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大正天皇御製詩5

大正天皇の御生涯(明治12年~大正15年)のあいだに作られた詩歌数では、田所泉氏の集計によると、漢詩は大正2年から6年までが圧倒的に多く(7年以後はまったくなし)、和歌は大正3年から大正7年までが群を抜いて多い。両者を併せると大正3~4年がピークである。(『大正天皇の〈文学〉』)

 大正天皇は御即位早々、大変な政変に巻き込まれた。いわゆる桂園時代が坂道を転がり落ちてゆくときであった。緊縮財政をとる第二次西園寺内閣は、陸軍の増設要求を拒んだが、それに対して陸軍大臣は大正天皇に辞表を提出し、軍部大臣現役武官制を利用して、西園寺内閣を総辞職に追い込んだ。

 まだ実権を握っていた元老たちは、桂を後継首相に指名するも、これを契機に閥族打倒・憲政擁護の運動が広がった。桂は大正天皇の詔勅をもって政府批判を封じ、犬養・尾崎らの立憲政友会・国民党は内閣不信任案を提出。この時の尾崎行雄の演説。-「彼らは常に口を開けば、ただちに忠愛を唱へ、あたかも忠君愛国の一手専売のごとく唱へてをります。玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか」

 突然即位された大正天皇の困惑やいかに。それでも新しい時代に向けて天皇は前向きにお仕事に励もうとされていたに違いないと思う。大正2年から6年までの詩歌数の多さは、それを物語っていやしないか。この間こそ充実の数年であったと思う。

 午前六時起床。八時半には大元帥の軍服を着用し、表御所に出御。9時から正午まで多忙な用務を執られた。昼食後は散歩、乗馬。6時に夕食。その後は皇后や皇子たちと歓談・玉突き・合唱。十時過ぎに就寝。もちろん大臣らの上奏も聴かねばならないし、硬栗粉のような山県有朋の小言も乗り越えていかねばならなかったし、全国順啓もせねばならなかった。

 大正天皇の次男であられる秩父宮雍仁親王によると、「父上は天皇の位につかれたために確かに寿命を縮められたと思う。東京御所時代には乗馬をなさっているのも見ても、御殿の中での御動作でも子供の目にも溌剌としてうつっていた。それが天皇になられて数年で別人のようになられたのである。」

 魑魅魍魎、百鬼夜行の政界の中で多忙を極める純潔な青年を思う。あるときぷつっと心の張りが切れるのは時間の問題だった。小生に言わせれば、天皇は、自らおかしくなってやったんだ、と仰っているようにも感じる。

 このとき、こんな御製詩が小生の心にひっかかる。

 「貧女」(大正6年)     
 
荊釵布被冷生涯 けいさいふひ冷たし生涯
無意容姿比艶花 容姿艶花に比するに意なし
晨出暮帰勤稼穡 晨に出で暮に帰り稼穡に勤む
年年辛苦貧家 年年辛苦貧家に在り

イバラのカンザシと煎餅布団との清貧の生活。
容姿を艶やかな花で飾ろうとは思いもしない。
朝から夕まで懸命に農業に従事する。
来る年も来る年も貧しい家で辛苦を重ねている。

 べつにどーってことない漢詩のようだけれど、例えば、田舎で小雪舞う夕がた、畑仕事をしている中年女性を見ている大正帝の目を思う。これは叙景詩である、自分の心の中の。自然で何の余計な解釈を許さない。

 田所泉氏は、「貧しさとはどういうものかという知覚も、貧しさとは差別の原因でもあり結果でもあるのもなのではないか、といった省察も、抜け落ちている。権力者が被抑圧者にたいしてしばしば示す〈同情〉とは、たいがいその程度のものだろうか。」などという、まるきりお門違いの意見を述べている。田所氏には主義があって心がない。

 また、西川康彦氏は、「この御製詩は〈貧しい女〉を、ただ〈憐れ〉とお詠みあそばしたのではなく、貧しくはあるが、真面目に働く女に、仁慈の大御心をかけさせた給ふ御作と拝し奉る」と書いている。この意見にも小生はぴんとこない。贔屓の引き倒しのように聞こえる。

 むしろ、大御心を一生懸命演じておられた天皇の中の天性の詩人が、夕暮れ時ふと顔をだして漏らした吐息のような歌、哀しいと言うにはあまりに純潔な自然の詩のように小生には響く。



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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術

怒りの九月

 尖閣へ注意が向いてホッとする
        イミョンバクの気の弱さかな

 子供らは正しく議論ができなくて
        暴れ狂って親を悩ます

 話せども話通じぬキジルシは
        力で押さへ込むしかないよ

 理性的平和を愛する日本人
        勇気のなさをひた隠しする

 あはれなり45年ソ連を頼み
        今また米を頼んでゐるよ


  追歌

 さるにても愚衆をたのむ共産党
        その計算をしたたかといふか



  
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テーマ : このままで、いいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

ディキンソン著『大正天皇』6

    

よく裕仁(昭和天皇)と父嘉仁(大正天皇)が対照的な存在として扱われることに対して、著者はそうではなく、息子は実に親から多くのものを受け継ぎ、それを踏襲し、同じイメージをつらぬいた点を強調している。今までに有り得なかったご大葬で、大正天皇の陵墓は東京から44 kmも離れた南多摩に作られたが、一般公開期間は2度も延長され、参拝者数は89万人にのぼったという。

それでも、大正天皇の陰が薄くなったのは、ご大葬の年、1927年(昭和2年)は、偶然にも明治の還暦の年であって、かねてより明治天皇を祭るべきところが東京にあるべきとの声があり、「明治大帝の御聖徳」や「明治時代の大業」を記念すべきという声があがってきたことが大きいと著者は言う。

そしてまた明くる年は父天皇のイメージ(国際交流、経済発展、一夫一婦、家庭、皇室と人民との接近)を受け継いだ昭和天皇の御大礼である。「御幼少時脳膜炎様の御症状」という噂は風にのって広まっていくと同時に、新天皇への期待が高まっていくのは自然であろう。

そうして、国際環境も変わり、とくに満州事変(1931年)以降は、平和日本=協調外交よりも、「明治を日本独特の精神の象徴として持ち出してくる」ようになった。〈平和日本〉のシンボルであった大正天皇の功績は忘却の彼方に沈められていった、とは著者が語る所である。

「大正天皇を皇室の典型と考えたとしたら、皇室の歴史、いや近代日本そのものの歴史にまったく異なる色合いがつく。日本の近代皇室がヨーロッパにおける世界主流の皇室と似たような歩みをしているのが明らかになり、近代日本史の流れも一般の世界史の中により〈普通〉に見えてくるのである。」と終わりに述べている。

日本人の内部の人間として、日本の皇室は他国の皇室とは違うと感じる点を除けば、著者の言っていることは理解できるし、ほとんど共感したい。しかし、著者は大正天皇と〈あの時代〉とをあまりに一致させようとするために、かえって大正天皇の個人としての心のうちを無視することになりはしないか。

平たく言えば、大正天皇は天皇として思ったことをしたのであろうか。
それはつまり、天皇はそれぞれ生きた生身の人間であるからには、われわれと同じように心のうちがあるであろうし、そうなればその心を忖度してはいけないであろうか、という問い惹起する。

天皇は神聖にして触れてはいけないとは思えない。それどころか、もはや天皇とは、あえて言えば、一つの職業であって、この職業に携わなければならぬ人は、どういう御覚悟で、どういう御心もちで生きておられるのだろうと考えてはいけないのだろうか、と小生はこの書を読んで思った。


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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

自然の美

毎年のことではあるが、この季節には空の美しさにハッとする日がある。日中はまだ暑いけれど、空気が澄んで、とにかく雲がダイナミックである。真っ白の威圧的な泡が重なった入道雲があちこちに立ち現われ、そのずっと上空に書の名人が大胆に刷毛でさっと履いたような雲や、規則正しい鱗模様の流れるような鰯雲が自由に泳いでいる。

 この季節はまさに夏と秋の交差点であると言えるが、空は実は深い層をなしていて、疲弊した夏の上に勢力を増した秋がゆうゆうと乗りかかっているという構図である。いったいこの美しさ、ダイナミズムをどう表現したらいいんだろう、と思いながら、ただただ唾を飲み込んで空を見つめるばかりなんだ。

 思えば自然に感動することはよくある。今の季節は他に、虫の鳴き声だ。我が家は今年は大分雑草を取ったせいか、虫が少ないのが残念だ。苦手な夏が始まる頃、いつも思うのはお盆が過ぎれば虫の音が聴ける!と自分に言い聞かせる。耳をすませると三種類ほどの虫の鳴き声がある。小生は耳が多少悪いのか、微かな鳴き声は他の人には聴こえても、聴き取れないことがある。この時ばかりは難聴になるのを恐れる。

 先日、出張で新幹線に乗って西に向かった。やはり、木曽川、長良川や養老の辺りの景色の美しさには心を奪われた。静かな川面を取り巻く植物のやわらかさ、広いまっ平らの地平から、急峻な山のふもとにかけてかかっている靄の静寂。このとき小生はどこかで見た墨絵を思い出しているのかもしれない。

 景色を見て、まるで絵のように美しいと人は言う。この言葉は意味深長である。すなわち絵はまず美しいものである。では、その美しい絵を描いた画家はなんでそれを描いたのであろうか。美しい絵を描こうと思ったのであろうか。どうもそうではないような気がする。

 自然を見て絵のように美しいとは言っても、絵を見て自然のように美しいとは一般に言わない。ということは、絵の美しさは切り取って生じたものだ。切り取ったとは言っても、べつに額縁のように四角い境界で切り取ったからではない。それもあるかもしれないが、それよりも自然の豊富さからあるものだけを抽出したというものではなかろうか。

 あるものを抽出したということは、他のものを捨てたということだ。それによってあるものは必然的に強調されることになる。ということは、自然のいわば無秩序さから統一した秩序、形式を創りだすことになる。ここにわれわれが感じる美が生じるのではないのか。したがって、新たな発見に応じての形式がいくらでも生じうる。

 画家の目は、自然の中にわれわれがなかなか見分けにくい隠れた特殊な色彩や線や感情を見分け、倦まず弛まずその分布を追う。そして、おそらくそれはまだ出来上がったものではなく、いわば情念とか観念とか言った方がいいような状態であって、彼らはそれに物質的な形式を与えようとするのであって、それには大変な努力が要るのではないのかな。

 モネやセザンヌは思いつきを試みたのではないし、心の中の空想を描いたのではない。人一倍大きな目で自然という事物を見つめ、自然がふっと漏らした秘密の尻尾を捕まえ、その紆余曲折を執拗に離さず追い、それにもっともふさわしい形と色を与えようとしたに違いないのだ。

 だからこそ彼らの作品によってわれわれは説得させられ、彼らの作品を通じてわれわれは自然を見る。われわれが自然を見て感動するとは、芸術家の諸作品によって影響させられたわれわれが、その諸形式を通じて、自然を見ているのであって、この時われわれは自然をただ漫然と見ているのではなく、自然を分析し、そのなかの諸感情を再体験しているのではなかろうか。

 そう言うと、では子供や大昔の人たちや、絵画をあまり見たことのない田舎のおばあさんたちは、自然の美しさを知らないのか、という疑問が浮かぶ。

 決して、そんなことはない。子供も原始人もおばあさんも、自然の美しさに感動する。ということは、われわれはみな初めから芸術家の萌芽をもっているということではないのか。子供のとき、沈む夕日と茜色の雲を見つめて時の経つのを忘れたとき、自然が偶然強調して見せた一部を辿っていたのではないのか。ただ芸術家の努力をもたないから、それ以上にはならないけれど。

 それで思い出したが、こんなことがあった。あるとき飲みほした缶ビールを何気なく手でくしゃくしゃに凹ましたんだ。テレビでも見ながら、あるいは家族と話でもしていたのだろうか。そしてそれを机の上に置いた。しばらくして、それをふと見たらその形が素晴らしいものであることに気が付いた。そうして、これは偶然であるとしても、じつに見事な造形だとますます感じ入り、自分の机に大事に置いておいた。ところが2・3日してそれが無くなっている。訊くと家人が当然のように捨てたのであった。残念に思ったことこの上なしだった。そして感性の鈍い家人を憎んだ。

 自然の美しさも、偶然が産んだものであるにしても、それは漠然とした広がりではなくて、ある部分が強調されており、それをヒントとして、われわれは芸術家から影響された分析力のメスを加えているのだと思う。


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