いやな夢
昨夜はどうも眠りが浅かった。うつらうつら様々な事柄が頭に浮かんできた。夢と現の境に展開した、そのメインテーマは〈日本の滅亡〉の過程だった。・・・
このところ格差という言葉をよく新聞などでみかける。日本は他国に比べて格差が小さいと言われる。なるほどと思う。日本は、政府が特別意識をしていなくても、物質的格差が少ないように自然となる傾向があって、〈社会主義の理想〉にもっとも近い文明国であるらしい。結構ですな。
日本は、他の国にはない極めて特徴的な文化の国だ。いわゆる西洋の民主主義というのではないが、とても民主的な人間関係の秩序を自然に創り上げ、持ち続けている国だ。温帯モンスーン下で、幸運にも長い間、国と民族がほぼ一体であり続けたのも、その一つの理由かもしれない。一人を除いて、総ての人が民主的な関係を維持しえてきたのは、ただ一人の人、天皇を祭祀王に祭り上げ、いわばスケープゴートにして、その求心力で、周囲の一切の言上げや反乱、最終的な無秩序を抑え、あたかも回転し続ける独楽がそれ自身力を欠いたそのまったき中心支点ゆえに安定しているように、秩序を維持しているようだ。
それは、前にも言ったが、一つの蟻の社会が女王アリを中心として、働きアリが黙々と仕事をなしている様を連想する。つまり、日本は民族としての原始的な力、生物としての本能的な力で、社会秩序を維持しているように見える。
しかし、戦後の皇室典範のままであると、天皇の存続も危ぶまれる。日本人から天皇を取り去ったら、どうなるであろう。人は言うかもしれない、べつにそんなのなくたって普通に生きていけるだろうと。
普通に生きていける? 犬のように! それは文明国たりうるであろうか。日本人は、欧米のように、キリスト教への肯定および否定、要するにキリスト教の伝統がない。そこから生まれた民主主義の理念の根本義を知らない。そこから来た、人間悪の恐ろしさ、エゴイズムの強烈さ、それを己に感じる力、それゆえの理想と欺瞞、こういったものに耐えうるか?
日本人にかかる覚悟が生まれて、初めて天皇なしで秩序を維持しうるであろう。しかし残念かな,われわれにそんな覚悟も力もありませんな。いま日本の独楽の中心を傷つけたら、どうなるだろう。街々は、上海のように、グロテスクな高層ビル群が林立し、巨大な檻の中で人間獣が金とセックスのみを求める壮絶なバトルの巷となり果てるであろう。それ以外の価値や神話は排除され、秩序維持のための秘密警察がそこら中に満ちるであろう。
それでもいいか日本。それでもいいと日本人の顔に書いてある。われわれはこのまま何もせず、手をこまねいて、ずるずると戦後体制を続けていく。もはや桜田門外の変も起こらず、二・二六事件も起こらず、国政を担うべき国会議員も、根本的なことに触れるのは面倒だ、証人喚問とか子供手当だとか、何か知らんがつまらぬ枝葉末節のことで騒いでおれば、それで活躍しているように見えるし、給料はもらえるし、そうするうちに時間が経って、己の一生はそれでよし、といった風情である。少しずつ少しずつ日本という立派な木は内部から朽ちていく・・・いやな空想。悪夢。
夜が明けてきた。
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このところ格差という言葉をよく新聞などでみかける。日本は他国に比べて格差が小さいと言われる。なるほどと思う。日本は、政府が特別意識をしていなくても、物質的格差が少ないように自然となる傾向があって、〈社会主義の理想〉にもっとも近い文明国であるらしい。結構ですな。
日本は、他の国にはない極めて特徴的な文化の国だ。いわゆる西洋の民主主義というのではないが、とても民主的な人間関係の秩序を自然に創り上げ、持ち続けている国だ。温帯モンスーン下で、幸運にも長い間、国と民族がほぼ一体であり続けたのも、その一つの理由かもしれない。一人を除いて、総ての人が民主的な関係を維持しえてきたのは、ただ一人の人、天皇を祭祀王に祭り上げ、いわばスケープゴートにして、その求心力で、周囲の一切の言上げや反乱、最終的な無秩序を抑え、あたかも回転し続ける独楽がそれ自身力を欠いたそのまったき中心支点ゆえに安定しているように、秩序を維持しているようだ。
それは、前にも言ったが、一つの蟻の社会が女王アリを中心として、働きアリが黙々と仕事をなしている様を連想する。つまり、日本は民族としての原始的な力、生物としての本能的な力で、社会秩序を維持しているように見える。
しかし、戦後の皇室典範のままであると、天皇の存続も危ぶまれる。日本人から天皇を取り去ったら、どうなるであろう。人は言うかもしれない、べつにそんなのなくたって普通に生きていけるだろうと。
普通に生きていける? 犬のように! それは文明国たりうるであろうか。日本人は、欧米のように、キリスト教への肯定および否定、要するにキリスト教の伝統がない。そこから生まれた民主主義の理念の根本義を知らない。そこから来た、人間悪の恐ろしさ、エゴイズムの強烈さ、それを己に感じる力、それゆえの理想と欺瞞、こういったものに耐えうるか?
日本人にかかる覚悟が生まれて、初めて天皇なしで秩序を維持しうるであろう。しかし残念かな,われわれにそんな覚悟も力もありませんな。いま日本の独楽の中心を傷つけたら、どうなるだろう。街々は、上海のように、グロテスクな高層ビル群が林立し、巨大な檻の中で人間獣が金とセックスのみを求める壮絶なバトルの巷となり果てるであろう。それ以外の価値や神話は排除され、秩序維持のための秘密警察がそこら中に満ちるであろう。
それでもいいか日本。それでもいいと日本人の顔に書いてある。われわれはこのまま何もせず、手をこまねいて、ずるずると戦後体制を続けていく。もはや桜田門外の変も起こらず、二・二六事件も起こらず、国政を担うべき国会議員も、根本的なことに触れるのは面倒だ、証人喚問とか子供手当だとか、何か知らんがつまらぬ枝葉末節のことで騒いでおれば、それで活躍しているように見えるし、給料はもらえるし、そうするうちに時間が経って、己の一生はそれでよし、といった風情である。少しずつ少しずつ日本という立派な木は内部から朽ちていく・・・いやな空想。悪夢。
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阿岐豆志麻
日本のことをアキヅシマとも言いますが、この蜻蛉(あきづ)とは、トンボのことですね。
『万葉集』第一巻の二つ目の歌。舒明天皇が香具山に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌(おほみうた)、と題があります。
大和には 群山あれど
とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ち立つ
海原は かまめ立ち立つ
うまし国そ あきづ島
大和の国は
小生とても好きな歌です。この国見とは、ただ眺望を愛でるのではなく、五穀豊穣の祝祭儀礼と言われています。音読してみると、うまし国ぞ!という言葉を発された時の、天皇の息遣いが伝わってくるではありませんか。
ところで、この「あきづしま」という言葉なのですが。その由来はこうです。
雄略天皇記にあるお話。
天皇が阿岐豆野(あきづの)に狩に行かれた時、天皇のお腕にアブが喰らいついた。とそこへ蜻蛉(トンボ)が飛んできて、そのアブを喰らって飛び去った。天皇は、そのことを歌に詠まれ、手柄を立てた蜻蛉にちなんで、「そらみつヤマトの国をアキヅシマと言おう」と。そしてまたその時以来、その野を阿岐豆野という。『日本書紀』にも同様の話があって、天皇は、自分に仕えたこのアキヅの名を残してあげようと蜻蛉(あきづ)嶋倭と讃えた歌を載せてあります。
しかし、それより古く、神武天皇の条には、天皇が腋上(わきがみ)のほほまの丘というところに登られて、国の状(かたち)を廻らし望みてのたまはく「ああ、素晴らしい国を得たものだ。割と狭いが、蜻蛉の臀呫(となめ)のごとくにあるかな」と。これによりて、始めて秋津洲(あきづしま)の名あり、とあります。
この蜻蛉のトナメとは、蜻蛉が交尾するとき、お尻をなめる形、69の環状をなしますな、あの形らしいです。体系の注釈は「狭い国ではあるが、蜻蛉がトナメして飛んで行くように、山々が続いて囲んでいる国だな」とあります。小生は、周りを山々に囲まれた盆地をイメージしますが。
それよりさらに古く、『古事記』のイザナギ、イザナミ二柱の神が沢山の国を産みますね。淡路島、四国、九州、そして佐渡。そのあと本州と思われますが、これが秋津という語の初出だと思います。
この少し後、速秋津日子神(ハヤアキヅヒコ)と速秋津比売神(ハヤアキヅヒメ)というペアの神も生まれています。ここで、秋津は清明(あか)き、すなわち穢れを祓って清らかな状態をいう、と宣長は言っています。その線をたどると、スサノヲが黄泉の国から逃げてきて、禊祓い(みそぎはらい)をしましたが、水に浸かって、穢れを落としたときに成った神が、神直毘(カムナホビ)神、大直毘神、伊豆能売(イヅノメ)神の三神でしたが、このイヅ(伊豆)はアキヅ(明清)ということばがつまったもので、それは汚垢(けがれ)をすすぎ祓って明く清まりたる意、ということらしいです。
つまり、「うましくにぞ あきづしま やまとのくには」は、この国は、倭地方をさすのか、もっと広い地域をさすのか、判りませんが、〈あきづしま〉という語によって、とにかく凶事から離れた清らかな国というイメージと繋がります。
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『万葉集』第一巻の二つ目の歌。舒明天皇が香具山に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌(おほみうた)、と題があります。
大和には 群山あれど
とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ち立つ
海原は かまめ立ち立つ
うまし国そ あきづ島
大和の国は
小生とても好きな歌です。この国見とは、ただ眺望を愛でるのではなく、五穀豊穣の祝祭儀礼と言われています。音読してみると、うまし国ぞ!という言葉を発された時の、天皇の息遣いが伝わってくるではありませんか。
ところで、この「あきづしま」という言葉なのですが。その由来はこうです。
雄略天皇記にあるお話。
天皇が阿岐豆野(あきづの)に狩に行かれた時、天皇のお腕にアブが喰らいついた。とそこへ蜻蛉(トンボ)が飛んできて、そのアブを喰らって飛び去った。天皇は、そのことを歌に詠まれ、手柄を立てた蜻蛉にちなんで、「そらみつヤマトの国をアキヅシマと言おう」と。そしてまたその時以来、その野を阿岐豆野という。『日本書紀』にも同様の話があって、天皇は、自分に仕えたこのアキヅの名を残してあげようと蜻蛉(あきづ)嶋倭と讃えた歌を載せてあります。
しかし、それより古く、神武天皇の条には、天皇が腋上(わきがみ)のほほまの丘というところに登られて、国の状(かたち)を廻らし望みてのたまはく「ああ、素晴らしい国を得たものだ。割と狭いが、蜻蛉の臀呫(となめ)のごとくにあるかな」と。これによりて、始めて秋津洲(あきづしま)の名あり、とあります。
この蜻蛉のトナメとは、蜻蛉が交尾するとき、お尻をなめる形、69の環状をなしますな、あの形らしいです。体系の注釈は「狭い国ではあるが、蜻蛉がトナメして飛んで行くように、山々が続いて囲んでいる国だな」とあります。小生は、周りを山々に囲まれた盆地をイメージしますが。
それよりさらに古く、『古事記』のイザナギ、イザナミ二柱の神が沢山の国を産みますね。淡路島、四国、九州、そして佐渡。そのあと本州と思われますが、これが秋津という語の初出だと思います。
この少し後、速秋津日子神(ハヤアキヅヒコ)と速秋津比売神(ハヤアキヅヒメ)というペアの神も生まれています。ここで、秋津は清明(あか)き、すなわち穢れを祓って清らかな状態をいう、と宣長は言っています。その線をたどると、スサノヲが黄泉の国から逃げてきて、禊祓い(みそぎはらい)をしましたが、水に浸かって、穢れを落としたときに成った神が、神直毘(カムナホビ)神、大直毘神、伊豆能売(イヅノメ)神の三神でしたが、このイヅ(伊豆)はアキヅ(明清)ということばがつまったもので、それは汚垢(けがれ)をすすぎ祓って明く清まりたる意、ということらしいです。
つまり、「うましくにぞ あきづしま やまとのくには」は、この国は、倭地方をさすのか、もっと広い地域をさすのか、判りませんが、〈あきづしま〉という語によって、とにかく凶事から離れた清らかな国というイメージと繋がります。
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文字の伝来
応神天皇の御代。御母君でいらっしゃる神功皇后の影響が色濃く残っていて、日本と朝鮮半島の行き来が激しく、新羅や百済から、沢山の献上品が届けられます。
さらに『古事記』にはこう書いてあります。
「天皇は百済国に命じられた〈もし賢人がいたら献上せよ〉。それで和邇(わに)という人が来た。ついでに『論語十巻』『千文一巻』も持ってきた。(この和邇さんは文筆を業とする帰化氏族の祖)また鍛冶屋、機織り、酒造りなどの技術者も来た・・・」
つまり応神天皇は、これからの国政にはぜひとも文字が必要だ、中国には文字という便利なものがある。これを息子たちが使えるようになるのがよい、と考えたのでしょう。
応神天皇には沢山の息子さんがいましたが、最愛の息子さんは三男でありまして、名前は宇遅能和紀郎子(=菟道稚郎皇子=ウヂノワキの皇子)という方なのです。それでこの息子さんに皇位を継がせるべく、しっかりと勉強させようと考えられたのでした。
『日本書紀』によりますと、百済から良馬を献上するために来日していた人で、たまたま経典をよく読めるという阿直岐(アチキ)という人を、天皇はこのウヂノワキ皇子の家庭教師につけるのですが、やや不満だったのでしょうか、もっと秀れた教師を所望するのですね。すると、アチキは、王仁(ワニ)という人が最も秀れた教師だと教えてくれます。
それで王仁(ワニ)さんを百済から呼んで、「教師とした。諸々の書籍をワニに習ひたまふ。通りさとらずといふことなし。」ワニさん、すごい学がある人だったんでしょう。また若くて賢いウヂノワキ皇子も、スポンジが水を吸い取るように、漢籍を吸収したのでしょう。
文字が読めるようになったウジノワキ皇子は、その後、高麗の王から書状が届いた時、ただちにその表記の無礼を咎めたと『書紀』には書いてあります。ということは、今まで読める日本人はほとんどいなかったのだから、何を書かれていてもよく判らなかったのでしょう。知らぬがほっとけ、だったのでしょうね。(苦笑)
このウヂノワキ皇子は、父応神天皇亡きあと、お兄さんの大雀皇子(オオサザキ=後の仁徳天皇)と皇位を譲りあうのですが、ご両人はとても遠慮深く、自ら辞退し続けるので、なかなか決まらなく、終にウヂノワキ皇子は死んでしまうのです(『書紀』では自死とあります)。オオサザキは慟哭しますが、後の祭りです。そして仕方なく皇位を継承し仁徳天皇となったのです。
ところで、『論語』と共に伝来したこの『千文一巻』すなわち「千字文」は、文字通り千個の漢字なのですが、こんなふうに伝えられています。
中国南朝の梁の武帝が王子たちに書を習わせるために、王義之の筆跡の中から千の文字表を作らせた。王子たちはランダムに並んだ千個の文字を覚えることができない。それで、帝は周興嗣(しゅうこうし)という人物に、この千の文字を重複しないように使って、憶えやすいように韻文(意味のある詩文)にせよ、と命じた。周は、一晩かかってそれを成し遂げた。その苦労のゆえに、周の頭は真っ白になったといいます。
その千字文は、こう始まり、こう終わります。「天地玄黄、宇宙洪荒、・・・・・・・・・謂語助者、焉哉乎也。」 意味解らないけれど、すごいですね。大天才ですね。
こうして我が国に、文字という便利なツールが定着していったのでした。しかし、それは公文などを書き記すには役に立ったのでしょうが、我が倭の風土と切り離せない歌などを記すには、適さないものだと感じたのではないでしょうか。
ついでに、『日本書紀』の応神天皇の御代は紀元300年初め。中国の梁の時代は紀元500年初め。いつものことながら、『書紀』の年代は朝鮮や中国の年代と合わないですね。『書紀』は、奈良時代の初め、多くの学者が、いろいろな資料をとり合わせて書いたのでしょう。そこには、知らずして、また故意に、つじつま合わせをしようとしたのでしょう。だからといって、『書紀』は嘘だらけだと捨て去るのは、宝を捨ててしまうことです。つじつま合わせには、そうすべき思惑が、ある思いが、あったはずです。そこに歴史の面白さが浮かび上がってきます。
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さらに『古事記』にはこう書いてあります。
「天皇は百済国に命じられた〈もし賢人がいたら献上せよ〉。それで和邇(わに)という人が来た。ついでに『論語十巻』『千文一巻』も持ってきた。(この和邇さんは文筆を業とする帰化氏族の祖)また鍛冶屋、機織り、酒造りなどの技術者も来た・・・」
つまり応神天皇は、これからの国政にはぜひとも文字が必要だ、中国には文字という便利なものがある。これを息子たちが使えるようになるのがよい、と考えたのでしょう。
応神天皇には沢山の息子さんがいましたが、最愛の息子さんは三男でありまして、名前は宇遅能和紀郎子(=菟道稚郎皇子=ウヂノワキの皇子)という方なのです。それでこの息子さんに皇位を継がせるべく、しっかりと勉強させようと考えられたのでした。
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それで王仁(ワニ)さんを百済から呼んで、「教師とした。諸々の書籍をワニに習ひたまふ。通りさとらずといふことなし。」ワニさん、すごい学がある人だったんでしょう。また若くて賢いウヂノワキ皇子も、スポンジが水を吸い取るように、漢籍を吸収したのでしょう。
文字が読めるようになったウジノワキ皇子は、その後、高麗の王から書状が届いた時、ただちにその表記の無礼を咎めたと『書紀』には書いてあります。ということは、今まで読める日本人はほとんどいなかったのだから、何を書かれていてもよく判らなかったのでしょう。知らぬがほっとけ、だったのでしょうね。(苦笑)
このウヂノワキ皇子は、父応神天皇亡きあと、お兄さんの大雀皇子(オオサザキ=後の仁徳天皇)と皇位を譲りあうのですが、ご両人はとても遠慮深く、自ら辞退し続けるので、なかなか決まらなく、終にウヂノワキ皇子は死んでしまうのです(『書紀』では自死とあります)。オオサザキは慟哭しますが、後の祭りです。そして仕方なく皇位を継承し仁徳天皇となったのです。
ところで、『論語』と共に伝来したこの『千文一巻』すなわち「千字文」は、文字通り千個の漢字なのですが、こんなふうに伝えられています。
中国南朝の梁の武帝が王子たちに書を習わせるために、王義之の筆跡の中から千の文字表を作らせた。王子たちはランダムに並んだ千個の文字を覚えることができない。それで、帝は周興嗣(しゅうこうし)という人物に、この千の文字を重複しないように使って、憶えやすいように韻文(意味のある詩文)にせよ、と命じた。周は、一晩かかってそれを成し遂げた。その苦労のゆえに、周の頭は真っ白になったといいます。
その千字文は、こう始まり、こう終わります。「天地玄黄、宇宙洪荒、・・・・・・・・・謂語助者、焉哉乎也。」 意味解らないけれど、すごいですね。大天才ですね。
こうして我が国に、文字という便利なツールが定着していったのでした。しかし、それは公文などを書き記すには役に立ったのでしょうが、我が倭の風土と切り離せない歌などを記すには、適さないものだと感じたのではないでしょうか。
ついでに、『日本書紀』の応神天皇の御代は紀元300年初め。中国の梁の時代は紀元500年初め。いつものことながら、『書紀』の年代は朝鮮や中国の年代と合わないですね。『書紀』は、奈良時代の初め、多くの学者が、いろいろな資料をとり合わせて書いたのでしょう。そこには、知らずして、また故意に、つじつま合わせをしようとしたのでしょう。だからといって、『書紀』は嘘だらけだと捨て去るのは、宝を捨ててしまうことです。つじつま合わせには、そうすべき思惑が、ある思いが、あったはずです。そこに歴史の面白さが浮かび上がってきます。
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歴史は何のために1
先日、あるネット上のコミュニティを見ていたら、日本の特攻隊を日本文化の精華と賛美する論を執拗に展開している人がいた。自国のために己の死を顧みない行為は世界に比類のない、日本の素晴らしい精神の発露であり、戦後はだんだんと失われてきつつある、なんとか復活させねばならない、と主張する。そのあまりに独善的で狭隘な言い方は、多くの人の反発を招いていた。
その中に非常に歴史に詳しい人がいた。彼が言うには、己の死を賭して、敵に向かっていくというのは、別に日本独特物のものではない、独仏では、組織的な特高も現実に考えられていた、いかなる国の兵士でも、窮鼠猫をかむで、追いつめられれば、自爆的行為に走ったものは多いであろう、と。
この人は、他にもたくさんの例を挙げて、日本という国の様々な在り方・やり方を、それほど独自ではない、どこの国もみな結局蓋を開ければ、国家的エゴイズムで動いている、と事も無げである。
小生は、それらの議論を読んでいて、それぞれの立場を理解しうるけれども、どこかしっくりしないものを感じた。そしてなぜしっくりしないか、考えてみると、われわれは何のために歴史を学ぶのか、という疑問に行き着く。
歴史というものは、人間が創ったものだ。人間が存在し始める前には歴史はなかった。いや、人間の前には類人猿がいたし、さらに前には恐竜や三葉虫もいた、もっと前には地球草創の歴史があった、と人は言うかもしれない。しかし、それらは、それらの事実自体で歴史と言えるか。そこに〈人間的な〉何かを付加されて初めて歴史と言えるのではないか。
歴史とは過去の単なる事実ではない。過去の事実と現在のわれわれとの相互作用である。現在のわれわれを保証する現在性は、誰もが内部に感じている意欲である。それは絶えず未来に向かっている。
だが、未来に向かうと言っても、盲目的に、行き当たりばったりに、闇雲に進むのではない。人は必ず先人たちがしてきたようにする。どんな人でも先人たちをモデルにして生きている。
だから、われわれは過去に気づき、過去を見る。そしてそこに歴史が生ずる。そしてさらによく過去を知るとは言っても、でたらめに無限に知ることはできない。かならず取捨選択をせざるをえない。というより、人は己の未来への行動を律するために、まさにその人らしい選択をする。言いかえれば、歴史とはわれわれが生きるための鏡であり、うまく生きるためには、われわれの進路をより照らしてくれるように、たえず鏡を磨いていなければならない。
思い込みや固定観念やある一定の見方などで錆びつかせてしまっては、我が道を照らすべき鏡もうまく光ってくれないだろう。
さらに言えば、過去の事実というものはない。報告があるのみである。そして報告は人間がするものである。五人しか死ななかったという報告もあれば、五人も死んだという報告もある。とっさに見た物が黄色だったという報告もあれば、それは赤だったという報告もある。心理学的実験の暴くところによればわれわれの知覚の客観的真実の脆弱さは驚くばかりである。報告は嘘でもあるし、真実でもある。嘘から出た真もあれば、まことしやかなウソもある。
われわれは、しかし心配するに及ばない。自分を信じてたえず真摯に鏡を磨くことを怠らなければそれでいい、と思う。
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その中に非常に歴史に詳しい人がいた。彼が言うには、己の死を賭して、敵に向かっていくというのは、別に日本独特物のものではない、独仏では、組織的な特高も現実に考えられていた、いかなる国の兵士でも、窮鼠猫をかむで、追いつめられれば、自爆的行為に走ったものは多いであろう、と。
この人は、他にもたくさんの例を挙げて、日本という国の様々な在り方・やり方を、それほど独自ではない、どこの国もみな結局蓋を開ければ、国家的エゴイズムで動いている、と事も無げである。
小生は、それらの議論を読んでいて、それぞれの立場を理解しうるけれども、どこかしっくりしないものを感じた。そしてなぜしっくりしないか、考えてみると、われわれは何のために歴史を学ぶのか、という疑問に行き着く。
歴史というものは、人間が創ったものだ。人間が存在し始める前には歴史はなかった。いや、人間の前には類人猿がいたし、さらに前には恐竜や三葉虫もいた、もっと前には地球草創の歴史があった、と人は言うかもしれない。しかし、それらは、それらの事実自体で歴史と言えるか。そこに〈人間的な〉何かを付加されて初めて歴史と言えるのではないか。
歴史とは過去の単なる事実ではない。過去の事実と現在のわれわれとの相互作用である。現在のわれわれを保証する現在性は、誰もが内部に感じている意欲である。それは絶えず未来に向かっている。
だが、未来に向かうと言っても、盲目的に、行き当たりばったりに、闇雲に進むのではない。人は必ず先人たちがしてきたようにする。どんな人でも先人たちをモデルにして生きている。
だから、われわれは過去に気づき、過去を見る。そしてそこに歴史が生ずる。そしてさらによく過去を知るとは言っても、でたらめに無限に知ることはできない。かならず取捨選択をせざるをえない。というより、人は己の未来への行動を律するために、まさにその人らしい選択をする。言いかえれば、歴史とはわれわれが生きるための鏡であり、うまく生きるためには、われわれの進路をより照らしてくれるように、たえず鏡を磨いていなければならない。
思い込みや固定観念やある一定の見方などで錆びつかせてしまっては、我が道を照らすべき鏡もうまく光ってくれないだろう。
さらに言えば、過去の事実というものはない。報告があるのみである。そして報告は人間がするものである。五人しか死ななかったという報告もあれば、五人も死んだという報告もある。とっさに見た物が黄色だったという報告もあれば、それは赤だったという報告もある。心理学的実験の暴くところによればわれわれの知覚の客観的真実の脆弱さは驚くばかりである。報告は嘘でもあるし、真実でもある。嘘から出た真もあれば、まことしやかなウソもある。
われわれは、しかし心配するに及ばない。自分を信じてたえず真摯に鏡を磨くことを怠らなければそれでいい、と思う。
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国語の意味
前にも書いたことだと思うけれど、例えば夏目漱石や三島由紀夫の小説を文庫本で読むと、漢字はもちろんのこと仮名遣いも変えてある。これが小生には不思議でならない。文豪の作品を勝手に変えていいものか。それは犯罪にならないのであろうか。
出版社はどのように考えているのだろう。今の人に読み易いように、と考えているのなら、大きなお世話だけではない、そのために却って原文を読めない若者をつくっている。昔は、漱石を読もうとする人なら、だれでもそのまま読めた。
言葉の自然の変化はしようがない。それはそれでいい。しかし、明治以降、西欧の文明の眩しさに目が眩み、漢字の複雑さや歴史的仮名遣ひは、近代的発展の邪魔になるという考えが生まれた。あまつさえ、漢字廃止論、さらには日本語をローマ字表記にせよという声さえあがった。
今から思うと笑いごとのようではあるが、じつは決して笑ってはおれない状況ではないと思うのだ。われわれは、すでに戦後国語改悪の大網に捕らえられていて、そのことに気が付いていないからである。
戦後GHQ主導のもとに多くの改革がなされた。憲法や皇室典範などについては、この改革はおかしかったのでは、と気づいている。それについて今なお手をつけることさえできないでいるけれど、これじゃいけないということに多くの人は気づいてはいる。しかし、国語改革については、ほとんどの人が気づいていないのではなかろうか。
しかも、政治制度とは違って、国語はわれわれ日本人としての行為や感性を支える根底、いわゆるアイデンティティの基礎ではなかろうか。そしてわれわれ日本人の心性は、古事記・万葉以前から連綿として続く国語によって養われてきたのではなかったか。
もし小生が小学校の国語教師であれば、小生は子供に古典のいくつかを何度も朗読させ、そのリズムや音響やイメージを身につけさせ、自然に暗記させる。漢字は躊躇なく早くから読み書きさせる。憶えられなくてもそれはそれでいい。とにかく早い時期から触れさせる。古典を身につけること、それはすぐには何の役にも立たないし、あるいは忘れてしまうかもしれない。しかしそのリズムやイメージは無意識の底に潜み、行動や発想に影響を与えずにはおかない。いつの日か日本人としての品性を規定するのではないだろうか。そんなふうに漠然と思う。
今の教育熱心な家庭はどうなのだろう。教育ママは、ややもすると子供を早くから、英語や中国語を学ばせ、そのほうが出世にも有利であるし、また日本経済に利するであろう、と考えているのではないだろうか。もちろん小生もそれには大賛成だ、それと同時に、国語の伝統にしっかり触れさせているならば。
学級崩壊などと言われるが、いったい親たちは家庭でどんな言葉を発しているのだろう。テレビや漫画ではどんな言葉が飛び交っているのだろう。小生とて偉そうなことは言えない、戦後生まれ、戦後教育をばっちりと受けてきた。国語は好きでなく、読書も嫌いだった。しかし、あるとき気がついた。遅まきながら、成人してから、伝統的な国語の美しさに気がついた。気がついたら、少しずつでも直していけばいいのである。
そうするうちに、明治以降の、とくに戦後の国語教育、とくに漢字制限と仮名づかいの変更が、いかにわれわれをして、ご先祖たちとの精神的繋がりを失わしめてきたかが判ってきたのだった。
人間は自分の感覚を疑うことは難しい。己の閉鎖性を乗り越えるには、大昔の先人たちの言葉に、つまり伝統に耳を傾けるのが、もっともよい方法だと思うが、いかがであろう。



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出版社はどのように考えているのだろう。今の人に読み易いように、と考えているのなら、大きなお世話だけではない、そのために却って原文を読めない若者をつくっている。昔は、漱石を読もうとする人なら、だれでもそのまま読めた。
言葉の自然の変化はしようがない。それはそれでいい。しかし、明治以降、西欧の文明の眩しさに目が眩み、漢字の複雑さや歴史的仮名遣ひは、近代的発展の邪魔になるという考えが生まれた。あまつさえ、漢字廃止論、さらには日本語をローマ字表記にせよという声さえあがった。
今から思うと笑いごとのようではあるが、じつは決して笑ってはおれない状況ではないと思うのだ。われわれは、すでに戦後国語改悪の大網に捕らえられていて、そのことに気が付いていないからである。
戦後GHQ主導のもとに多くの改革がなされた。憲法や皇室典範などについては、この改革はおかしかったのでは、と気づいている。それについて今なお手をつけることさえできないでいるけれど、これじゃいけないということに多くの人は気づいてはいる。しかし、国語改革については、ほとんどの人が気づいていないのではなかろうか。
しかも、政治制度とは違って、国語はわれわれ日本人としての行為や感性を支える根底、いわゆるアイデンティティの基礎ではなかろうか。そしてわれわれ日本人の心性は、古事記・万葉以前から連綿として続く国語によって養われてきたのではなかったか。
もし小生が小学校の国語教師であれば、小生は子供に古典のいくつかを何度も朗読させ、そのリズムや音響やイメージを身につけさせ、自然に暗記させる。漢字は躊躇なく早くから読み書きさせる。憶えられなくてもそれはそれでいい。とにかく早い時期から触れさせる。古典を身につけること、それはすぐには何の役にも立たないし、あるいは忘れてしまうかもしれない。しかしそのリズムやイメージは無意識の底に潜み、行動や発想に影響を与えずにはおかない。いつの日か日本人としての品性を規定するのではないだろうか。そんなふうに漠然と思う。
今の教育熱心な家庭はどうなのだろう。教育ママは、ややもすると子供を早くから、英語や中国語を学ばせ、そのほうが出世にも有利であるし、また日本経済に利するであろう、と考えているのではないだろうか。もちろん小生もそれには大賛成だ、それと同時に、国語の伝統にしっかり触れさせているならば。
学級崩壊などと言われるが、いったい親たちは家庭でどんな言葉を発しているのだろう。テレビや漫画ではどんな言葉が飛び交っているのだろう。小生とて偉そうなことは言えない、戦後生まれ、戦後教育をばっちりと受けてきた。国語は好きでなく、読書も嫌いだった。しかし、あるとき気がついた。遅まきながら、成人してから、伝統的な国語の美しさに気がついた。気がついたら、少しずつでも直していけばいいのである。
そうするうちに、明治以降の、とくに戦後の国語教育、とくに漢字制限と仮名づかいの変更が、いかにわれわれをして、ご先祖たちとの精神的繋がりを失わしめてきたかが判ってきたのだった。
人間は自分の感覚を疑うことは難しい。己の閉鎖性を乗り越えるには、大昔の先人たちの言葉に、つまり伝統に耳を傾けるのが、もっともよい方法だと思うが、いかがであろう。



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新しき年の初めのわが住まひ
塵の芥のさらに積もりぬ
昨年、〈断捨離〉なんて言葉がちょっと流行りましたね。また使うかもしれないと思いながら仕舞いっ放しになっていた物が、長年の間にうんと溜まっています。箪笥や机の上には、何年も目の前に在りながら、とくに目をやるわけでもなく、ましてや手に取ることもなく置かれている物がたくさん並んでいます。
これらは吾が身に余る欲望の象徴です。これからは、いわゆるシンプルライフを志して生きたいものと何となく口に出したい気にもなりますが、じつはこれがいけないですね。
シンプルライフを生きようというのが、そもそも新しい欲望の発露なのです。いつも豪華な食事をとっている人が、今日はお茶漬けにしようと言うようなものです。それに飽きたらまた特上ステーキを食べ始めることは目に見えています。
豪華マンションに住みたいという夢も、シンプルライフを生きたいという夢も、宣伝に洗脳された漠然たる夢なのではないでしょうか。
要するに、現実はただ一つでありまして、常日ごろから、余計な夢を見ないこと。分をわきまえて行動すること。自分の消化できぬものまで取り込まないように注意すること。
自戒↓↓↓


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