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天皇と自由

 われわれ日本人にとって天皇は特別な存在だ。しかし、神の前での天皇とわれわれとは大同小異である。天皇が神の子孫であるならば、われわれだってそうである。

 また、こうも考えた。

 天皇家に生まれたならば、われわれのように自由なことができず、さぞかし窮屈な人生を送らねばならいない、と思うかもれないが、翻ってわれわれの人生も決して自由なものではない。

 われわれも、生まれた環境はみな違う。親や兄弟が狂気じみた人である場合もあるだろうし、おっとりした人である場合もあるだろう。普通の家に(ああ、普通というものがあったら!)生まれた人もいるだろう。
 金満家の家に生まれた人もいるだろうし、赤貧の家に生まれた人もいるだろう。容姿端麗あるいは不細工を、IQ160をあるいは60を与えられたかもしれない。みんなそれぞれ与えられた条件は、まったく異なる。

 さらに空想をたくましくすれば、われわれは日本語だけを話す両親のもとで育つしかなかった。5カ国語を話せる人はいるかもしれないが、どんなに頑張っても50カ国語を話せる人はいない。ましてや宇宙語を話せる人はいない。宇宙には棲めない。この地球の酸素濃度と重力に適応しなければ生きていけない。・・・

 言いたいことは、われわれは自由でないということだ。みなそれぞれ生まれた時から、strictな条件下で生きねばならいない。

 この観点から言うと、天皇家に生まれようが、佐藤さんちに生まれようが、大差ない。

 ということは、自由とは、~からの自由ではなく、与えられた条件下で如何に工夫して生きるかの自由でなくてはならない。

 もちろん、今の条件から逃れる、例えば家出をする、とうのも一つの選択肢であはるが、それすなわち一工夫であって、そうなるとまた別の条件に置かれることになる。そこでまた工夫して生きなければならない。

 まあこんなことは、だれでも日々感じ実践していることにちがいない。いまさらあらためて書くことでもなかった。
(ぺこり)

自明なこととお感じかもしれませんが
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テーマ : 思うこと - ジャンル : 学問・文化・芸術

御一新と天皇

 大革命とはいえ、明治維新はスムースに行われたという。いろいろな理由が考えられる。一番よく耳にするのが、日本は江戸時代すでに、例えば高い識字率に表われているように、高度な文化を有していたこと。それからまあ、佐幕派と倒幕派には大きな共通の敵(目標)があったこと。そしてやはり天皇の存在があったからではないのかな、つまり〈大政奉還〉に始まった、ということをあらためて思う。

 徳川幕府は天皇から政治を委任されていたが、その政治が行き詰まってきたから、新しい政権に委任されるべきである。つまり、御一新は、露骨なたんなる世俗的な権力と権力との戦闘によるのではなく、いったん天皇に政権を奉還し、天皇の委任によって新しい政府が政治を担当する、というニュアンスを演出したことが大きいのではないかな。

 徳川時代は軍事政権国家である。そもそも徳川家康が軍事力で政権を獲得したのが始まりだ。とはいえ、形式的には家康は後陽成天皇から、源氏長者として征夷大将軍職を与えられたのであった。
 この制度は、官位官職制度とともに、古代律令制を踏襲するものであった。もちろん、禁中并公家諸法度というのかしらん、天皇(およびに公家)を京都御所に閉じ込め、そこから外に出すことも、他の大名が勝手に近づくことも厳しく禁じたけれど。

 幕府の、軍事力を背景にした、厳密な管理体制の下、江戸時代は長く安定した社会が続き、文化が栄えた。しかし、いわば徳川独裁体制であっても、その心のうちには、やはり政治を委任されているという意識が底流を流れていた。

 老中松平定信は、天明8年、(1788年)「御心得之箇条」において、「六十余州は禁廷より御預りしたもので、将軍職はそこを統治する仕事である」(wikipedia)と訴えている。これは、おそらく死者二百万人ともいわれる天明の大飢饉の対処について幕府の尻を叩く意味で、また批判をかわす意味で書かれたものではないだろうか。
 
 いくら強力な政権といえども、大危機が起こると、どこからか将軍職委任論が湧いてくる。これは、いまのわれわれの想像を超える深刻なことだったのではあるまいか。
その後では、ペリー来航。そしてやはり桜田門外の変である。大老が暗殺されるという事件が、すでに幕府の力が衰えていた、あるいは西欧列強との交渉は幕府の能力をはるかに超えた問題だった、ということを意味する。
 この事変以降、「幕府は朝廷から政治を委任されているのだ」ということが、家老、有力大名、公家らの意識の表面に上がってきたのではなかったろうか。
 そしてまもなく〈大政奉還〉は現実問題となる。
 
 徳川慶喜と倒幕派が議長の座を争うということは、権力の闘争である。しかし、新政府が取った方針は、とにかく、天皇親政―以後は天皇に政治権力を持たせること。そのことによって、このときの不安定を乗り越えようとした。そしてその言い分は、武家政権よりはるかに古い「神武創業に立ち返る」としたのであって、その形式は祭政一致を極めた。

 慶応四年三月十四日。京都御所紫宸殿内にて、まず西側にしつらえられた神座に、天上の神々を降ろすべく、神主がたぶん「オワー」と奇怪な叫び声をあげる。そして北側の御座から天皇が神座の前まで移動し、神々に誓い、祝詞を読み上げる「かけまくもかしこしアマツカミクニツカミ云々」引き続き〈五箇条の御誓文〉を読み上げ、そして署名。続いて東側の席に居並ぶ議定、諸大名、公家衆が署名。

 そして、この神の子孫である天皇を表舞台に出したのであったが、いずれこの天皇を西洋流の法理論体系にどのように納めるかの問題が生ずるだろう。明治の知恵の結晶が明治二十二年の大日本帝国憲法であった。

 法的に天皇の役割が規定されると、場合によっては天皇の責任なる問題が生じうる。はたして敗戦となって、いろいろ議論されてきた。まあ天皇機関説でいいのではないのかな、とも思うけれども、どのように決着がつけられたのであろう。
 あるいは小生なんか単純だから、天皇はわれわれ一般の人間とは異なるから、一般人について言われる例えば責任などという概念を天皇に適応できるか、そもそも現人神を法でさばけるかと思うが、そうなると独裁国家ではないかと反論される。なるほど尤もと思う。

 まあ法律のことを知らないからなんだけれど、とにかく日本独特の問題だな。こういう難しい問題を考え工夫していくのが日本人に課せられた使命なんだ。

         *

 それなのに、憲法なんかを外国人に創ってもらっててどうするの。しかし、考えようによっては、天皇は象徴という訳のわからん言葉でごまかされたのは、むしろ幸いしたのかもしれない。その神秘性とありがたさが現代的に表現されていて、人間宣言をされたにもかかわらず、なおいっそう当たり障りなく有り難く御存続されたとも考えられる。

 また、ついでにこういう逆説も考えてしまう。

 いっとき、「アメリカ合衆国日本州」なる言葉がよく言われたことがあった。考えようによってはなるほど、つまり、日本の伝統は今の日本人によっては守られないという危惧が強いゆえに、それなら、いっそのことアメリカに守ってもらう。安保条約のどうのこうの言ってないで、はっきり占領されていることを認め、「アメリカ合衆国日本州」と認めてしまえば、すっきりする。その場合、「日本州」は天皇をはじめ言語、風俗、習慣にいたる、非常に特異な伝統文化の地域であるがゆえに、アメリカは国家管理のもとこれを大切に保存する。ボストン美術館のように日本州全体が博物館的に永久保存されることとなり、観光客も増え、われわれは安心して従来の文化を生きられる。(笑)

 それにしても、日本人が〈日本〉を滅ぼす、とはどういうことか。変わったのは何か。

 そもそも日本人とは。
 それは、昔日の面影を追い求めるように、御先祖たちが夢見たものを、また己の夢としようとする人のことではあるまいか。


            
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

蛍を見る

 昨夜、近所のお寺で蛍を見た。このお寺は興正寺という大きなお寺で、境内の真中に五重塔がある。その奥に本堂がある。本堂の裏手から側面に沿って新しそうな溝がしつらえてあり、水が絶えずちょろちょろ流れている。背後は多少高くなっているものの、山はむろん丘と言えるほどのものもないから、おそらく水道で水を流しているのではないかと思われる。本堂の脇に池と言うには小さい水の澱みがあり、所々に菖蒲が植っている。

 これは季節限定での設えであろうか。というのは、二、三日前「観蛍会」なるものがあったというのを新聞で知ったからだ。その時は演奏会も催され大いに賑わったのであろうと思われる。どうせ予約がいっぱいで、急に行っても見れないに決まっているから行く気がしなかった。しかし、蛍はすぐいなくなるわけでもあるまい、多少は残っているのではないかなと思い、行ってみた。

 境内には道に沿って小さな明りが灯され、五重塔はライトアップされていて、幻想的だった。目的の澱みの辺りは、暗い。近くの水縁はぼんやりと判るが、何メートルか向うはもう闇である。そして、誰も居ない。すぐ近くには水子供養塔があってちょっと不気味である。
 空気は生温かく、風もなく、しんとして、聞こえものは水が流れる音のみで、何か不思議な人工的な空間にいる感じである。暗闇にじっと目を凝らしていると、ところどころで黄緑色の光が、点滅したり、大きな楕円形の軌跡をゆっくりと描いている。ふと背後から迫ってくる光に気づく。振り向くと一瞬光の線がその辺をよぎる。
 
  さまざまに動く光につつまれて
    さながら無重力の中に居る 
 
  漆黒に 蛍の光 無限円

 昭和二十年、知覧から飛んで行った特攻兵士が予言通り死んで蛍になって帰ってきた話を思い出す。蛍を見た親しい人たちは涙を流し約束の歌を歌ったとか。

 ほんとうに蛍は死んだ人の霊魂のようだ。

  今はなき愛(かな)しき人のふいに来て
    あはれと思ふ小さき光

『夕顔』ふうに追加

  前(さき)の世の愛しき人か蛍火の
     ほのぼの見えてなつかしきかな




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科学者の言い分

 昨日テレビを見ていたら、はやぶさを宇宙に飛ばしたプロジェクトの科学者の話を聞く番組をやっていた。
 専門的な話はよく理解できないけれども面白かった。終わりの方で先端科学技術への予算の話が出て、司会者が「御金に困っている人が沢山いるのに、宇宙開発へ沢山の予算を投じるのはいかがなものかという意見があるが、そのことに就いてどう思うか」というような質問をした。

 科学者答えて曰く「こういった先端科学技術が成功を収めれば、国民はこの国は素晴らしい国だと喜び、自信と希望をもつことができる。夢、やる気、それこそ何よりの大事なことだ。」また、その隣に座っていた天文学者曰く「国会議員の中には、一番でなくていい、二番ではいけないの、という人がいるが、一番になりたい(他の誰もやってないことをしたい)という強い思いがあったからこそ出来たのだ、云々。」

 なるほどそうだと思いながら聞いた。子供手当を与えるより、夢を与える方が、子供は生き生きとするだろうし、将来の投資という意味でもよいに決まっている。

 食べていけないというほどの人はともかくとして、何とかやっていける人たちにお金恵んで、子どもを容易に学校に行かせて、どうするつもり。さらなる巧妙な儲け人にしたのいのか。もちろんそれも一つの生き方ではある。
 
 社会派の議員さんは、すべての人に充分なパンを、と言う。それは人を動物なみに考えてはいないか。のみならず、明らかに自己欺瞞である。なぜなら、かの議員さんはすべての人に充分なパンをという理想と情熱が己の生きがいであることを自他に隠しているからだ。

 本当は人は夢を生きる。だが、と社会派はロバのような顔をして言う、そのためにはとにかく生きねばならぬと。

とにかく、とにかく、とにかく、・・・・人によってかくも〈生きる〉ということの意味が異なることに小生は今さらながら驚く。そして、この生きることの意味の広がりから人間という生物の不思議さを思う。  


 
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テーマ : 政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル : 政治・経済

はやぶさ君

 先日、日本の小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還した。はやぶさは、「いとかわ」という直径500メートル余りの非常に小さな惑星(岩石?)に接着し、その砂のごく僅かを採取してきたという。さまざまな故障があったらしく、一時は地球との連絡も途絶え、瀕死の重傷を負いながら宇宙空間をさまよい、予定より三年も遅れて、なんと七年ぶりに、地球に帰還したのだった。
 はやぶさは、大気圏に突入後、間もなく燃え尽き、肝心要の「いとかわ」の砂入りのカプセルを地上に見事送り届けた。
 この快挙に日本中が湧きたった。いくつかの世界初の画期的な技術が成功を導いたのだという。そして、はやぶさに対する人々の共感についての新聞の記事が目をひいた。
 
「ネットには、はやぶさを人や動物に見立てた漫画をはじめ、応援歌や実物大模型などを勝手に作り、ゴール間近の旅路に声援を送る人であふれている。山川草木だけでなく機械にも人格を見いだし、愛着を抱く。大量生産、大量廃棄とは異なるモノとの対し方がここにも垣間見える」(日経6月13日)

 小生がここに感じたのは、そもそも生命とは何ぞや、という疑問である。

 はやぶさは、その構造がいかに複雑であろうとも機械である。いかに自動修復できるよう設計されているとしても機械である。機械とは物質の組み合わせである。それは生命ではない。しかし、人はその機械の快挙(!)に、拍手を送り、あまつさえその苦労(!)に涙する。そのとき人はそれを生命と見做してはいないだろうか。

 では、生命とはなにか。生き物は生命であるとはだれもが言うが、科学者が細菌の遺伝子を調べている時、それを生命と見做しているか。ただ塩基コードの配列と見ているのではないか。脳科学者がヒトの脳を調べている時、それは血流だのシナプスの伝達の具合など、要するにまさに脳神経を調べているのはないか。それは機械の構造を調べるのと寸分の違いがない。

 ただ、両者の違いをあえて言えば、その機械は人間が創ったか自然が創ったかの違いである。人間が創ったものは、今のところ、人間がプログラムしたものしか出てこないが、自然が創ったものは、今のところ、未知なる部分が圧倒的に多い。

 で、いちおう〈生命〉とは自然が創った機械である、と言えそうである。ところが、もしその機械のメカニズムがかなり解明されたとしよう。つまり、細菌の生死や変異はこういうものか、ヒトの脳の局所の働きはこういうものか、ということが〈解った〉とわれわれが思ったとしよう。と、その時にはわれわれが創ったロボットすなわち精巧な機械と区別することはできない。
 
 ところで、他の生き物は知らず、人間は物質機械に働きかける知性のほかに感情という機能がある。それは他人にたいする愛憎―愛憎による判断力である。その対象はヒトのみならず、他の〈生き物〉に対しても、何に対しても起こりうる。今回のはやぶさに対する人々の愛着、応援、また自己修復の努力とか満身創痍とかの言葉を使ってしまうのは、感情的にはそれを生き物と見做している。ということは、この場合、〈生命〉とは人が愛したり憎んだりする対象である。

 だから、生命というのは何によって決めるのか、という問題がある。

ところで、知性という機能はどういうものか。それは、〈もの〉を知るのに相応しい機能であろうか。どうもそれはちょっと違うような気がする。

 知性は〈もの〉を解剖し、それを諸部分に別け、その働きを見出す。しかし、それはいわば隠された自然の線に沿って解剖するであろうか。それはむしろ知性の線の沿って解剖しているのではないか。それは、ものの〈探究〉というよりもわれわれの〈役に立つ〉ということを絶えず念頭において進めるやり方ではないか。

 科学の発端はともかく、今やその方法は露骨である。あらゆる〈もの〉が、いわば方眼紙のような幾何空間に並べられ、どこまでも細分されうるし、自由自在に統合される。その目標には生活の便利と書かれている。

 ついでに言えば、この科学的方法は、もちろん初めはたまたま西欧で発達したものだが、いまや世界中どこででも、日本でも中国でもアフリカでも使用でき応用できることは見ての通りで、科学主義が西欧の固有のものではない。それは、人間の普遍的な知性のゆえに、教われば誰でも気づき、人間の居る所ならどこでもある。さらについでに言えば、早く発達した西欧ではまた科学的方法論の人間の生における、その領分と有効性についての哲学的反省も早く芽生えた。

 ところが、数学の発達と科学実験を行う装置の急激な発達は、われわれの従来の物質観を変えてきた。一昔前までは、物質といえば、どんなに小さなものでも、大きさがある、位置がある、などと思われてきた。ところが、量子力学は、電子なんてものは、そこら辺に確率的に存在する、と教える。超ひも理論というのかしら、ものは粒子ではなく振動ではないかと。
 まあ、こういった表現はいつもわれわれの認識の限界を指し示すのだろうが、こういった新しい科学の知見は、便利のためではなく、〈もの〉の実在に迫る探究ではないかという反論が予想される。

 しかしながら、〈もの〉とは何か? 科学は、平たく言えば、厳密に科学によってとらえられる現象だけをとらえている。つまり、それは〈もの〉そのものが、カント的にいえば、われわれの先天的な(たとえば時間・空間という)感性のフィルターを通して入ってきたものが、悟性というこれまた人間にもともと備わった方法によって解釈されているだけなのではないか。だからこそ科学的方法は万人にとって普遍的でありうる。
 だがしかし、人間にはそれとことなる全く異なる先天的機能もある。それによると〈もの〉そのものは、また違った様相を見せる。それが、例えば芸術であり、道徳なんて分野だ。
 なんか話が逸れていく・・・要するに、例えば物質とは何か? それは〈もの〉の、われわれの科学的アプローチに応ずる局面のことである。


自分の知っている世界と知らない世界の
区別がつけれればどんなにいいだろう。
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源氏物語玉の小櫛

 誰でも、うれしい、かなしい、びっくりした、不思議だ、などと感動した時、それを人に話したくなるであろう。それが物語の始まりである。
 他人に話したとて、それが何かの役に立つ訳ではないけれども、少なくとも話せば自分の心が晴れる。どうしたわけか人は深く感動したとき、そのことを自分の心の中に閉まってはおけないのだ。そしてそれを聞く人も感動する。
 しかし、物語は創りごとである。しかし物語を創る人は、でたらめに創るのではない、物語にことよせて、感動したことを語るのである。

 物語の中での〈よし〉〈あし〉は、この感動の深浅に一致する。源氏物語においては、作者は光源氏に圧倒的に〈よき事〉を集中させている。すなわち、心根、振る舞い、のみならず、社会的地位、容貌、いろいろな芸事など、あらゆることが、〈よい〉のである。そして、源氏は多くの女性に恋をする。それがまた〈よき事〉なのだ。なぜなら、人生でもっとも感動するのは恋の道においてなのだから。しかし、それは単に好色というものではない。感動するとは〈あはれ〉つまり〈もののあはれ〉を感じることであって、一時的な〈あだ事〉ではなく、いわば永続的に前向きなこころである。
 
 儒仏のいわゆる道徳などを考えることは、ここでは間違いである。仏教はこの世の欲望、恋心など〈もののあはれ〉を捨てよという。そして、源氏物語においても、多くの女性たちのみならず、源氏自身も出家、剃髪し世を捨てるなどを考えるが、そのことは作者式部がそれをよしと考えたのではなく、また物語にことよせて仏教教義を説かんとしたのでもさらさらなく、当時の人たちはみな仏の道を思ったり話したりした、その世相そのままの姿を描いたのであって、そのことがまたすなわち〈もののあはれ〉なのだ。

 源氏が、父桐壺帝の妃藤壺中宮と密通するなどはもってのほかの不義・大罪である。さらにその子が帝に就くというは、もう皇胤の撹乱であって、めちゃくちゃである。
それは道理にはずれているということは先刻承知の藤壺中宮という女性は最高の〈よき〉女性であり、二人の恋は〈もののあはれ〉が一段と深い。

物語における〈よし〉〈あし〉。あしき人の代表としてこの物語では、弘徽殿の女御を挙げている。この女御は、源氏の敵であり、源氏に対して意地悪いのである。〈よき〉人に対する敵は〈あしき〉人である。また、朧月夜の君も浮気であだなる人で、〈もものあはれ〉をあまりしらない〈あしき〉人のようだ。小生は結構好きだけど。

〈もののあはれ〉を読者に感じさせるのが物語の本質なのだ、と式部は言っていると宣長は言う。いったいこの式部という女性、夫を亡くし非常な学があったといわれる女性は、いかなる広い眼で人の世を観ていたのだろう。

 仏教道徳あるいはいまならキリスト教道徳は、いわば絶対的、超越的最高善を求めるであろう。それに照らして、行動したり思考するであろう。その線で行くと、物語の〈あはれ〉は倫理性の欠如だというかもしれない。が、宣長は言う、人が〈あはれ〉を知れは知るほど、「身ををさめ、家をも国をも治むべき道にも」通じると。人の親や子を思う気持ちをあはれと感ずれば、どうして不孝はでてくるか、民の苦労をあはれと感ずれば、どうして不仁が出てくるかと。

 宗教道徳を求めること、それすら世相、人の本性の一つであって、〈あはれ〉に吸収されるとしたら。
・・・・・・
 そして、この世は物語である。

 「世界は美的現象としてのみ是認できる」というニーチェの見果てぬ夢はこの物語においてすでに達成されている。



〈あはれ〉を肯定する人は↓↓
           

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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

万葉集編纂

 万葉集の大きな特徴は、もう何度も言われてきて今さらながらの感ではあるが、罪人の歌が載っていることである。有間皇子、大津皇子、長屋王、は罪人とは言え、時の権力者(皇太子、天皇、藤原氏)の陰謀によって殺されたのであるが、もし勅撰和歌集なら、どうして罪人の歌を載せるかと言われる。

しかも、この三人には罪がない、謀られたのだ、ということを、誰もが感じている。そのことが読む者は判るようになっている。長屋王は罪人として葬られず、死後十年にして名誉が回復されている。つまり政府、権力側の誤りであったことを認めている。
 こういった、権力側の失政をわざわざ残すであろうか。そこで万葉集編纂は初めは私的に(大伴家)なされたいたものであった、うんと後に時代が変わってから、それらが公的に発表されたという、例えば井沢元彦氏の意見がある。
  
 そういえば、編纂者と目される大伴家持も、最後は東北に転任させられ、死後!謀反人として官位を剥奪されて、つまり犯罪者の仲間にいれられている。万葉集中もっとも多くの歌が残っている家持がそのようであるならば、万葉集は初めおそらく大伴家の私家版としてあったが、公表されたのは、かなり後、権力者の諸事件に対する見方が変ってからである、それは『古今集』のかな序に「万葉集の歌が広まったのは、ならの御時」(真名序では「平城天子…令撰万葉集」)、これすなわち平安時代の始まりであるところの平城(へいぜい)天皇の御代ではないか、と井沢氏は主張する。(契沖以来の主なる学説では奈良時代ということになっているらしい)
 
 『古今集』序では〈歌聖〉である柿本人麻呂は三位という高位の人であったと書かれてはいるが、万葉集では六位以下の〈死〉をもって取り扱われているのは不審である。人麻呂の死についての歌が幾つか残っているが、これはまた謎に満ちていて、多くの研究者は、特に齋藤茂吉は人麻呂の死場所に生涯こだわった。折口信夫は個人としての人麻呂は存在しなかったのではないかとも。  

 梅原猛氏は、人麻呂はじつは比較的位の高い人(五位以上)であったが水死刑されたのだという説で一世を風靡した。梅原氏によって、『万葉集』は処刑された人たちのための鎮魂の書であるとされた。
 後の権力者が「犯罪者の私家版」(井沢氏)を発表することによって、その祟りを抑える、つまり鎮魂をしたのだ、という。

 なるほど、万葉集には挽歌が多く(特に巻二は)暗いトーンが流れている。そこには、たしかに古代日本人の感性、ケガレとかタタリとかいう、魂につながっているような雰囲気に満ちている。古代人は、われわれが今なお御彼岸やお盆に感じるようなものを、日常つよく感じて生きていたのではないのかな。

 それにしても、あれほどの詞華集を残したということは、まあいろいろな理由があるにせよ、時の権力者が天皇にとって代わらなかったという感覚と、どこかで繋がっているような気がしてならない。


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ツィメルマン演奏会

 先日、クリスティアン・ツィメルマンのピアノ演奏会に行った。小生の好きなショパン、それも二つの「ピアノソナタ」が組まれていたからだ。

 音楽会の楽しみは、大きく三つの点がある。一つは、生の音響が聴けること。もう一つは、よく知っている曲に新しい発見をすること。もう一つは、よく知らない曲を聴けること。
 今回の最大の期待は、よく知っている、しかも大好きな曲の新しい発見部分があるにちがいないことであった。
 最初の「ノクターン」はまあ、演奏家にとって指ならしであろう、聴衆にとっては耳ならし、ってところだ。

 それから、「ピアノソナタ二番」。以前から考えていたこの曲の特徴がはっきりした。すなわちこの曲は、小生にとってもっとも非芸術的なというか、おどろおどろしい実存的な音楽だ。それは二十歳にして戦火の祖国を離れるショパンのあの、胸を引き裂かれるような青春の不安から始まるからではない、また三楽章に葬送の音楽があるからでもない。むしろ同じ楽章内にそれと並行してあの美しい想い出のような音楽が子守唄であるからだ、と気づいたことが大きい。それは死と誕生の共存であり、終わりが始まりであり、また始まりが終わりである。それに気づかぬこの世の生である意識こそ実は嘘であるとするような感覚だ。

 そもそもの初めから鋭い、刺すような不安。その不安の逃走のテーマが、恐ろしくいびつな形で走馬灯のように駆け巡る奇怪な終楽章を、今回はじっくり逃さぬように聴き取ってやろうと身構えていた。今回は尻尾を捕まえた様な気がした。しかし、捕まえた途端に消えてしまった。それは、初めからなかったのかもしれない。捉えたと思ったのは、こちらのいわば現世的な夢であり、ショパンはそもそも死の向こう側でしか作曲してなかったのだ。
 
 そして、「スケルツォ二番」。あまりに美しい世界を垣間見ることができるこの曲を聴きながら、小生はむしろス「ケルツォ一番」のことをしきりに考えていた。「一番」のあの出だしの狂気のような唐突さは本当に狂気だ。狂気になること、それがあまりにも感受性の強い二十歳のショパンの出発点にあったのだ。祖国は滅んでしまい、自分も二度と祖国の地を踏むことがない予感はすでにあったのだ。「二番」も唐突だが、それはすぐ不安であることが明るみに出され、そしてそれがそのまま美になっている!

 ショパンのあの地中海の波間に午前の太陽が輝いているような美しさは、「ソナタ第三番」で最高度に発揮される。

 この最高に格調高い初めの楽章は、ツィメルマンは今までにない(小生の頭にない)アクセントの付け方と微妙なテンポのずれでもって、小生にとってまったく新しいイメージを展開した。それは初夏の明るい朝凪が、けだるい真夏の午後に変わったような感じである。なるほどこういう感覚も含まれていたのかと思った、と同時に、いやこの感覚は以前から知っていたと直ちに思った。なぜだろう。

 そして終楽章では、今までまったく気付かなかった新しい線がはっきりと聴き取れた。それはあたかも通奏低音のように絶えず低音部で流れるメロディである。ツィメルマンはこれを主張したかったのであろう。それはあたかも絶えず逃げようとする不安を、左手でしっかりと捉まえて音楽に引きとどめておこうとするようである。

 それから、最後に「舟歌」で聴衆を酔わす。われわれを遠くの国々にいざない、星星の夢を与え、そしていつしか夢は消え失せる。
 
 最後の拍手がやみ、溢れる感動を胸に会場を出て家路に就く時ほど、寂寥感を感じることはない。とても寂しく孤独な感情に苛まされる。誰かと話がしたい。話してもむなしいとは知りつつ、誰でもいいから音楽を共有した人と一緒にいたい、という気持ちがしきりだ。一人で地下鉄に乗る。暗い道を家まで自転車をこぐ。むろん絶えず頭には音楽が鳴っているけれど、この寂しさ! これが厭だから音楽会には行きたくない。
 
 


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うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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