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現憲法無効論

このこと何度も言うけれど・・・
 現在の日本国憲法は外国人の創作であり、〈日本国憲法〉の名に値せず、ゆえに日本人は一刻も早くこれを廃止し、日本人の意思による憲法を創るべきである。

 戦後六十年にして、ようやくマスコミも現憲法について触れることができるようになってきた。少し前までは、現憲法について論じることはタブーとされてきた。マスコミ界も進歩したものだと思っていたが、・・・・・やはり基本スタンスは変わっていない。
 というのは、マスコミが口にするのは、ほとんど憲法第九条がらみのことなのである。新聞を見ると、九条の改正の可否のアンケート調査である。あなたは九条を変えたほうがよいか変えないほうがよいか、と問うている。

 小生に言わせるとこれは巧妙なおとり捜査のようなものである。なぜなら、九条に賛成する人にせよ反対するにせよ、あなたはこの日本国憲法を当然のことと認めているのですという心理を有無を言わせず強制し、しかもそのことをあなたに忘れさせているからである。

 小生の知る範囲では、日本国憲法は明らかにアメリカによって、しかも大急ぎで創られたものだ。憲法制作過程について今後新たな資料が出てくるかもしれないが、資料はあくまで資料である。それより、あの時点では日本は完全にアメリカの占領下にあったという事実があって、これ以上の事実はない。

 日本人はお人よしというか、どうも世の中を甘く見すぎる傾向があると思えてならない。占領下ということがどのようなことか、よく考えてもらいたい。
 ある人は言う、あのときGHQは確かに憲法作成に強く関与したが、日本人も作成に参加し同意したのだから有効であると。小生はそれには驚愕する。

 例えを挙げよう。暴漢が女にピストルを突き付けホテルに入ってその女を犯した。後で、女は強姦されたと訴え出た。男は、一緒にホテルに行ったのだから、同意の上だと反論した。裁判官が男の言うことをよしとしたら、小生は驚愕する。
 あのとき、皇居の目の前に、つまり日本のど真ん中にアメリカ軍がでーんと居座り、銃を日本に突き付けていたのである。敗戦のショックで口をぽかーんとあけていた日本にである。この間、日本政府、知識人、マスコミ等は、完全に言論封殺されていた。言論、放送、出版の自由なんてありっこなかった。憲法作成に参加し同意したと? 思えば泣けてくるではないか。

 この言論封殺の6年半が過ぎ、そうしてあっという間に60年以上過ぎた。人の生涯と同じく、どれほど己の怠惰を後悔してもしようがないが、日本は自主性をなくしたまま、目的を持たずに漂っている。

 普天間移設問題に悩むだって? 笑っちゃうよ。60年の付けがきたんだよ。うんと悩むがいい。
 だから、小生は憲法第九条のごとき問題ではないと思う。軍隊を持つか持たぬかではない。今後世界がどのようになっていくのか、誰もわからぬではないか。問題はいかなる状況に陥っても、自分の生きる指針を自分が決断し決定するという、いわば民族の無意識的な自信である。

 憲法とは民族(国民)の生きる指針である。人が育っていく過程で、いくらいい指針でも、親や他人に与えられて育った人と、曲がりなりにも自分で決断していった人と、長い目で見て、その将来の自立性はおのづと異なってくるのではなかろうか。成長過程とは個人では10年20年、国家では100年200年という違いがあるが。
 みなさんはどう考えられる?

 

 

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草薙の剣 2

 『尾張國熱田太神宮縁記』に草薙剣盗難事件について載っています。

 天智天皇7年(668年)。新羅の僧道行がこの神剣を盗んで本国に持って帰ろうとした。祈るふりをしてこっそりと祠に入り剣を袈裟に包んで伊勢の国に逃げた。宿にいる間に、神剣は袈裟を抜け出て熱田の社に戻った。道行は再度盗んで袈裟に包んで、今度は摂津の国に逃げた。難波津より船で新羅に戻ろうとしたが、途中で気を失ってしまい、また難波津に漂着してしまった。
 この時、神剣がある人に乗り移って託宣して曰く「われは熱田の神体である。妖僧に欺かれて危うく新羅へ行ってしまうところだった。初めは7條の袈裟から脱出して社に戻ったが、次は9條の袈裟に包まれたので脱出できなかった。」
 このとき役人らは驚き怪しみ、犯人を探そうと東奔西走した。道行は考えた、この神剣を持っているところを見つかったら捕まってしまう、捨ててしまおうと。ところが、捨てようとしても、どうしても剣は身にひっついて離れず、ついに自首してしまい、結局処刑された。
 続いて、天武天皇の御代(686年)天皇が病になり、占ったところ、草薙の剣の祟りだという。そこで役人に勅して、剣を熱田神宮に戻した。(ということは、このとき宮中に留め置かれていたということになりますね)そして、それ以来7人の守備人を置き、彼らは税金を免除された。(つまり、この時以来、熱田神宮は神剣を祀る社として国家の管理下に置かれることになったということですね)。
(小生は、新羅と結びついた天武天皇の複雑な胸の内を想像してしまいます)

 このことはすべて、ミヤズヒメとタケイナダネの縁によるもの。ミヤズヒメは亡くなったのち、氷上姉子神社に鎮座されております。ここは元々ミヤズヒメの館があった大高の地です。そして海部氏(尾張氏)をもって神主となさしめました。イナダネは、火明命(ホアカリノミコト)の11代孫の乎止与(ヲトヨ)尾張国造の子供です。(井口y子氏作成系図より)

 そもそも、天照太御神(アマテラス)の孫、兄のアメノホアカリと弟のホノニニギとの系統ですが、兄の系統が尾張氏となり、弟の系統が天皇家となるのですね。『日本書紀』はもちろん天皇家を中心として書かれていますから、尾張家のほうはカット。しかしタケイナダネとミヤズヒメから天皇家との繋がりが深くなります。ミヤズヒメは姪たちを天皇の妃にさせます。また、甥たちは仁徳朝においては大臣として活躍しました、尾張国造(くにのみやつこ)から尾張連(むらじ)となるのでした。


   

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草薙の剣

草薙の剣は現在、名古屋市にある熱田神宮の御神体です。この由来についてちょいと調べてみました。

 ヤマタノオロチという言葉は日本で育った人ならば耳にしたことがあるでしょう。『古事記』『日本書紀』に出てきます。出雲地方に棲むオロチをやっつけたスサノヲ(ノミコト)は最後にオロチの尻尾のほうに刀を入れると、カチッといって刃が欠けます。不思議に思いそこを切り裂いてみると、中から剣が出てきたのです。それがこの草薙の剣なのです。(この物語は出雲神楽ではもう定番中の定番です)
 スサノヲは、是神剣也(これ神剣なり)ということで、天神(天上の神、おそらくアマテラス)に捧げました。

 次に天孫降臨のとき、つまり天上の神々(大和政権)が出雲地方のオオクニヌシを平らげて、この地にニニギノミコトという代理人を送るのですが、三種の神器の一つとして草薙の剣を持たせたのです。これ以後、天皇家が宮中で所持することとなったのです。
 ところが、崇神天皇の御代、トヨスキイリヒメをして、剣(と鏡)を外に祀らせ、それをしかるべきところに置くこととなりました。そのしかるべき場所とはアマテラスが御鎮座する場所です。トヨスキイリヒメにその役目をバトンタッチした倭姫命(ヤマトヒメ)が、大和→伊賀→近江→美濃→尾張と経巡って、終に伊勢の地に落ち着き、ここでヤマトヒメは剣を守っていました。ここにアマテラスを祀る伊勢神宮を創りました。
 
 さて、景行天皇の御代、ヤマトタケルが熊襲(九州)征伐に引き続いて東(関東以北)征伐に行かされます。タケルが遠征に出発するとき、叔母さんにあたるヤマトヒメに挨拶するため伊勢に寄ります。そのとき叔母さんは、気をつけて行きなさいと言って、草薙の剣(と火打ち石の入った袋)を持たせる。

 ヤマトタケル軍の副将軍として建稲種(タケイナダネ)という男がいました。タケイナダネは尾張の人、今の名古屋市大高に居を構えていましたが、ミヤズヒメという妹がいました。東征する途中、タケルはタケイナダネの館に寄ります。そうしてミヤズヒメと結婚します。タケイナダネは自分の妹を天皇家の男に娶せたいと考えたのでしょうし、タケルも尾張の強い豪族を味方にするのが得策と考えたのでしょう。
 ヤマトタケルは、苦難の東征から帰ってきて、いったん尾張のミヤズヒメのところに留まります。しかし、ミヤズヒメのお兄さんであるタケイナダネは帰途、海におぼれて事故死したのでした。ヤマトタケルはとてもこたえました。
 
 さて、タケルは次に伊吹山(滋賀県)の敵に向かうのですが、そのとき草薙の剣をミヤズヒメの部屋に置いたまま行くのですが、それが敗因となるのです。伊吹山の神により病気になると表現されていますが、大きな傷を負ったのでしょう。ふらふらになり、伊吹山から今の三重県の桑名から亀山に至る途中で死んでしまいます。ここを経由して、大和に帰ろうとしたと思われます。

 『古事記』には、ここで望郷の歌がのっています。
 伊勢湾を隔てて、愛するミヤズヒメが居る尾張を、ここ(尾津)から遥々見て、
 「尾張に 直に向へる 尾津の崎なる 一つ松・・・」
 
それから有名な
 「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる 倭し美(うるは)し」

最後に、やはりミヤズヒメと剣を歌って息絶えます。
 「嬢子(をとめ)の 床の辺に 我が置きし つるぎの太刀 その太刀 はや」

ミヤズヒメはタケルの形見の霊剣を大事に守っていましたが、歳を取ってきて、今後この剣をいかにして守ろうかと思案し衆議にかけました。
『尾張國熱田太神宮縁記』には、「衆議これを感じて、その社の地を定めた。そこには一本の楓の大木があって、それが自然発火し水田の中に倒れ、炎の勢いは強く水田が熱くなった。これを名付けて、熱田神宮となった。」とあります。
したがって、このとき以来、草薙の剣は熱田神宮に祀られているのです。 


   

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連歌の始まり

 連歌の初出は『万葉集』巻八の1635の歌と言われる。
 「尼、頭句を作り、併せて大伴宿禰家持、尼に誂へられて、末句等を継ぎて和ふる歌一首
  
  佐保川の 水を堰き上げて植ゑし田を 尼作る   
  刈れる初飯は ひとりなるべし 家持継ぐ 」
 
 植えられた稲は尼の娘と思われる。おおかた沈鬱な歌を詠んだ家持にしては、なかなかウィッティな下の句ですね。

 しかし、もう少し古い歌で連歌があります。それは『古事記』の景行天皇の巻にある倭建命(ヤマトタケルノミコト)の東征からの帰り道に詠うところ、
 「即ちその国より越えて甲斐に出て、酒折宮に坐しましける時、歌ひたまはく、
   新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる   とうたひたまひき。ここにその御火焼(みひたき)の老人、御歌に続きて歌ひて曰はく、
   日日並べて 夜には九夜 日には十日を  とうたひき。」

 (常陸の新治や筑波を過ぎてから、今までもう何日くらい経ったのであろうか・・・・・日に日を重ねて、夜は九日、日では十日経ちました)

 全く同じ歌が『日本書紀』の景行紀にもあります。しかし、これは四七七(五七七)の片歌が二つ並んで、旋頭歌となっていますが、この歌を室町時代の連歌師が連歌の始まりとみなしたことが、連歌を「筑波の道」と呼んだ由来となったそうです。


  

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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術

『親鸞』古田武彦著

 久しぶりに心躍る本を読んだ。綿密な考証学的研究の報告と何よりも親鸞の言葉の真意を自己の問題としてどこまでも追及する姿勢にぐいぐい引っ張られた。
 この姿勢はもちろん著者である古田氏のもともと持っておられた特性でもあろうが、それよりもむしろ親鸞によって誘引されたものだ。そのことは、親鸞に起こったことを著者が述べている次の下りと同じことが著者に起こったためである。
 「夜が明けて太陽が出るのではない。太陽が出て夜が明けたのだ。〈信仰〉と〈地獄〉の関係もそうだ。〈地獄行きの身〉だとわかっていたから、法然にたよったのではない。法然に会ったから自己がそのように見えはじめた。」
 つまり、親鸞に出会ったから著者は自己に向かったのだ。

 親鸞の有名な言葉がある。そのひとつに「一人の弟子ももたずさうらふ」がある。彼は他人に教えるただ一つの言葉もなかったのであろうし、教える場所も持たなかった。およそ寺というものと無縁の人だ。あの巨大な東西本願寺は親鸞の生き方と無縁であるのは、ヴァチカンがイエスと無縁であるのと同じである。
 そう言えば、親鸞はイエスとよく似たところがある。
 「わたしは父母の死後の祈りのために念仏したことは一度もない」と言い切る。生きとし生けるものはみな同じではないか。
 ・・・現代住宅にしては大きすぎる曾祖父の時代から伝わる仏壇を邪魔だと思いながらも廃棄することができず、父母の命日などに限って拝んだりする小生の小ささと情緒的無思慮を思う。

 彼の「弥陀信仰」は絶対である。己には必ず善ならぬところがあって、自立はできない、だからこそ他力によって救われなければならぬ。そのためには「ただ念仏すること」。念仏とはどんな意味があるのか?そんなこと知らないね、となる。この意味のない念仏を唱えることの深い意味を親鸞は法然から悟った。だから、また有名な「たとひ法然聖人に騙されて念仏して地獄に落ちたとしてもさらに後悔すべからずさうらふ」となる。
 これは「たとえイエスが真理の外にあったとしても私はイエスと一緒にいたい」というドストエフスキーの一句を思い起こさせる。およそ、理屈でも心情でもない信仰というものの不思議な領域が人間の心のどこかにかならずある。
               *

 古田氏は親鸞の世の常識や体制にとらわれぬ態度を高く評価するが、親鸞がどうにもならぬものとして悪戦苦闘したのは、結局どうにもならぬ己の心であった。弥陀信仰を除けば、彼は彼の一世代前の西行とよく似ていた人ではないだろうかと、つい空想したくなる。
 「見るも憂し いかにかすべき わがこころ
   かかる報いの 罪やあるべき」(西行)

 〈いかにかすべきわがこころ〉を、西行は和歌を創ることによって耐えた。親鸞は弥陀信仰による己の否定によって耐えた。


  

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テーマ : 宗教 - ジャンル : 学問・文化・芸術

ローマ帝国とキリスト教

 以前から疑問に思ってことであるが、ローマ帝国はキリスト教化したから長く生き延びたのであるか、あるいはキリスト教を国教とした時点で、あのローマは滅んだのであるか。

 歴史にイフはないとはいえ、われわれが国家をどのように考えるか、その考えようによってさまざまな解釈ができる。だからこそ歴史があると言える。歴史とはわれわれの思いである。歴史学がどんなに精緻を極めようとわれわれの思いから抜け出ることはできない。

 あの時代、たとえば皇帝ネロの時代に、かくも強烈な弾圧を受けながらも、なぜ多くの民衆はキリスト教信仰に向かったのであろうか。それは人々が信仰を生きるために必要としたとしか考えられない。
 いつの時代にも、新興宗教は秩序を破壊する恐れのあるものだとして、とくに体制側の人々には恐れられた。
 紀元64年のローマの大火災について「都ローマの火災の犯人はネロであると民衆は信じて疑わなかった。そこでネロはこのうわさをもみ消そうとして身代わりになるよう犯人をでっち上げた。・・・その犯人とは、日頃から忌まわしい行為で世の人から憎まれていたキリスト教徒と呼ばれる者たちである。・・・
 キリスト教徒は放火罪というよりかはむしろ人類敵視の罪として処罰された。彼らはなぶりものにされた。野獣の毛皮を被され、犬にかみ裂かれるといったように・・・。」 タキトゥス『年代記』109年

 パックスロマーナすなわち〈パンとサーカス〉に熱中していた一般民衆からキリスト教徒は体制破壊者の罪人として迫害されていた。そしてネロがサーカスにおいてキリスト者をいたぶるのはちょっと行き過ぎであると感じていた人がいた。

 このようなキリスト教徒迫害は、その後200年くらいは続いたらしい。トラヤヌス帝(98~117)の文書では、キリスト教徒はローマの神々に祈りを捧げず、皇帝をも崇めない者たちということで処刑した。しかし、キリスト教信仰を捨てたという者たちは許した。しかし、明らかに悪事を犯していないキリスト教徒を罰するのはいかが、と考える高官もいた。

 とにかくキリスト教信者は増え、ついにコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認したのは313年。当時進軍中の皇帝の目に、天高く光り輝く十字架を見て勝利を確信したという逸話が残っている。そして信仰の自由を保障した。
 そして、テオドシウス帝はキリスト教(ローマカトリック)を国教化し、ギリシャ・ローマの多神教を禁止する(395年)。

 しかし、従来の多神教勢力がそれでなくなったわけでもない。西ゴートによるローマ市略奪(410年)において、マルケリウスという人はアウグスティヌスへの手紙の中で、キリスト教の「右の頬を叩かれたら左の頬を出せ」とか「奪いにくる者にはさらにマントを与えよ」とかいう教えは国家を指導するには不適である、と訴えている。
 その論に対して、アウグスティヌスは書く、キリスト教のおかげで、神聖な場所では残酷な蛮族も戦争の習慣に反してあえて殺傷を控えた。ローマ人は、キリスト教の時代であることを神に感謝すべきである云々、と。

 それにしても、日本とは全く異なるヨーロッパの歴史の端緒がこのローマの時代にうかがわれる。そしてキリスト教を取り入れた、というかキリスト教に侵略されたというか、とにかくあの栄光のローマ帝国はいつまでをもってローマ帝国と言うのか、その宗教的伝統を引き継いだのはビザンツなのか、メロヴィング朝なのか。宗教と国家の力学的関係。人間という生き物が宗教や伝統を重んずること、および国家という最高権力によって守られなければならないということ。
 今なおヨーロッパはローマ帝国を引き継いでいるとも考えられる。

 (今日の西洋史の勉強をはり)
 


  

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

マインドコントロールの効用 12

 しかし「人はみな独創的である」と言えるためには、そこに共通の基盤がなければならない。全くてんでばらばらであるならば独創すらない。そしてこの世で共通の基盤を保証するものは言語による会話ではなかろうか。 
 人間にとっての社会生活というのは広い意味で言語を話すということである。そこには単純なサインとしての言語から高度に豊富な意味を蔵したシンボリックな言語まである。さらに一つの言語はその使用される文脈によっても広がりを変える。この言語の性質を上手く利用する職人が文筆家である。

 人はなぜかおしゃべりが好きだ。己の経験を他人に伝えることが何よりも楽しい、といった生き物に見える。そこには単純に表せるような経験もあるし、委細を尽くしてもなお表現できない経験もある。そういった経験の違いは、端的に経験する精神の違いである。われわれは誰もが多かれ少なかれ深い精神という井戸である。

 日常の会話においては浅い部分だけで事足りる。そうしてそのほうが楽である。深い部分に触れるにはどうしても努力が要る。暗闇の中を手探りで進むようなものだ。集中してゆっくり進まねばならない。そこには出来合いの有力な道具がない。しかしわれわれの周囲には惑わしに満ちた道具が転がっていて、われわれを誘惑している。それこそ一見意味ありげな使い古された言葉(概念)である。これを使えば一見ことが速く運びそうに見える。が、これこそ危険である。これに頼ってしまっては真の水脈を見失ってしまう。見失わないためには、人は道具を吟味し、その内容を変え、あるいは己で新しい道具を発明しなければならない。これがいわゆる思想家などといわれる人たちに課せられた仕事であろう。われわれはその足跡を追っていくだけで精一杯であるが、しかし、いかに見慣れないものであっても、その道具は道具である以上、全く意味不明の記号ではなく手がかりはある。その手がかりを失わずに、思想家の井戸を降りて行き、彼の見つけた新しい水脈を見ることができる。

 われわれもみな独創的であるはずなのに、そうでないように見えるのは、われわれは己独自の道具を持たないからだ。つい出来合いの便利な道具を使ってしまう。

 


なんか訳の解らんことを一人で書いているな~
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鳩山首相

つひに行く 道とはかねて 聞きしかど
   きのふけふとは 思はざりしを(業平)

 鳩山総理は戦後日本の総決算という感じを受ける。

 平和、友愛などと美辞麗句を、何事かにつけ口にし、決して決断しない。悪を犯す勇気の欠如とそれを隠ぺいするためにのみ働く理性。戦後、豊かになった日本経済の象徴。金持ち喧嘩せず。衣食足って礼節を知る。戦後日本の名家のお坊ちゃまとは、その礼節の行き着くところの慇懃無礼の極致。見事なり戦後の日本文化。

 われわれが戦後選んだ道は、このような道だった。六年半に及ぶ米国の占領支配。マッカーサーの深謀遠慮。彼は、憲法、皇室典範、教育基本法などを変えてしまえば百年後には日本は滅びることを知悉していたが、まさか本当に日本人がこれをいつまでもよしとしているとは思わなかった。

 だが、しかし日本人は、あの時それほど飢えていたのであろうか、ついに伝統・文化を取り戻そうとせず、動物のように食べることのみに生きがいを見出してしまった。もちろん精神たることを忘れずにいた人も居たには居たがあまりに少数であった。

 そうして、あの日本の分水嶺、昭和四五年がやってきた。この時ついに日本人は〈昭和二〇年八月一五日〉を忘れる振りをしようと決めたのだ。われわれの父母たち、祖父母たちのあの心を忘れることに決めたのだ。あのとき日本は、いまのどこかの国のように、髪を振り乱して稼ぐことに狂奔し続けることを選んだのだ。

 昭和時代、それはまだよかった。滅びる美しさがあった。しかし、平成の世になって、日本は滅ぶことさえしない、ステンレスのようにニュートラルな、ひょうたん島のようにぷかぷか海に浮かんで、いったいどこへ行くのやら、風と海流に流される続ける。

 日本国憲法、あの文章のどこがいい。前文はひどい。原文である英語を読んでみるがいい。We the Jananese people で始まる文章。あまりにあほらしい文章なので一度覚えておこうとしたが、もう忘れてしまった。それよりも、翻訳のあまりの拙さには恐れさえ抱く。もし小生が英語教師だったら、まず日本の生徒に、悪翻訳の典型例として利用することだろう。

 何にせよ、日本の過去の文化をおろそかにしてきたことの付けは大きい。それは、経済や学力や運動力が落ちてきたということのみではない。日本人がとても閉鎖的になってきているような気がする。それは外国に対してのみならず自国に対しても閉鎖的、つまり一方でナショナリズムの高まりがあるが、それはとても観念的で自国の文化に対しても閉鎖的であるように見える。つまり平たく言えば、日本文化のいいところなどと口先だけで言う傾向にありはしないか、だから外国のいいところも見えなくなっているのではないか。もっと、われわれの生き方そものもの変更が必要な気がする。

 何か絶望感が漂う。今朝はどうもいかん。投げやりな気分になっている。



救いの手を差し伸べてくれる人は↓

   

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トヨタいじめ?

 いま「世界のトヨタ」がアメリカでバッシングを受けている。トヨタの車に事故につながるような欠陥が見つかり、それに対してトヨタの対応が遅かったという。知人らがそのことに関して、あれはアメリカのトヨタいじめだ、沖縄米軍基地問題解決遅延にたいする報復ではないか、というような意見であった。

 正直のところ小生はよく解らない。が一つ言えることは、トヨタは悪かった点があれば、それを謝り早急に解決し、しかし理不尽な論難に対しては、正々堂々と論陣を張るべきだ。
 小生がそう言ったところ、知人の一人は、こちらが正しくともアメリカ政府には負ける、と言う。日本政府がトヨタを応援しても、もちろん負けるであろう。最終的には政治力=軍事力だからだ。

 しかし、論争を避けてはいけないと思う。政治力では負けても、あくまで論理で負けてはならない。少なくとも日本のジャーナリストは堂々と海外メディアに打ってでなければならないと思う。論理の勝ち負けと親交とは別事だ。負けるからといって、議論を避け事業を縮小しますから事を穏便にお願いしますとなると、日本は今までの日本から脱皮できない。
 今までの日本とは、外交下手な日本。曖昧な日本。いい加減な日本。お人よしの日本。自分の気質が穏やかで一番いいと思い込んでいる日本。そのくせ、内心ではいじいじしていて、万一戦争にでもなったら合理的な解決ができず、やけくそでめちゃくちゃやってしまう日本。



しかし、そのような日本を小生は限りなく愛する

   

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マインドコントロールの効用 11

 結局われわれの住んでいる真の場所は意味の世界、観念の世界である。じつに初めから、あるいは生まれた時からそうである。しかし、われわれは意味や観念の素材を自分で創りだすことはできない。必ず経験から得る。経験するとはどういうことであろうか。
 ロックは、われわれの心は生まれた時は何に
も書かれていないホワイトボードであり、この世で生きる経験がそこに書き加えられていくというようなことを言ったが、社会学者としての観点で言うならそれでよかろう。しかし哲学者としてはずいぶん大雑把な言い方だ。われわれは受動的なホワイトボードではない。能動的な主体であり、個人的で独創的だ。〈経験〉と一言で言っても、じつは誰にでも共通の〈経験〉なるものはない。物理的・社会的に同じような状況にあっても、人により時により、異質な経験をしているのである。同じ経験とはいっても一回目と二回目とでは違う。

 人はみな他の生き物同様生命力だ。この世にある素材を食って成長している。そして生命力のそれぞれが生まれながらにして、独特の傾向を有している。それは脳を含めた身体、それを決定している遺伝子によるというが、そのメカニズムを今考える必要ない。とにかく人はそれぞれ生まれもった資質に応じて知覚し、感情をもち、行為する。すなわち経験をする。始めから共通のホワイトボードであることはない。むしろ能動的に取捨選択をするフィルターをもつ機械のようなものである。いや、そういった力そのもの、前進する力そのもののように感じる。植物が地中の様々な物質から己の成長に必要な成分だけを選択して吸収しているように、人はそれぞれの資質に従ってこの世にある素材から何かを得る。そうしてその取捨選択によって形作られたその個人の人格は、ちょうど一幅の絵画のような一つの作品と言えるのではないだろうか。しかし人はそこで日々新たな経験をしている。つまりたえず変容し続けている。そういう意味では止むことのない音楽のようなものと言ったほうがいいか。


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うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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