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宇宙飛行士

 昨夜ラヂオを付けたら、女性宇宙飛行士の山崎さんのインタヴュー番組をしていた。インタヴュアーが山崎さんに、宇宙ステーションでもっとも印象に残ったことは何ですかと訊ねた。
 
 山崎さんは二つのことが特に強く残っていると答えられた。一つは無重力という場での生活、そしてもう一つは地球の美しさということであった。

 無重力での共同生活は非常に合理的であって、例えば山崎さんが板の上で料理(?)をしていると、その板の反対側でもう一人が文字を書いている。睡眠をしていると、他の人は空いた所で立って寝ている。じつに狭い空間を合理的に利用できるなどと、仰っていた。

 想像するに、無重力の生活は、われわれ地上の重力に厳格に規定された生活に比べて、とても自由で空間の利用という点で、文字通り大きな余地があるのであろう。
 われわれ地球生活者における視覚上の〈上〉とは、重力の反対方向という意味であって、重力の無いところで生まれ育ったならば、あり得ない語である。宇宙では上下という概念が不要となり、行動には違う概念が必要となろう。

 地球の景色の美しさは、これまたわれわれが地上で語る景色とは全く異なるであろうと想像する。山崎さんは、宇宙では大気がないから、他の天体の光はダイレクトにやってくる、夜の地球は都市の明かりがそのまま見え、日本列島はまさに地図の通りの形に光で縁どられていた、と語っておられた。

 だから、太陽もくっきり見えるが、その周囲は漆黒の闇である、そもそもこの地球上においては、闇の黒さは色に色を重ねての黒さであるが、宇宙の黒さは〈まったくの黒〉であって、あらゆる光や色彩を順次無くしていった末の黒さだ、というような表現をしておられた。

 このお話から宇宙の真っ暗闇の中に地球や太陽がそこだけ輝いている様を想像する。天体自体しかない、それ以外はまったくの無というような黒。どう言ったらいいんだろう。パスカルの「この宇宙の永遠の沈黙は私を震撼させる」という言葉すら、地上的に思えてくるような、極端に抽象的な黒の恐怖。

 宇宙ステーションでの生活が、われわれ地上的概念の束縛を解き放してくれるものなら、山崎さんにぜひお訊ねしたいが、そこで生活するロシア人欧米人日本人らは、国家的エゴイズムからの自由なんてことも幾分かは垣間見せてはくれるものだろうか。
    
                 

            
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テーマ : 自由への道程 - ジャンル : 学問・文化・芸術

自然災害

 今朝の新聞で、二年前の秋葉原連続殺人事件の犯人が死刑の判決を受けたという記事を見た。被告の行為は人間性が感じられず、という見出しであった。その人間性とは、被害者やその家族、友人らの悲しみや怒りを思う心のことであるあるらしい。

 小生は、非人間性についてもっと違う意味にとった。すなわち、あの秋葉原事件は、人間がやったことではない、むしろ自然災害ではないのかと。それは、あの秋葉原というまさに文明の頂点をなす一角、市民の自由と喜びと欲望にあふれる人工的な場所に、自然のまったく不可思議な領域からの突然の攻撃という印象をもつからである。

 被告の生い立ち、他人と折り合いにくい性格、怒りっぽい性格、それゆえにいじめを受け易い性格、己の主張をうまく他人に伝達できず、それでもなお他人に訴えたい衝動を抑えることが出来ず、あのような行為に走った。もっともらしい説明だ。きっとそうなのであろう。しかし、そのような彼をしてあのような大それたことを為さしめた力を小生は感じるのだ。たしかにあれは狂気である。そして狂気は遠いところから文明人の心に執り付くように感じるのだ。

 もちろん、だからと言って、彼に責任はないということではない。そもそも責任とは。死刑に処するということによって、社会が法的手続きに基づいて彼に復讐するのは、今の社会において当然である。しかし、それでどうなることでもない。新たな事件の予防になるわけではない。われわれにはどうすることも出来ない。

 このたびの東日本大震災などの、自然の圧倒的な力の前で、われわれわれはどうしようもないのを感じる。その力と同じではないか、あの被告の心の中に吹き荒れた風は遠い自然からやってきたのではなかろうか。

 われわれは、こういうとき、凶暴な自然の力の前で、泣いたり祈ったり贄を神に奉げたりした、あの古代人たちの心的状況の幾分かを呼び起こしているのではなかろうか。



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テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術

今朝三題


サイレンにおどろき見れば
   隣人の救急隊に運ばれてゆく

 春の日のかすみの空にあくがるる
   鳥の飛びゆく後を目で追ふ

 今日はまた東北の空いかならむ
   佐保姫神よ救ひたまへ



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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術

東北関東大震災 2

今日はまた寒の戻りで、被災された方々は暖をとるのに、大変苦労されていることでしょう。心からお見まい申しあげます。

また、昼夜を問わず、懸命に復旧作業に従事されている自衛隊員、警察官、各種レスキュー部隊の方々には頭が下がります。

そして自衛隊を暴力装置と蔑んだ仙石前官房長官に、男なら腹切れと言いたい。
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テーマ : 東北地方太平洋沖地震 - ジャンル : ニュース

東北関東大震災

このたびの大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。





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霊魂の発生2

 ついでに、『万葉集』をぱらぱらめくっていて、見つけた人魂なる語は、巻十六の最後、怕(おそ)ろしき物の歌と題してー

 人魂のさ青なる君がただ一人
  逢へりし雨夜は久しとぞ思ふ(3899)

 これなんぞは、人魂が危害を加えるかもしれないという怖れを感じさせる。

 他にはそんなニュアンスのあるものは見当たらないが、魂が肉体から遊離して、そこらに存在している感覚は、例えば、『巻十五』の激しい恋の歌―

 魂(たましひ)は朝夕に魂触(たまふ)れど
  わが胸にいたし恋の繁きに(3767)

 さらに、天智天皇が危篤になられた時に皇后が歌われた歌を連想するー

 青旗の木幡(こはた)の上を通ふとは
  目には見れどもただに逢はぬかも(148)

 これは、たましひという言葉はないけれど、明らかにそのようなものの存在を感じている。

 他にもあるかもしれない。


 それはそうと、「日本史は怨霊の歴史である」と主張する井沢元彦氏は、文献至上主義の歴史学界を非難してはばからない。歴史学界は、怨霊や祟りそして鎮魂などの用語が、せいぜい奈良末期にしか出てこないから、そういったことは、それ以前には、ましてや古代には無かったと言う。ははあ・・・大学のやっていることはそんなことか、と想像される。どこにそんなことが書いてある、引用文献は何かetc。

 こういう問題でまず引用されるのが、『崇神記』における三輪山伝説である。崇神天皇はヤマトタケルより古く、おそらく紀元100年~200年くらいの人だ。もちろん仏教も儒教も公式には入ってない時期だ。

 崇神天皇の御代に疫病が流行り、人々がどんどん死ぬ。天皇愁ひ嘆きたまひて、神床に居られた夜、大物主大神が夢に顕れたまひて、おっしゃった「これはわが御心である。それゆえ、オホタタネコをしてわが前を祭らしめたまへば、神の気起こらず、国もまた安く平らぎなむ」と。

 ここは、祟りという言葉は出てこないけれど、じっさいは祟っている。そして祟った神を祭れば、許される。これつまり鎮魂の儀式にもう一歩ではないか。神代のこのことから、人代においては祟りー鎮魂になるのではないのかな。

 井沢説の初めから怨霊の歴史であったという説は説得的である。しかし、古代人の感じていたのは、今われわれが言う怨霊ではなかったと思う。それは、もっとケガレに対する恐怖に近いもの、そして鎮魂も自然のある力に対する畏怖の念にもっと近いものではなかったのではないだろうか。古代人の感じていた諸力やニュアンスは、われわれにおいてはかなり薄れていたり、変容し強調されていたりするのではないだろうか。

 今の概念を古代の言葉や行為に当てはめることはできないのではないのか。比喩的に言えば、例えばわれわれの向こう側にある外国語の概念を考えてみるといいと思う。英語でradicalという言葉がある。日本語の辞書には、根本的なとか完全な、あるいは過激な、数学の根(ルート)、化学の遊離基など。文脈に応じた訳を当て嵌めることができるが、それぞれはネイティヴが感じるradicalという英語には一致しないであろうが、たしかに彼らはradicalの概念をもっている。彼らを古代人と置き換えればいい。

 古代の人たちの言葉や行為を、われわれ現代人が現代語でぴったり表現することはできない。そう考えると、「日本は怨霊の歴史である」と言い切る井沢氏もある意味正しいし、「文献にないからない」と言う歴史学界の先生たちもそれなりに正しい、と言える。

 真理は中道にあり。めでたしめでたし。

        ぱちぱち。

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テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

霊魂の発生1

 その昔、小生はヒスイの勾玉をもっていた。それは古代人が身に付けていたものである、と信じている。骨董屋で6万円で買ったものだ。しかし、一昨年の秋、失ってしまった。紐が切れて落してしまったのか、銭湯かジムに置き忘れたのか。とにかく残念でしようがない。その後、現代のレプリカを買ったけれど、これはじつにパワーレスで、あほらしくて身に付ける気がしない。

 ところでこの勾玉の形だけれど、日本独特の物らしい。朝鮮にも一部あるかもしれないけれど。この形は、何を意味しているのだろう。胎児だという説もある。なるほどよく似ているのもある。小生は丸い玉が燃えながら飛んでいる形だと思う。この玉はいわゆる魂で、それはエネルギーを発している源であって、日本の古代人の目にはそのような物が見えたのであろうとかってに信じている。


 魂(たましひ)は霊と書いてもいいが、現代人はたいていは魂を信じている。遺族は遺骨収集をするとき、骨はただのカルシウムの塊ではなく、そこに故人の何かが宿っていると信じている。共産党員に捕まって親や子の写真を踏めと命令されても、写真はただの紙切れだと解っていても踏むとなると躊躇する。

 ところで、〈ケガレ〉〈ミソギ〉あるいは〈ハラヒ〉については、つとに『古事記』には、あのイザナギ命の禊祓(みそぎはらいひ)が書かれていて、古代人はこの観念を生きていたのだな、と思われる。ケガレとは、穢れー気枯―気離れ、何事であれ悪いことを言う。その最たるものは死である。これに触れたり、見たりすることによって、汚染される。これを払い清めることを、ミソギ、ハラヒと言う。
しかし、この時、われわれが今言うところの祟りとか怨霊とかいうものを感じていたのだろうか。

 小生は、我が国の神話にあまりにも露な〈ケガレ―ハラヒ〉と平安時代から顕著になってくる〈怨霊―鎮魂〉との関係やいかに、という問題にしばらく捉えられている。
 
『記紀』に出てくる魂という言葉は、たとえばある神の荒魂をもって国守りの神とするとか、和魂をもって安全の神とするとか、あるいは幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)と述べられているが、これらは実体というより神の働きを示していて、われわれが今言う人の霊魂とか、ましてや怨霊とか、さらにはそれらによる祟り、鎮魂などという言葉はなかなか出てこない。やっと「天武紀」において、天皇が病気になられて招魂(たまふり)をしたという言葉が出てくる。

 鎮魂という言葉は、今はタマシヅメ、すなわち荒魂を鎮めるという意味に使うが、古代は、魂の活性化であって、タマフリと言っていたのを鎮魂と書き表したと聞いたことがある。タマフリとは招魂であって、これは魂が体の外に出ていかないように、体の中に鎮める儀式のことであった。

 それよりはるかに古く、ヤマトタケルは死んで白鳥になって飛んで行った。人々は白鳥を追って走った。白鳥が止まったところに、タケルを祭る神社を造った。この話は、明らかに死後にもその人の魂が続くと人々が信じていたことを物語る。

 ヤマトタケルと天武朝の間には、仏教や儒教の伝来がある。

平城遷都後、沢山の漢籍や仏典を読み、遣唐使としての経験があった大秀才、山上憶良が、おそらく天平の初め頃書いたと思われる、沈痾自哀文(病気にかかって自ら嘆く文『万葉集巻五』)には、祟りや霊そして中国の生き返りの話が出てくるけれど、だかといって、このあたりから、つまりこの言葉の輸入から、突然これらの観念が生じたとはどうも考えにくい。
                                
                                つづく


                     
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Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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