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福沢諭吉『文明論の概略』を読む 2

日本の特徴。
 福沢諭吉は合理主義者であったが、形式主義に陥ることはなかった。そこが一番よく分かるのは、国体論である。それは諭吉の言葉でナショナリティといもので、日本においてその輝きは万世一系の皇統にあるとみた。
 そして武士が実権を握って以来、七百年、権威としての天皇と幕府の権力との二つの勢力があったからこそ、その二つを兼ね備える皇帝の下にあった硬直した中国の国体にくらべて、柔軟であり、それゆえ文明化されるのに都合がよかった、という。
だが一方。
 西欧の歴史のダイナミックス。王、諸侯、教会、商人らが、それぞれ力を持って己のエゴイズムを発揮して、しばしば歴史を動かしてきたのに比べ、わが日本は、時の政府に余りにも権力が偏してきた。秀吉も百姓から天下人となったが、彼は百姓のままで、農民と連帯したのではなく、百姓を止めて武士となったのであり、それは既成権力に付いたのである。日本の歴史は日本政府の歴史であった。これはある意味マイナスであって、その気質は今なお続いていて、日本人は多様性が発揮できにくい、国民は国政に無関心なままである、一般人は「知らざるは憂いなし」、日本人は自国民だという意識が希薄である。
 文明とは自国の独立のための術である。そのためには、様々な分野の発展が必要であって、例えば単なる軍事力の増大だけで他国に並んだとて、いわば虎の皮をかぶった羊である。
 日本人はまだまだ文明国ではなく、文明国の何たるかを知らない。だから外国との交際においても、「あくまで誠意を尽くして付き合い、決して疑念を持って当たってはいけない」などと、個人交際において真である道徳を、誤って国と国との交際にまで広げて考えてしまい、実のない空論を論いやすいという。

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テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

神楽を楽しむ

淡路のイザナギ神社で催された三大神楽祭りなるものを見てきた。

まずは太鼓の合奏から始まった。天を地をとよもすような太鼓の響きは、普段は静寂きわまる神社境内を動かし、このときばかりはイザナギ命もおどろいて神殿から出てこようというものである。大きな杉の木の天辺にいたカラスも何事かと驚いているように微動だにしない有様。

地元淡路の神楽は巫女神楽で、四人の若い巫女が、鈴や榊あるいは御幣を手に舞う。このかわいいシャーマンたちの旋回によって観客は観客でなくなり、神の息吹を宿した未分化の共同体になる。

次に、出雲のスサノオのヤマタノオロチ退治の物語。スサノオの踊りと語り、太鼓や笛と歌。なんというおどろおどろしさ。すべてが大迫力で、原始的な荒々しさ。オロチ役も動きが多く大変でしょうな。老夫婦と櫛名田姫のお面も素朴で惹かれる、スサノオのお面は能のベシミに似ていると思った、どことなく可愛い。

高千穂の神楽は、エロティックな笑いに満ち満ちていて、これぞ里神楽の典型ではないか、われわれ里人の共感するところである。

翻って思うに、能の面や衣装や動きは様式美の極致であり、神楽がバロック的な力の充溢とすれば、能は古典主義の完成だな。




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『遥』石垣さだ子歌集選 その二

昭和17~18年ごろ。石垣さだ子は南方にいる夫を想はない日はなかったであろう。

苦しみは一人堪へよと静かなる初夏の空の月の輝き

濃緑の中に一輪ま白なるあやめ咲きゐて庭清々し

南の国より来たりし燕なれど背子の生活を聞くすべもなし

我が心せめて安くと願ふ背の御心ならむ短き文は

ぬばたまの海に戦ふ背子の身を風強ければ一入思ほゆ

大いなる功の蔭に尊き命いくばくあらむといよいよ悲し

〈昭和十八年五月 アッツ島玉砕す〉

国内は燃えに燃たり同胞の仇討ちやまむと一億こぞりて

沿線に田植ゑに励むあまたあり増産の声やかまし日頃

戦のさ中にあれど風もなき田の面にうつる空美しき

夏深む空に黒々編隊の通りすぎるを祈り佇む

遥かなる南に病みて臥すといふ便りを見つつ我が胸痛む

松風の騒ぐ海辺に憩ひ来て雲の果なる夫を想ひき

思ひ出の路なつかしみ車窓より見やれば街に夕焼けの降りる

童べの遊び事にも戦ある国を思ほゆ日頃なりけり

嫁ぐ友と楽しき想ひ出にせむと秋の一日を山に遊びぬ

上り来し峠の道を友どちと見やれば風の快く過ぐ

風吹けば空に祈りぬ月見れば月に祈りぬ夫安かれと

打続く黄金の波のつくあたり一群赤き彼岸花咲く

おごそかに山暮れんとす現身の我に何かをさとすが如く



                     

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祝祭日の意義

先日、靖国神社にお参りに行ったときのこと。
 
右翼、というより反左翼の人達が、なにやら主張していたので、小生はその人達に11月23日は何の日か訊いてみた。唐突な質問だから、たいていの人は思い出せなかったが、勤労感謝の日だという返事が返ってきた。 この人達にしてこうなんだから、ましてや一般の人は・・・。

で、その後、職場で30歳台の人達に訊いてみた。やはり、同じである。教育・習慣の結果だな。

11月23日は、新嘗祭ですぞ。日本人ならばそう答えてもらいたかった。しかし、戦後、とくに経済成長後だれもそんな言葉を発しなくなった。国は「勤労感謝の日」と言え、と国民に押し付けた。カレンダー会社やマスコミはみんなそれに従った。当時、祝祭日の意味をまったく考えていない人達は、新しい名前がモダンだと思ったんだろうな。

祝祭日は、もともと民族の共同体意識の確認といってよく、それは四季の変化の恵み、日本の場合とくに農耕の恵みを神に祭るなどの意味がある。キリスト教国のクリスマスやイースターと同じ。

それを戦後、誰かお偉いさんが、全部軽薄な名前に変えちまって、重要な祝祭日をただの休日にしてしまった。5月5日は端午の節句であるのに、あほな子供が増えるように「こどもの日」にした。みんなは学校が休みの日としか思わない。

ついでに、休日ではないけれど、外国の真似して母の日や父の日や何たらの日、その後は日本人は言葉遊びが大好きですな、語呂合わせでいろんな日があるな・・まっこと経済効果よかことですよ。

まあ、日本はとっくに終わっている




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NHK「日本海軍400時間の証言」雑感

この3回にわたる番組を見て感じたことを箇条書きに。

1.あの時、誰がどうこうしたのがいけなかったなどと、いい大人が何を言ってらー。長生きしやがって。小生は反省が大嫌いだ。聴いていて気持ち悪くなってきた。

2.この番組の通奏低音は、国家や組織のエゴイズムは認めるな、個人のエゴイズムは押し通せ、ってことだ。

3.主題は、何よりも人間の命が一番大事であるということだ。しかし、そこに決定的に欠けていることがる、それは、人は何のために生きるか、という問いである。

4.NHKは報道者の良心をかけて、この番組を制作したつもりだろう。しかし、なんでも報道すればいいってもんか?それじゃ、報道規制をしている某国の態度を激しく明るみにしなければいけないはずだ。が、それはしない。なぜか?怖いからか?日本という安全地帯に居て国内の何を言おうが、それは良心的態度とは言えない。 よくNHKは偏向していると言われるが、小生はそうは思わぬ。臆病なのだ。



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福沢諭吉『文明論の概略』を読む1

福沢諭吉『文明論の概略』 明治8年刊行

 ここには色々なことがいっぱい書かれている。それを書かしめた熱い思いは充分伝わってくる。明治八年の諭吉の熱い思い。それは、西欧諸国に接してこれから日本はどのように生きていくべきかという問題である。

 様々な問題について論ずる前に、まず議論するという事はどういうことか、から説き起こしている。明治八年といえば、帝国憲法発布そして第一回帝国議会開催(その時は、日本中提灯行列で祝ったそうだ)より、十五年くらい前だ。人が正しく論議するとはどういうことか、それからまず論じなければならなかった諭吉の苦衷を察しなければならない。

 世を見渡すに、人は議論と言っても、枝葉ばかりに拘泥し本来の目的を見ない、或いは己の好き嫌いでものを言い、相手を論駁しようとばかり考えている。だから先の先まで深く考えている人の意見を聞くと、それはあまりに変った意見であると排撃し、それに真摯に向き合おうとしない。そういう態度の人々の集積が世論というものを形成する。だから世論でもってしても進歩が見られない。古来文明の進歩を促すような画期的な説は、発表された時点では異端妄説であった。アダム・スミスを見よ。だから、学ぶものは勇気を出して、考えるところを述べるべきだ。そして人々は謙虚に議論しあうべきだ。まずそれから始めること。

 国家の行方を論ずるに、枝葉とは個人的な利害、目の前の便不便であって、正しく議論を深めていけば、かかる枝葉は消え、文明化への本体が見えてくるはずだ。そこから議論が始まる。

これが書かれてからすでに百年以上経つが、テレビなどで政治論争を見たり、われわれの日常の議論を振り返ってみるとき、まだまだ日本は本当に文明国かと疑われるときがある。



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『遥』石垣さだ子歌集選 その一


石垣さだ子 大正十年~平成八年 三重県亀山市関町生まれ
歌集『遥』は昭和15年から平成7年までに創られた短歌集です。
まさに、昭和時代、特に大東亜戦争勃発から戦後というわが国始まって以来の大悲劇の時代を生きた世代の証言です。
じっくり味わっていただけたらと思います。

昭和十五年(さだ子二十歳)~昭和二十年(終戦)

〈結婚〉

東の空ほのぼのと朱に染め二千六百年の陽いま登る

従ひて行かんと決めて盃を受けしは四月五日小雨降る昼

〈夫の出征〉

万歳に送らるる夫の姿見送らずして涙に堪へる

白銀のまぶしきまでに輝ける朝に一人宮詣する

久々にお茶など立てて味はひぬ冬の夜長の楽しきつどひ

幾年月育てたるこ男子を真珠湾に散らせし母の心は如何に

征きまして夫の便りの絶えし間に桜花咲く春は来たれり

仕事せる手しばしやめぬコロンボを空襲すてふニュース入れば

わびしきは花の盛りのままにして重なり落ちしま白き椿

縁側につどひて語るこの夕べ暑きに悩む勇士もあるらむ

たまさかの鬢の匂も懐かしく友の島田を打あほぎ見ぬ

日本髪美しけれど嫁ぐ友は頭重しとくり返し云ふ

敵誇る母艦二隻をほふ屠りて凱歌は高し珊瑚海戦

夫の勤地味にしあれど尊けれ間接戦に相違なければ

再びも敵軍港に攻め入りし大和男子を見よや米英

南海の潮の香のする便来てふるふ手もどかしく封を切りたり

この日頃一時さへも惜しきかな花の盛は返らずと思へば

世の中の醜き事のみ思ほへていぶせかりけりいさかひし後は

去年の今天に昇りぬ兄弟と語りし庭に風吹き渡る

晴れの秋不動瀧に友と来て語らひつせる昼餉楽しき

海軍移動ありと聞きたるこの夕落ち着きかねつ夫を思ひて

死をもかへり見なくて征く夫は我ゆく先を案じ給へり

我なくも安くすごせとのたまへる夫の願を思へば泣かゆ

我もしも鳥にしあれば夫と共遠き南に行きにしものを

幾度か死闘のり越へ帰り来て再び南に夫は行きます

夫の香の移れる衣なつかしみ抱けば冷たき春の夜豊けし

泣きぬれて見やりし庭に山茶花の花は散りゐぬ春深むらし

ほのかにも文書く窓辺に匂ひ来ぬ征きにし夫のめでし沈丁花

よき人をしのばせる如清らかに沈丁花のはな匂ひ咲きけり

待ちわびし桜は半ば咲きけるに梢をわたる風の冷たき

風吹けばうすくれなゐの花びらは道行く吾の肩に落来ぬ

行く春にせんすべもなく紅の花はハラハラ涙落すか

桜あり桃あり何か楽しけれ春の夕に日参するは

師の君の姿懐かしみ見送れば木々の間より手を振給ふ

見上ぐれバ万葉の花咲乱る梢に近くおぼろ月出ず

誰が為にとぐ白粉とわびしけれ朝な朝なに鏡に問へど

征きし夫の好み給へる曲なれば思出リズムに乗り来て愛し

衣縫ふと窓開けはなてば満ちてくる若葉の色に染まるが如し



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幸田露伴

幸田露伴著『五重塔』(明治二十四年)を読んだ。
 これはまた噂どおり凄い傑作だ。しかも、作者二十五歳の時の作とは。天才だな。文体が歌舞伎調で、場面が次々に目に浮かんでくる。西鶴や近松浄瑠璃で育ったんだろう。文章は切れ目なく、途中で主語が替わっていてもおかまいなく続いていて、すべてが明瞭。余分な説明がないのが気持ちよい。
 主人公十兵衛は大工仕事一途の朴訥者で、棟梁にしばしば仕事をもらっているが、あまりに丁寧でゆっくりしているため、仲間からは「のつそり」とあだ名されている。「のつそり」は一見清貧の善人みたいであるが、あまりに仕事一途で、その融通が利かぬこと、読んでいて腹が立ってくるほどだ。
もう一人の副主人公ともいうべき大工の棟梁源太は、もちろん社会的地位は上で金持ちである。彼の妻はここにほれ込んではいる。棟梁は実に気持ちのよい江戸っ子気質である。古きよき江戸の良識が支配している時代のあるとき、五重塔を造るよう源太に寺から依頼がある。そのことを耳に挟んだ十兵衛は、天の声を聞いたかの如く、その仕事を是非に己にと住職に頼みに行く。
十兵衛にとっても源太にとっても、金のためではない、一世一代のおのれの技術を世に示したいがゆえに、なんとしてもその仕事をしたい。住職は二人に、兄弟の譲り合いの寓話を話し、お互いに考えろという。
二人は悩みに悩んだ。十兵衛は身分も考えずこの仕事は己のものだと信じこんだ事が苦しさの元凶だとして、やはり源太に譲ろうと考えた。一方源太は公平に二人で協力して造ろうと十兵衛に提案をした。が、五重塔は一人の入魂の作でなければならぬ考える十兵衛は協力案を拒否し、すべて源太に譲ると言う。
源太も住職の寓話を聴いた手前、己の仕事になったとは言いにくい、そこは江戸っ子、きっぱり十兵衛に譲り、ついでにあらゆるノウハウを十兵衛に提供するとまで言う。ところが、十兵衛はそれも拒否し、己の仕事は一から十まで己がやるべきだと主張するところは、頑固一徹も異様である。源太はこれほどまでの親切をいとも簡単に袖にする十兵衛に激怒する。
結局住職は十兵衛に依頼することになるが、義侠心に富んだ源太は蔭で支える。出来上がった五重塔は暴風にも耐える立派な代物、そして住職は塔に二人の名を書き記した。
 幸田露伴っていう人は、金や名誉や家庭よりもたった一つの天職に打ち込む人を描きたかったのであろう。そうして評伝を読むと、露伴の天職とは、おそらく物書きではなかった、それは如何に生きるべきかの探求であったようだ。そのような人の残した作品をもっと読んでみたい。

                                                   

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キリスト教の伝播

何時だったか、だいぶん前、エホバの証人の信者さんと話していた時のこと。
小生が三位一体について尋ねたら、そんなの後の人が勝手に作り上げたものだ、だいたい教会はいい加減な解釈や儀式でいっぱいだ、けしからん、もはやキリストとは何の関係もない、と教会をさんざんけなしていた。

その言い分はわらんでもないが、キリストの教えを今に至るまで伝えてくれたのは、あの教会を作ってきた人たちの努力があったればこそではないか、お礼ぐらい言ったらいいものを、と小生は反論した。

それにしても、人間のすることには、どうしても正邪両面がある、そして両面を簡単には切り離せない。この世で生きるには、どうしても肉体が必要である。たしかに、もっとも苦しんでいる人たちや貧しい人たちのためのイエスの教えと立派な教会とは相容れない、とちょっと目には思われる。バチカンの壮大さは、イエスの言う「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と正反対のように感じる。

しかし、教会を通じて人々に教えを広めよう、苦しんでいる人たちを救おう、という気持ちが神父さんらにないわけではなかろう。どの程度職業化しているのか、神父さんによってまちまちであろうが、イエスの情熱の波動は二千年後の今に至るまで、彼らを通じて、減弱しつつあるかもしれないが、伝播している。もちろん中にはまったく酷い悪魔のような神父もいるであろうし、中世では多く居たと聞く。

それより、エホバの証人の表面的な言葉への原理主義的態度は、イエスが否定したあの厳格な律法主義にとても似ていると感じるのは小生だけではあるまい。



                                           

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世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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