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沈丁花危うし

先月初めごろから、一気に沈丁花が枯れ始めました。
20年以上まえ叔母からもらったときは20cm位の植木鉢だったのですが、よく育って、玄関先に地植えにしてあったものです。放って置いたら、たぶん2~3メートルくらいになっていたのではないだろうか。毎年強剪定するので、これくらいの大きさですが。


沈丁花枯れる1
  すっかり葉を落としてしまった・・・


数年前この株から取った挿し木が着いて、昨春離れた場所に地植えしましたが、これもやはり同時期に枯れてきました。


沈丁花枯れる2
  これも葉なし



残るは、今年挿し木したばかりのものが、まだ鹿沼土に生きていますが・・・、
これが枯れれば、この血脈は途絶えてしまいます。なんとか生きて!と祈るばかり。



沈丁花挿し木
  孤軍奮闘


それにしても、どうして今年に枯れたのか。他の植物で、今年変わったことと言えば・・・、
ウラシマ草に実がならなかったことと、梅につく毛虫を見なかった→一度も殺虫剤をかけなかった。(毎年三回くらいはかける)


今年の夏の気候はどうだったか、比較的早く猛暑が来て、台風だったかでその後はわりに涼しく、去年に比べると酷暑というわけでもなかったような気がするが。遣り水の不足も考えにくい。枯れた二株はぜんぜん違う場所に植えてあるし、他の近傍の植物は枯れる気配がない。
沈丁花に特異的に感染するウイルスによるものかもしれない。とすると、新しい挿し木は感染しにくいのかな。

あと今年とくに変わったことと言えば、東北大震災がある。これと連動ありや?・・・。あっ、そうだ、知人から合歓の木と栴檀の木をもらったことだ。これが妖気を発しているのか?・・・まさか。
よその沈丁花はどうなんだろう。知りたい。



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『枕草子』1

「春はあけぼのやうやう白くなりゆく山ぎは・・・」くらいしか知らなかった小生。以前から一度きちっと読んでみたいと思っていた。わりに簡単に読めるだろうと高をくくっていたら、なんのなんのとても難しい。現代語訳を読んでみてもよく解らないところすらけっこうある。

 読み進めていくうちに、清少納言っていう人がどんな人か判ってくる。宮仕えってものがどんなことか、宮廷で働く様々な人たちのありさまが、新鮮な目で、あたかもカメラマンによる様々な場面のスナップショットのように、撮られている。

 「心ときめきするもの」(29)なんか現代のテレビのコマーシャルみたい。映像が次々に出てくる。

 「心ときめきするもの。雀の子。

幼児の遊んでいるところを横切るとき。

舶来の鏡のちょっと曇っているのを見るとき。

よい男が高級車を止めて友に頼みごとをしていることろ。

上等の薫香をたいて一人で横になっているとき。

洗髪し化粧して香水をふりかけおしゃれするとき。

そんなときは一人で居るだけでも心は充実している。

男を待っている夜、窓をたたく雨や風の音にハッとするとき。」

続いて〈資生堂〉なんて文字が出て来そう。

 官庁で働く人はいろいろな人がいる。トイレ掃除おばさん。車の運転手はこんな顔の人がよく似合うとか。休日に急な出勤を命じられた人たちが時間外手当をもらう話。人事異動の時期に落ち着かない蔵人の出世競争の話。知的な会話が出来ない男は馬鹿にしてやるさ。六位風情で自宅を持って満足している男はいやだわ。夏の夕暮れ6Lのベンツで飛ばしていくどこかの御曹司は素敵。・・・

 「をかし」の文学と言われるように、俗悪な人や態度なども、けっこう何でも「いとをかし」となる。紫式部は清少納言のこういう態度をを手厳しく批判し、何でもかんでも感動しているようでは結局軽薄であって早くボケるよ、とけなしている。(『紫式部日記』)

 また、『枕草子』には、作者がいかに知的教養があったか、そしてその教養を彼女自身敬慕してやまない中宮定子と共有していた点が、他の人たちといかに違っていたかを、しばしば露骨に表している。こういう性格のゆえ後世彼女は嫌われる。当時も嫌われていたかもしれない。

 紫式部は、清少の知的教養なんて大したことないよと、露骨に切り捨てる。式部は日本紀の御局と呼ばれたくらいの教養人だったからばかりではない。前後した時代に宮仕えをし、同じような身分であり(通いの女房)、同じようにその教養でもって、サロンでは中宮に目を掛けられたいた、とはいえ、手放しで宮仕えを賛美する清少を宮廷生活に心から同化できなかった式部の目には浮薄に映ったであろうことはよく解る。

『枕草子』を読んでいると、教養があって才気に富んだ田舎者の少女が、宮仕えをして、いろいろなことに感動した、そのなんと生一本なこと、永遠の少女、と小生は感じる。今から見るとそんなに目くじらを立てて蔑むことはないじゃないかと思う。

 紫と清との二人を並べて論じ得ても、よくなされるように『枕草子』と『源氏物語』を比較することはできない。『枕草子』は、覚書、宮仕え報告書、よく言ってエッセイであって、あの罪の問題を追求した高度な小説『源氏物語』はまったく別ジャンルであり、〈作品〉の比較なんてことはどうかなぁ。

 まあしかし、人の姿の、特に服装の色合いに対する鋭敏な感覚というか、何枚も着る装束の様々な色の組み合わせ、そのコーティネートの執拗な描写などは、小生から見ると、さすが両者とも王朝時代の女性という点で同じだなと感じる、式部は嫌がるかもしれないけれど。・・・



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雄略天皇5

 先日たまたま書店で、文庫本の『古代史がわかる万葉集の読み方』という本が目に留まった。だいたい、こういう書名の本を読みたくなるほど素直ではなくなった小生ではあるのに、なぜか魔がさして手に取ってしまいました。パラパラめくると、雄略天皇御製がどうして巻頭歌になっているのかという項目がありまして、もちろん読まずにはおけません。

 するとなるほど、これは求婚の歌ではあるが、それよりも、後半の「…そらみつ大和の国はおしなべて我こそ居れわれこそいませわれこそは告らめ家をも名をも」という部分がポイントであって、これは大和の覇者の名告りの宣言の歌である、とあります。

 「新春の若菜摘みは、ヤマト王権の大切な農耕儀礼で、それに大王が出席して、名告りを行う、ということが毎年行われていたのであろう。」と書かれている。いったい誰がこんなことを述べているのだろうと、著者を見てみますと、なんと今をときめく上野誠先生ではありませんか。もう、ははーと頭を下げるしかありません。

 先生さらに続けて、だから「巻頭歌はヤマト王権の新春の儀礼の台本のような役目を果たす歌だった…これは伝承された歌であって、雄略天皇個人の歌であるわけではない。…いつの間にか、この伝承歌と雄略天皇が結びついた、ということになる。」

 では、どうしてそうなったのか。「おそらく、雄略天皇が、国土統一の英雄として、ヤマトの統治者の名告りに、もっともふさわしい大王だったからであろう」と上野教授。

 では、とさらに一歩を進めたくなる。どうしてして荒々しい雄略天皇がヤマトの統治者としてもっともふさわしいと当時の人々が考えたのか。どうして新春儀礼・詩歌集・雄略天皇が結びついたのか、例えば仁徳天皇ではなく、まあ堂々巡りみたいだけれど。こういった疑問は、われわれ現代人の感性の試金石ではないでしょうか。

ついでに、こういう疑問にも結び付きます。どうしてその和歌集に、犯罪人や遊女や乞食らの歌をも一緒に載せてあるのか。

そもそも『万葉集』がいつごろ編纂されたのか、というより様々な伝承歌から少しずつ最終的な編纂に向けての作業、国民文学として凝結させていった古代・中世の人たちの心を想像するのは面白そう。




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雄略天皇4

 前回触れた雷を捕まえた天皇の側近は、小子部栖軽(ちひさこべのすがる)って人なんですが、初め天皇の命によって雷に声をかけるのです。(『日本霊異記』)

 「天に鳴る雷神(いかづちのかみ)よ、天皇がお呼びでござる」また「雷神といえども天皇の御招きを断ることはできようか」と。雷神は怒って、ぴかぴかドーン、最初は天皇おどろいて、供え物を奉った。その雷神が落ちたところは、いま雷岡(いかずちのおか)と呼ばれている所で、地図で見ると、飛鳥の甘樫の丘の北、天香久山の南東、明飛鳥川沿いにあります。

 それから、前に書いたように、雄略天皇は足が引っ掛かってもがいている雷神を助けてやるのですが、思えば、以前は自然のあるいは出自不明の神は天皇や皇祖より上でしたが、雄略天皇以降、天皇の方が上にもなりうるように思えます。

 そういえば、『万葉集』巻第三の最初の歌。(雷丘にこの歌碑があるそうですが)、天皇、雷の岳(いかずちのおか)に出でます時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首と前書きして、

 大君は 神にしませば 天雲の
   雷の上に 廬(いほり)せるかも

 天皇は神でいらっしゃるゆえ、雷の上に仮宮をお建てになる。ついでに、『万葉集』第一巻から第四巻のそれぞれの劈頭を飾るのは、第一巻は雄略天皇、第二巻は仁徳天皇の后、第三巻はこれ、第四巻は(たぶん)仁徳天皇の妹。何となく万葉編纂者の意気込みを感じないでしょうか。

 『日本書紀』にも似たような挿話がありますが、この側近の小子部栖軽は、柔順ですがそそっかしいところがあって、天皇が皇后たちをして養蚕を広めようとして、彼に「国中の蚕(こ)を集めよ」と命じると、彼は大急ぎで嬰児(子)を集めて献上しました。天皇大いに笑って「汝がみずから養え」と命じられた。彼は命令通り養育し、よって姓(かばね)を賜わって小子部連(むらじ)となったとあります。

 この養蚕は、仁徳天皇の御代に中国から伝わったらしいのですが、雄略天皇時代から皇后の重要なお仕事となり、今の美智子皇后も丹精しておられますね。

                            ぱちぱち


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雄略天皇3

 雄略天皇の話で、さらに気になっているのが、葛城(かづらき)と一言主大神(ひそとことぬしのおおかみ)が出てくるところです。

 『古事記』には、天皇が葛城山に登ったとき、大きな猪が出てきた。天皇は鳴鏑の矢を射かけた。すると猪は怒ってこちらに向かってきた。天皇は恐れを感じて榛(はり)の木に登って難をのがれた。そして歌を歌った。―

 やすみしし我が大君の遊ばしし猪(しし)の病猪(やみしし)のうたき畏み我が逃げ登りしありをの榛の木の枝

 しかし、ここのところを『日本書紀』では、天皇は舎人(とねり=側近)に猪を射よと命令したが、舎人は怖気づいて木に登った。仕方がないので、天皇自身が矢で射て、脚で踏みつけて殺し、命令に背いた舎人を斬ろうとした。と、舎人は歌を歌う。右の歌とほぼ同じ歌なんですが、歌の終わりに「あせを」という、感動を表す拍子のような言葉を付けています。

 それで、皇后が舎人を庇って天皇の残虐行為を止めるのです。そしてまあ無事に帰途に着くのですが、そのとき天皇は「人は獲物を獲った。自分は善き言葉を得た」とのたまふのです。

 宣長は、この話は『日本書紀』に語るごとく、逃げたのは舎人であって、雄略が怖がるはずはない、またこの歌には「あせを」が付くべきである、『古事記』ではどういうわけか抜け落ちてしまったのだろう、しかし『日本書紀』の、帰途天皇が語った「善き言葉を得た」なんてのは、まさに漢心(からごころ)であって、古の日本人の感覚ではないし、ましてやあの雄略がそんなことのたまふわけがない、と言っていますが、小生、喜びをもって百パーセント同感。『日本書紀』の作者たちは、全編いたる所で中国の文献を引用しまくっています。

 天皇が大勢の御供を連れて葛城山に登ったとき、その向かいの山にもまったく同様の一団が山を登っている。何だあいつらは!と天皇が言うと、向こうも同じ言葉を発する。えーいと矢を射かけると、向こうからも同じように矢が飛んでくる。

 まったく鏡に向かって攻撃しているようですね。それで今度は「名を名乗れ」と問いかけると、向こうの人は答えて曰く「私は、悪(まが)事も一言善(よ)事も一言、言離(ことさか)の神、葛城一言主之大神だ」と言った。

 それを聞いた雄略天皇は、畏れ入って、弓矢を御供たちの着ている衣服を献上した。すると一言主神は、拍手をしてそれらを受けとり、天皇が還るときに、天皇の住まい(初瀬)の近くまで送ってくれた。葛城山から初瀬までけっこう遠いのに、送ってくれたのですね。

 『書紀』では、天皇は一言主神と出会ってから、お互いに礼をもって、日暮れまで一緒に狩を楽しんだ、とあります。それにしても、この一言で悪い出来事や好い出来事を決める(宣長は解き放すという)ようなすごい神様が、いったいどうしてここで出てきたのかは知らないけれど、こんな神様と仲良くなれるとは、雄略さんすごいんじゃない、ということでしょうね。

 ちなみに、葛城山の辺りには、出雲系の神々を祀る社が多いということです。

 そういえば、『日本霊異記』という平安時代初めの気持ちの悪い、しかしとても面白そうな仏教説話集がありますね、その初めにも雄略天皇の話があります。小生はこの本まだ読んでいませんが、この話はどこかで聞いたことがあります。主人公が雄略天皇だとは知りませんでした。

 天皇が御殿で皇后とHしている真っ最中に腹心の部下がうっかり入っていた。天皇ちょっとばつが悪そう。ちょうどその時、うまいぐあいに雷が鳴った。天皇はその部下に命じて曰く「あの雷を連れてこい」。部下はとにかく雷を地上に呼んだ。

 その後、部下が死んだとき、天皇は部下を讃えて、「雷を捕らえた何某」という碑文を立てたが、雷はその碑文を憎み、その立ててある柱に落ちて壊し、足蹴にしようとしたら、その柱の割れ目に引っかかって取れない。それを聞いた天皇は雷を引っかかりから解いて助け出した。…

 これ雷神をも畏れぬ雄略天皇の話でした。




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