スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『カプリッチョ』

R.シュトラウス作『カプリッチョ』のMET公演映画感想―カプリッチョ風。

 シュトラウスさん、『カプリッチョ』とは、なんと上手い題名をつけたものでしょう。これが、貴方が必要とした最後の隠れ蓑だったのでしょうかね。

 貴方はこう言いたいのでしょう、人は歳をとるにつれ人生ってものが、いっそう喜劇的に見えてくる、誰もが深刻な顔をしてまで喜劇を演じたがっている、これをオペラにするとどうなるか。

 そもそも誰もいない部屋で始まる弦楽六重奏が、あの「metamorphosen」さながらの一つの時代の終わりを長々と歌う、いやあれはやっぱりmozartのquintetのパロディのつもりなんでしょう、誤魔化したって駄目ですよ、とても深刻じゃないですか。

 この初演が、偉大なる大ドイツ帝国が連合軍と戦っている真っ最中だっととか聞きましたけどね、偉いものです、ヒットラー総統はどのようにお聴きになったのでしょうか。世界の終りの予感のうちに、エヴァと恍惚の境に陥っていたのでしょうか。

 聴いていて、こんな言葉が浮かんできましたよ、〈美は過去にしか存在しない〉ってね。しかし、貴方は、どこまで本気なのか判らない、それがまあ貴方らしいと言えるんだけどね。自分はもう時代遅れだと言ったり、そのくせ美を新しい時代に盗られまいとしたり。大衆を馬鹿にしながら、大衆を当てにしたり。

 主題は、言葉と音楽の本家争いを装っていますがね、ぼくは騙されませんよ。西洋では、というか貴方のお国では、その問は延々と大真面目に考えられて、―おお、こんな言葉がありましたね、「音楽の精髄よりの悲劇の誕生」―今ではとっくにお払い箱になっているではありませんか。
 音楽も詩も、舞台に乗せる興行師がいなければ、オペラにはなりません。そのところを、貴方は見事に、一登場人物に歌わせましたね。拍手。拍手。

 美しい音楽で、さんざん泣かせておいて、終わりがいい。「お嬢様。夕食の準備ができました」という、人を小馬鹿にしたような実に散文的な文句を、召使に吐かせて、一音のトゥッティと共に明かりが消え、幕。

 これもmozartのパロディ? ―「人生みんなこうしたもの」



 にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ                              
スポンサーサイト

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

『鈴屋問答録』2

宣長に、神の道は安心を与えるか、と或る人が問うた。宣長の答えはすこぶる明快である。いわく自分にとって安心というものはないと。

 これは、「安心はいかに」という問いは存在しないということなのです。というのも、為政者がいろいろ法をつくったりして世を治めてくれているからには、われわれはそれに従って生き、また人として出来るかぎりのことをして生きていくほかはないならば、別に安心などというものは要らないはずなのだ、ということです。

 宣長はこんなふうに言っています。

 人生いかにあるべきとか、この世はどうなっているのかとか、人の道理はいかにとか、死んだらどうなるとか、いろいろと言う人が居るが、そんなことは人智を超える問いであり、無益な空論に過ぎない。そういうことを口にしたがるのは、儒や仏などの外国思想にかぶれ、それによって安心を得ようとする〈さかしらごと〉なんです。

 我が国の古代の人たちは、そのような小賢しさは少しもなかった。そのような安心の問題を立てる必要はぜんぜんなかった。われわれ後の日本人は、すでに外来思想に染まっているので、なかなかそれが分からないが、そのことをよくよく考えて、〈清らかなる心〉をもって、古事記や日本紀に接してごらん。そうすれば、安心とはいかに空疎な問題であるかが解ってくるだろう。

 たとえば、人は死んだ後はどうなるのか、と問います。わが神道においては、いかなる人においても、死後は黄泉の国に行くほかはない。古事記に書かれている通りである。ほかに余計なことを考える必要はぜんぜんない。人は死んだら必ず黄泉の国に行き、そして黄泉の国は汚く悪いところである。だから、人が死んだら〈悲しむほかはない〉のであって、余計な理屈を考える古代人はいなかった。ところが外国思想が入ってきて、人々が小ざかしくなって、素直でなくなっちゃった。そのために、人智を超えた問題をつくり、それにたいしてさらにいろいろな話をつくるようになったのです。いくら利口ぶっても素直でないだけのことなのよ。

           *

 ところが、問題はここからだ。老子の自然観に似ているが、それに付いてはどうだ、と宣長問われて、次のように答えている。

 ほんとうに自然を尊ぶならば、自然の成り行きをそのまま認めるべきではないのかな。ルソー流の自然に還れなどと言うのは、じつは素直な心ではなく、強いごとじゃないかな。わが古の神道が語るところでは、「いかなる成り行きも神の仕業である。」むしろ、そう信ずれば、それこそ安心というものではないの。

 いいことがあれば、善神の仕業であり、悪いことがあれば、悪神の仕業である、それはもう古事記にある通りよ。それゆえ、人心が乱れたり、悪いことが頻発したり、例えば、儒教や仏教の理屈を口にする人々が増えるというような悪いことが起こるのは、悪神の仕業であって、それなら、それをそのまま認めるのが、わが神道の道である。だから、ある時代には、仏教を援用せざるをえないならば、そうすればよいし、政治に儒教道徳が必要なときであれば、そうすればよい。悪神が暴れるときは、善神でも抑えきれないのであって、そのままにさせておくしかしようがないから、じっと忍の一字なのよ。ただ、古代は善神が強かったから、国よく治まっていたのです。

 すべて世の中の流れが神の仕業であって、どうしようもないものならば、空想をたくましくして、例えば、我が国が強国に占領され、日本語すら使えなくなる事態が来るとすると、それも悪神のなせる業だからしようがない。日本文化が消滅してしまったら、神々はどうなるの。・・・それも神の御心のままに。

 しかし、ここでハタと気づいたのだが、古代人から見れば、現代のわれわれがー日本人だと信じているわれわれがーすでに外国人ではないのか。われわれは、もう屁理屈は言うし、不安だらけだし、おかしな日本語を使うし・・・、異邦人はなはだしいものがある。

 



                               人気ブログランキングへ
             にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村

テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

飛騨一之宮

臥龍桜を見に行ったのは、じつはついでであって、本命は、この飛騨一之宮こと水無(みなし)神社であった。

 この神社は、臥龍桜公園のある飛騨一之宮駅から歩いて数分のところにあった。想像していたより大きな神社であり、何よりも村落のなかの平地にあり、しかも駅から近すぎる、と感じた。というのは、小生はこの神社はかなり訪れるのに困難な山の中にあると思い込んでいたからである。

  水無神社

 その思い込みは二つの事が原因であり、またその二つの事が、また小生がこの神社に興味をいだいたきっかけでもあった。

 一つは、島崎藤村の『夜明け前』。この作品は、藤村の父正樹の物語である。正樹は、中山道の宿駅である馬籠の庄屋に育ち、この地で幕末の動乱と明治維新を生きた。彼は宣長・篤胤の国学・神学に傾倒し、維新のスローガン〈王政復古〉を信じ、政治に参画しようとするのだが、新政府の名ばかりの復古、じつはすなわち近代化によって夢を次々に壊されていった。そうして彼はついに精神の異常をきたし、先祖からの菩提寺に火を掛け、家人によって座敷牢に幽閉される、という悲しいお話。明治七年、その正樹が四十歳のころ、中央の教部省の体たらくに嫌気がさして辞職した後、田中不二麿の斡旋で三年ばかりこの水無神社の宮司を務めたのである。

小生は、この小説における飛騨山中にあるこの神社への道の描写から、この神社はずいぶんと山奥にあるという印象をもっていたのであった。

ついでに、この小説名「夜明け前」は、日本の夜明けがまだ来ていない、つまりこの主人公の理想に沿って言えば、明治人の突き進んだ近代は、健全な国民性を古の道によって得ることが、まだできていないという意味に解した。

もう一つの事は、昭和二十年九月、占領軍が日本本土に上陸してきたとき、皇室が解体され、天皇の正統性の根拠となっている三種の神器が奪われるという怖れから、その一つ草薙剣を、それが祀られている熱田神宮から、どこかに隠さねばならない。しかし、そこいらの家にはおろか銀行の金庫などにも隠しておくことはできない。なにせ日本の宝ベスト3に入るものであり、ヤマタノオロチ由来の神剣である。結局、〈神のモノは神へ〉ってことで、この水無神社に疎開していただくということになったらしい。

それゆえ、この神社はいくら社格が高くあるいは朝廷の崇敬篤いとはいっても、かなり山中深いところに在るのだろうと思っていたのである。

ところが、ここはあまりに開けている。前の道はおそらく大昔からの街道であろうと思われる。そして、江戸時代には、そのあたりの農民たちが圧政に対して立ちあがり、この神社で決起集会を行った、と看板に書いてある(安永二年、大原騒動)。つまり昔から有名な神社なのだ。やはり飛騨一宮なのだ。

しかし、境内に向かうと、曇っているせいか、何となく寂しい感じがする。さっきの臥龍桜公園の見物人のにぎやかさに比べてしまうのか、ここでは2・3人しか見当たらない。あの公園とは歩いて数分しか離れていないのに、どうしてついでにこの神社には来ないのだろう、と不思議に思われた。

この神社の御祭神は、この地のすぐ南に位置する位山に鎮座せられていた水無神という。位山は表裏日本の分水嶺である。どうして水無と書くのか知らないけれど、みなしとは水主(みぬし)が水無となったのであろうことは想像できる。また農耕の神と言われる御歳大神(みとしのおおかみ)を主祭神として16柱の神々の総称が水無神とも。

神殿を囲む大木の上にガアガアと鳥の鳴き声が聞こえた。見るとてっぺんに鶴のような鳥が二匹、追いつ追われつしているように飛び回っている。

    水無神社3


こんなところに鶴が…これは瑞だと喜んだ。しかし、いまどき鶴がいるものかなという疑問が続き、明くる日、神社に電話して確かめてみたら、「あれは鷺ですよ」と。へぇー鷺ってあんなに高いところに居るのかなと驚いた。そして付け加えて言うには「あれには困ってるんです。糞害が大きいのです。」と憤慨していた
 (汗


            人気ブログランキングへ
            にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村
            
     

テーマ : 神社仏閣 - ジャンル : 学問・文化・芸術

山道を上りながら

 昨日、高山市飛騨一之宮駅のすぐ側にある臥龍桜を見に行った。樹齢千年という江戸彼岸桜で、花びらが小粒で揃っている。幹はもともと龍のように横にうねっていたらしいが、首のあたりが折れて、わずかに残るその朽木が往時の姿を想わせるばかりである。

臥龍桜  P4290782.jpg


 花はちょうど見ごろであった。緑の草が鮮やかな山裾に立っていて、背後は杉林、片方は寺の小奇麗な庭に続いている。前は公園になっていて、あちこちにベンチが設えてある。柵のため臥龍桜には近づけないのが残念だ。高山線の線路沿いであるため、電車に乗っている人も車内からカメラをこちらに向けている。しかし思うに、この時期を過ぎてしまえば、この山裾を気にする人は誰もいないであろうし、いったいこの無人駅に停まる電車は一日にこれくらいあるのだろうか。


 近くの仮設売店辺りから民謡風の音楽が流れ、焼き鳥のいい匂いが漂ってくる。毎春毎春いったい何年ぐらい前からこのような店を開いているのだろう。三十年?百年?五百年? 舗装道路も車も鉄道もなかった明治末以前は、この山間の桜を見に来る人がどれくらいいたのだろう。

 お寺の横に幅三メートルくらいの道があって、上り坂になっている。右手は山、左手は一段低くなっていて畑や雑木林になっている。坂の上の空はほとんどが雲である。暑くもなく寒くもなく、風もない。するとその景色が子供の頃から親しかった絵のようで、一種の懐かしさが胸をよぎった。

 同じような景色を前に見たことがある。そしてあの坂道を上まで行ってみたくなった。2・3分上っていくと、平地となっていて、畑と数軒のありふれた新しい家が並んでいた。この道は左にカーヴしていて、たぶん国道に通じているのであろうと思うと、なんか気が抜けた。それは夢が裏切られた感じであった。

 この一種の懐かしさというのは、子供のころ見た景色が蘇ったというよりも、絵本などに描かれた風景でこの山道の向こうに何かあるという期待感が蘇ったことだと思う。それはずっと向こうに続く田舎の道の向うの方への憧憬とか神秘性、引かれる気持ちであって、もし大人になって、あるいは地図を見て、現実の状況やよく知っている道との繋がりを知ってしまうと、消えてしまうものだ。

 子供らしい夢のような憧憬は、空間ばかりではなく、時間的にも同様のことが言える。たとえば、「むかし、むかし、あるところに王子様と御姫様がおりました。…二人は、紆余曲折の末、結ばれました。めでたし。めでたし。」その〈昔〉とは、とにかく「昔、昔」でなければならないのであって、歴史上の紀元何年の人物であることが判ると、興が冷めてしまうのである。

 神話や民話が歴史事実に還元されてしまうと、夢は消える。天照大神の岩戸隠れの話は、三世紀に起こった日食に卑弥呼が驚いた話にすぎない。ニーベルンゲン物語が、六世紀のメロヴィング朝の事件にすぎない、となったら。

 しかし、物語の面白さの本質を支えているのは、われわれの憧憬のほうであり、それを引き出す話者の力である。ホメロスが描く、神々と英雄たちが入り混じって戦うトロイア戦争の面白さは、「ドラゴンボール」の面白さと同じである(古ーぅ)。もっとも、ホメロスの文章の美しさは、地中海の明るい午前のきらめきのように、翻訳を通じても伝わってくる。

 空間的あるいは時間的にすべてが判ってしまったら、つまり、ビッグバン以来の宇宙の歴史や広がり、太陽系の位置や地球の地質学的変遷を経て、世界の地図の中に、あるいはここ何千年の年表の中に、すべてを置いて見る視点を獲得してしまったら、そのとき夢は消えるのだ。

 とにかく漠然たる「昔、昔、あるところに…」や「山のあなたの空遠く…」がなければいけないのだ。
しかし、現実にはわれわれには、決して夢は消えやしない。現に科学者や歴史家が絶えないゆえんである。彼らの活動の源泉には子供時代の憧憬がある。

 ということは、そもそもモノが判るということは、いわば坂道を上っていて歩みを止めふっと後ろを振り返って見える景色のようなものだ。その時はそう見える。しかし、さらに登って降り返ればまた違って見える。と考えれば、坂道を上がる推進力が憧憬であり、文字通り夢見る力であって、モノが判るということは休止のことではなかろうか。

 大人になっていろいろ世間が判ってくる。なーんんだ、世間はこんなものか、と思う。しかし、それはじつは一時休止にすぎない。世間は決して「こんなもの」ではないのである。判ったと合点しても、あるとき思わぬ角度から、また違った面が見えてくるものだ。決して公式はなく、もし公式で止まったら、それは憧憬という力の枯渇である。生きるということは、なぜか知らないが背後の推進力に押され続けていることだ。



                
                にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村
                人気ブログランキングへ

テーマ : 思うこと - ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。