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道徳とは何か4

 人間には、経験に先だって、先天的に道徳法則があると言ったのは、カントだった。自分の意志というものを考えてみるにまず最初に表われるのが、この道徳法則だという。この現象世界だけを考えれば、彼によると、われわれは自由ではない、それにもかかわらず、現象世界以外に直接意識できるもの、それが道徳法則であり、それは自由の理念と結びついている。だから、この道徳法則が与えられていない動物は自由ではない。いわば必然の自然法則の内にあるにすぎない。

 そして、この道徳法則があるから善悪の判定が可能となる。すなわち、この法則に一致することが善である。そして、われわれはいつの日か最高善に到達しうる。そのためには、有限な存在であっては不可能であるから、無限に続く心の不死を前提しなければならない、となる。

 自律とは道徳法則に従う意志であり、もし意志が他の何か、たとえば幸福とか快い感情とか神のような最高存在者によって規定されるとなると他律である。だから、カントによると神はいわば消極的存在であり、最高善を達成するために〈要請される〉にすぎない。ちなみに、この点を当時の教会組織は非難した。しかし、〈要請される〉ということが〈必要である〉と解すれば、非難するにあたらない。

 そしてまた、この時代、啓蒙主義の時代、ヨーロッパが直面した問題、もし神が報いと罰とをもって人の行為を制すれば、宗教は道徳の基礎足りえないのではないか。この疑問に対しては、道徳法則を先行させるカントは然りと言い、そのことで逆に真の宗教を救ったともいえる。
 
 要するに、カントは、各々の人間は生まれながらに心の中に法廷をもっている、それが道徳だ、と言う。そして例の定言命令がくる。
 「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ。」




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テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

中国漁船衝突事件

今日のニュースをたまたま見ていて、めずらしく突如腹が立った。

中国の船長を釈放するというのは、それが司法的処置が終わってなら、結構だ。
しかし、今日のニュースに出てきた、那覇地検の発言はとても法を守る立場の人の言うことではないと、明らかに感じた。
そしてまた、仙石官房長官の発言も政府の姿勢を示す立場の人の発言とはとても思えなかった。


はっきり感じたのは、両者とも責任を回避しようとする心ばかりだ。

もう日本がかわいそうで涙が出そうだった。こういった立場の人たちにさえ日本は見捨てられている・・・この国際社会という修羅場で、日本はもう嘘で嘘を糊塗して生きていくしかないのか。

それにしても、中国とはこんな国であった、とはすでに判っていたことではなかったか。菅・小沢対決などというつまらん事をやっているひまがあったら、なぜもっと早く中国船長の裁決を下し賠償をせしめ帰国させなかったのか、今まで「粛々と、粛々と」何をやっていたのだろう、と素人ながら思う。



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テーマ : 尖閣諸島問題 - ジャンル : 政治・経済

仲秋の名月

今夜は仲秋の名月。やはり薄がよく似合いますね。

それにしても、とても驚いたのは、今朝、クマゼミの鳴き声が聞こえたこと。一瞬わが耳を疑った。
遅れてきた一匹であろう、もう仲間は逝っちゃったのに・・。
9月下旬というのに、昼間は真夏日だったところも多かったとか。

さっきまで、皓皓と月が輝いていたが、今はすっかり厚い雲に覆われてしまっている。
今日の満月は小生に昨年とはまったく違った光を投げかけた。
例によって駄作。

つぎつぎと流れる雲に隠されぬ
    月の光のつよきかがやき

おほぞらに渡る月かげ広くして
    われに生きよと言ふ声のする

さまざまな虫たちもきて名月に 
    向かって祈るその声明の音


名月の また新しき 命かな




月の満ち欠け
死と再生と
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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術

保元物語

久しぶりに面白い物語を読んだ。途中何度も大昔読んだ「平家物語」が彷彿として蘇ってきた。

 この物語は、崇徳上皇チーム対後白河天皇チームの戦いのお話。

 この戦いのそもそもの発端が、鳥羽上皇と崇徳上皇の仲違いである。このお二人は父と子であるのに、どうして仲が悪かったのか。この物語には書いてないが、崇徳は実は鳥羽の実子ではなく、鳥羽の祖父の白河天皇の子であったようだ。つまり、白河天皇は孫(鳥羽)の妻(待賢門院)に手をつけたのだ。それを鳥羽は知っていたので、子の崇徳を叔父子と呼んでいたそうだ。それが事実なら、この騒乱の種は文字通り白河天皇が播いたのだ。

 それはそうとして、時は院政の時代。鳥羽は、崇徳を帝位につけて、上皇として実権をふるう。そして美福門院との間にできた子を帝位(近衛天皇)につけるため、崇徳を上皇にし(新院)、自分が法皇として実権をふるい続けた。
 だが、近衛天皇は17歳にして崩御。鳥羽法皇は、次の帝と目されていた崇徳上皇の息子重仁親王を差し置いて、近衛の異母兄(後白河)を帝位につけた。
 近衛の早世は崇徳上皇と重仁親王の呪詛によるものだとしていう噂によるものだったが。これは美福門院(と鳥羽法皇)の画策であった。

 要するに、崇徳系は置いてきぼりにされたのだった。そうして、鳥羽法皇が崩御すると、待ってましたとばかり崇徳院は立ち上がる。

 折から、摂関家においては、権力争い真っ最中の藤原忠通・頼長兄弟が、それぞれ崇徳院側と後白河帝側とに付き、戦闘に巻き込まれた武士団においても平家・源家それぞれ同じ親族でありながら敵味方に二分された。

 この物語の圧巻はやはり源為朝の八面六臂の活躍だ。この為朝は幼少のころから伝説的な人物で、鎮西八郎と言われたのは、兄たちをも兄と思わず好きし放題、親もこの悪ガキを都に置いておいたらろくなことはない、鎮西(九州)にやっちまえ、ってことで13歳に豊後の阿蘇家にやっかいになる。

 しかし九州でも大暴れ。たちまちのうちに九州の豪族どもの大将になる。体格優良、腕力は鬼神も之を避く。弓を取っては人一倍遠く飛ばし、百発百中。戦闘の細部の簡潔な描写が、軍記物の命であり、叙事詩として輝くところだ。

 勇猛果敢な為朝のおかげで、崇徳側が有利と思われたが、左大臣の判断ミスで、結局一日にして負けが決まる。近江の山中に身を隠していた為朝だが、運悪く病にかかり湯治中、大勢の敵に囲まる。怪力を発揮して暴れまくるが、ついに捕らえられる。
 本来は死罪となるところ、これほどの弓矢の名人を亡くすのは惜しいとのことで、伊豆の大島に配流。しかし為朝を二度と復活させないために、左右の腕関節を壊したのだった。

 しかし、これも癒え、為朝は鬼族を従え再び伊豆七島の覇者となり、したい放題。国司がこれを朝廷に訴え、為朝追討軍が遣わされる。為朝は善戦するが、矢種は尽き。最後の一矢でもって敵の船を沈めるが、切腹して果てる。
 
 そこで終わりなのだが、さまざまな尾びれが付いた。その代表的なものが、曲亭馬琴の「珍説弓張月」であり、為朝は琉球に渡り、その子が琉球王となる御話。三島由紀夫もこの話が気に入っていたらしく、最晩年にこれを歌舞伎化した。


 
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

「マノン」を観る


 一昨日(11日)上京し、英国ロイヤルオペラ「マノン」を観た。小生にとって一年に一、二度の贅沢だ。上野に着いて、3時の開演までまだ2時間以上ある。例のごとく、博物館へ自然に足が向かう。まだ暑い。9月中旬だというのに、ツクツクボーシは当然のこと、アブラゼミ(あるいはニイニイゼミ)の声も聞こえたのは驚き。さすがこれ上野公園。樹木も大きいし、噴水も立派。明治の意気込みここにあり。

 毎度のこと東洋諸地域の仏像さんたちこんにちは。それから歌麿やら鉄斎やら仁清やら書さまざまな工芸品など。600円でこんなにお宝鑑賞ができるとは快感だ。あっという間に2時間が過ぎる。
今回は家康が着たという羽織があった。三英傑らの御洒落にはハッとさせられる。きっと実際の彼らはわれわれの想像を超えてもっとオーラがあったというか、prominentな性格の自己演出家だったにちがいない。

 「マノン」は、つまらない眠くなる内容だし、音楽もちょっと水っぽいけれど、今回はマノン役の声に聞き惚れた。最初はこの歌い手はメゾソプラノかなと思ったほど、低音がしっかり安定していた。

 いったい人の声に聞き惚れるというはどういうことか。たしかに、歌でなくとも、普通の人でも、声がじつに魅力的だという人が偶にいるものだ。また電話の声になんとも魅力を感じるってこともある。思い出してみると、純粋な声だけではなく、言い回しとかリズムあるいはアクセントのちょっとしたずれであるとかも、本人には気付かれない魅力の一要因を成していることが多い。
 歌手の場合は、きっとこれらを意識的に強調し巧みに組み合わせ配置しているのであろう。そして、そういう技巧に自分流に適した歌をレパートリーにするのであろう。

 「マノン」を聴いていて、どうもフランス語は音響的に角がないせいか、どこか抜けていて、劇的な作品は向かないんじゃないかな、むしろフランス語はドビュッシーの「ペリアスとメリザンド」ってところかな、なんて考えたりもした。「カルメン」は、まあ例外的な成功作だ。ちょっと長たらしいのが傷だと思うが。
ベルリオーズは本人が力んでいる割にはね・・・。そうそう忘れていた、「ホフマン物語」これは面白い。ドイツ中世的幻想とフランス音楽との幸福な結合。オッフェンバックの他作品を聴いてみたい。

 この夜、やたらに味の濃い中華料理を食べ、五反田の安ホテルに泊まる。あくる日、国道沿いにある「雉子(きじ)神社」というのに気がついたので、変わった名前だと思い、参拝した。不思議や、手水舎にガラスの蓋が付いていて、使用したら蓋をしておいて下さいと書かれたり。国道一号沿いだから砂埃が入るからかな。流水の節約にもなるかもしれない。
 名の縁起。江戸時代は三代将軍の鷹狩中、白雉が飛び込んできて、これを吉兆と讃えたときから雉子神社と称されたとあり。

 都会の神社仏閣はビルの谷間に申し訳なさそうに在る。神社の歴史は我が国近代化の歴史。例によって明治の初め村社と定められ、明治末に他社と合祀され、その後、道路拡張などにより大分縮小されたと。

 聞くところによると、隣は幸福の科学の建物だとか。そういえば、選挙では幸福実現党は振るいませんな。だいたい党名が悪いし、総裁がブッダの生まれ変わりだの、仏国土成就だの、地球浄化霊団エルカンターレだの、あまりに高級なことを言っても、医療費・年金・子供手当などという地上的な問題に心をかき乱されているわれわれ愚民に理解できるはずはない。あまつさえ、危険な魔術宗教団体だと思われがちだ。正直すぎるんじゃないかな。選挙なんてものには、もう少しそれなりの詐術的あるいは人心掌握術的、つまり政治的な方法がとられるべきだと思うが。

 また今日も暑い。ちょっと歩いていると背中に汗が滴る。


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道徳とは何か3

(続き)人間を内側から強く縛る道徳の及ぶ範囲はどれくらいなのか。どこまでが先天的であり、どこからが後天的であるのか。

 たとえば、もっとも重いこととして、人を殺してはいけない、というのがあげられる。しかし、これとても本当に先天的、無条件的であるか。ローマの剣闘士たちは、闘技場での殺人を控えるか。赤穂浪士は吉良上野介の首を打ち取るのを悪いこととして辞めるか。むしろ彼らは打ち取ることが道義だと感じていたのではないか。

 いやもっと卑近な例がいくらでもある。嫉妬に駆られ、あるいは復讐の念にかられ、殺人を起こした人に、同情することはよくある。また好んで殺人を繰り返す者を死刑にするのに異論を述べる人は少ない。
 つまり法が道徳的であるのか、と疑問をいだくことはありうる。

 ましてや、もっと軽いことについては、たとえば人に嘘をついてはいけない、嘘をつくことは悪いことだとは誰でも口にする。しかしほとんど実行されない。それどころか、状況によっては嘘をつく方が良いことだと称賛されうる。この場合は、嘘をつくという行為より、その心はいかにという点が、重要視される。

 ただ問題は、それはまさに、その嘘をつく心が善かったのか悪かったのかは問われているのではないか、ということである。つまり、人はその行為が表面的にあるいは内面的に、善いのかどうか、たえず気になるのであって、そのことがつまり道徳が人間に先天的に備わっていると感じられる点ではなかろうか。

 そのことは、たとえば国家間の紛争において明瞭にみてとれる。強い国家は弱い国家に戦争をけしかけ、持ち物を強奪したり、占領したりする。強いものが弱いものを奪って何が悪いと居直れる国はなぜかない。必ず何らかの言い訳をする。「ガリア戦記」から「東京裁判」に至るまで、じっさいは強いものが弱いものからものを奪っているにもかかわらず、戦争には大義があった、あるいは、正当であったという裁決をしたがる。嘘でもいから己の正当性を世にそして己に示さねば気がすまない。

 なぜ堂々と力=正義と言えないのか。それこそ一番初めに述べた、人が集団で生きるに必要な知恵を生命が与えてくれたからではなかろうか。戦々恐々としてバラバラで生きていたのでは未開のままだ。


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常夏

今年の夏は長いですね。今日の午後、まだツクツクボーシの声が聞こえました。9月というのに。

夜には快い虫の音が聞こえてきますが、まだ熱帯夜。常夏という言葉が浮かんできます。「常夏」とは『源氏物語』の巻名でもありますね。昔も今も夏の暑さに耐える工夫は同じようです。
 
 「いと暑き日、ひんがしの釣殿に出でたまひて、(源氏は)涼みたまふ」。そして親しい若者たちもそこへやってくる。
 源氏「退屈で眠たいところだ。ちょうどいいところへ来てくれたものだ」と仰って、お酒を出し、氷水をもって来させ、水飯などを皆でにぎやかに食せられる。

 この時代もやっぱり氷と冷やご飯ですね。そういえば、このごろ讃岐うどんのチェーン店が全国展開していますね。安くてうまいので、うどんファンが増えたのではないでしょうか。小生は昔から根っからのうどん好きで、昼食はたいていうどんです。しかし、冷うどんは食べません。年中ほぼ「かま揚げ」です。(ざるそばは食べます)でもまあ、昔のようにクーラーがない時代であれば、冷やを食べるかも。

 続いて、風は、いとよく吹けども、日のどかに、曇りなき空の、西日になるほど、蝉の声なども、いと苦しげに聞こゆれば、源氏「水の上にいても暑い今日は。ちょっと見苦しいがお許しあれ」と言って横になる。「それにしても暑い。制服を着て宮仕えしている人たちは耐え難かろう。ここでは、君たち、楽にしてくれたまえ。この暑さと眠気を忘れさせるような面白い話を聞かせてくれたまえ。」って言っておきながら、源氏自ら話題をー内大臣の隠し子の話をし始める。

若者たちの中には、内大臣の子どもがいるから、そこから情報を得たいという心づもりもあったのだろうし、源氏自身の養女(玉鬘)に言及し、さらに、できうれば、玉鬘を若者たちにちらっと見せて、その美しさでもって驚かせてやりたい気持ちもあったのでしょう。

 この玉鬘は夕顔と内大臣(時の頭中将)との忘れ形見であり、長谷寺の観音様のお導きにより、玉鬘一家は源氏と再会することができたのですね。このとき源氏が詠んだ和歌から「玉鬘」という名は由来しています。

恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなるすぢを尋ね来つらむ

(亡き夕顔の面影を追っている自分ではあるけれど、いったいこの娘はどのような因縁で自分のところにきたのだろうか)

ちなみに玉鬘の母である夕顔は夏の女であり、「常夏」とは「なでしこ」の古名です。

夕方、風がやや涼しくなって、源氏は玉鬘のいる西の対へ行く。そこで、和琴を教えると言って近寄る。玉鬘は、源氏の子(養女)として養われているが、源氏の実子ではなく、内大臣の子であることを知っている。源氏も玉鬘の素晴らしさの前では男心を我慢できない。しかし、さすがに表向き自分の子としている娘に手をつけるのは世間体が悪い。何度もこの葛藤に悩まされ続けるんですね。それで、髪を撫でたり手を握ったりして、玉鬘は「助平で、いやなおじさん」って、ずっと思い悩んできた。

このあたりを読んでいると、もうまだるっこしい。源氏も読者も心臓が高鳴り脂汗があふれ出る。こちらは早くやっちまえ、と思ってしまう。若い時の源氏なら後先を考えず行くでしょうね。しかし、このとき源氏ももう36歳。(玉鬘22歳)そうなったら、自分の不面目もさることながら、玉鬘が可哀そうだと考える。

というのは、そうなったら源氏の今までの妻妾たちの中に入ることになるが、身分からして末席を占めるにすぎなくなる。いくら源氏の身分が高く愛が大きいからと言って、それで幸せになることはない。むしろ、身分は低い人でも、この人一人だけと愛される方が幸せだろう、と考えます。源氏は離れているときは冷静に考えられるのですが、玉鬘を見ると、はやり衝動を抑えることが難しい。

それで、こんなことを思いつくのです。玉鬘をこの屋敷に置いておいて婿を取る。夫をもてば男女の情が解るようになる。それからなら、いかな人目繁くとも、慣れたもの、そっと忍んでぐっと迫れば容易に許すであろうと。

作者の式部も、「けしからぬことなりや」と呆れています。
源氏の企みと脂汗でいっそう暑くなる話でした。


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Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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