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夏の日課

五月以降、朝起きて顔を洗って、先づすることは、メダカと金魚に餌をやりながら、その数を数えることだ。昨日と同じだけいるとほっと胸をなでおろす。一匹でも減っていれば死体を捜す。

 死体はたいてい水底に横たわっている。魚はまぶたがないから目をぱっちり開けたまま、水底の柔らかい土の上に眠っているように見える。それを見ると柿本人麻呂の水死体を連想する。死体をそっと割りばしでつまむと、白魚の佃煮ほどではないが、わりと硬い。甕の横の土を掘って埋葬する。そして思う、死体が腐乱する前に、団子虫や蟻などの餌になってしまうのじゃないかなと。

 ところが、どうしても死体を発見できないときがある。それも一度や二度ではない。どうしてこんな不思議なことが起こるのであろう。いろいろ考えた。一つは、元気が好すぎて甕から飛び出してしまった。しかし甕の周りをいくら探しても死体を発見できないのだ。

もう一つは、鳥に食われた。これは多いにありそうだ。むかし庭に池があった時、そこで飼っていた亀がカラスにぜーんぶ食われた。そのことがあってから、しばらくはカラスが電柱の上でカアカア鳴いているのを見ると、石をぶつけてやりたい衝動に駆られたけれど、今はもう弱肉強食は自然の摂理だ、と諦念の域で落ち着いている。

しかし、二つの甕はすでに蓮の大きな葉で隠されており、鳥に発見されることはなさそうだし、何よりも鳥が喰いに来ているのを見たこともない。それとも家人が寝静まっている朝まだきこっそりと襲っているのだろうか。それにしては、植物がなく、ほとんどむき出しの石臼で飼っているメダカはぜんぜん減らない。鳥ならまずこれらを襲うはずである。



甕         石臼

 それゆえ第三の考えが浮上してきた。それは泥の中に突っ込んでそこから抜け出せなくなった。あるいは泥の中に怪物が棲んでいて時に魚を喰らう。怪物の代表例はヤゴである。これは非常にありうることだが、一つの甕の土は一昨年、田舎の休耕田から取ってきた土だし、今年はトンボがわが庭を飛び回っていた記憶はないが・・・。なにはともあれ、これを確証するためには泥をかき出し詳しく調査してみなければならない。来年の初春、蓮の根分け・肥料やりの時にやってみよう。

 餌やりが終わると、自分も朝食をとる。そしてから、彼らの居場所にたっぷりと新しい水を追加してやる。そのときの彼らの新鮮な水に向かってくる生き生きとした嬉しそうな泳ぎを見るのが嬉しい。



P7010866.jpg


 大滝の下に居るごと蝉の声


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テーマ : 金魚とメダカ。 - ジャンル : ペット

新聞広告

新聞や雑誌で商品の広告を見るのが時に面白く感じる。商品を買いたいからではなく、どのような宣伝文が書かれているかに興味がある。もちろん宣伝文のみならず、背景の写真やイラストなどにどんな工夫がなされているかを考えるのも面白い。そういう意味ではテレビのCMも見るかと言えば、そうではない。なぜかテレビのCMは面白くないという固定観念が小生の頭の中に出来上がってしまって、むしろCMの間は他事をする。

今朝の新聞の本の宣伝の一つ。『原発はいけない』という本で、内容はともかく、その宣伝。〈忽ち三刷、10万部突破。あなたは「電力」が大事ですか、愛する人の「命」が大事ですか。〉とある。

〈忽ち三刷、10万部突破〉は、これだけ多くの人が読んでいるのだから面白いに違いない、あるいはこれを読まなかったら時代遅れになる、という気持ちを人々に起こさせる。これは効果的だろう。とは言っても、そんな気持ちだけで買って読んだ本は、たいてい〈がっかりモノ〉が多いと思うけれど。

自分は面白いと思わなかったけれども、それほど有名であるからには面白いはずなのだ、そう思わなかった自分は至らないのだ、と考えてしまう人は気の毒である。他人は他人、自分は自分、じゃないですか。もっとも、機会があれば、それがどのように面白かったのか、いろいろ人に尋ねてみるべきだとは思うけれど。

〈あなたは「電力」が大事ですか、愛する人の「命」が大事ですか〉というのは、宣伝文としてはどうだろう。小生などは、なーんだそんな内容なのか、と思ってかえって読みたくなくなる。小生と同じように感じる人は多いのではなかろうか。もちろん、中には「愛する人の命が大事、素敵、読みたい!」と思う人もいるだろうけれど、そういう文句に夢をはぐくむ人は、だいたいこういう本を読まないのではないかなと思うが、どうであろう。まあ本屋にとっては売れればそれでいいのであるが。



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テーマ : 本の紹介 - ジャンル : 本・雑誌

『平治物語』

 『保元物語』においては、崇徳院側についた豪傑源為朝が夜討ちの進言をしたのですが、藤原頼長が容れず、ために崇徳院側は敗北しました。頼長は日本一の大学者と言われるほどの人だったのですが、学問と戦略とは別なのでしょうか。

 『平治物語』においては、のっけから無能無芸と痛罵されている(文にもあらず、武にもあらず、能もなく、また芸もなし。ただ朝恩にのみ誇りて云々)藤原信頼が、つわもの源義平の進言を容れず、ために源氏側が敗れました。そもそもあんな情けない藤原信頼と手を組んだことが源氏の衰運を招いたと、時の人たちのもっぱらの噂だったそうです。

 ここでの総大将源義朝は、最後に尾張の野間というところで入浴中のところを襲われて最期を遂げたのです。いま南知多ビーチランドの近くに、義朝の首を洗ったという池が残っていて、そこのお寺(野間の大坊)は、霊験あらたかな、そして住職が面白い人、そしてまた賽銭箱がやたらに多いことで、この地方では有名ですね。小生もかつて知人に連れられて訪れたことがあります。

 義朝は敗残の兵、再興を期して東国に渡ろうとする途中、ここ尾張の野間に住まう長田忠致(ただむね)に頼ったのです。彼の娘は義朝の信頼する従者の妻。にもかかわらず、長田は、時の趨勢を読み、義朝らを謀殺し、その首をもって上京し平清盛らの恩賞にあずかろうとしたのですが、そのあまりの強欲ゆえに、逆に何も与えられず追い返されてしまったのですね。

この長田の義に背く行為は、世間の非難するところとなりました。また、義朝の死は、かつて保元の乱において父や兄弟を殺さしめた逆罪の因果応報にちがいない、と人々は噂するのでした。

 『平治物語』の作者はすでに源平の合戦の結末を知っていて、源氏の武将たちがいずれ平氏を打倒し天下を取ることを前提に書いています。伊豆に流された頼朝が成人した暁にはきっと平氏を打ち破ってくれるだろうという期待が文面に表れています。

 小生思うにこの物語の圧巻は、義朝の妻である常葉が、幼い三人の幼児(今若7歳、乙若5歳、牛若1歳)を連れて2月の雪降る中、都から宇陀の親戚を頼って行く場面です。(陽明文庫本)途方にくれる常葉の心中、そして常葉が追われている身であることを知って一夜の宿を与える里人の心が、凍てつく空気に広がっていくところの文章は、じつに美しく感じます。




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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

『古語の謎』

『古語の謎』白石良夫著
 
 今われわれが古典を読んで、それが書かれた当時にもそのような読み方をしていたと漠然と思っているが本当にそうであるか、あるいはある時代のちょっとした誤写からとんでもない概念の変容を受けた言葉もあるのではないか。

 著者がまず例に出すのは、万葉集にある柿本人麻呂作の有名な歌、「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」。これ専門家ならぬわれわれ一般人は、べつに何の疑問もなく昔からこう詠まれていたのだろうと思っている。ところが昔はそうでなかった。「あづまののけぶりのたてるところ見てかえりみすれば月かたぶきぬ」。鎌倉・室町時代はこのように読まれていた。

 万葉集はすべて漢字で書かれているが、この和歌は、「東野炎立所見而反見為者月西渡」と書かれている。これを古代日本人はどのように発音していたか。江戸時代の半ば過ぎて、契沖、荷田春満、賀茂真淵らの努力によって、今われわれが知る「ひんがしの・・・」となった。

 しかし、古代日本人がそのように歌っていたのかどうかは、本当のところ判らない。今後また新しい読みが発見され、一般化されるかもしれない。

 大体において、古典と言われる書物は、後世の人が書き写したものである。平安時代以前のものは、われわれが読んでいるのは鎌倉期以後の写しである。書き写しのさい、意図的にあるいはうっかりと誤写していた。それゆえ、同じ作品でも様々なヴァリエーションが伝わっている。

 契沖以後、学者はある作品を研究するさい、その作品より以前の時代の文献を引き合いに出して語彙の使われ方や意味を研究するようになり、それが古学の正統な方法となったという。しかし、元々の本文というものがあるのか、たんに幻を追っているにすぎないのではないか、また後世の改訂版を一偽書として捨てて顧みないのはどうか、むしろそれはそれで文学の再生産として評価されるべきではないのか、と著者は〈原理主義的文献学〉に疑問を呈する。

 この書を読んで感じたのは、われわれは(少なくとも小生は)江戸時代の古典発見(あるいは「古典」脱却)についてあまりにも知らないことが多いということだ。西洋のルネッサンスといえば、何となく絵画や文学のいくつかが浮かんでくるのに、江戸時代という250年におよぶ安定期に起こった文芸上のルネッサンスについてほとんど何も浮かんでこないのはどうしたことか。



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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

初夏の庭

梅雨があけて、夏の空が輝きはじめるとき。

我が家の花で、初夏と言えば、小生はまづ梔子(くちなし)をあげます。ハッとするような雪のように白い花は、しかし一日にしてその純白に陰りが見えはじめますが。

この花の匂いをかぐと、小生は20歳のころを必ず思いだします。当時、小生は下宿をしていたのですが、そこに近所のかなり高齢のおばあさんが、「これあげる」と言って鉢植えの梔子をもってきてくれたのです。それは花芽が密な立派な鉢花で、さっそくスケッチしたものでした。その時はじめて梔子の花を知ったのです。ちょうどその時、小生はゴーギャンのタヒチ紀行『ノアノア』を読んで、夢をふくらませていましたから、それ以後、小生の中で「初夏ー梔子の花ー老婆ー死ータヒチの原住民ー南太平洋の空と海」という観念連合ができあがっています。 
ちなみに、ノアノアとは香しいという意味だったと思います。

クチナシ

それから、ひそかに待ってました蓮がでてきました。

宇佐蓮
うれしいので二首

宇佐の池から去年(こぞ)取りしその種の
  秘めたるちからに畏怖をおぼえる

感謝とも驚異ともはて何といはむ
  宇佐神宮の蓮がわが庭にある



それから夏の定番。槿(むくげ)と百日紅(さるすべり)は、「これから暑ーい夏が延々と続くんだよ。がんばってね」と言っているように見えて、不快です。

槿  さるすべり



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テーマ : 花の写真 - ジャンル : 写真

『天皇の暗号』

 大野芳著『天皇の暗号』

 日本近代史にちょっと関心のある人なら誰でも一度は次のことを不思議に感じたことがあるのではないでしょうか。
 つまり南北朝の時代以後の天皇はどちらが本家なんだろう、なんとなく南朝が正統と聞かされているが、今上に続いている血統は北朝のはずだが、と。しかしまあ、結局いずれにせよ元は同じなんだから、どちだっていいや、と深く追求することもないでしょうけれど。

 しかし、この矛盾はずっと以前から指摘されていた。王政復古を果たしたからには明治政府は天皇の万世一系を確立せねばならなかった。明治天皇が北朝の血統を引き、しかし思想上は南朝を正統と認めざるをえない、それどころか明治政府はいち早く南朝の功臣たちの顕彰を矢継ぎ早にしている。楠正成、新田義貞、北畠親房らに従一位を与えたり、彼らを祀る神社を創建したり。この矛盾はすでにそのころ公に問題になっているが、それにしても、なぜ明治政府は南朝正統をそこまで強く打ち出す必要があったのか。その理由は何かを、この著書は複雑な迷路を解くように行きつ戻りつしながら探っていく。

① 一つの流れとして、徳川光圀編纂『大日本史』、その影響を受けたと言われる水戸学、そして至純の秀才松陰先生を経て尊王攘夷の志士たちが生まれた。この源流たる『大日本史』こそ南朝正統論であった。

② 長州(現山口県熊毛郡田布施町)に南朝の血を引く大室家があることは、長州ではよく知られていた。桂小五郎らももちろん知っていた。安政生まれの大室寅之祐は慶応年間に忽然と姿をくらました。奇兵隊屯所がここにあった。鳥羽伏見の戦いで、薩長軍を勝利に導いた錦の御旗がここから出発したと、大室史料に残っている。少なくとも錦旗の一つがここにもあったことは確からしい。

③ これも昔から何度となく論争されてきたことではあるが、諸報告から考えられるに、孝明天皇の死は実に不可解であって、じつは病死ではなく殺害されたのではないか、ということがある。(小生もそう感じていた)そしてまた崩御の時期があまりにもタイミングが好すぎる。慶応2年12月。この年、幕府対長州はにっちもさっちもいかない状況であり、坂本竜馬による薩長の密約ができていた。幕府の権威が失墜し、攘夷の嵐の中、孝明天皇はあくまで攘夷と公武一和を主張。

 この①②③の方程式を解くと、他にも公卿の日記などいろいろ傍証があるが、明治天皇すり替え説が成り立つ。つまり明治維新とは南朝革命だったのである。明治新政府は、近代国家のバックボーンとして、また人心掌握のために、そして何より薩長による革命の正統化として、瑕瑾なき天皇制を確立せねばならなかった。福羽美静をして『纂輯御系図』を監修させるが、これを公表することによって南朝天皇の復活が明白になるはずであった。

 そして、ほぼ時を同じくして、明治六年、欧米使節から一足早く帰朝した大久保利通は、留守居役を任せたはずの西郷には会いに行かず、岩倉らが帰朝するまで数カ月間も雲隠れする。維新後の危険と面倒を任せた後ろめたさもあったのであろう、が、しかしと著者は推理する、維新が成った今、正しい天子の由来を国民の前に発表すべきではないかと言う西郷に対して、政府の中枢にいる自分たちは、じつは姦計を用いて武力制圧をした側面があることを、いま公表するわけにはい、と大久保は思っていたのであろう、と。

 そして、西郷を下野せざるをえなくさせ、西南の役で死なせることになったのも、その底流には南朝革命の潔白な公表をめぐっての確執があったのだという。

 まあ、そのようなお話でありました。

しかし、明治天皇が孝明天皇の実子であったにせよ、なかったにせよ、明治天皇は、近代国家形成期の天皇としてのご自分の立場を自覚された、実にあっぱれな御ふるまいをなされましたね。偶然にしては出来過ぎと言いますか、まさに天からの贈り物のように感じます。

 国民の業にいそしむ世の中をみるにまさる楽しみはなし

                          明治天皇御製




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