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『エルナニ』

  
METライヴビューイングで、ヴェルディ『エルナニ』を観た。すでに言われていることではあるが、歴史物とは言ってもストーリーは荒唐無稽である。しかし、ユゴーの原著は、読んでいないので、どうだか知らないけれど、音楽となると、別にストーリーがどうのこうのなんて関係がないな。

 オペラは、あくまで音楽であると昔から思っていたが、衣装やライトや舞台装置の見事さ、それに歌手の演技の見事さに目が奪われ続けると、ついついオペラは音楽であるということを忘れてしまう。

 と言うと、ではなぜ作曲家は、器楽曲や声楽曲を書けばいいのに、わざわざオペラを書くか、という疑問が湧く。

 考えるに、物語のある場面の登場人物の心持ちをより一層深いところから明るみに出すためだ。音楽が無ければ、たんに表面的な出来事の推移―要するにつまらない芝居になってしまう。音楽こそ真実在、すなわち心の深層の動きを暗示する。その連続が、ひと纏まりのオペラとしての作品なのだ。

 だからこそ、オペラのストーリーは荒唐無稽であっても、出鱈目であってはいけないのだ。それぞれの登場人物の心が、いわば必然的な綾をなして、展開していかなければならない。オペラを作曲している時の作曲家は、だから決してこの流れを中断してはいけない。

 二重唱・三重唱となると、それぞれの人物のそれぞれの心持が、それぞれの歌となって、全体として一つの調和したムードを生みだす。そのムードは、創られたものとは言いながら、その状況の或る真実在であって、われわれはそれを聴いて陶酔する。陶酔と言っても、それだけ目覚めているのだが。

 それに、名人の歌声を聴いているときは、人声は最高の楽器ではないかと感じる。今回の女主人公とでも言うべきエルヴィーラ役のミードとかいうソプラノ歌手は、その立派な体からなんと見事な歌声を発していたことだろう。こういうもののために、オペラから離れることができない。

 ついでにもう一つ、はっと思ったのは、最後の幕で、主人公エルナニに対して、シルヴァという老人が約束の死を迫る時の、暗い運命的なフレーズは、モーツアルトの『ドンジョヴァンニ』で騎士像がジョヴァンニに回心を迫るときのそれと何とよく似ているか。ちょっと驚いた。

 まあメロディーがよく似ているってことはしばしばあるけれど。以前FMラジオ番組で、聴者から募った〈似ているメロディー〉を毎週取り上げているのがあったけど、似ていると言えば似ている例があまりに多くて笑っちゃったな。逆に言えば、似ているということは違うということでもある。犬と猫は違う、けれども見方によれば似ている。




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テーマ : 音楽 - ジャンル : 学問・文化・芸術

雨後の庭

今年は咲くのも散るのもほんとうに遅かったですね。
早いところではもう桜が開花しているらしいですが・・・、
まだ、うちではまだ梅の名残り。

如例凡句仕奉候 

庭椅子


春雨に うたれて静か 椅子の上





雨後の庭2


紅梅の 宴のあとの 庭ひろし




雨後の花びら


 
花散って この世あの世に よみがへる


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

寸劇1

Y子「先生って、本当にいろいろなことをよく知っていらっしゃる」

先生「まあ、これくらいのことは。」

Y子「先生は頭狂大学の大学院を出られたのですって?」

先生「うん、まあ。」

Y子「すごい! で、ご専門は何なんですの?」

先生「生命倫理」

Y子「えー、難しそう、何なんですの?」

先生「まあ、一言では言えないけれど、…例えば、お猿のDNAと合体させて生まれた人に人権を与えるべきかどうか、とか、…脳を移植した場合、ドナーとレシピエントと、どちらの人の名前を残すべきであるか、とか…」

Y「えっ? 何かとても難しそう。やっぱり違うわねぇ、頭大出の人が考えることは。素敵ね、先生は頭もいいし、スタイルもいいし。運動もしてらっしゃるんでしょ?」

先生「ちょっとね、健康のために。」

Y「まだまだ青年と言ってもいい体つきをしておられるわ。よくもてるでしょうね。」

先生「いや、それがなかなか女性とは縁がないんだよ。」

Y「うっそー。女性から見てとても魅力的よ。」

先生「…Yさん、ぼくと付き合ってくれない?」

Y「えっ、無理しなくていいのよ…本当はいままで何人もの女性と付き合っていたんでしょう?」

先生「そんなことはないよ。…」

Y「いや、分かるわー。」

先生「まあ、そりゃ少しは。」

Y「沢山でしょう。やっぱり違うわね、頭大出の人は、何でもよくできるのね。呑みこみも早いし。」
   

 
 
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テーマ : ショート・ストーリー - ジャンル : 小説・文学

曲水の宴

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「曲水の宴」は、テレビでちらっと見たことがあるだけですが、京都の城南宮が有名ですね。これは、いつ始まったのかよく分かりませんが、我が国では「顕宗紀」に初出です。

 「顕宗初年、三月の上巳に、後苑にいでまして、曲水の宴きこしめす。」とあって、これ西暦485年、3月6日です。『日本書紀』作者らが、かってに中国文献からとってきて編入したのかもしれませんが、まあいいでしょ。その後日本では、婦女子の祝いの習慣と一体化して、三月三日が五節句の一つ、桃の節句として今に続いています。

 中国では、書聖として有名な王羲之(おうぎし)の『蘭亭序』に有名です。西暦353年3月3日、名士たちが、蘭亭という、会稽山の麓にある自然公園にある四阿(あづまや)で、「禊事をして、流杯曲水…一杯一詠」を楽しんだとあります。

 この王羲之の『蘭亭序』は、書を習う者の必須手本ですね。小生も書道を習っていた時、よくこの書体を練習させられたものです。これは当時からよほどの名書として有名であったらしく、王羲之の書いたものをすべて蒐集していた唐時代の太宗皇帝は、死んでなお自分の陵に副葬させたという。原本はもとよりなくなっています。

 奈良の大仏で有名な聖武天皇も王羲之の書を手本にして筆の勉強をされているということを耳にした鑑真は、本物の王羲之の書を持って来日したらしいですね。聖武天皇の遺愛の品々が収められている正倉院にも、もちろん収められたのですが、平安時代は嵯峨天皇の御代に貸し出したという記録があっても、返却したという記録がなく、当時能書家としてトップを争っていた人、たとえば三筆のだれかが犯人ではないか、という話をきいたことがあります。

 曲水の宴の記述は、顕宗紀から後はずっとなく、文武天皇の時代になって、やっと見られるという。たしかに調べてみると、『続日本紀』の文武天皇701年にあります。まあ、記述が無いから行われなかったとは限りませんがね。

 『蘭亭序』の記述にある曲水の宴は、なんかとても規模の大きいものだったように想像されますが、どうでしょう。
 「此地有崇山峻領、茂林脩竹。又有清流激湍、映帯左右。引以為流觴曲水、…」(觴は杯みたいなもの)

 我が国の古の曲水の宴は、どんなふうだったのでしょうか。たぶん今の城南宮などでなされているような、小じんまりした、ささやかで、ゆったりしたものだったと想像します。



 
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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

浦島子伝説

 
 『万葉集』に水江(みずのえ)の浦島子(うらしまこ)の物語が長短歌として出てきます。(巻第九1740・1741)この話は、後に室町時代の『御伽草子』の中に浦島太郎として伝えられ、今では誰もが知っていますね。

 この浦島子の話は、すでに『日本書紀』の雄略天皇条にもわずかながら触れられていますし、『丹後風土記』逸文にも出て来ます。微妙な違いがあるものの、奈良時代初期にはすでに古くからの言い伝えがあって、きっと古代人たちはこの物語をよく話してたのではないかと思います。

 この物語は、小生は以前からとても気になっていまして、浦島子が海で釣りをしていると、遥かな沖合から女がやって来る、仲良くなって常世に至り、老いることなく歓楽の日々を過ごします。

 常世っていうのは、『雄略紀』では蓬莱国、『風土記』では海中の蓬山、『御伽草紙』では竜宮城なんて書いてありますが、日本はさすがに海の民なんですなぁ、そもそも我が国でいちばん偉い神様である天照大神が、あの伊勢におわしますようになったのは、『垂仁紀』にある、「この神風の伊勢の国は、常世の波の重波帰(しきなみよ)する国なり・・・ここに居たい」と仰ったので、倭姫はこの地に宮を建てたとあります。

 それで歓楽の日々ではありましたが、浦島子は故郷のことが気になって、「ちょっと家に帰って父母に会ってきたい、すぐ帰って来るから」と言う。海の娘は、「じゃ、この櫛箱をあげます、けっして開かないでね」

 故郷に帰った浦島子は、まだ三年しか経ってないはずだが、なんじゃこりゃ風景が一変している、知っている人は誰もいない、おっそうだ、この箱の中に何かヒントがあるかもしれんと、開けてしまうのですね。と、白雲が立ち、あはれ浦島子は一気にしわくちゃ老人になり、呼吸も絶え絶え、ついに死んでしまうのですね。浦島子、故郷に帰りたいなんて気を起こすから、馬鹿だねぇ、と反歌で歌われています。

 小生はこの話を思うたびに、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を連想します。詳しいことはすっかり忘れていますが、画家が美青年の美しさを残したいと肖像画を描くのですが、現実の美青年は少しも衰えず、絵の方が歳をとっていくのです。それで最後は、美青年がこの肖像画を壊すことによって、自分の老いを取り戻す、って話だったかな。たしかこれの映画版があって、その主人公は美人女優でした、彼女も老いることが出来ず、自分の映像がどんどん老いていく、とても怖い映画でした。

 常世の国に行った浦島子は、海の娘に時間を取られるのですね。そこにおいては永遠の美と悦びがあるが、じつは架空の生を営んでいるのですね。誰でも健康で心配事がないときは、このまま長く生きたいと思うものですね。しかし、よくよく想像してみると、今の幸福が百年続こうが、一万年続こうが、一日の、いや一瞬の幸福とどこが違うのでしょう。仮に一万年生きて、振り返ってみたら、きっとやはりあっという間の人生だったと感じるに違いありません。

 そのことは、例えばわれわれが住んでいるこの辺りにその昔、恐竜が何億年間ものあいだ、のっしのっしと歩き回っていたと想像しましょう。ところでその何億年間を一瞬のこととして想像しても少しも差し支えありません。正しく味わうためにはわれわれも何億年生きる必要はありません。

 そもそも時間というのはなんでしょうかね。われわれが一秒とか一年とか口にするとき、つまり時間の長さを言うときには、まあ月や太陽の運動から時間の単位を取って来るのでしょうが、頭の中では空間を測定するときのイメージを思い浮かべ、しかし心の中では空間とはちがう原理の、いわば内的な生きられる直観を感じているのではないでしょうか。

 それこそ、アウグスチヌスの言う「わたしは時間の何たるかを知っている、しかしそれを説明しようとすると解らなくなる」という類のものでしょうか。小生もそのような気がします。つまりそれは誰にとっても生きているという事実以外のものではない、と思います。

 強いて言えば、誰もが感じるあの感慨をもって、時間が経つということは老いることだ、ということだと思います。これがもっとも直接的で具体的な表現ではないでしょうか。そして浦島子伝説はこのことを逆説的に表現している古代人の直感から生まれたものではないでしょうか。



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澄み濁るをば神ぞ知るらん

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