいいのか日本国民 - ジャンル : 政治・経済
先天的平和国家
性格はじつに危機にひんした時こそはっきり顕れるものなんだな、と思う。そういえば、昭和20年、日本軍解体、日本占領統治のためにマッカーサー元帥がやって来たとき、日本人は事態を即座に認め粛々と手配を整えたその態度に米国人は驚いたという。
明治維新のとき、あれほどの大革命であったにもかかわらず、死者はフランス革命の百分の一程度であったときく。徳川慶喜は政権から排除されたが、ギロチンで首を切られたわけではない。ましてや民衆が前権力者の首を切って喜ぶなんてことは考えられない。
武士道の観念が日本人にしみついてからであろうか。しかし、武士道は、倫理性というよりも、茶道と同じく日本人の性格から生み出された形式美ではなかろうか。何をするにも美に繋がっていく傾向があるのだな日本人は。
聖徳太子はまず何を措いても「和をもって尊しとなす」を第一にした。それがそのまま日本人に受け継がれてきたのは、そもそも日本人は神話において、すなわち性格を決定しているものにおいて、死に対する恐れ(けがれ)がつよくあったからではないだろうか。そしてまた、自然の恵みによって、あるがままに受け入れる傾向も?
おそらく日本人はうんと昔から、争い事をとても忌避する傾向がつよいのではないかな。『論語』に「子、九夷(東方の未開地)に居らんことを欲す。」というところを、北畠親房は、「およそこの国をば君子不死の国ともいふなり。孔子世のみだれることを嘆きて、『九夷にをらん。』とのたまひける。日本はその九夷のその一つなるべし。」と語っている(神皇正統記)。
『後漢書』東夷伝にある、「天性柔順・・・君子不死国」をも引き合いに出したのであろうか。ともかく紀元前500年から、わが日本は風俗順良であったのだ。
では、もし世が乱れたときはどうするか。公家絶対主義の親房は南北朝の動乱の真っただ中で『神皇正統記』をものした。そこにこんな文句に出くわす。「およそ保元・平治よりこのかたのみだりがはしさに、頼朝といふ人もなく、泰時といふものなからましかば、日本国の人民いかがなりなまし。」



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いやな夢
このところ格差という言葉をよく新聞などでみかける。日本は他国に比べて格差が小さいと言われる。なるほどと思う。日本は、政府が特別意識をしていなくても、物質的格差が少ないように自然となる傾向があって、〈社会主義の理想〉にもっとも近い文明国であるらしい。結構ですな。
日本は、他の国にはない極めて特徴的な文化の国だ。いわゆる西洋の民主主義というのではないが、とても民主的な人間関係の秩序を自然に創り上げ、持ち続けている国だ。温帯モンスーン下で、幸運にも長い間、国と民族がほぼ一体であり続けたのも、その一つの理由かもしれない。一人を除いて、総ての人が民主的な関係を維持しえてきたのは、ただ一人の人、天皇を祭祀王に祭り上げ、いわばスケープゴートにして、その求心力で、周囲の一切の言上げや反乱、最終的な無秩序を抑え、あたかも回転し続ける独楽がそれ自身力を欠いたそのまったき中心支点ゆえに安定しているように、秩序を維持しているようだ。
それは、前にも言ったが、一つの蟻の社会が女王アリを中心として、働きアリが黙々と仕事をなしている様を連想する。つまり、日本は民族としての原始的な力、生物としての本能的な力で、社会秩序を維持しているように見える。
しかし、戦後の皇室典範のままであると、天皇の存続も危ぶまれる。日本人から天皇を取り去ったら、どうなるであろう。人は言うかもしれない、べつにそんなのなくたって普通に生きていけるだろうと。
普通に生きていける? 犬のように! それは文明国たりうるであろうか。日本人は、欧米のように、キリスト教への肯定および否定、要するにキリスト教の伝統がない。そこから生まれた民主主義の理念の根本義を知らない。そこから来た、人間悪の恐ろしさ、エゴイズムの強烈さ、それを己に感じる力、それゆえの理想と欺瞞、こういったものに耐えうるか?
日本人にかかる覚悟が生まれて、初めて天皇なしで秩序を維持しうるであろう。しかし残念かな,われわれにそんな覚悟も力もありませんな。いま日本の独楽の中心を傷つけたら、どうなるだろう。街々は、上海のように、グロテスクな高層ビル群が林立し、巨大な檻の中で人間獣が金とセックスのみを求める壮絶なバトルの巷となり果てるであろう。それ以外の価値や神話は排除され、秩序維持のための秘密警察がそこら中に満ちるであろう。
それでもいいか日本。それでもいいと日本人の顔に書いてある。われわれはこのまま何もせず、手をこまねいて、ずるずると戦後体制を続けていく。もはや桜田門外の変も起こらず、二・二六事件も起こらず、国政を担うべき国会議員も、根本的なことに触れるのは面倒だ、証人喚問とか子供手当だとか、何か知らんがつまらぬ枝葉末節のことで騒いでおれば、それで活躍しているように見えるし、給料はもらえるし、そうするうちに時間が経って、己の一生はそれでよし、といった風情である。少しずつ少しずつ日本という立派な木は内部から朽ちていく・・・いやな空想。悪夢。
夜が明けてきた。
悪夢が当たらないことを祈る人は↓↓



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国語の意味
出版社はどのように考えているのだろう。今の人に読み易いように、と考えているのなら、大きなお世話だけではない、そのために却って原文を読めない若者をつくっている。昔は、漱石を読もうとする人なら、だれでもそのまま読めた。
言葉の自然の変化はしようがない。それはそれでいい。しかし、明治以降、西欧の文明の眩しさに目が眩み、漢字の複雑さや歴史的仮名遣ひは、近代的発展の邪魔になるという考えが生まれた。あまつさえ、漢字廃止論、さらには日本語をローマ字表記にせよという声さえあがった。
今から思うと笑いごとのようではあるが、じつは決して笑ってはおれない状況ではないと思うのだ。われわれは、すでに戦後国語改悪の大網に捕らえられていて、そのことに気が付いていないからである。
戦後GHQ主導のもとに多くの改革がなされた。憲法や皇室典範などについては、この改革はおかしかったのでは、と気づいている。それについて今なお手をつけることさえできないでいるけれど、これじゃいけないということに多くの人は気づいてはいる。しかし、国語改革については、ほとんどの人が気づいていないのではなかろうか。
しかも、政治制度とは違って、国語はわれわれ日本人としての行為や感性を支える根底、いわゆるアイデンティティの基礎ではなかろうか。そしてわれわれ日本人の心性は、古事記・万葉以前から連綿として続く国語によって養われてきたのではなかったか。
もし小生が小学校の国語教師であれば、小生は子供に古典のいくつかを何度も朗読させ、そのリズムや音響やイメージを身につけさせ、自然に暗記させる。漢字は躊躇なく早くから読み書きさせる。憶えられなくてもそれはそれでいい。とにかく早い時期から触れさせる。古典を身につけること、それはすぐには何の役にも立たないし、あるいは忘れてしまうかもしれない。しかしそのリズムやイメージは無意識の底に潜み、行動や発想に影響を与えずにはおかない。いつの日か日本人としての品性を規定するのではないだろうか。そんなふうに漠然と思う。
今の教育熱心な家庭はどうなのだろう。教育ママは、ややもすると子供を早くから、英語や中国語を学ばせ、そのほうが出世にも有利であるし、また日本経済に利するであろう、と考えているのではないだろうか。もちろん小生もそれには大賛成だ、それと同時に、国語の伝統にしっかり触れさせているならば。
学級崩壊などと言われるが、いったい親たちは家庭でどんな言葉を発しているのだろう。テレビや漫画ではどんな言葉が飛び交っているのだろう。小生とて偉そうなことは言えない、戦後生まれ、戦後教育をばっちりと受けてきた。国語は好きでなく、読書も嫌いだった。しかし、あるとき気がついた。遅まきながら、成人してから、伝統的な国語の美しさに気がついた。気がついたら、少しずつでも直していけばいいのである。
そうするうちに、明治以降の、とくに戦後の国語教育、とくに漢字制限と仮名づかいの変更が、いかにわれわれをして、ご先祖たちとの精神的繋がりを失わしめてきたかが判ってきたのだった。
人間は自分の感覚を疑うことは難しい。己の閉鎖性を乗り越えるには、大昔の先人たちの言葉に、つまり伝統に耳を傾けるのが、もっともよい方法だと思うが、いかがであろう。



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北方四島盗られたり
小生は仕事から帰り、夕食を済まして、9時のニュースを見ていた。と、ロシアのメドベージェフ大統領、国後島来訪の報である。小生は、強国が弱国を支配するのは当然であると自分に言い聞かせ、平静を装っていた。が心の中では葬送曲が鳴っていた。
おそらく、たいていの日本人はもうあの四島は還ってこないと内心思っていたであろうが、今回のような決定的な証明を見せつけられたからには、日本国民は、当分の間、どうしようもない、重苦しい雰囲気に包まれ続けるであろう。
その昔、三島返還、あるいは少なくとも二島返還で合意が可能との報道がなされたことがあった。しかし、我が国は威勢よく四島一括返還を主張して止まなかったという。しかし、これは本物のトラに対して張り子のトラが吠えているようなものであった。軍事あるいは資源などの強力な背景がなければ、 外交の勝利を収めることができないことは明らかなことは知っていた。この場合、日本は筋を通そうとしたのかもしれないが、明らかに現実的ではないことを知るべきであった。
ついでに言えば、このことは真珠湾攻撃を思い起こさせる。あのとき現実的な判断としては、米英の要求を呑むべきであった。すなわち、中国本土からの一切の撤退。そのほうが被害は少なかったであろう。
しかし、小生はそれにも関らず、あのときはやらざるを得なかったという意見に与する。日本としては、正しい筋を通すべきであったと思う。・・・ただ終わり方があまりにも悲惨であった。
しかし、国際政治とは正しい筋が通るところではない。しかも理屈は何とでもつけられる。なんともしようのない修羅場である。国連はどうしてあの五カ国が常任理事国なの、って吠えたところで、笑われるだけである。
戦後の日本は、あまりにも善良な国であろうとしすぎてきた。そして、それが自己欺瞞であるということに気がつかないできた。
日本国憲法序文にいわく「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。いったいぜんたい、日本は何を考えているのか。いや、何も考えていない。いじらしいというか、やけくそというか。・・・だって他国が創ってくれたんだもん。北方四島、竹島、北朝鮮による拉致。いったい誰が国民の生命財産を守ってくれようか。
この戦後の日本国憲法という黙示録が暗示している決定的な出来事の一つは、小生思うに、鳩山前総理の出現だった。〈友愛〉外交がいかに人々や他国の利己心を増幅せしめ、紛糾させてきたことか。しかも、あれだけ混乱させておいて、もう国政に口出しをしないと思いきや、陰でまだなんやかなや発言しまくっているそうな。この覚悟のなさ。倫理性の欠如、というより普通の人間的感覚の欠如。空想的観念的生物。戦後日本人の代表例。
要するに、トラブルや嫌だ。面倒は嫌だ。臭いものには蓋を。だれでもそうだ。だがそれが嫌なら政治家になるな。
だいたい人間言うことは変わっても、性格は変わらないものだ。国民性もしかり。
大本営発表というものがあった。今もある。嘘を嘘で糊塗し続けることである。
戦争当時、初めは少しの必要な嘘があった。それはよい。しかし、どうしたことか、だんだん嘘を埋め合わせるために一段と嘘を発明しなければならなくなった。これがどうしてか止まらない。
そして、人のよい八百屋のおじさんも、肉屋のおじさんも、学生さんも、戦場に駆り出されていって、持ったこともない銃をもって、敵の機関銃の雨の中を万歳攻撃していったのだった。そして大本営は発表する。わが軍の強力な攻撃の前に、敵○○師団壊滅。
今の政府の発表。諸外国は日本の平和憲法を時代を先取りした理想的なものである、自国も見習うべきものであると言っている。お互いに戦略的互恵関係を望んでいると言っている。日米安保条約があるから日本の領土は守られる。
そういえば、日露戦争時、英国は日本の見方をしてくれる。まあこれなどは、半分以上はそうであったと思うが、日本が弱体化することも望んでいたということも忘れまい。昭和二十年、日ソ中立条約があるから大丈夫だろう。終戦工作についてスターリンに打診しよう、これなんかは泣けてくる。日本国憲法以前から、育ちのいいわが日本国民は、諸国民の公正と信義を信頼して生きていたんだ。
その態度は麗しく、いいとして、信頼できぬときは信頼できぬとはっきり態度を示さず、ずるずると行くと、大本営発表となってしまうじゃないかな。 真面目も過ぎると、最後の最後は窮鼠猫をかむで、特攻だのなんだの、やけくそだ、身も心もボロボロになるまで、やってやろうじゃないか、となる。戦後は一転して、現実が何だろうが、平和憲法に殉死の覚悟。手のひらを返すとはべつに朝日新聞の特権ではない。大かたがそうなのだ。それはいい、ただあまりに極端なのだ。
穏やかで真面目で、しかし極端に走ってしまう我が国民性のなんと哀しいことか。
日本人はクリーンという言葉が何と好きな国民だろう。小生は希う、もっと常識的なワルでありたいと。
なんかとりとめのない話になったけど、
それでもそういう日本が大好きなのよ。↓↓


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政治家とマスコミ
・・・近年世の中を悪くしているのはマスコミなんだのよ。自分は政治家では小沢さんという人が好きなんです。というのはあの人は大物政治家だからです。もう最後のひとかもしれない。人々は、というよりマスコミは、政治家は巨額の金を不正に動かしてはいけないという。そういう政治家を断罪してやまない。しかし、吉田茂や鳩山(昔の)なんかは、もっと巨額の金を動かしていたよ。しかし、それは結局政治のために使うのだからいいんですよ。
マスコミは政治家が何かやろうとすると、すぐ叩く、少しでも不正らしいところを見つけては、大きく報道して、邪魔をする。これじゃあ、政治家は何をやろうとしてもやれないよ。それなのに、マスコミは言う、このごろの政治家には大物がいない、と。
・・・
小生は彼の言うことを聞いていて、なるほどマスコミとは大衆操作の略語なのだと、納得した。
そもそも、いかなる職業の人であれ、その道における優秀さと、法律違反をすることとは関係がない。医者であれ教師であれ何であれ、極めて特殊な状況に直面した場合、その人に責任感があればある程、法を踏み外すというリスクを冒してでも、己の職を遂行しようとするであろう。そうして、そういう人に対して、人々は共感するであろう。
人の心は、一方では法は守られねばならないと考え、他方法を破ってでもしなければ成し遂げられないこともある、とも思うものだ。人々が赤穂浪士の行為に共感すると同時に、彼らの処分にも納得するゆえんである。
これを人間のダブルスタンダードと言うか。しかし、われわれの心には常にグレーゾーンがあるのではないか。小生はこれがなければ人間ではないと思う。
政治家という職業は、あらゆる組織のトップと同じように、一段と規模が大きく、顕著である。狙った政策を実現するためには、人心掌握のためのあらゆる手練手管、巨額の金や場合によっては暴力すらも必要かもしれない。大変な心の広さ、融通無碍、そして勇気を必要とする仕事であろうと想像する。
もし、坂本竜馬が長生きをしていたら、日本屈指の商事会社の会長になっていたであろう。その巨大な組織を維持発展させるためには、法に触れるところも出てくるであろう。ハイエナのように嗅ぎまわっているマスコミはここぞとばかり掴んで離さないであろう。竜馬会長が、マスコミに屈し、いかなる法律違反もしないようにという小心翼翼の人間だったら、まあ、そもそものはじめから明治維新もどうなっていたことか。
しかし、だからと言って、目的遂行のためには法を犯してもよい、と言えるか。ノーである。なぜなら、じっさい誰でもが法を犯しうるからこそ法を作ったのが人間であるから。法を作った理念は、法に従って生きようということだったからだ。
法は常に人心の紆余曲折に従って改正されなければならないであろう。だが両者は永遠に一致することはない。なぜならば人の心は善でもあるし悪でもある。人間は永遠にグレーだからだ。
KOさんの話を聞いていて思った。もし小生が子供にマスコミって日本語で何と言うのって訊かれたら、それは「悪い心」っていう意味なんだよ、と答えてやりたい気持ちになった。
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中国漁船衝突事件
中国の船長を釈放するというのは、それが司法的処置が終わってなら、結構だ。
しかし、今日のニュースに出てきた、那覇地検の発言はとても法を守る立場の人の言うことではないと、明らかに感じた。
そしてまた、仙石官房長官の発言も政府の姿勢を示す立場の人の発言とはとても思えなかった。
はっきり感じたのは、両者とも責任を回避しようとする心ばかりだ。
もう日本がかわいそうで涙が出そうだった。こういった立場の人たちにさえ日本は見捨てられている・・・この国際社会という修羅場で、日本はもう嘘で嘘を糊塗して生きていくしかないのか。
それにしても、中国とはこんな国であった、とはすでに判っていたことではなかったか。菅・小沢対決などというつまらん事をやっているひまがあったら、なぜもっと早く中国船長の裁決を下し賠償をせしめ帰国させなかったのか、今まで「粛々と、粛々と」何をやっていたのだろう、と素人ながら思う。
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日韓関係
韓国が我が国に対しいつまでも泣きごとを言って、すねる、ごねるという態度をとり続けるのは、どうも解せない。
こんな言葉が浮かんでくる―甘えの心理学。
これ韓国人の気質なんだ。お葬式のとき女性らが大泣きしている姿が浮かんでくる。この気質を歴代の韓国大統領はうまく利用しているに違いない。
こちらが良かれと思ってしたことでも、ちょっと気に食わないことがあると、すねる人がいる。子供の頃いじめられたと言って、大人になってから遇っても目をそらす人がいる。謝らないと言って怒る。謝ると、心がこもってないといっそう不機嫌になる。
こういう手合いにたいして、どう付き合っていくかねぇ。
昔のことはもうええやんか。これからは手を取り合っていかないかんぜよ、と爽やかな言葉が吐けんもんか。
まっこと他国との付き合いは、むつかしいもんよのぉ。
ユダヤ民族は、永いあいだ不毛の砂漠において周囲の強国にいじめられ続けて生きてきた。彼らは生き延びるために、良くも悪しくも知能を猛烈に発達させた。のみならず、いずれは最終的にはユダヤ民族だけが神に救われるという奇怪な幻想を生んだ。この幻想はあまりに強力で、どんなにばらばらにされても、世界がどう変わろうとも、決して消えることがない。ユダヤ人がかかる強固な信念を持ち続けていることは、われわれ日本人には信じがたいくらいだ。
これほどではないにしろ、朝鮮民族も永らく周囲の強国にいじめられ続けたために、ちょっと独特の性格を形成するにいたったのではなかろうか。
甘えの心理は自己喪失の一種と見える。つまり、他者との付き合いにおいて、時に自己を隠ぺいし、ある型を演出する。そのとき、それが演技であるなら巧妙な戦略だが、無意識に終始するならば自己欺瞞である。
何がどのように人の性格形成に影響するのか解らないが、人さまざまでいいではないか、とも思ういっぽう自己欺瞞は正しくないと感じる。
ところで、その自己欺瞞に対して、他者がどういう風にふるまうのがよいのか。これが問題だ。つまり、朝鮮が徹底的に被害をこうむったという思い込みに対して、日本はどうふるまうのがよいのであろうか。
これは、初めの問いに還る。何をしても不機嫌に喚く人に対してどう付き合うか。彼らは言う、あなたたちはいじめるつもりではなかったというが、われわれの立場になって考えてみよ、と。
それに対して、はいはい、とご機嫌をとったとしたら、彼らはいっそう怒りを増すであろう。なぜなら、彼らは自己欺瞞に陥っているから。つまり二国の関係という現実を、すでに被害者と加害者という観念に置き換えてしまっているから。
小生は思う、彼らに対しては一発ぶちかましてやるのがよいのだ。恐怖を与えるのだ、彼らの心を蝕んでいる悪魔に。そうするのが、彼らのためなのだ。彼らを愛しているのならそうすべきだ。と言いたくなる。
しかし、日本はそうはできまい。欺瞞に満ちた生活を続けている息子に対して、おろおろして何もできない老婆のようになってしまった日本は。
日本は、ユダヤ民族と正反対で、豊かな自然環境で敵も少なく生きてきた。永い間の不条理な苦しみを体験せずに生きてきた。大らかで、自然との調和ある原始信仰をもち続けてきた。一国で生きていくのにはまことに快適であった。
ところが、青天に霹靂が降ってきた。産業革命を経た西欧諸国が来た。全く性格の異なった強力な彼らと付き合わねばならなくなった。おおらかなカミの国なんて、許してもらえるはずがない。後は誰もが知る、昭和二〇年まで一直線まっしぐら。
それから七年後、出獄してきた人のように、日本はおかしくなって帰ってきた。
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よもやま話
一度場をはずし再び来たそのお客は、そちらのお話はよく解ったのだが、聞くところによると、その製品はかくかくしかじかの点で良くないと聞いている、やっぱりその製品は止めておく、別のにすると。
もちろん、お客が物を選ぶのだからそれでいいが、きっと後悔するのでは、と思った。
お客が帰った後、他のスタッフとの話。
小生「どうして人は噂を簡単に信じてしまうんだろう」
yさん「ほんとねえ。だいたいマスコミがいい加減なことを言うから・・」
小生「人はみんなマスコミの奴隷だね」
yさん「ほんとに、うちらも他のことはなんにもわからんから、マスコミの言うことを信じてしまう」
小生「この前あったけど、選挙だって、ほとんど実情なんて分からん人たちが、まあわれわれもそうだけど、投票するんだからね」
yさん(はげしく目を輝かせて)「そうそう。選挙なんてみんなもっともらしいことを言っている。なんかよく分からんから、もう行きたくない。誰でもいいから専門家が勝手にやってくれればいいわ。」
小生「うん。良く解った専門家に任せておきたいな」
yさん「選挙に行かん人はかしこいわ」
小生「だれも行かなくなったらどうなるのかな」
yさん「えー、どうなるだろう」
小生(しばし考えて)「立候補者の届け出順に当選ってことになるんじゃないの」
yさん(笑いながら)「それはもう早いもん勝ち。一票も入らないのに当選って、そんなのあるんかなぁ」
(他のスタッフたち二人の会話に耳をそばだてて、にやにやしている)
yさん「でも、誰も行かんなんてないでしょう。必ず選挙大好きという人たちがいるから。」
小生「そうだね。組織票が物を言う。日教組とか労働組合とか創価学会とか・・・」
yさん「そうなると彼らの天下ね。なんかちょっとこわーい」
小生「そうなったら、今のような生活ではなくなるだろうことは想像できる。中国の属国になるような気がする。でも、とにかく日本人がそれを選んだのだから、別に文句をいう筋合いもない。」
yさん「そうねぇ。でも実際のうちらの生活はあんまり変わらないんじゃないかなぁ。」
小生「そうかもね。・・・ただ、よりいっそう人々の頭の中は金銭至上主義で占められ、そのための競争が熾烈になり、われわれは中国共産党へ貢ぐためにより汗水流さんならんようになるんじゃないかな」
yさん「それはいやや」
小生「その実態を知らなきゃいい」
yさん「知らなきゃいいけど」
小生「何も知らず、何も不平を言わず、それが一番の幸せ。政治の専門家に任せとけばいい」
yさん「そうそう。何も知らんのが幸せ。でも働いた分だけの収入が欲しいわ。」
小生「でしょう・・・」
(他のスタッフたち、仕事の手を休めて、軽蔑的な目つきでわれわれを見つめる)
幕
暇な職場とお感じでしょうが・・・
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科学者の言い分
専門的な話はよく理解できないけれども面白かった。終わりの方で先端科学技術への予算の話が出て、司会者が「御金に困っている人が沢山いるのに、宇宙開発へ沢山の予算を投じるのはいかがなものかという意見があるが、そのことに就いてどう思うか」というような質問をした。
科学者答えて曰く「こういった先端科学技術が成功を収めれば、国民はこの国は素晴らしい国だと喜び、自信と希望をもつことができる。夢、やる気、それこそ何よりの大事なことだ。」また、その隣に座っていた天文学者曰く「国会議員の中には、一番でなくていい、二番ではいけないの、という人がいるが、一番になりたい(他の誰もやってないことをしたい)という強い思いがあったからこそ出来たのだ、云々。」
なるほどそうだと思いながら聞いた。子供手当を与えるより、夢を与える方が、子供は生き生きとするだろうし、将来の投資という意味でもよいに決まっている。
食べていけないというほどの人はともかくとして、何とかやっていける人たちにお金恵んで、子どもを容易に学校に行かせて、どうするつもり。さらなる巧妙な儲け人にしたのいのか。もちろんそれも一つの生き方ではある。
社会派の議員さんは、すべての人に充分なパンを、と言う。それは人を動物なみに考えてはいないか。のみならず、明らかに自己欺瞞である。なぜなら、かの議員さんはすべての人に充分なパンをという理想と情熱が己の生きがいであることを自他に隠しているからだ。
本当は人は夢を生きる。だが、と社会派はロバのような顔をして言う、そのためにはとにかく生きねばならぬと。
とにかく、とにかく、とにかく、・・・・人によってかくも〈生きる〉ということの意味が異なることに小生は今さらながら驚く。そして、この生きることの意味の広がりから人間という生物の不思議さを思う。
子供たちにお金より
夢を与えたいと
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貧しき者は・・
なるほど専門家の言う通りであろう。しかし、正しい解釈はそれとして、初めの小生の考えも捨てがたい。というか聖書から離れて、他人を羨なまい心は幸福だ、という文句が気に入っている。
先日、新聞の読者の投稿欄に78歳の女性が、「手当支給よりまず借金の返済」と題して書いていたのが、忘れられない。「50年ほど前の日本は、どこの家庭も子供が6~7人いましたが、誰一人国から手当をいただこうなどと思っていませんでした。むしろそのころの方が、子供は健全でした。すべてのことに、もう少し辛苦に耐えるように云々」
いまの政府政策はちょっと国民に甘い夢を見させすぎないか。誰でも欲望があるし、且つ又欲望を抑えねばならないことも分かっている。子供手当など、貰えればありがたいと思う心もあるし、そのお金がどこから回ってきているか誰でも見当はつく。
親や先生が甘い言葉で子供の欲望を釣っているのを見ると、いい気持ちはしない。だれでも心に貪欲と禁欲が均衡を保っている。深い考えのない、その時限りの甘い言葉は、人の心の中の貪欲のみを増長させる。
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鳩山首相
きのふけふとは 思はざりしを(業平)
鳩山総理は戦後日本の総決算という感じを受ける。
平和、友愛などと美辞麗句を、何事かにつけ口にし、決して決断しない。悪を犯す勇気の欠如とそれを隠ぺいするためにのみ働く理性。戦後、豊かになった日本経済の象徴。金持ち喧嘩せず。衣食足って礼節を知る。戦後日本の名家のお坊ちゃまとは、その礼節の行き着くところの慇懃無礼の極致。見事なり戦後の日本文化。
われわれが戦後選んだ道は、このような道だった。六年半に及ぶ米国の占領支配。マッカーサーの深謀遠慮。彼は、憲法、皇室典範、教育基本法などを変えてしまえば百年後には日本は滅びることを知悉していたが、まさか本当に日本人がこれをいつまでもよしとしているとは思わなかった。
だが、しかし日本人は、あの時それほど飢えていたのであろうか、ついに伝統・文化を取り戻そうとせず、動物のように食べることのみに生きがいを見出してしまった。もちろん精神たることを忘れずにいた人も居たには居たがあまりに少数であった。
そうして、あの日本の分水嶺、昭和四五年がやってきた。この時ついに日本人は〈昭和二〇年八月一五日〉を忘れる振りをしようと決めたのだ。われわれの父母たち、祖父母たちのあの心を忘れることに決めたのだ。あのとき日本は、いまのどこかの国のように、髪を振り乱して稼ぐことに狂奔し続けることを選んだのだ。
昭和時代、それはまだよかった。滅びる美しさがあった。しかし、平成の世になって、日本は滅ぶことさえしない、ステンレスのようにニュートラルな、ひょうたん島のようにぷかぷか海に浮かんで、いったいどこへ行くのやら、風と海流に流される続ける。
日本国憲法、あの文章のどこがいい。前文はひどい。原文である英語を読んでみるがいい。We the Jananese people で始まる文章。あまりにあほらしい文章なので一度覚えておこうとしたが、もう忘れてしまった。それよりも、翻訳のあまりの拙さには恐れさえ抱く。もし小生が英語教師だったら、まず日本の生徒に、悪翻訳の典型例として利用することだろう。
何にせよ、日本の過去の文化をおろそかにしてきたことの付けは大きい。それは、経済や学力や運動力が落ちてきたということのみではない。日本人がとても閉鎖的になってきているような気がする。それは外国に対してのみならず自国に対しても閉鎖的、つまり一方でナショナリズムの高まりがあるが、それはとても観念的で自国の文化に対しても閉鎖的であるように見える。つまり平たく言えば、日本文化のいいところなどと口先だけで言う傾向にありはしないか、だから外国のいいところも見えなくなっているのではないか。もっと、われわれの生き方そものもの変更が必要な気がする。
何か絶望感が漂う。今朝はどうもいかん。投げやりな気分になっている。
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トヨタいじめ?
正直のところ小生はよく解らない。が一つ言えることは、トヨタは悪かった点があれば、それを謝り早急に解決し、しかし理不尽な論難に対しては、正々堂々と論陣を張るべきだ。
小生がそう言ったところ、知人の一人は、こちらが正しくともアメリカ政府には負ける、と言う。日本政府がトヨタを応援しても、もちろん負けるであろう。最終的には政治力=軍事力だからだ。
しかし、論争を避けてはいけないと思う。政治力では負けても、あくまで論理で負けてはならない。少なくとも日本のジャーナリストは堂々と海外メディアに打ってでなければならないと思う。論理の勝ち負けと親交とは別事だ。負けるからといって、議論を避け事業を縮小しますから事を穏便にお願いしますとなると、日本は今までの日本から脱皮できない。
今までの日本とは、外交下手な日本。曖昧な日本。いい加減な日本。お人よしの日本。自分の気質が穏やかで一番いいと思い込んでいる日本。そのくせ、内心ではいじいじしていて、万一戦争にでもなったら合理的な解決ができず、やけくそでめちゃくちゃやってしまう日本。
しかし、そのような日本を小生は限りなく愛する



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鳩山首相の友愛精神
ハトのような目をして、友愛精神だの、国民の幸福第一だの、文句の付けようのない美辞麗句を乱発している。(さすが大金持ちの息子だと、いやみの一つでも言いたくなる)
しかし、外交はそんなものではない。友愛と言っているばかりでは現実の切磋琢磨から取り残されていってしまう。国民の幸福という高級なことはさておいて、少なくとも福祉について考えたら、まず国を豊かにしなければならない。仕分けや国民から税金を取ることばかり考えないで、もっと外交力で対外的経済を有利に進めるべきである。政府は貿易摩擦が起きれば、矢面に立って打開していく心意気が何よりも大事だ。
現にいま、わが国の各産業界は政府の後ろ盾が乏しいために、いかに不利な戦いを強いられていることか。新聞を読むごとに心が痛む。
しかし、翻って思うに、鳩山首相の、現実に基づかない観念的な友愛、平和、幸福、平等などは、何も彼の専売特許ではない、多かれ少なかれ戦後日本の政治家のみならずわが国民全員の傾向だ。ただ、ついに鳩山首相に至って露骨に極端な姿となって顕在化したにすぎない。
民主政権が選挙で選ばれたということは表の姿で、日本民族がながらく選び取ってきた道なのだ。坂の上の雲に到達しそうになったと思ったところが、気がついたら坂の下の泥沼に入り込んでいたのだ。われわれがそれを望んだのだ。
かくなる上は滅んでしまえホトトギスと言いたくなる。われわれは戦争に負けたのではない。むしろ戦後の無思慮な風潮に負けたのだ。
われわれは、とくに戦後になしたこと、そして民族の過去と未来について思い描いたことのいっさいを疑って、もう一度リカヴァリーして出直すべきだ。われわれ一人ひとりが今まで信じていたところのものを一旦消去し、今までの価値観を一度逆転してみなければいけない。それは一か八かの大手術を受けるようなものだ。失敗したら終わり。手術を受けなければ、そのまま沼の中で腐る。
しかし、新しい豊かな神話を蔵した日本が復活できる僅かな細い道が残されている、と小生は確信している。しかしその道を進むのかどうかは知らないが。
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南京事件
どうして中国のような国と歴史の共同研究など思い立ったのであろうか。小生は不思議でならない。日本側に、狂気に立ち向かうが如き、ほよどの覚悟がなければこんなことは思い立てはしない。
そもそも外国との公正な歴史の共同研究などありはしない。歴史事実などはない。報告があるのみである。ましてや相手は中国である。言論弾圧と歴史の改ざんが日常の国である。こちらが一歩でも譲歩したら、その部分を百倍にして国内外に発表する。今回も、日本は日本軍の大虐殺を認めたと大喜びで喧伝している。
日本の研究者は、いくら〈研究〉とは言え、国益が絡んだ外国との歴史研究であることを弁えるべきである。中立な立場での研究発表などがあると思いこんでいるとしたら、よほどのお人よしである。
このままでは、だんだんと中国政府の罠にはまって、大虐殺という嘘が国際世論的真実になってしまう。それは現在の国益を損なうのみならず、五十年後、百年後のわれわれの子孫に大変な苦難を強いることになろう。小生はそれを憂う。福沢諭吉がいま生きていたら何と言うであろうか。
日本政府は、日本軍による一般人の組織的虐殺はなかったと堂々と主張すべきである。そして我彼の見解のあまりの違いを国際的にむしろアピールすべきだ。おりしもグーグルと中国政府との言論をめぐっての攻防があるときだ。中国の言論における醜態を世界に知らしめるよい機会と捉えるべきである。
それにしても明治維新以来、日本人の国際感覚の貧弱さはなかなか改善されない。むしろさらに劣悪になってきているような気がする。日本人の性格が悪いように悪いように出てきていると思う。
政治とは真実が大手をふるってまかり通るところではない。もちろんどこかで真実とつながっているのであろうが、むしろこう言うべきだ、政治とは真実さえも利用するところである、と。
日露戦争のとき、日英同盟があるのでイギリスは日本の為を思って行動してくれる、と思い込んでいたとしたら、それはおめでたいかぎりである。日英同盟は、日露双方が弱って中国におけるイギリスの権益の優位を確保したいためにあったのだ。
誰が己の国益を損なってまでも他国のためを思って行動するか。もちろん文明国は、大抵少なくとも平和時なら約束を守であろう。そのほうが自国にとって有利であるからだ。
広島長崎の原爆投下を肯定する日本人はもう世界的に珍しい人種であるとしか考えられない。もちろんそういう日本を他国は大賛美するであろう。
日本人の外交政策や今の憲法をもっていることを考えると、いつも思い出すサラリーマン川柳がある。
転勤地よいところだと皆がいう
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大和魂とは 2
唐突ですが、基本事項の確認をしておきます。
人間とは二足歩行をし、食べて寝てうんこして、という生き物か? ノーである。
人間とは観念を生きるものであり、理想をもたずにおれない生き物である。
そしてまた、
国家とは国境で囲まれた単なる土地であるか? ノーである。
われわれが国を守るというとき、それは端的に文化を守るという意味である。
日本の文化の最たるものは天皇である。
このことは、共産主義者以外の日本人ならほぼ理解できると信じる。
スカイラインV35さんのご指摘、日本人の戦争時における心情を表すものとしての大和魂とは、吉田松陰の
かくなれば かくなるものとしりながら やむにやまれぬ 大和魂
であるとは、同感の至りです。
宣長の大和心がたをやめぶりとすると、これはますらをぶりでしょうかね。根っこは同じであろうし、相補うことによって、より感情の動きということが強調されますが、またずいぶんと違う方向をむいていますね。
それにしても吉田松陰がどうして大和魂という言葉を使ったのか、と考えるとやはり水戸学ですね。いまの小生の知識では分かりませんが、吉田松陰→水戸学→南朝正統論→北畠親房と連想されます。親房は、主著において〈やまと〉なる国柄を詳述し、皇国の何たるかを説いてやまない。・・・ 想像するに、南北朝の戦いのときに初めて、天皇というものの存在理由およびその本質がもっとも先鋭に問はれたのではなかったか。
で、水戸学は、ついに尊王倒幕のエネルギーとなって戊辰戦争になだれ込んでいく、さらに想像をたくましくすれば、長州の明治天皇擁立で南朝復活を果たした。
〈やまと〉が現実の行動に迫られたとき大和魂になったのでしょうか?
それが水戸で朱子学の影響を強く受けて動的になったのでしょうか?



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888(パチパチパチ)
大和魂とは?
敷島のやまと心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
という歌が浮かんでくるでしょう。小生もそうです。つまり、やまと心とは、桜を見て美しいと思う心だ、ということです。むりに色々な解釈を施すこともできましょうが、素直にこの歌の姿そのものを感じれば、花を見てああ美しいという感動そのものではないでしょうか。
以前、靖国神社の遊就館に入ったら、他のいくつかの歌に混じって、しかし直ぐこの歌が目に飛び込んできました。そして何となく違和感を覚えた。そして、この感じは小生が近代史に暗いからであろうか、とも考えました。そして、その感じはそのまま小生の心の内に沈んでしまいましたが、大東亜戦争の話を読んだり聞いたりするときに、いつも浮かんでくるのです。
戦争中、軍司令部は大和魂は敵の物質主義より高級だとかいうような、まったく非精神的な精神主義を振りかざし、兵士を鼓舞した。とくに、ミッドウェー海戦の敗北以後は、日本軍はだんだんと現実を直視した戦略を立てることよりも、かすかな希望が熱望となり、それがついに幻想を生むようになった。
ガダルカナルの戦いにしろ、インパール作戦にしろ、敵兵は日本兵の銃剣をもって機関銃の前に身を晒す白兵攻撃に驚嘆している。どう見ても、日本兵は戦ってるのではなく死に急いでいる! 武士道とは自殺することなの?と思ったのではなかろうか。
インパール作戦を固持し続けた、悪名高い牟田口中将は、幹部を集め訓示した、兵器や食料がなくても、腕や脚がなくても、戦え、日本男児には大和魂がある。日本は神の国であるではないかと。
なぜ戦争になると、大和魂がこういう事になるのか、ずっと疑問だった。
敷島、大和、朝日、山桜、といえば、誰もが特攻隊や戦艦の名称を連想する。どうしてか、日本人は救国の最終根拠を大和魂とする民族だとしか言いようがない。桜を見て美しい、というのと、敵陣に竹やりや爆弾を抱えて突っ込んでいくのと、どこでどう結びつくのか。
三島由紀夫が、たぶん『文化防衛論』だったと思うが、日本文化とは茶道、華道、柔道、などのみならず、戦争の仕方まで含む日本人の行動様式のすべてが日本文化だというようなことを書いていたと記憶する。死に行く兵士の鉢巻に七生報国と書くのも、特攻隊に敷島隊とつけるのも、出撃前に皇居を遥拝したり、和歌を残すのも、日本文化には違いない。
しかし一方、戦争は冷徹な理論であり、分析と行動であり、勝たねばならないものであり、たとえ負けても国家滅亡に陥る前に負けねばならないものである。
ヒトラーだったか、ゲッペルスだったか、誰か忘れたが、芸術も政治であるという言葉に対して、政治も芸術だ、と言った。
なんと不穏当な言葉であろう。なんと魂をとろかすような危険なロマン主義的言辞であろう。
滅亡への憧れとしか言いようがない。
戦後の日本は、〈あの日本〉であろうか。
いったい国家とは何か。なんでもかんでも永く生き延びればいいのか。
そして・・・美しいものの滅亡ほど陶酔させるものがあろうか。
小生はもう分からない。



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NHK「日米開戦を語る 海軍は・・」
しかし、とにかくこの番組を見ていて、戸・澤地・半藤各氏の発言を聞いていて、日本人は変わらないと感じた。彼らの指摘する海軍という組織の硬直性、大局を見ず己の部署のみがよければいいという感覚、多様な意見に耳を傾けない傲慢さなどは、今の日本のあり様そのものではないのか。性格は変えられないものである。
過去の反省というものを小生が嫌うのは、過去を反省することが現在の自分から目をそらす隠れ蓑になるからだ。日本人は現在の内省が苦手である代わりに、過去の反省が好きだ。あの時ああしたのがいけなかったと言う。それは科学技術や日々の生活の工夫などには役に立つことであろうし、むしろ必須の態度ではある。しかし人間(民族や個人)の心については百害しかもたらさない。性格は変えられないものである。
例えば、わが国は生きる根幹たる憲法を外国人に創ってもらって、内容はともかくそれはおかしいと感じつつも、放ったらかしにしてもう六十年以上経っているが、誰も自国の憲法は自国民でという声が表に出ない。また、自衛隊の問題では、自衛隊は誰が見ても立派な軍隊であるのに、軍隊ではないと誤魔化し続けている。外国から見ると、モーレツにけったいな国に見えるであろう。なんで、日本人はこんないい加減な状態を続けておれるのか、それこそこの番組で御三人の指摘する〈多様な意見に耳を傾けない硬直性〉のなせる技であろう。
いつの日か時代が変わって、今の日本について人は言うであろう、何であの時代の日本人はあんな誤魔化しを平気で続けていたのだろう、と。そう〈反省〉して、やはりまた新しい硬直化に陥っていることであろう。
ついでに言えば、日本人は欧米人のように、うんと悪いこともできないが、うんといいこともできない。もちろんいいこととは宗教的な意味の善である。それは己のうちにおける絶えざる自己欺瞞の追求だ。これはキリスト教の罪の概念であり、それにはどうしても絶対的な神が必要なのである。
われわれは今、日本人にはもともと和の心がある、おおらかである、八百万の神々がいる、などと、安らかな寝言のようなことを言う。しかし、小生が思うに、それは平和時においてはいい、まあ仲間内では少々の喧嘩をしたぐらいでは、それで解決するがいい。しかし国際間では、厳しい生存競争の場面では、その言は愚にもつかぬおまじないにすぎない。
われわれはもはや明治維新以来〈智慧の木の実〉を食べたのだ。どう考えてもそれは確実であって、わが国にも弁護士の数が増えつつある実態はどうしようもない。
もちろん、小生も生粋の日本人であり、なぜか知らんが天皇への崇敬の思いは人一倍あるし、小生の座右の銘は宣長の「すべて神の道は善悪是非をこちたくさだせる様なる理屈はつゆばかりもなく、だだ豊かにおほらかにみやびたるものにて、歌のおもむきぞよくこれにかなへりける」である。
だから、なんとかこの日本の国柄のいいところはそのままに、そして欧米のしっかりした根底(おそらくキリスト教精神の根底)を取り入れていくことはできないものか、と考える。まったく水と油のように混じりあうことができないような、二つの原理。難しいか。


11月3日は明治節
職場の予定日を書き入れるホワイトボードのカレンダーがあるのですが、11月3日に明治節と書いておいたのをある職員が見て、「めいじぶしって何?」と訊いたのです。小生は笑っていいのか驚いていいのか、なんとも妙な気持ちになった。
無理も無い。明治節という言葉はすでに日本政府によって抹殺されているのだ。知っているほうがおかしい世の中だ。
今は「文化の日」と言っている。この言葉が出来たいきさつは書かない(知らない人は調べておいて)けれど、たぶんにGHQの意向が入っているらいし。
それはともかく、明治節は明治天皇の誕生日である。わが国の歴史を振り返ってみるに、明治という時代は、じつに大変な時代であった。ご先祖たちの多数の命と苦心惨憺によって日本は近代化を成し遂げた。そのことに思いをいたすために「明治節」という言葉を残すべきであると小生は考える。
今の人は、こんにちの日本の豊かさを当然のことと受け取り、ご先祖のご苦労を考えない。なぜか考えないように何者かによって「文化の日」に変えられたとしか思えない。
文化の日などという言葉は、それこそ非文化国家の使う言葉だ。かつて、文化なべ、文化包丁、文化住宅など、なんでも文化と付ければ文化的だと、お猿のように使っていた時代があったが、「文化の日」はまさにその先駆けをいく命名であった。
戦後の政治家や教育者の猿たちはいったい何を考えているのか、小生にはさっぱり分からん。
今の若い人たちが祖国の歴史を知らず、祖父達の苦難をしらず、祝祭日はただの休日であると思い、ディズニーランドに出かける、お猿のような顔をして。
小生はお猿達に言いたい、「人はパンのみに生くるにあらず」と。・・・・・・・ 通じないか・・・・


テーマ : それでいいのか日本国民 - ジャンル : 政治・経済
われわれの内なる大衆
同感だ。大衆というものは決して自分でものを考えない。いや、その時は考えていた、と言うかもしれないが、そもそもその時の選挙時にマスコミの提供するものによるにわか勉強でそう難しいことを考えることなど出来ようか。ただマスコミの与える二者択一に気分的に動いていただけではないか。少なくとも自分の日々生きている生活感情にしたがって考えていたわけではない。
大衆とは、つまりわれわれの中にある大衆性とはそのようなものである。そして、民主主義の限界はわれわれの限界なのである。それを考えると、あるいは優れた専制政治や寡頭政治のほうがいいと思う人もいるであろう。じっさい遠くは古代ギリシャの時代、プラトンは民主主義の危うさを訴えていた。人間は百年経とうとも千年経とうとも変わらないものだ。
それでも、われわれ人間がこのようなものである以上、そのことを嘆いていてもしようがないし、後の世において過去の判断は間違っていたと思ったとはいえ、その時はそれをよしとしたのだから、いつまでも反省してもしようがない。それに、今の判断も時代が変わればどう評価されるか分かったものではない。
それで小生は、われわれ人間は決して賢い生き物ではないと、いつも謙虚な姿勢でいようと思う。また過去にやっとことを、あまりに軽々に否定断罪するようなことはしないでこうと思う。
このたびの小泉選挙や鳩山選挙についてのわれわれ大衆の動きを省みれば、七十年前大東亜戦争に国民が嵌りこんでいったことを笑えまい。あの時はわれわれ大衆がそう望んだのだ。冷静な分析は必要かもしれないが、過去の時代の組織や個人を断罪すべきではない。われわれは今も同じことをやっているからである。


市ヶ谷駅からの眺め
昔は、外的から城を守るために大いに役立ったのではあるまいか。徳川家康の防備は念には念を入れて、国内秩序を維持するためには、ほぼ完璧だった。街道、関所、城の配置、参勤交代、儒教精神による言挙げの制限、厳格な取り締まり。
いまや議会制民主主義国家。みんな平等。万民が選挙によって議員を選ぶ。インターネットで言いたい放題。お堀も無用の長物。
それで、世界の国どうしもそうなれば、防備も要らなくなるんだろうな。全世界の国々が平等の権利を持ち世界議会で様々な政策を決める。しかし、暴力主義者や麻原氏のようなキ人が必ず存在するから国際警察は絶対に必要だが。
ところで、今の国連はどうであろう。それは第二次大戦後の戦勝国5カ国が他の190何カ国を支配する不平等条約機構ではないか。この不平等に対して190何カ国はどうして言挙げしないの。
でも、人は言うかもしれない、ミャンマーやソマリヤや北朝鮮のような国(失礼)とわが国と同じ一票なんてイアだわ、って。
・・・人間なんてみな勝手なことをいうものだな・・・


祝祭日の意義
右翼、というより反左翼の人達が、なにやら主張していたので、小生はその人達に11月23日は何の日か訊いてみた。唐突な質問だから、たいていの人は思い出せなかったが、勤労感謝の日だという返事が返ってきた。 この人達にしてこうなんだから、ましてや一般の人は・・・。
で、その後、職場で30歳台の人達に訊いてみた。やはり、同じである。教育・習慣の結果だな。
11月23日は、新嘗祭ですぞ。日本人ならばそう答えてもらいたかった。しかし、戦後、とくに経済成長後だれもそんな言葉を発しなくなった。国は「勤労感謝の日」と言え、と国民に押し付けた。カレンダー会社やマスコミはみんなそれに従った。当時、祝祭日の意味をまったく考えていない人達は、新しい名前がモダンだと思ったんだろうな。
祝祭日は、もともと民族の共同体意識の確認といってよく、それは四季の変化の恵み、日本の場合とくに農耕の恵みを神に祭るなどの意味がある。キリスト教国のクリスマスやイースターと同じ。
それを戦後、誰かお偉いさんが、全部軽薄な名前に変えちまって、重要な祝祭日をただの休日にしてしまった。5月5日は端午の節句であるのに、あほな子供が増えるように「こどもの日」にした。みんなは学校が休みの日としか思わない。
ついでに、休日ではないけれど、外国の真似して母の日や父の日や何たらの日、その後は日本人は言葉遊びが大好きですな、語呂合わせでいろんな日があるな・・まっこと経済効果よかことですよ。
まあ、日本はとっくに終わっている

憲法第九条
小泉首相が、海外で自衛隊の行くところはどこでも安全地帯である、と言ったのと同じだ。そして、それを笑い話としてうっちゃっておける日本人のあまりに平和な心持よ!
どうして、日本人は平気でこんな誤魔化しを何時までも言っておれるのかねー。どうして、正直にものが言えないのかなー?
それは、想像するに、日本人は自国の憲法をあまりに軽く考えている。心の底から信用していないのではないかな。それは、占領中に米国に創ってもらったものだ、ということを知っているから、そういう負い目があるから、なんとなく真剣に向きあることを避けているんじゃないかな・・・。なんか、いまさら憲法改正なんて言い出すのが恥ずかしいような・・時代錯誤であるような・・・そんな気持ちがあるのではないのかな・・
心の曲がった、すねた、恥ずかしがりやの日本人よ。そうしてめんどくさがり屋の日本人よ。
臭いものには蓋で通したい日本人よ。
それにしても日本国憲法の日本語。下手な翻訳文で、解りにくいな。誰かちゃんとした日本人に創ってもらいたいものだ。

南京大虐殺記念館展に対する疑問
この展覧会は、日中友好、名古屋市南京市交流のためだというが、私は疑問である。これは中国政府筋の意図によるものだと感じる。真に友好のためなら、どうして互いの古傷をわざわざ拡大して見せる必要があろうか。しかも南京虐殺の実際の程度が分らず、「証言」や「写真」も、かなりいい加減なものも多いと聞く。
主催者は疑わしい「写真」は除いたと言うが、捏造した物を公に展示する国と本当に友好関係を結べると考えているのか。餃子事件といいチベット事件といい、中国こそ隠す国ではないのか。名古屋市はこのような催しにノーと言うべきであった。


田母神発言と自衛隊
そもそも自衛隊は朝鮮戦争のときマッカーサーによって創られたようなものであって、憲法上国軍として認められていない。いわば日陰者として六十年扱われてきた。にもかかわらず災難時には真っ先に命をかけて働くのが当然とされている。これでは自衛隊員がかわいそうだし、文民統制もいい加減にならざるをえない。
私は、このさい明瞭に自衛隊を名誉ある国軍として認めるべきだと思う。そうしてこそ国民が白日の下に絶えずその統制をチェックすることができる。自衛隊の役割に関して、政府は誤魔化しともいえる憲法解釈をし、国民は臭いものに蓋、当たらず触らずという気持ちでは、自衛隊はいずれ爆発すると思う。


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