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正月の飾り物

 百年以上前から、我が家では正月一日に床の間に飾っているものがある。それは天秤棒と籠で、江戸時代に生きた先祖の遺品である。


mokubei遺品1


 籠の中には、何か分からないけど葉っぱとそれを刻んだらしい包丁と木の台、そして二足の草鞋(わらじ)と鼻緒の束、小さな箒、それとこれらを正月に飾る理由を書いた紙、そして何故か貯金通帳調査済通達書(明治二十二年)が入っている。

杢平遺品2


mokubei遺品3



 理由はこうである。わが家は代々田舎町の肥料商なのであるが、その創業は江戸後期(たぶん幕末)、享和生まれ(1802)の初代と天保生まれの二代目による。二人は苦労して一財産築き、家を新築したのは明治24年であって、いま田舎に残る我が家がそれである。



 三代目が、その偉業を讃えて、彼らが使用していた商売道具である天秤棒と銭籠、タバコ草か肥料の材料の草か、切る道具、草鞋セット、きっと日々ずい分田舎道を歩きまわったであろう、(聞くところによると祖父は山賊が出そうな所へは若い男衆を連れて行ったそうな)、以後代々これを拝み、先祖の苦労を思え、と書いてある。

杢平遺品4 杢平遺品5



 明治30年にこれを記した三代目は昭和14年まで生きた。この人には子供がなかったので、四代目(小生の祖父)夫婦は養子であるから、以後は血が繋がっていない。祖父は昭和26年に急逝し、それでもって肥料商は終わりになった。

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イエスという人

クリスマスがくるといつもイエスという人のことを考えてしまう。

 キリスト教というものを小生は簡明に考えている。そのエッセンスは、自分は嘘をついているのかついていないのかをたえず自問することだ。ただ方法論的に究極なる正義(神)を措定し、それに照らし合わせて考え行動することが紛れを減らせるし、決断しやすい、というだけのことだ。したがって小生はそれを普遍的なものだと考えている。

 もちろん、〈キリスト教〉は、文化的意匠という厚着でお化けのように膨らんではいるが。そもそもギリシャ語で書かれた「新約聖書」にしてからが、すでに立派なキリスト教文学ではないか。始めからそうなのだ。だからあれを経典のように読む人たちの気がしれない。

 イエスはフツーのユダヤ教徒の家に育ち、ユダヤ教を基とする救済を説くフツーの青年であった。ただ心の中にたえず一点の灯がともっていて、それが終生消えなかったような人だ。

 イエスが生きた当時、ユダヤの民は永らく周囲の強国によって苦難の道を歩まされ続けたがゆえに、救いの神(ヤハウエ)信仰をめぐって、サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派らが対立し、時代は混沌としていた。

 そんな中で、イエスはいわば左右の言説に惑わされることなく、また教え(律法)に縛られ過ぎることなく、いわば聖にも俗にも陥ることなく、澄んだ目で見、行為した。フツーの生活人に接し、人気を博していったことはいうまでもない。それゆえ既得権を侵されると恐れた神官や律法学者たちにとっては、イエスはうっとおしい存在となる。

 イエスは自分が処刑されなければならないと、あるときから覚悟を決めたようだ。読み書きが出来ない人たちに対し彼はアラム語だけで充分だと考えたであろうし、そもそも自分の考えを文字にして書き残そうとするような卑しい気持ちも、一宗派を立ち上げようなどという煽情的な気持ちも、一瞬も湧きおこらなかった。

 「新約」が書かれたのは彼の処刑後数十年以後である。彼を神あるいは神の代理人だと当時感じた多くの人たちがいたことはよく理解できる。イエスが語ったとされる「福音書」の中の言葉が、繰り返し浮かんできては考えさせられる。

 ついでに「旧約」はと言えば、広大な無意識からふと噴出してくる不思議な夢のような神話・歴史の複合体であって、そういう意味で小生はこちらの方が面白い。『聖書』は小生の愛読書だ。とはいえ、これをまた通読せよと言われれば、もううんざり。たまに所々読み返すぐらいで結構。



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冬至

冬至。素敵な言葉だ。人間の生活のリズムは太陽の動きによって律せられているし、太古の人たちは夜間は月や星の運行を眺めてばかりいたであろうから、まず天文学を発達させたことであろうことは想像に難くない。

 夏至冬至春分秋分における太陽光の位置に標をつけることの呪術的、宗教的意味。インカやエジプトのピラミッド。アンコールワット。ストーンヘンジ。三内丸山遺跡。世界中どこでもその瞬間を意味あるものと捉えていた。

 宗教と言えば、どこでも初めは自然宗教つまり多神教であったようだ。人間にとって祭りの起源は、獲物の調達を神々に祈ることであるように思われる。農耕民族にとっては農作物の収穫量が最大の問題であろうし、したがって太陽神への感謝は一番大事な行為だ。

冬至は太陽が最も弱り、そのあくる日からまた日一日と長くなる、そういう瞬間である。だから冬至は重要な意味をもっている。この日に、あるいはこの前日に太陽神を祀るお祭りは、世界中どこにでもあっただろうと思う。

クリスマスも、もとはと言えば、ローマ帝国が公認する前は、あの辺りの民族宗教は冬至の太陽神を祀る祭りであったのが、人心掌握のためにキリストの誕生日だと府会したようだ。この作戦は成功し、いまやキリスト教文明が世界を席巻している。

先日(11月22日の夜)、石上神宮の鎮魂祭に行ったが、その要となる御魂(みたま)神事は、『先代旧事本紀』にいう、神々の世界から降りてきたニギハヤヒ命がもってきた神宝を使って、その子孫が神武天皇の心身の安寧を祈ったのが、その始まりと、ある。

が、暗闇の中で神主の繰り返す呪術的文句「ひい、ふう、みい、よう、・・・・とお・・・ふるへ、ゆらゆらと、ふるへ」とシャンシャンと鳴らされる鈴の音から強く感じたのは、魂の再生であり、もっとも暗くて長い夜からの復活だ。

数日後電話で宮司に「あれは魂の復活の呪文だと思われるが、誰に対して言っているのですか、われわれ全員に対してですか、主祭神のフツノミタマ(神武天皇の大和平定を助けた剣)ですか」と訊ねたところ、言下に「天皇に対するものです」と。

延々と毎年繰り返されてきている鎮魂祭―魂振りの祭。人が死んで歌舞音曲を催すのも元はタマフリの意味があると聞いた。天の岩屋神話もそんなのを連想させる。死と再生の秘義が行われる瞬間―冬至。



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月蝕

 先日の月蝕に見惚れました。月蝕そしてまたLunar Eclipseという文字や響きに、小生は想像力が刺激されイメージが膨らみます。三島由紀夫のあの最後の小説の題名が当初は『月蝕』だったということが思い起こされます。

 夜十時前、流れる雲にちょくちょく邪魔されながらも月面に地球の影が映し出されて、あたかも巨大な理科の実験室に居るような気になりました。

月蝕1 月蝕2 月蝕3 月蝕4

     愚作三首。

 心中であれが地球の影なのだ
      地球の影と連呼する

 ほんたうに月は地球の幼友と
      思ふ今宵嬉しさつのる

 月影の刻々変はる三時間
      寒さを忘れカメラを覗く



          

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12月8日

 一昨日職場で「今日は何の日か知ってる?」と訊いてみた。一人が答えるに、今日は子供の誕生日だと。もう一人は考えて、今日はたしかジョン・レノンが死んだ日だと言う。他の人たち、うーんと考え込む。「今日は300万人もの日本人が死ぬ発端になった日だよ。」「えー?」

 真珠湾攻撃。以前からアメリカではルーズベルト大統領が仕組んだ罠ではないかとささやかれていたが、眠っていた資料が明るみに出ると、ひょっとして本当にそうだったのかもしれないとも思う。まあ、日米双方ともそんなことは認めたがらないであろうが。

 しかし思うに、日本がアメリカの罠にはまったと言う言い方は甘すぎる。大局的に見て、日本から明らかに先制攻撃するように世界は動いていたように見える。当時の英、蘭、仏、ソ、中、米、みな日本の攻撃を待ちあぐんでいた。いや日本でさえ「機先を制す」でなければならないと考えていた。世界中が一致してそれを願ったのなら、真珠湾攻撃はまさに日本は自分に割り当てられた役を見事に演じたのだ。

 歴史の大きなうねりを思うとき、個々の誰かがこうしたからこうなったなどというのは、人間の力を買いかぶり過ぎている。逆に言うと歴史を見くびり過ぎている。大統領でさえ、流れに流されるしかないのだ。歴史の流れの前で個人の意志とは何か。小生は大津波に流される家家の映像を見ていた時のあの感覚を思い出す。

 戦争が終わって裁判がなされ、反省会が催される。もちろん戦時においても平和時においても、正義に照らしてというか法に照らして、罪を犯した者を罰せねばならない。しかし、戦後は、交戦国全員が参加したにもかかわらず、勝った方も負けた方もおのおのの戦後の気分の圧力によって、正しい判断がきわめて困難になるようだ。

 それゆえ大抵はていのいい責任のなすりつけあいとなり、出来事の前での謙虚さの欠如となる。じっさい誰それがこうしたから彼の責任だ、あの時こうすればよかったのだ、というような口吻が続いた。そこにはわれわれの過去に対する悲哀がない。

 やってしまったことはしようがない。あの時は2度とやって来ないのだ。あの時ああすればよかったのだと言う人は、ではもう一度あの時と同じ状況に置かれたら、どうするか。やはり同じことをしたであろう。本当は同じことなどありえない。

 あの時、例えば昭和16年12月8日のA氏の状況および決断は、A氏が生まれてからその時まで占めてきた時間空間の特異点の連続であり、なしてきた経験の総体の結果である。あの状況は、宇宙始まって以来、一回限りのものである。2度と繰り返すことはない。

 それなのに、もし自分が同じような状況に陥ったらそうはしないよ、などと悠長に言っている。歴史に対する恐怖の欠如、過去に対する信頼の欠如、と小生には感じられる。決して同じようなことは起こり得ない。小生はだれでも自分の過去の痛切な出来事を振り返ってみるとき感じるあの感情のことを言っているのだ。

 あのとき自分はこんな失敗をしたから、よくよく反省して次は同じ失敗を繰り返さななかった、というのは、彼は反省の結果別の行為をしたのではない。彼は1回目と2回目とは異なることを欲したのだ。つまり失敗というものはない。下手な作り話は好まぬ。



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『紫式部日記』1

長保元年(999年)紫式部27歳。20歳年上の藤原宣孝(のぶたか)と結婚し、一子をもうけるが、二年後に宣孝死去。

長保五年(1003年)時の最高権力者藤原道長に娘(中宮彰子)の出仕を懇望される。

 寛弘二年(1005年)彰子中宮のもとに出仕。

 『紫式部日記』は、出産のため土御門邸に里下りしていた中宮を取り巻く様子から始まっています。じつにたくさんの人々が、ひしめき合い、立ったり座ったり、大声で泣いたり笑ったりする様子が、事細かに描かれています。

 めでたく若宮を御出産。うんざりするほどの様々な儀式。真面目にきちんと仕事をしている紫式部、あるときふと漏らします・・・

 〈いい歳をして、いったい自分は何をやっているのだろう。どうしてこうも気分が晴れないのだろう。他の女房たちのように楽しく振る舞うことができればいいんだが・・・。だが悩んでばかりいるのも罪深いことだ・・・。結局ついついぼんやりと景色を眺めてしまう。・・・池に遊ぶ水鳥。・・・彼らも本当に楽しんでいるのだろうか・・・〉

 そうこうするうちに若宮は順調に御成長なさる。『源氏物語』を書き始めていることは、もう皆に知られている。自分のことを紫の上と呼ぶ人さえいる。

 雪の降る日、休暇をとって里(実家)帰りした紫式部。

 〈年頃見慣れた古里の庭木を見れば、また憂鬱になる。夫の死後、ただ、ぼーと庭を見て過ごしていた。草木や月の変化、そして鳥の声で時の移り変わりがやっと判った日々だった。これから先の我が身はどうなることか・・・。気心の合う友人と物語の話をしたりしてなんとか心を慰めてきたけれど、宮仕えを始めてから、わが身が恥ずかしい、辛いと思うばかりになってしまった。憂さを忘れようと物語を手にとってみても面白くない。・・・忙しい宮仕えに慣れてしまった自分を友人たちはきっと軽蔑していよう、手紙を出すのも躊躇しよう。ここに居ると悲しさがつのってくる。〉

 中宮さまから出仕の催促の御手紙が来ます。

 五節(大嘗祭の少女舞)が始まる。清少納言なら、手放しで楽しんで見物したでしょう。しかし、紫式部は楽しめません。

 〈あの舞姫たち。名門のお嬢さんたち。殿上人たちが居並ぶ前を、いっぱいの灯りに照らされて、よくもまあ、扇で顔を隠さず平気で入場してくることよ。みなに美しさを競いあわされる彼女らのなんと不憫なことよ。一人の少女は気分が悪いといって退出する。どんなにか彼女たちは緊張し苦しい思いをしていることだろう。見ている人たちの何と無神経なこと。少女らはそれぞれたしかに美しい。見たくないけれど見てしまう、わが身のなんと浅はかなこと。だんだんと宮ズレしてゆく自分が恐ろしい。〉

 あの賑やかな賀茂祭も終わり、また師走がやって来ました。思えば勤務を始めてはや三年。自分もここの風紀に染まりつつあるのだ、ああ。

 〈中宮さまは御物忌で籠っておいでだ。夜横になっていると、いっしょに居る女房たちは浮き浮きしてしゃべっている、「宮中はやっぱり違うわねぇ!里に居れば、今頃はしんと寝静まっているはずよ。ここではまだまだ殿方の靴音が頻繁なんですもの!」
 ああ、いあやだ、こんなおしゃべり聞きながら歳をとっていくの・・。〉

 一刻でも早く他の女房のようになりたいと露骨に焦っていた清少納言とはあまりに違いますね。

 ついでに、紫は周りの人たちの容姿をスケッチしています。

 〈Aさんはね、ふっくらとして、口元が上品で、理知的な顔立ちをしています。穏やかで、かわいらしくて、素直です。
  Bさんはね、優雅で奥ゆかしく、恥ずかしがりやで、線の細い柳のようです。
  Cさんはね、色が白く、ちょっと背が高くてすらっとして、黒髪も立派です。穏やかで、よく気が付く人です。
  Dさんはね、色白で太っています。ほほ笑むととても愛嬌があります。
  Eさんはね、・・・Fさんはね、・・・
 まあ、いろいろ言いましたが、心立てはと言うと、これは難しいね。それぞれ個性があって、全く駄目だという人はいませんが、気品・思慮・情緒・信頼・・・など何もかも揃っている人はいないものです。こんなことを語る私はけしからんですね。チャンチャン〉





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澄み濁るをば神ぞ知るらん

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