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西洋の音楽と文明

久しぶりに音楽会に行った。
D‘amiti string quartet in Munetugu hall. 曲目は、ハイドン66番、ドゥビュッシー、ラズモフスキー2番といい演目だった。開演時間ぎりぎりに間に合った。汗を拭き拭きしながら適当な座席に座ったら、直ぐ始まった。なんといういい音色、いい響きだろう。ハイドンのような音楽は、まず耳慣らしと言うか、前座というか、始まりにいい曲だ、それにしても素晴らしいな、と思い。これは18世紀の西洋の遺産ではないか、としきりに考えた。
省みれば、このような音楽といい、われわれの日々恩恵をうけている科学といい、まず西欧で発達したものだ。それは、ギリシャの科学とキリスト教との結婚から生まれたものだ。

日本人は、よくキリスト教の負の側面を指摘して、一神教の原理はいかん、日本のような多神教こそがいい、なんて言う。が、つまらん言い分だ。

世界史を振り返ってみるに、まず地球の何処の地域でも、初めは多神教であった。つまり、自然崇拝・・・精霊信仰、そして祖先崇拝ってところだ。そこへBC1000年くらいかいつかはっきり知らないが、イスラエルの南部の一角あたりに、ヤハウエ唯一信仰が生じた。(フロイト先生によると、エジプトのあのアメンホテプだったか、ツタンカーメンの親父の太陽の神唯一信仰が、滅びる前にエジプトを脱出ユダヤ人した一派→モーセが起こしたとか)
BC500年~バビロン捕囚により決定的になった一神教。それからイエスが出てキリスト教、その後イスラム教という一神教が現在、世界の何パーセントか知らないが、地球の半分くらいを占めている。


文明国で、多神教の国は日本くらいか・・・。とにかく日本はとても変った国だ。おおらかで好きだけど。なんだかのーてんき。
しかし、多神教は一神教への萌芽があるな。代表例では、ギリシャはゼウスがオールマイティだし、日本はアマテラスが一番偉いみたいだし。(古事記みるとタカミムスビのが偉そうだけど)つまり、すべての神々が平等ってわけではない。排撃はしないけれど。

宗教も生物のように進化してきたと感じる。キリスト教はその頂点をなすと思う。というのは、
小生の長年の疑問だけれど、キリスト教に至って、なぜあのように高い倫理性が出てきたのかってことだ。われわれ日本人は、漠然と一神教だの八百万の神々だのと言うまえに、あの高度の倫理性をしっかり考えてみる必要があるのじゃないのかな、と思う。



                      
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大正天皇 7

大正天皇最後の御製

 神まつる わが白妙の 袖の上に
    かつうすれ行く みあかしのかげ

 これは社頭暁と題された、天皇最後の絶唱である。灯明の光が、朝明けにすこしずつ薄らいでいく・・・。大正十年、皇太子が摂政に就き、天皇はいわば廃人として表舞台から引きこめられる。人間として必要なあらゆる脳力がしだいに凋落していく自分を、そして自分の存在の消失と共に一つの時代の消失を予告する、あまりにも明瞭な意識がわれわれを驚かす。

 大正天皇の御製の美しさは、私に伝統というものの強さを思いおこさせずにはいない。この光は近代日本を根底から照らし出す。

 省みれば、つい先日ペリー来航の日、わが国は西洋列強の文明に腰を抜かした。明治という時代はあげて不平等条約改正のために奔走したといても言い過ぎではない。明治天皇は、国のために働く兵士の純粋さに感動し己を安逸贅沢から身を守った。己の態度が国家の統一に重要であると自覚し、君主としての自身の役割を果たした。富国強兵のあの時代に相応しいストイックな立派な人物であった。

 日露戦争に勝利した日本は、世界の一等国の末席を占めるに至り、さてここから世界史の凄まじい本流に組み込まれていく。必然的な重工業の発達と軍事政策の手練手管の真っ只中に、ある日突然、病気がちで青白い顔をした、単純で無防備な青年が玉座にちょこんと座っていた。一般国民の無意識の天皇崇敬の念は、それを見て驚愕するほど、浅いものではなかった。だが、宮廷および政府要人はそうではなかった。彼らの頭の中にある〈立派な天皇〉に何とか矯正しようと試みたが、この青年の性格はそんな生易しいものではなかった。それで、彼らは今度は、此の青年天皇の純朴さをむしろ国民の前で演出し、政治の権謀術数に利用した。

 やがて病気に陥った天皇を彼らは巧みに隠蔽し、否定しつつ、天皇を反面教師として、〈立派な〉、欧米のマナーを身に付けた、新しい天皇を用意した。手続きは完璧であった。そして昭和天皇は、彼らの意図したよりも遥かに優れたお方であった。やがて、わが国始まって以来の大悲劇がやってくる。全土は焼かれ、外国人による占領統治が始まった。ここに、昭和時代を通して、わが国の〈みやび〉が最高度に発揮され、終焉を迎える。私は、日本近代史を通覧する毎に、日本国民全体がそれを希んだような気がしてならない。

 それはともかく、明治、大正、昭和と三代の天皇を比較してみるとき、大正時代は実際短かったし、大正天皇は、時代の前面に現れた二人の偉大な天皇の岩陰に咲く小さな目立たない花のような存在である。だが、もうちょっと近寄ってみると、此の病弱で不思議に軽い天皇の純朴、率直な御態度と詞華集の中のいくつかは、わが国の万葉集以来の和歌の伝統の源泉にもっとも近く繋がっている、と感じる。それは、自然と心と言葉が未分化であるようなあるものだ。もちろん明治天皇も昭和天皇も当然沢山の、大正天皇よりも多く、和歌を残してはいる。しかし、其の調べは民を思う心には溢れてはいるが、そこにあるのは優れた王者としての無私である。大正天皇の無私とは全然異質なものだ。たとえて言えば、人を小ばかにしたようにしゃべりまくる少年モーツアルトの音楽がわれわれを深く感動させるようなものだ。その技巧は余りにも自然である。此の大正天皇の心が発している光が、わが国近代史を照らすとき、幕末以来のわが国の歩みそのものが、悲しいが美しい自然な音楽のように、繰り返し、聴く人の心に語りかけてくる。あるいは美しい一枚の絵のように見えてくる。いわばこの非政治的な魂が、政治をも包含する歴史の運動を肯定し、納得させ、共感させるように働く。政治がどれほど現実に力を持とうが、文化がなければ、それが意味を持つことはできないのである。




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憲法第九条

憲法第九条は、そもそも初めから、破られている。自衛隊の存在が憲法違反であることは誰にでも明らかだ。自衛隊は「自衛隊」という名前だから「軍隊」ではない、などとは強弁もはなはだしい。実質立派な軍隊である。
小泉首相が、海外で自衛隊の行くところはどこでも安全地帯である、と言ったのと同じだ。そして、それを笑い話としてうっちゃっておける日本人のあまりに平和な心持よ!

どうして、日本人は平気でこんな誤魔化しを何時までも言っておれるのかねー。どうして、正直にものが言えないのかなー?

それは、想像するに、日本人は自国の憲法をあまりに軽く考えている。心の底から信用していないのではないかな。それは、占領中に米国に創ってもらったものだ、ということを知っているから、そういう負い目があるから、なんとなく真剣に向きあることを避けているんじゃないかな・・・。なんか、いまさら憲法改正なんて言い出すのが恥ずかしいような・・時代錯誤であるような・・・そんな気持ちがあるのではないのかな・・
 
心の曲がった、すねた、恥ずかしがりやの日本人よ。そうしてめんどくさがり屋の日本人よ。
臭いものには蓋で通したい日本人よ。

それにしても日本国憲法の日本語。下手な翻訳文で、解りにくいな。誰かちゃんとした日本人に創ってもらいたいものだ。


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憲法九条とキリスト教

憲法第九条を守ろうと言う人は、とにかく外国との付き合いは、仲良くなるのが一番、対立してもあくまで外交努力でいくべきで、軍事力で脅すようなことはいけない、なんとなれば、それはそれは結局戦争を誘発するからである、と言う。
しかし、小生は軍事力も外交の一手段だと思う。そして、戦争は起こるときには起こるものだ、と思う。

ところで、とにかく外国と仲良くすべきで、軍事で脅しをかけるべきではない、という人に尋ねたい。誰とでも仲良くし、分かり合える、ということが常に出来るだろうか。それが出来ないからこそ、この世は難しいのではないのかな。それが出来るという人でも隣地との境界争いはするはずだ。あるいはそういう人にかぎって年金が減らされたと言って目くじらを立てるのではないかな。個人が争う場は裁判所がある、しかし国家間では裁判所がなかなか有効に働かないことが多いのではないか。少なくとも厳正中立っていうのが難しい、というより、そんなのあるのかな?

よく言われるように、少なくとも地続きの他国のように血を地で洗うたえざる争いが、日本には無かった。太平の眠りは徳川250年だけではない、眠りはもっと長かった。そのお蔭で独特の性格を形成した。もちろん、この性格の良い面もあるし悪い面もあるだろう。どの国においてもあるように。
ついこの間、150年ほど前から、諸外国と本格的に付き合うようになって、どうも日本人は極端に走る傾向が明らかになったと思う。戦時中は一億総玉砕、敗戦後は軍隊なき国をなどと極論を口にしてしまう日本人は、いずれも子供らしく、空想的だと感じる。

それに引きかえ、オバマ氏の演説にも伺えるように、二千年の絶え間ない戦争とキリスト教の伝統で育った欧米人は、自分を含むすべての人間や国家のエゴイズムは否定しない、生物としてのエゴイズムのどうしようもなさが腹に入っている。しかし、と言うより、だからこそ同時に崇高な理想を胸に懐いているものだ。
軍事力と聖書とを併せ持つ苦悩と不思議を理解することが、成熟した大人への一歩だと感じる。
それに対して、「世の中は簡単だ.みんなと仲良くすればいいのだ」「こちらが戦力を放棄すれば、相手に誠意が通じる」などと言う人は、子供のようにまだ眠っている人だ、あるいは、飛び切りの聖人だ。


                          

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戦争責任?

大東亜戦争についてよく戦争責任云々を聞きますが、そもそも国家のやったことについて、個人の責任なんてことがあるのでしょうか。
確かに、日常の事件や事故においては責任云々は言えるでしょう。運転手が赤信号を無視して衝突したら、その事故についてその運転手が責任を取らねばならない、と思う。同様に、先生がが授業をしなければならないとき、遊びに出かけて、そのために授業が遅れた場合、その先生は責任を取らねばならないと思う。
戦争するかどうか決定しなければならないとき、総理が遊びに出かけて、決定できないとき、その総理はそのことに責任があると思う。しかし、戦争遂行の最終決定を下し、戦争に負けても、その責任はない。戦争を始めたことについてもちろんない。われわれは、国の決定を政治家に任せたのであるから、負けたといって文句をいってはいけない。
後になって、あんなことやらなければよかった、なんて言っても後の祭り。なんであんな馬鹿なことをやったんだろう、と言うが、われわれ人間は、事前に物事が解るほど賢くはない。誰でも後悔するが、済んだことを何時までも文句を言っていてはいけない。その時は、それがいいと断じたのである。
小生は、日本の過去を自分の過去と感じる。愚かな事もやった、恥ずかしいこともやった、しかし、それら全てが自分ではないか。失敗例だけ切り離して捨て去るなんて器用なことはできない。それどころか、それら失敗がいとしくてならん。全部自分じゃないか。
反省や分析は利口な奴に任せるよ。





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藤原定家の和歌

三夕の歌の一つとして有名な定家の
 「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」
というのがありますね。ふと、これが頭に浮かんできて、いったいこの歌の心いかに?という疑問が沸いてきました。
ずっと以前は、この歌は浪花節みたいで、和歌としては最低ではないか、と思ったものでした。

しかし、考えてみると、この〈なかりけり〉というのは、仏教的な諦念、あるいは形而上学的考察を思わせないでもありません。
確かあったはずだが・・・実は何にも無かったのである。花や紅葉というのは、われわれがそう見たからそう見えたに過ぎない。そんなものは迷妄である。ただ、浦の苫屋の秋の夕暮れがあるだけである。いや、そんなものもない、そう思っているだけだ、共通の迷妄に陥っているだけだ・・。ひょっとして、この私というのも・・・・。
この世のことはみんな夢だ、そんなことは先刻承知。ならば、夢をもっと成熟させよう。天国も地獄も同じ夢。そんなことも分かっている。

・・・こんな退廃的な形而上的美とも言うべき雰囲気が、あの血を血で洗う源平の合戦に引き続き、もっと陰惨な鎌倉初期の歌人達を支配していたのではなかろうか。日本に霊性が高まり、幾多の宗教的天才が出てきたのもこのときだったということも、なんとなく頷けます。


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脳とは何?

脳は発生学的に脊髄の一部が膨らんだものだ。
生理解剖学的にも、脳は脊髄と基本的に同じ、神経細胞・線維の塊だ。それは、刺激の通り道だ。そこで起こっているのは電気化学現象に過ぎない。違いといえば、脳は圧倒的にその結びつきが複雑なだけである。ちょうどそれは、熱や痛みの刺激に対して考える前に逃避反射(決まりきった行動)が起こることと、色々な行動の選択肢の前で考えることとの違いを、解剖学的に表している。

ということは、どちらにしても、行動が問題なのである。脊髄反射は今せっぱつまった危険から身を守るためにある。脳は多少とも遠い危険から身を守るためにある。そのために、今後の行動の様々を表象しなければならない。というより、行動の中止すなわちさまざまな選択そのものが表象になる。そして、それが認識とよばれるものであろう。あくまで主体の行動~ありえべき行動がまずある。動物にとって生きるとはまず行動することだ。ということは、ものの認識とは後で生じたいわば贅沢品である。つまり、行動なしの認識のための認識が初めからあるわけではない。

それにしても、最近の脳ー認知心理学が教えてくれることは興味深い。例えば、ボールをこちらに向かって投げつけられた時、常にそれを上手にかわすことができるが、飛んでくるものが何なのか全くわからないという脳疾患患者がいる。つまり、脳の複雑さとは、もののこちらに及ばす危険度(スピードや方向)とか、形・色・大きさなど、いろいろなカテゴリーに分解し、統合するのみならず、そのおのおのにたいして、運動神経の方に繋がっているらしい。そして、示唆的なことは、この患者は脳のいわば発生学的に新しい部分が侵されているのであって、旧い部分は正常らしいという点である。

われわれは眼を使って物を見るということは、われわれは眼球、網膜、視神経、大脳皮質の視覚野を使って物を見る。その、どの部分を破壊しても視覚は消える。ということはこれらの経路はすべて道具だ。脳も目や手と同じ経路である。
では、見る主体はどこにある?・・・と問いたいところだが、このように問うことは間違っている。それはどこにもない。ということは、こことかそことかいう語はわれわれのいわば発明した空間という観念であるからだ。空間を前提とした身体について、どこそこと言える。が動く主体たる生命は、空間とは異なるカテゴリーに属する。・・・ある神秘な領域。われわれが真に生きている領域。われわれが描く表象でない領域。
見る主体はどこにある?-まあ、しいて言えば、視覚野の向こう側、と比喩的に言えるかもしれない。



テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

ベルツの日記 下 2

この書は、明治が終わると同時に終わっている。最後は、親しく付き合った伊藤博文と、明治天皇について追想を述べている。 

伊藤博文については、誰もが知る、酒と女と煙草をこよなく愛した、そして、それをまったく隠そうとしなかった、また伊藤はいかなる困難な状況にある時でも「いつ会っても、まるで心配を知らない人間のように、微笑をたたえて、冗談をとばすのであった」

 「伊藤が、人もあろうに韓国人に暗殺されたことは、かれが日本における韓国人の最上の知己であっただけに、いっそう悲劇である。・・・軍部と新聞が、(韓国に対して)思い切った処置と武力による圧制を要求した、伊藤は穏便な出方を支持したのである。・・・・・」

「ヨーロッパでは、韓国における日本側の過酷な仕打ちについてのみ聞かされているが、学校を建てたり、合理的な農業や養蚕を教えたり、鉄道や道路を設けたり、勤勉で熟練した日本の職工や農夫の手本を示したりして、日本側のあげた業績については、何も知らされていない。しかし、筆者は、三回この韓国を訪れて親しくその事実を確かめたのである。・・・」

明治天皇については、
「23年間にわたる立憲政治の後、彼が世を去ったとき、天皇を神格化する見方が依然として強く国民の間に生きていたことを示すあらゆる言動を、その葬儀のさいに見せつけられて、ヨーロッパは一驚した。ヨーロッパの君主が、その国家と国民に対して占める地位に比べ、おそらく天皇の地位は、簡単に定義すれば、次のように言えるかもしれないーー天皇は、単なる人格を表すというよりも、むしろ、ある観念の人格化されたものを表すと。したがって、日本の天皇は、ドイツの『ウィルヘルム』とか、イギリスの『エドワード』というよりも、『ゲルマニア』とか、『ブリタニア』というに近い」

天津日嗣のこの世の保証が血の連続であることを考え合わせて興味深い。


                                                       


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ベルツの日記 下

多くのページが、日露戦争への言及でさかれている。
日々の成り行き、そして国内の政府要人らの意見、また多くの国々の軍人や公使らの意見、日本および外国の新聞記事などから成っていて、時の緊迫した様子が手に取るようで、なかなか面白い。

開戦前夜の記事は、さながら太平洋戦争直前を思わせる。
「戦争はますます不可避だ。ロシアは日本をなめてかかっている。戦備は整えるし、韓国と清国では勝手気ままのし放題という有様で、しかも一方ヨーロッパには、極めて平和的な報道をばら撒いている。日本の株はロンドンにおいてすら、すべて下落している。だから同地でも戦争を予想しているのだ。もちろん、イギリスにすれば、この戦争は幾多の点で甚だ好都合である。ロシアも日本も弱くなるから。」
「・・・ロシアは日本側の申し出に対しては、まるで6週間も全然回答を寄せない有様で、その口実たるや云々。ロシアは、日本側からやむを得ず宣戦布告するように仕向けようと思っているのだ・・」

そして、日露戦争が起こり、日本もロシアも沢山の兵が死に、莫大な戦費を費やした。米英は金貸しで大もうけ、英はバルチック艦隊の邪魔をちょとして裏で石炭売って大もうけ。漁夫の利。日本のおかげで、清国へのロシアの南下は阻止され、英の権益は安泰。自ら血を流さずして、濡れ手に粟!!日英同盟とはこのことなり。
「イギリスの計画におあつらえ向きななおは、日本もまたあまり強大にならないことだ。かくてこそイギリスは、東アジアで思いのままに振舞えるのだ。イギリスのこんな狙いどころは、元来だれにでも判っている筈なのだが、日本の新聞は判らないー否、それを知りたくないのだ・・。」
今も昔も同じだな、日本のマスコミ。

そして、今後日本が強国になると、いずれアメリカと日本が戦うことになるだろうと、アメリカの大佐が言った、そしてベルツもそのことに同意している。このときから大東亜戦争は必至だったのかな。

また、ベルツが祖国の大失敗として何度も言及していることは、日清戦争で日本がせっかく得た戦利品を、また奪い取られたことについて(三国干渉)、その原因は主にドイツにあるということ。そしてロシアの権威筋は、ずうずうしくも、ロシアはドイツに誘われて干渉に加わったと弁明していると、大怒り。

また、明治37年第一次日韓協約については、日本は韓国の主権を侵害しないと言いながら、韓国人の感情を意に介することなく、進んでいる、と手厳しく日本のやり方を批判している。

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うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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