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二月尽の庭

今年の冬は寒かったですね。二月の駄首詠納め 
 

蕗の薹 ヒヤシンス チューリップ
蕗の薹                   ヒヤシンス                  チューリップ
 近ごろは忘れられたる球根の
    突如芽を出す枯れ草の上




梅
 梅の芽の赤の鮮やか増す日々の
    今年は遅し何をためらふ




龍のひげ
 龍のヒゲ裏庭角の岩かげに
    かくれて抱く青玉の濃さ




鉄線
 鉄線の冬枯れ枝のきたなきに
    近づき見れば新芽付けたり




やぶ椿
 やぶ椿今年は寒き春なれや
    一輪咲いて孤独深まる




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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術

アウグスチヌス2

 
 
 『創世記』の初め、「神ははじめに天と地とを創造された」という部分の執拗な考察、この〈はじめ〉ということから、有名な時間論が展開されるところは、やはり面白い。

 「この宇宙を創造した神は、その前何をしていたのか」との質問に答えて、何もなさっていなかったのだ、そもそも時間も神の創造である。〈その前〉などということはありえない。・・・ このことは宇宙のビッグバン理論を耳にしているわれわれ現代人にはよく分かりますね。

 過去とはもはや〈ない〉ものであるにもかかわらず、ある。未来とはまだ〈ない〉にもかかわらず、ある。それは記憶としての、そして期待としての現在にあるしかない。測定できる時間は現在だけではないか。それが長いとか短いとか言うのは、現在には広がりがあるということにはならないか。

 測定するためには初めがとどまっていなければならない。それはどこに留まるか。それは自分の記憶の中ではないか。・・・とすると時間は私の精神において測られるのではないだろうか。未来はすべてかならず過去になる。ところで神は永遠である。そこでは過ぎ去るものはなにもなく、すべては現在にある。この永遠という現在の高さから過去の一切が流れ出す、云々。

                 *

 おそらく、アウグスチヌスが、ギリシャ哲学的言辞で(静止は動きに先立つというような)、言いたいことは、こうであろう。つまり、われわれは未来―過去を流れる歴史的時間を生きているが、もしそれをいつでもただちに無効にしてしまうような永遠(それは同時に未来も過去も含むような)に触れられていることがなかったならば、われわれは救われることがない、と。

 このことを1500年後にもっとはっきり言い表した人がいる。もっとも小生の勝手な連想ではあるが。こんなふうにー

 ギリシャ的永遠は過去的なるものであり、ユダヤ教の永遠は未来的なものである。…キリスト教の永遠は未来的なるものでありかつ過去的なるものとして瞬間(現在)に現れる。キリスト教において一切のものの枢軸をなしている概念、すなわち一切を新たになす所以のものは、時が満ちるということである。この時間の充実が瞬間であってこれは、同時に未来的なものであり過去的なものである。

 もし人がこの点に注意を払わないならば、いかなる概念をも、異端的な背信的不純物から守ることはできず、過去的なるものはそれ自身独自なものとして捉えられることなしに未来との単純な連続性のうちに留まらしめられる(かくして改心・宥和・救済の諸概念の意味も失われることになる)、未来的なるものはそれ自身独自なものとして捉えられることなしに現在との単純な連続性のうちに留まらしめられる(かくて復活・審判の諸概念は没落せしめられることになる)。
(キルケゴール『不安の概念』)




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テーマ : 聖書・キリスト教 - ジャンル : 学問・文化・芸術

アウグスチヌス1

    

 
 
アウグスチヌスの『告白』(山田晶訳)を読んだ。アウグスチヌスの著作といえば、これと『神の国』しか知らなかったが、じつは彼は非常にたくさんの論文を著した大変な著作家であったようだ。

 アウグスチヌスは354年、北アフリカのカルタゴに近い町タガステに生まれ、430年その近くの町ヒッポ・ルギウスで死んだ。壮年時代のわずかの期間、ローマとミラノに住んだ。

 この少し前の時代のローマ帝国は、ずっと以前から続いていた各地域の古代諸宗教、多数のいわゆる異教(たとえばマニ教)、そしてとくに勢力を増しつつあるキリスト教の諸派による闘争が絶えず、ついにコンスタンティヌス帝が政治決着をつけねばならなかった。

 が、それ以後も諸宗派の争いは絶えず、テオドシウス帝はキリスト教を国教化するが(391年)、それでもなお帝国は落ち着かず、さらに蛮族の侵入によって西ローマは滅亡への一途をたどり、そのために却ってローマ教会は、安定した東方教会よりも、その教義の純潔を研ぎ澄ましえたと言えようか。


 彼アウグスチヌスは悪ガキであったようだ。とはいっても、まあ当時の普通の少年であったらしいが、彼を終生悩ませたのは、どうにもならない性欲であった。16歳から女性と同棲をはじめ、翌年には息子が出来た。悪ガキ仲間と泥棒もした。しかし勉強もよくでき、知的好奇心が強く、ギリシャ哲学を読みあさり、マニ教に入信。敬虔なキリスト教徒であった母親を嘆かしめた。

 マニ教は、霊と肉との、善と悪との絶対的二元論で、『旧約』を否定、キリストは肉体ではなく精神そのものとしていたそうだ。アウグスチヌスは29歳の時、マニ教の司教ファウストゥスに会って話をする機会を得たが、そのときファウストゥスの考えがあまりに浅いのに失望して、マニ教に対する疑いが芽生えた。

 それから彼はローマに赴き、翌年ミラノの修辞学の先生に推挙される。そこで司教アンブロシウスに遇い、その人格および『聖書』の解釈の深さに感銘を受け、以後キリスト教正統派信仰に傾いていった。
 
 31歳時、母の勧めで12歳の女性と正式に結婚。いままでの女性とは決別。プロチヌスらを耽読。

 33歳時、母死す。北アフリカに帰って友人たちと修道院生活をする。37歳時、あるきっかけでヒッポ・レギウスの司祭にならされ、43歳時には司教になり、生涯そこにとどまった。

 彼の後半生は論争に明け暮れた。それがそのまま彼の思想の発展となり、信仰の深化となった。マニ教に対しての大きな論点は、悪の存在とキリストの受肉という点である。マニ教は悪の根本的存在を肯定する。対してアウグスチヌスは神が創ったこの世に悪はない。被造物たるわれわれの意志が神に向かず無に帰ろうとする、そこに悪が生じる。マニ教はキリストは光の子、精神であって、肉体をともなってこの世に来ったのではないとする、対してアウグスチヌスは、キリストは確実にこの世の歴史的存在でもあると言う。

 それから対ドナティスト論争。彼が生まれ、最終的に司教をしていたのは、アフリカである。このころの当地のキリスト教徒たちはローマの教会の腐敗を知っていた。すなわちドナティストは、聖なる人でも一度でも信仰を汚した者による秘跡は無効である、と主張する。対してアウグスチヌスは、教会は完全ではない、そしてわれわれはみな弱い人間であるから、過ちを犯しても悔い改めた者には寛容であるべきだと主張した。

 罪を犯すことについて人間の自由意志を重んじたペラギウスという僧に対しては、アウグスチヌスは、すべては神によって創られた、そして人間の善い行いへ向かう意志は神の恩寵によるのであって、人間の自由意志によるものではない。悪い行為、つまり罪は人間によるものであるが、それは己の弱さの自覚が欠けているからであり、それゆえにこそ神の恩寵を乞わねばならない、となるらしい。

 この『告白』は、あくまで神の前での告白であり、女性の肉体から離れられない自分、司教になってからさえ夢の中での自分をコントロールできない自分の最終的な弱さの告白、そして異教信仰からの回心と、それはあくまで神の恩寵であって、この神はキリスト教正統派の教義が示す神でなければならないことを、ギリシャ哲学やプロチノスをふんだんに援用しながら、追及している。





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『紫式部日記』3

 〈女房たちの取次での応対がまずいというのは、べつに語彙が少ないというわけでもなく、理解力がないというわけでもなく、ただしくじったらどうしようとか恥ずかしいという不安に捉えられて、ついつい逃げ腰になるからでしょう。いったん宮仕えという仕事に就いた以上、上手に応対するという大人のしきたりに従おうとすべきではないの。

 こんなところが、斉院方に侮られるのじゃないかしら。しかし、だからと言って、自分の方こそ優れており、他の人は見ても聞いても解るまいと自信過剰になって相手を軽蔑するのは道理に合わないわね。他人を非難するのは容易であり、自分の心を適切に配るのは難しいはずですが、そうは思わないで、まず自分こそ賢ぶって他人を無視したり、世間を非難したりするところに、むしろ浅薄な心のほどが見えますね。〉

 こういう態度も、〈やまとだましひ〉が薄いということは明らかですね。いずれにせよ、極端な態度は、精神のしなやかさを欠いていると感じます。

 しかし、紫式部はあれほどしなやかな態度を推奨しておきながら、自分はついつい無口になってしまう。他の人たちから見ると、お高くとまっている、打ち解けず人を軽蔑している、などと言われる。しかし、話してみると、打ち解けやすく、おっとりしているとも言われます。

 紫はたんに自分の好きなことを同僚に話すことさえとても難しかったでしょう。また自分の才をひけらかしたくもなかったでしょうし、ひけらかすことによる嫉妬の渦にのまれることも極力避けたかったでしょう。人によって様々とは言え、自分のあり方、自分の気持ちを人に説明するのが何とも困難であることをどうしようもなかったでしょう。

 とりわけ宮中では、自分こそと思い、人の気持ちを理解しようとする人が少ないがゆえに、紫の無口は、あの子供らしい女房の恥ずかしさや気遅れ、引っ込み思案からくるものではなく、億劫なのであり、面倒なのであり、どうせ理解されないのなら、どうとも思え、じっとしてにこにこしているのが一番
という気持ちが強くなっていったのでしょう。

 終わりの方の手紙らしい部分。

 〈何ごとにつけ、世の中は煩雑で憂鬱なものでございます。〉
 〈後は仏道修行のみです。私は罪深い人間ですから、出家できるかどうか。〉
 〈それでもまだ他人の口を心配している私は思いきれないのでしょうね。いったいどうしたらいいのでしょう。〉

                

                                


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Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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