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宇佐神宮と日本人

 たいていの神社はそうであろうが、宇佐神宮もご多分にもれず、いろいろな信仰勢力が混ざり合って、その祭神が創られてきたらしい。宇佐の地にもともと住んでいた宇佐氏が奉じる比売神信仰に渡来系の氏族辛嶋氏の新羅神信仰が習合して〈原八幡神信仰〉が生じ、そこへ大和から来た大神氏の奉じる応神天皇霊が習合して、今の宇佐信仰ができてきた、という(戸原氏説)。

 聖武天皇の奈良大仏造営に宇佐八幡神の託宣と協力があったこと、また和気清麻呂ー道鏡事件でも宇佐の託宣が強い力を持っていたことは、渡来系の有していた技術の優秀さを想像させる。
 われわれの祖先である昔の朝鮮渡来の人たちは日本のためによく力を尽くしたのだ。われわれも祖先を見習わなければ、そして今の在日朝鮮人たちもご先祖を見習って日本のために尽くしてください。
 そしてなんといっても、我が国は早くから神仏の折り合いをうまくつけてきた。そしてこの宇佐神宮こそ、その最初の根拠地であった。

             *

 2月13日鎮疫祭を見に行った。山伏姿の人たちが四方に矢を射り火渡りが始まる。幣越しの神事というのは、御幣のついた竹を神官たちが投げると、それを人々が取り合う、その迫力たるやすごい。人々は争って一年の健康を奪い合う。そして神楽だ。何番かやって、最後に、これぞ宇佐ならではなのだが、神官たちと共に僧侶たちが見守る中、主なる「陵王の舞」。
 これはスサノヲを祀った八坂神社(宇佐の境内にある)の前で行われるのだが、その横に、弥勒神宮寺の跡が広がっている。明治初年の神仏分離令によって消滅したという。斜面に礎石と思しき石ころが転がっている。神宮と寺の長きにわたる仲も無理やり裂かれ・・・
 そこで一句

 冷たさや 維新の夢の 風のあと

 宇佐神宮の正面のすぐ横に極楽寺というお寺がある。この境内の一隅に蔵のような建物があり、その中に弥勒菩薩が鎮座している。これは壊された神宮寺にあったものである。菩薩像の所々は剥がれ、胸の一部は壊れて穴があいている。痛々しい。ひでーことしやがる、と怒りと悲しみが湧き上がってきた。
 いくら徳川政権の庇護のもとで増長し堕落した僧侶らに対する反発が強かったとはいえ、寺を焼き払ったり仏像を壊したり、ここまですることはないではないか。
 しかし、この仏様の恬然と静かに坐して永遠を見つめているお姿を拝していると、われわれ小さな衆生に対する深い慈悲を感じられて、この救済の大きさはイエスの説く愛と違いがあるだろうか、仏教を受容したからこそむしろ日本人救われ、おおらかな性格を維持し続けることができたのではないかとさえ言いたくなる。そして日本にキリスト教が流行らないのは、すでに日本は島国で安泰であったのみならず、日本人が道徳的でありというより倫理的であり、あらためてキリスト教を必要としなかったからではないか。
しかし、こんなことを言うと本居大人に叱れれそうで苦しいけれども、神仏混淆というのは、それが千年も続けば伝統ともなり、西洋カトリック文明と同じく、さまざまな生活習慣に融け込んでいるのではないか、そしてわれわれはその中で育ってきているからには、それを否定すべくもないではないか。
 今までなじんできた文化は、自然に消えていけばそれはよい、がどうして急激に破壊する必要があるのか。
 だが明治維新というのは実に革命であった。知力の限りを尽くした先輩たちの周りには暴徒たちもいた。


   

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

鳩山首相の友愛精神

鳩山首相は、実際の仕事は他の大臣らにまかせ、自分は綺麗な言葉を発していればいいと考えているのだろうか。
ハトのような目をして、友愛精神だの、国民の幸福第一だの、文句の付けようのない美辞麗句を乱発している。(さすが大金持ちの息子だと、いやみの一つでも言いたくなる)

しかし、外交はそんなものではない。友愛と言っているばかりでは現実の切磋琢磨から取り残されていってしまう。国民の幸福という高級なことはさておいて、少なくとも福祉について考えたら、まず国を豊かにしなければならない。仕分けや国民から税金を取ることばかり考えないで、もっと外交力で対外的経済を有利に進めるべきである。政府は貿易摩擦が起きれば、矢面に立って打開していく心意気が何よりも大事だ。
現にいま、わが国の各産業界は政府の後ろ盾が乏しいために、いかに不利な戦いを強いられていることか。新聞を読むごとに心が痛む。

しかし、翻って思うに、鳩山首相の、現実に基づかない観念的な友愛、平和、幸福、平等などは、何も彼の専売特許ではない、多かれ少なかれ戦後日本の政治家のみならずわが国民全員の傾向だ。ただ、ついに鳩山首相に至って露骨に極端な姿となって顕在化したにすぎない。

民主政権が選挙で選ばれたということは表の姿で、日本民族がながらく選び取ってきた道なのだ。坂の上の雲に到達しそうになったと思ったところが、気がついたら坂の下の泥沼に入り込んでいたのだ。われわれがそれを望んだのだ。

かくなる上は滅んでしまえホトトギスと言いたくなる。われわれは戦争に負けたのではない。むしろ戦後の無思慮な風潮に負けたのだ。
われわれは、とくに戦後になしたこと、そして民族の過去と未来について思い描いたことのいっさいを疑って、もう一度リカヴァリーして出直すべきだ。われわれ一人ひとりが今まで信じていたところのものを一旦消去し、今までの価値観を一度逆転してみなければいけない。それは一か八かの大手術を受けるようなものだ。失敗したら終わり。手術を受けなければ、そのまま沼の中で腐る。

しかし、新しい豊かな神話を蔵した日本が復活できる僅かな細い道が残されている、と小生は確信している。しかしその道を進むのかどうかは知らないが。


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テーマ : このままで、いいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

マインドコントロールの効用 10


 われわれはたえず己の心の意味の世界から、この世のサイン(道標)に向かって、意味の流れの修正を求めている。そのとき、あたかもこの世の物質的不連続の隙間に、われわれが補填をし、意味の流れを生じさせているようにもみえる。

 読書とは何か。文字という道標だけから意味の流れを生じさせることはできるであろうか。読書とは、読者の心が、文字という無意乾燥な不連続的物質の隙間に、伝導体を補填し意味が流れるように、たえざる努力をすることである。そのさい、それはあくまで自分流にやるので、作者の心の流れと一致しているかどうかわからない。しかし、読者の務めは、作者がこういった意味で言っているであろうと想定しつつ道標を解することである。
 したがって一つの道標ともう一つの道標との隙間が大きくなればなるほど、われわれはその隙間を埋める努力を要求される。日常の習慣的行為においては、われわれは特に努力をせずにそれを無意識にやっている。

心理学の実験であるように、真っ暗のスクリーンに明るい点を一瞬灯し、次の瞬間に別のところに同様の光点を灯す。すると、われわれは一つの光点が動いたように知覚する。これは文字通りわれわれが隙間を埋め意味の流れを生じさせたといえる。こんなのを錯覚(知覚のトリック)と呼ぶこともあるが、では正しく知覚するとはどういうことか。

 この世の中の動き。例えば電車が動いているのを見てわれわれは電車が動いている!と言う。確かにどう考えても電車は動いているはずである。しかし、おそらくわれわれの身体は、つまり生理解剖学的には、それをばらばらに分解して、例えばところどころの位置の電車に分解していて、再度われわれの心が隙間を埋め流れを作っている、そういう二度手間の作業を行っているに違いない。そういう習慣がついているからこそ、先ほどの二光点の実験の錯覚が起こりうるのではないだろうか。映画はそういうわれわれの知覚の習慣を利用している。

 手品師はきっとわれわれの知覚のメカニズムに精通しているにちがいない。しかし彼は解剖学者ではないし、そうあらねばならぬ必要はない。われわれの見ている景色が網膜上では逆さに映っているといっても、現実の視覚とは関係がないし、逆立ちをして「自分が地球を支えている」と主張しても現実感はない。ふだんわれわれは動いているものを動いているものとして正しく知覚している。生理解剖学的にどうあれ、そういう習慣的現実感をもって知覚している。


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テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

南京事件

先日、日中歴史共同研究の発表があったことを新聞で読んだ。もちろん中国側がどのようなことを言うか、研究する前から判っている。なぜならそれは中国共産党政府が発表するからだ。

どうして中国のような国と歴史の共同研究など思い立ったのであろうか。小生は不思議でならない。日本側に、狂気に立ち向かうが如き、ほよどの覚悟がなければこんなことは思い立てはしない。

そもそも外国との公正な歴史の共同研究などありはしない。歴史事実などはない。報告があるのみである。ましてや相手は中国である。言論弾圧と歴史の改ざんが日常の国である。こちらが一歩でも譲歩したら、その部分を百倍にして国内外に発表する。今回も、日本は日本軍の大虐殺を認めたと大喜びで喧伝している。

日本の研究者は、いくら〈研究〉とは言え、国益が絡んだ外国との歴史研究であることを弁えるべきである。中立な立場での研究発表などがあると思いこんでいるとしたら、よほどのお人よしである。

このままでは、だんだんと中国政府の罠にはまって、大虐殺という嘘が国際世論的真実になってしまう。それは現在の国益を損なうのみならず、五十年後、百年後のわれわれの子孫に大変な苦難を強いることになろう。小生はそれを憂う。福沢諭吉がいま生きていたら何と言うであろうか。
 
日本政府は、日本軍による一般人の組織的虐殺はなかったと堂々と主張すべきである。そして我彼の見解のあまりの違いを国際的にむしろアピールすべきだ。おりしもグーグルと中国政府との言論をめぐっての攻防があるときだ。中国の言論における醜態を世界に知らしめるよい機会と捉えるべきである。

それにしても明治維新以来、日本人の国際感覚の貧弱さはなかなか改善されない。むしろさらに劣悪になってきているような気がする。日本人の性格が悪いように悪いように出てきていると思う。

政治とは真実が大手をふるってまかり通るところではない。もちろんどこかで真実とつながっているのであろうが、むしろこう言うべきだ、政治とは真実さえも利用するところである、と。

日露戦争のとき、日英同盟があるのでイギリスは日本の為を思って行動してくれる、と思い込んでいたとしたら、それはおめでたいかぎりである。日英同盟は、日露双方が弱って中国におけるイギリスの権益の優位を確保したいためにあったのだ。

誰が己の国益を損なってまでも他国のためを思って行動するか。もちろん文明国は、大抵少なくとも平和時なら約束を守であろう。そのほうが自国にとって有利であるからだ。

広島長崎の原爆投下を肯定する日本人はもう世界的に珍しい人種であるとしか考えられない。もちろんそういう日本を他国は大賛美するであろう。

日本人の外交政策や今の憲法をもっていることを考えると、いつも思い出すサラリーマン川柳がある。

  転勤地よいところだと皆がいう


 
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『ばらの騎士』雑感

METの昨秋公演の『Rosenkavalier』の映画を観ました。
人気があるだけあって、素敵ですね。これはR.シュトラウス本人が語っているように、モーツァルト的喜劇であって、一目瞭然『フィガロ』のパロディですね。主なる三人の関係は『フィガロ』の伯爵夫人とケルビーノと伯爵との関係ですね。

この作品は、十八世紀ウィーンの宮廷文化のオマージュだとも言われますが、むしろ小生には、同じことかもしれませんが、十九世のハプスブルグ家の夕映えに思われてなりません。概して小生はシュトラウスの音楽は〈あのハプスブルグ帝国〉の終焉といったイメージが付きまとうのです。その最たるものは一九四五年の『変容』(Metamorphosen)。戦後廃墟となった諸都市。これでもうあの栄光は永久になくなった。
そして新しい青春の時代が始まるであろう。が、そこには美が存在しない。美は追憶においてしか存在しない。
それが、シュトラウスの無調音楽の調性音楽への復帰(融合)とパラレルなことかもしれないと空想をたくましくします。

『ばらの騎士の』真の主人公というべき元帥夫人は、始まりから〈時が経つ〉という現実に危機を覚えている。若い愛人オクタヴィアンには未来があるばかりであって、時に関してはまったく無垢である。だから愛についてもまったく無垢である。が、元帥夫人は愛の不可能を知っている。それで、夫人は彼を若いゾフィーに譲る。
だから、うがった見方をすれば、元帥夫人はエゴを超えた真の愛に目覚める。とすれば、これから結ばれる若い二人はまた新たな人生という〈茶番劇〉を演じ続けることになる。目覚めたものは去っていかねばならない。

そして今度気がついたことは、気さくでざっくばらん、下品なことを臆せず口にするオックス男爵に対して元帥夫人は、貴族というもの言論についてのストイシズムを説く。そして男爵が登場しているときには、いつもワルツが鳴る。このことは意味深いのではなかろうか。
つまり、親愛なるウィーンの貴族たちよ、君たちはワルツやシャンパンに現を抜かしていつの間にか貴族としての矜持を失いつつある、だから君たちの時代は終わりつつあるのだよ。いやあの高貴な貴族の時代はとっくに終わっている、そして君たちも古びつつある、と。

ヨーロッパの歴史は、一方で終わりを告げ、他方で新しい、しかし今までと根本は変わらぬワルツを踊り続けるであろう。

要するにR.シュトラウスの音楽は、栄光のヨーロッパの夕映えの美しさを思わせる。


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世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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