比叡山へ
一昨日、突如思い立って比叡山に行った。残暑の季節とは言え、この日は晴れと曇りと雨とが交互に繰り返され、暑さに悩むほどではなかった。
ドライヴだったので、途中ふと目に留まった三井寺の看板に誘われてこの寺に寄った。思えばここは比叡山延暦寺と度々争っていたのだ。大きくて立派な金堂。中でじっと結跏趺坐しておられる大日如来がいい。

しづけさや 如来も聴くか 蝉の声
三井寺と言えば鐘。鐘と言えば春の夕暮れ、入相の鐘に花ぞ散りける。今は初秋。しかしせっかく来たのだからと思って200円払って鐘を撞く。良い音とは思えなかった。薄い銅板を叩いているような気がした。あるいは遠くで聞けばいいのかもしれない。
一渡り見たら急に大雨が降って来たので、ここで雨宿りがてら昼食。ちょうど出発時に晴れてきた。
比叡山ドライヴウエイに入る手前、立派な神社が否応なく目に留まる。近江神宮とある。もちろん寄らずにいられない。出来るだけ奥まで車で入っていく。と朱の立派な楼門が聳えている。

御祭神は天智天皇。なるほどここが・・・。どこからか厳かな雅楽が流れてくる。さざなみの滋賀の都はこの辺りであったのか。その海に浮かべた船上で豊の明かりを催す大宮人たちを白昼夢に見る。
比叡山は思ったより高い山だ。カーヴが続く上り坂を行くこと20分ばかり。広い駐車場があり、バスも数台停まっている。ここが最澄で有名なところか。人並みに根本中堂を見る。この横にまた釣鐘があるので撞いてみたくなった。一撞き50円也。さっきより大分安い。三井寺の名鐘より強く長く響いた。

お祈りして国宝殿へ。四天王像をはじめ優れた仏像群に恐懼する。もう完全に仏教で生きていた平安時代の人々を想像する。
そして頂上に向かう。日が照って暑い。しかし、展望台からぐるっと一周の眺めは素晴らしく、竹生島、大津、京都、大原の位置関係がよく判った。ふだん見ないようなダイナミックな雲が眼前に広がっていた。

人々は静かに暮らす
みづうみの恵みをうけて
さざなみの大津の町は
しばし待つ秋の目覚めを
みづうみに浮かぶヨットは
名残を惜しむ夏の輝き
あの雲は
夏と秋との交差する
空のざわめき
吹く風は爽やかに
うなじに触れて
あらたなる響き
あらたなる言葉となって
遠い昔の人々の
葬送の嘆きにも似て
海を越へ山を越えて
どこか異国の寒村の
正午を告げる教会の
鐘の音に混じり合ふ。
ここ↓↓

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ドライヴだったので、途中ふと目に留まった三井寺の看板に誘われてこの寺に寄った。思えばここは比叡山延暦寺と度々争っていたのだ。大きくて立派な金堂。中でじっと結跏趺坐しておられる大日如来がいい。

しづけさや 如来も聴くか 蝉の声
三井寺と言えば鐘。鐘と言えば春の夕暮れ、入相の鐘に花ぞ散りける。今は初秋。しかしせっかく来たのだからと思って200円払って鐘を撞く。良い音とは思えなかった。薄い銅板を叩いているような気がした。あるいは遠くで聞けばいいのかもしれない。
一渡り見たら急に大雨が降って来たので、ここで雨宿りがてら昼食。ちょうど出発時に晴れてきた。
比叡山ドライヴウエイに入る手前、立派な神社が否応なく目に留まる。近江神宮とある。もちろん寄らずにいられない。出来るだけ奥まで車で入っていく。と朱の立派な楼門が聳えている。

御祭神は天智天皇。なるほどここが・・・。どこからか厳かな雅楽が流れてくる。さざなみの滋賀の都はこの辺りであったのか。その海に浮かべた船上で豊の明かりを催す大宮人たちを白昼夢に見る。
比叡山は思ったより高い山だ。カーヴが続く上り坂を行くこと20分ばかり。広い駐車場があり、バスも数台停まっている。ここが最澄で有名なところか。人並みに根本中堂を見る。この横にまた釣鐘があるので撞いてみたくなった。一撞き50円也。さっきより大分安い。三井寺の名鐘より強く長く響いた。

お祈りして国宝殿へ。四天王像をはじめ優れた仏像群に恐懼する。もう完全に仏教で生きていた平安時代の人々を想像する。
そして頂上に向かう。日が照って暑い。しかし、展望台からぐるっと一周の眺めは素晴らしく、竹生島、大津、京都、大原の位置関係がよく判った。ふだん見ないようなダイナミックな雲が眼前に広がっていた。

人々は静かに暮らす
みづうみの恵みをうけて
さざなみの大津の町は
しばし待つ秋の目覚めを
みづうみに浮かぶヨットは
名残を惜しむ夏の輝き
あの雲は
夏と秋との交差する
空のざわめき
吹く風は爽やかに
うなじに触れて
あらたなる響き
あらたなる言葉となって
遠い昔の人々の
葬送の嘆きにも似て
海を越へ山を越えて
どこか異国の寒村の
正午を告げる教会の
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皇位継承問題3
ところでちょっと、いま天皇のお仕事がどんなものかのぞいてみた。すると驚くなかれ。
天皇のお仕事は猛烈に多い。一月一日は四方拝、歳旦祭の儀、新年祝賀、晴の御膳、新年祝賀の儀、二日は新年一般参賀(7回お出まし)、三日は元始祭の儀、四日は奏事始の儀、人事異動者の拝謁、・・・・・その他、内政や外交関係の国事行為、歌会始や園遊会、記念祝典、植樹祭、地方視察、外国との親善交流などの公的行為で、もう一年中手いっぱい。その間を縫って、海洋生物の御研究・論文御執筆。これで定年退職が無いというのは、ちょっと気の毒すぎる。しかも外国王室に比べて御生活は質素そのもの、給料なんて・・・・。
しかし天皇は、天皇にお生まれになったからには完全に前向きで居られる。自堕落な生活をしているくせに不平を洩らすわれわれ一般人とは格が違う、覚悟が違う。しかし、これでこそ世界に誇る、美的・倫理的極点としての皇室ではなかろうか。
天皇の特殊なお仕事と御覚悟、それを支える天皇家、皇族というものの特殊性。それを考えると、たしかに、いくら神武天皇の男系の血を継いでいる人でも、皇族から離れて一般人となって60年以上たってしまった旧宮家の人に皇族復帰していただき天皇になってもらうということが、はたして可能か。今の国民が求めているものからすると、男系の血だけに恋々とするのは笑止な話ではないか。現在の皇族には、若い未婚の女性がまだ幾人か居られるではないか。というのが、女系容認派の気持ち。
しかし、男系原理主義派は、天皇は他国の王様やローマ法王とは違って、その根拠は神武天皇から男系が125代続いているということである。それはわれわれの人智を超えていることであって、美的・倫理的云々とは次元が違う、また天皇に個人としての人格を求めるのは存在の本質にそぐわぬ、という気持ち。
女系容認派は、男系継続は本質的なことではなく、慣習にすぎないのではないか、それは、イスラムのある国においては、一夫多妻や女性の外出時の不気味な黒マントなどは千年続く文化であり、また聖典の教えに沿うものであろうと言うに等しく、たしかにそれは貴重な文化かもしれぬが、閉鎖的である、わが皇室の文化はもっと開かれたものだ、伝統とは絶えざる理念による革新だ、一般平民である正田美智子さんが御正室となられた例を見よ、と吠える。
男系原理主義者は、男系とそれらと一緒にしてもらっては困る。理念だけでは文化ではない、形式を離れて文化はない、文化は小ざかしい頭で合理的に考えられるものではない、具体的に続いているものが大事だ。三種の神器とてそうである。神話は民族を根底から支える夢だ。とにかく男系の血をもった人を皇族復帰させよ、と額に青筋立てて一歩も譲らぬ。
容認派 「天皇という日本の中心的文化を守るために今議論しているのじゃないの?」
男系派 「男系が文化だ」
容認派 「一旦平民になった者はどんな血をもっていようと永遠に平民だ。」
男系派 「ノー。皇后陛下も皇太子妃も元平民であられた。」
容認派 「結婚となると話は別だ。いま問題なのは、皇族を降りられて60年も経っている人のことだ。時効ってものがある。」
男系派 「血に時効などはない。神武天皇の男系の血を明らかに受け継いでいる人ではある。」
容認派 「そんな人はゴマンといる。毛沢東もそうかもしれん。」
男系派 「とにかくGHQがやって来るまでは皇族だった男子なのだ。」
容認派 「60年間もほったらかしにして、いまさら何さ!」
男系派 「戦後の為政者に腹が立つ!」
容認派 「それがわが国政の伝統だ!」
男系派 「伝統は大事にしなきゃ、・・・?」
両者 「そんなことこれ以上話していても、埒があかん、とにかく一刻も早くなんとかしなくては。愛子様も悠仁様も刻一刻御成長あそばされているのだから。」
幕

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天皇のお仕事は猛烈に多い。一月一日は四方拝、歳旦祭の儀、新年祝賀、晴の御膳、新年祝賀の儀、二日は新年一般参賀(7回お出まし)、三日は元始祭の儀、四日は奏事始の儀、人事異動者の拝謁、・・・・・その他、内政や外交関係の国事行為、歌会始や園遊会、記念祝典、植樹祭、地方視察、外国との親善交流などの公的行為で、もう一年中手いっぱい。その間を縫って、海洋生物の御研究・論文御執筆。これで定年退職が無いというのは、ちょっと気の毒すぎる。しかも外国王室に比べて御生活は質素そのもの、給料なんて・・・・。
しかし天皇は、天皇にお生まれになったからには完全に前向きで居られる。自堕落な生活をしているくせに不平を洩らすわれわれ一般人とは格が違う、覚悟が違う。しかし、これでこそ世界に誇る、美的・倫理的極点としての皇室ではなかろうか。
天皇の特殊なお仕事と御覚悟、それを支える天皇家、皇族というものの特殊性。それを考えると、たしかに、いくら神武天皇の男系の血を継いでいる人でも、皇族から離れて一般人となって60年以上たってしまった旧宮家の人に皇族復帰していただき天皇になってもらうということが、はたして可能か。今の国民が求めているものからすると、男系の血だけに恋々とするのは笑止な話ではないか。現在の皇族には、若い未婚の女性がまだ幾人か居られるではないか。というのが、女系容認派の気持ち。
しかし、男系原理主義派は、天皇は他国の王様やローマ法王とは違って、その根拠は神武天皇から男系が125代続いているということである。それはわれわれの人智を超えていることであって、美的・倫理的云々とは次元が違う、また天皇に個人としての人格を求めるのは存在の本質にそぐわぬ、という気持ち。
女系容認派は、男系継続は本質的なことではなく、慣習にすぎないのではないか、それは、イスラムのある国においては、一夫多妻や女性の外出時の不気味な黒マントなどは千年続く文化であり、また聖典の教えに沿うものであろうと言うに等しく、たしかにそれは貴重な文化かもしれぬが、閉鎖的である、わが皇室の文化はもっと開かれたものだ、伝統とは絶えざる理念による革新だ、一般平民である正田美智子さんが御正室となられた例を見よ、と吠える。
男系原理主義者は、男系とそれらと一緒にしてもらっては困る。理念だけでは文化ではない、形式を離れて文化はない、文化は小ざかしい頭で合理的に考えられるものではない、具体的に続いているものが大事だ。三種の神器とてそうである。神話は民族を根底から支える夢だ。とにかく男系の血をもった人を皇族復帰させよ、と額に青筋立てて一歩も譲らぬ。
容認派 「天皇という日本の中心的文化を守るために今議論しているのじゃないの?」
男系派 「男系が文化だ」
容認派 「一旦平民になった者はどんな血をもっていようと永遠に平民だ。」
男系派 「ノー。皇后陛下も皇太子妃も元平民であられた。」
容認派 「結婚となると話は別だ。いま問題なのは、皇族を降りられて60年も経っている人のことだ。時効ってものがある。」
男系派 「血に時効などはない。神武天皇の男系の血を明らかに受け継いでいる人ではある。」
容認派 「そんな人はゴマンといる。毛沢東もそうかもしれん。」
男系派 「とにかくGHQがやって来るまでは皇族だった男子なのだ。」
容認派 「60年間もほったらかしにして、いまさら何さ!」
男系派 「戦後の為政者に腹が立つ!」
容認派 「それがわが国政の伝統だ!」
男系派 「伝統は大事にしなきゃ、・・・?」
両者 「そんなことこれ以上話していても、埒があかん、とにかく一刻も早くなんとかしなくては。愛子様も悠仁様も刻一刻御成長あそばされているのだから。」
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皇位継承問題2
偉い先生方の御意見を聞いていると、不思議や、それぞれの仰せなるほど尤もなりと思えてくる。さすが大学教授だの所長だのという御仁は大したものだ。記紀はもちろんのこと、祝詞・宣命をはじめ古代からのあらゆる文献、古代中国朝鮮や世界王家の有職故実に至るまで調べ上げ、毛ほどの疎漏もない。
あれこれの論文や議論に接するうちに、腹にじーんと入って来たことがある。それは、これこそ日本だ、これこそ日本の歴史だ、って思いだ。西洋の歴史はキリスト教を除いては考えられないように、日本の歴史は天皇を除いては考えられない。
つまるところ、これは、天皇とは何か、って問うことだ。天皇とは何かを問うことは、天皇とは何であるべきかを問うことに他ならない。それはわれわれ日本人がいかに生きるべきかと自問することである。つまり、神神の時代から連続して、人代が125代続いてきた祭祀王と崇敬の対象、そういった物語を日本人全員で創り上げてきた、そして今後どのように物語を発展させていくべきか、という日本歴史の運動の真っただ中にいる感覚だ。
さて、議論の具体的な論点は、女系天皇を容認するかどうかだ。とはいっても、万一、男子の血筋が絶えた時は、その時から女系天皇にシフトせざるを得ない、という点は、ほぼ全員が一致している。
そりゃ中には、天皇の男性の血が絶えたら、それで天皇・皇室は打ち切りにしてもいい、という男系原理主義者も居るには居る。が、これはかなり少数派であり、むしろ皇室がなくなるより、女系天皇でも続いたほうがいいと考えている人が圧倒的に多いのが現実である。
女系容認派の主張は、皇女でも確実に天皇の血を受け継いでいるのだから、その皇女が女性天皇になられ、一般人と結婚され、そのお子さんが将来天皇になられても、その方は必ず昔からの天皇の血を受け継いでおられるのだからそれでよいではないか、そのほうが、万一の時の受け皿が広く、天皇の存続には、これを容認するに越したことはない、との考えだ。
この考えは近年に始まったことではなさそうだが、従来の皇室典範はこれを回避してきた。それは皇族男子が多かったことや、側室制度があったおかげだ。ところが、今やごらんのとおりの頼りなさ。女系天皇もかなり現実味を帯びて浮かび上がってきた。
天皇が永久に安定的に存続できるようにするには、どうするか。

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あれこれの論文や議論に接するうちに、腹にじーんと入って来たことがある。それは、これこそ日本だ、これこそ日本の歴史だ、って思いだ。西洋の歴史はキリスト教を除いては考えられないように、日本の歴史は天皇を除いては考えられない。
つまるところ、これは、天皇とは何か、って問うことだ。天皇とは何かを問うことは、天皇とは何であるべきかを問うことに他ならない。それはわれわれ日本人がいかに生きるべきかと自問することである。つまり、神神の時代から連続して、人代が125代続いてきた祭祀王と崇敬の対象、そういった物語を日本人全員で創り上げてきた、そして今後どのように物語を発展させていくべきか、という日本歴史の運動の真っただ中にいる感覚だ。
さて、議論の具体的な論点は、女系天皇を容認するかどうかだ。とはいっても、万一、男子の血筋が絶えた時は、その時から女系天皇にシフトせざるを得ない、という点は、ほぼ全員が一致している。
そりゃ中には、天皇の男性の血が絶えたら、それで天皇・皇室は打ち切りにしてもいい、という男系原理主義者も居るには居る。が、これはかなり少数派であり、むしろ皇室がなくなるより、女系天皇でも続いたほうがいいと考えている人が圧倒的に多いのが現実である。
女系容認派の主張は、皇女でも確実に天皇の血を受け継いでいるのだから、その皇女が女性天皇になられ、一般人と結婚され、そのお子さんが将来天皇になられても、その方は必ず昔からの天皇の血を受け継いでおられるのだからそれでよいではないか、そのほうが、万一の時の受け皿が広く、天皇の存続には、これを容認するに越したことはない、との考えだ。
この考えは近年に始まったことではなさそうだが、従来の皇室典範はこれを回避してきた。それは皇族男子が多かったことや、側室制度があったおかげだ。ところが、今やごらんのとおりの頼りなさ。女系天皇もかなり現実味を帯びて浮かび上がってきた。
天皇が永久に安定的に存続できるようにするには、どうするか。



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皇位継承問題1
「さて御立ち合い。
今から五年ほど前のこと、このままでは皇室男系が絶えてしまうと国中が不安の渦に巻き込まれ、戦後ながらく放っておかれた皇室典範の改正が叫ばれ、女系天皇容認発言をした小泉首相があんぽんたんだの何だのと貶められた、そんなある日。
秋篠宮ご夫妻に男子ご誕生のニュース。あれほど募らせた危機感、喧喧囂囂の紛糾議論はなりを潜め、これで当分大丈夫とほっと胸をなでおろし、これぞ天与、さすが神国日本と万歳三唱。
喉元過ぐれば熱さ忘るるという世のならい、あのときの緊迫感は去って久しく、さりながら依然として皇統は危機に瀕していることには変わりなく、失礼ながら悠仁親王にご万一のことがあれば、あるいはご成婚のあかつきもし男児がお生まれならなかったとしたら。
さような不吉なことを口にするではない、という叱責を受けるのは昔も今も変わりなし。我が国民は神代の昔から悪事を口にすれば、悪事が起こると信ずる傾きはなはだ強く、ましてや最悪の事態を想定し、それに対処すること大の苦手、問題の先送りを大いに好むこと、先日の大震災復興をめぐって、明瞭に顕れたるわが国民性。
ああ、占領から解放され、晴れて独立してはや六十年。その間、憲法も皇室典範も放りっぱなしで、奴(やっこ)さん何をしていたのか不思議なり。あたかも何かの用事で家を出た番頭が、なにさ途中で遇った知り合いに儲け話を聞かされて、そのまま悪友と何やらに熱をあげること数刻、気がつきゃ早や日も暮れ、臍をかんでも時すでに遅し、途方に暮れて、まあ明日がある、今宵は友の家で泊まるとするか。だが慙愧に堪えぬ胸の内、廻る思いは昔の栄光。
思えば日の本は陛下あってのお国柄。日々(にちにち)四方の神さまたちに祈ってくださるのが陛下のお勤め。富士の御山も御伊勢さんも美しけれど、皇室の美しさはまたとない。われらがこうやって生きておれるのも、美しき流れがあればこそ。西洋には何もかもお見通しの神がおられるそうな。何人もその前では誤魔化しがきかぬ、そんな怖い、だがまた何人も救ってくださる、まあとにかく有り難い神様であるそうな。残念ながら、われらにぁそんな神様おられないが、こっちには、善いことずくめのちゃんちゃらちゃん、飲めや歌え、美しいお言葉が湧き出る、流れるその泉、天皇陛下がいらっしゃる。
ところがだ、陛下には男のお孫さんがたった一人しかいらっしゃらないとの噂。そりゃ困った、困った。皇室の安定的永続を確保せにゃならん、なにはともあれ皇室典範の改定が喫緊の課題たること明らかなり。ところが現場の話し合い、お偉い先生方が女系天皇を認めるか認めないかで意見は真っ二つ。そこから一歩も前に進めず立ち往生。
下心のある取り巻き連中は、何か一言たくてたまらぬ、気に食わぬ相手方を、共産党の手先だの、在日だの、国賊だのと、戦争中いきり立った御仁どもと同じ言葉を吐きまくり、そりゃ皇国の美しき民とは思えぬ罵詈雑言。さてさて呆れたものだ。
とはいえ、たしかにこいつは難しそうだ。ちとお偉方の話し合いに耳傾けて、柄ではないが考えてみようでないか。
さて御立ち合い。続きの話がまた面白い、その前に、水あめ一本買っとくんな。今日はおっかさんの生まれた日だから特別にまけてやる。一本五円にしてやろう。さあ、並んだ並んだ。」
そこにすっと出たのは隠れ代官。
「おいこら。さっきから聴いていると、お前お上の為すことあれやこれや人前でしゃべったな、それ御法度と分かって言ったのか、知らずに言ったのか。いやどっちにしても重罪だ、しかもそれを商売繁盛のダシにしやがって。現行犯逮捕する。それ、ものども、こいつをひったてい!」
「ひぇ~、おっかさん、助けて~」

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今から五年ほど前のこと、このままでは皇室男系が絶えてしまうと国中が不安の渦に巻き込まれ、戦後ながらく放っておかれた皇室典範の改正が叫ばれ、女系天皇容認発言をした小泉首相があんぽんたんだの何だのと貶められた、そんなある日。
秋篠宮ご夫妻に男子ご誕生のニュース。あれほど募らせた危機感、喧喧囂囂の紛糾議論はなりを潜め、これで当分大丈夫とほっと胸をなでおろし、これぞ天与、さすが神国日本と万歳三唱。
喉元過ぐれば熱さ忘るるという世のならい、あのときの緊迫感は去って久しく、さりながら依然として皇統は危機に瀕していることには変わりなく、失礼ながら悠仁親王にご万一のことがあれば、あるいはご成婚のあかつきもし男児がお生まれならなかったとしたら。
さような不吉なことを口にするではない、という叱責を受けるのは昔も今も変わりなし。我が国民は神代の昔から悪事を口にすれば、悪事が起こると信ずる傾きはなはだ強く、ましてや最悪の事態を想定し、それに対処すること大の苦手、問題の先送りを大いに好むこと、先日の大震災復興をめぐって、明瞭に顕れたるわが国民性。
ああ、占領から解放され、晴れて独立してはや六十年。その間、憲法も皇室典範も放りっぱなしで、奴(やっこ)さん何をしていたのか不思議なり。あたかも何かの用事で家を出た番頭が、なにさ途中で遇った知り合いに儲け話を聞かされて、そのまま悪友と何やらに熱をあげること数刻、気がつきゃ早や日も暮れ、臍をかんでも時すでに遅し、途方に暮れて、まあ明日がある、今宵は友の家で泊まるとするか。だが慙愧に堪えぬ胸の内、廻る思いは昔の栄光。
思えば日の本は陛下あってのお国柄。日々(にちにち)四方の神さまたちに祈ってくださるのが陛下のお勤め。富士の御山も御伊勢さんも美しけれど、皇室の美しさはまたとない。われらがこうやって生きておれるのも、美しき流れがあればこそ。西洋には何もかもお見通しの神がおられるそうな。何人もその前では誤魔化しがきかぬ、そんな怖い、だがまた何人も救ってくださる、まあとにかく有り難い神様であるそうな。残念ながら、われらにぁそんな神様おられないが、こっちには、善いことずくめのちゃんちゃらちゃん、飲めや歌え、美しいお言葉が湧き出る、流れるその泉、天皇陛下がいらっしゃる。
ところがだ、陛下には男のお孫さんがたった一人しかいらっしゃらないとの噂。そりゃ困った、困った。皇室の安定的永続を確保せにゃならん、なにはともあれ皇室典範の改定が喫緊の課題たること明らかなり。ところが現場の話し合い、お偉い先生方が女系天皇を認めるか認めないかで意見は真っ二つ。そこから一歩も前に進めず立ち往生。
下心のある取り巻き連中は、何か一言たくてたまらぬ、気に食わぬ相手方を、共産党の手先だの、在日だの、国賊だのと、戦争中いきり立った御仁どもと同じ言葉を吐きまくり、そりゃ皇国の美しき民とは思えぬ罵詈雑言。さてさて呆れたものだ。
とはいえ、たしかにこいつは難しそうだ。ちとお偉方の話し合いに耳傾けて、柄ではないが考えてみようでないか。
さて御立ち合い。続きの話がまた面白い、その前に、水あめ一本買っとくんな。今日はおっかさんの生まれた日だから特別にまけてやる。一本五円にしてやろう。さあ、並んだ並んだ。」
そこにすっと出たのは隠れ代官。
「おいこら。さっきから聴いていると、お前お上の為すことあれやこれや人前でしゃべったな、それ御法度と分かって言ったのか、知らずに言ったのか。いやどっちにしても重罪だ、しかもそれを商売繁盛のダシにしやがって。現行犯逮捕する。それ、ものども、こいつをひったてい!」
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