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貞明皇后御歌27

1939年(昭和14年)日米通商航海条約を米(ハル国務長官)が破棄。その昔、ペリーやハリスが無礼ともいえる熱烈さで日本に修好通商条約を迫ったのに。

     従軍看護婦
 益荒男もうれし涙にくれぬべし
   こころをくだくをみな心に


     戦死者遺族
 行く末のながき月日を子等のため
   こころくだかむ若き母はも


 ほそぼそと煙をたててさびしくも
   月日おくらむ妻子をぞおもふ


    靖国神社大祭の行はれけるをりに
 うからどち神をろがみていまさらに
   門出のさまをしのびてや泣く

    うからどち=親戚仲間

     満州移民
 火のごとき望みにもえて行く人は
   広きあら野もひらきつくさむ


     納涼
 風の入るむろにゐながら涼むにも
   軒のかさなる町をこそおもへ


     寒夜明月
 おく霜の白き芝生に松のかげ
   黒くうつして月のふけゆく


 1940年(昭和15年)
     忠霊塔
 ゆるぎなき国のかためのしるしとも
   見えてたふとく塔のそびゆる


     押花
 なつかしき思ひ出なりや横もじの
   書のなかなる古き押ばな


 陸軍省では管轄する諸学校の入学試験から英語が外されるようになる。そういった時代、大宮さまは、女学校時代の横文字のたぶんフランス語の本を御手にとってみたくなったに違いない。その御心をお察し申し上げる。9月、わが国は、中国軍への英米の援助を断ち切る目的で北部仏印に進駐開始した。

翌年2月ハル談話「蒋介石を支え、日本を大陸に釘付けにさせておけ」。今となってはこんな風にも聞こえる、「ここまで来い。もっと疲れろ、もっと怒れ、日本はとっくに嵌まってるよん。真珠湾ウエルカムよ」

 10月、大政翼賛会の成立。これにより、婦人会、隣組長、町内会長は国家の下士官となった。生活必需品は切符制になり、ダンスホールは閉鎖され、国民服が制定される。「贅沢は敵だ」。そして11月、皇紀2600年記念式典。

      万民祝
 君が代を八千代といはふ民のこゑ
   天にとどろき地をうごかす


 そして、

      衆生恩
 物みなのめぐみをひろくうけずして
   世にありえめや一時をだに


 この時、大宮さまは、日頃の漠然たる思いにハッとお気づきなったと思う。そのことが、戦後のGHQ宮中改革にもすんなりと賛同された御態度に顕れる。


 

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貞明皇后御歌26

日中戦争始まって以来、わが国内は完全に戦争態勢に入っていった。化粧の制限、長髪禁止、一汁一菜、日の丸弁当奨励、防空演習、そしてこの年1938年(昭和13年)国民総動員法の発令。

    雪中山といふ題をよみける時に
 ますらをのつよきいぶきも凍るらむ
   ゆきふりつもる北支那の山


    従軍記者
 海くがにたたかふひとの雄ごころを
   いやひきたてむ筆のちからに


    傷病兵
 末ながき悩みのたねとなりぬべし
   いくさのにはにうけして傷は


    招魂社
 よろこびを告げまつるあり悲しみに
   袖しぼるあり大みまへにて


     軍事郵便
 待ちわびて人や見るらむ弾の下
   くぐりてきたる文のたよりを


     航空機
 御軍のかてをはこびてますらをの
  たまのを(魂の緒)つなぐ鳥船もあり


  新聞紙上にて支那人の麦かるうつしゑを見て
 みいくさ(皇軍)のちからたのみてしなの民
   心やすくも麦かるといふ


 日の丸の旗を田畑にたておきて
   麦かる民のこころかなしも
 

6月に黄河決壊事件が起こった。これは中国軍が日本軍の進撃を阻止するために黄河堤防を破壊し、大洪水を起こさしめた事件だが、中国軍は地元民らに事前に知らせることもなくやったものだから、農作物の大被害のみならず莫大な死者を出した。もちろん、中国軍は、これは日本軍がやったというプロパガンダを世界に発信。もちろん日本側は事実を発信。そして事実は隠しきれなかったようだが、各国の反応はまちまちだったようだ。

 南京大虐殺も同じ。どこの国でもそうだろうが、とくに中国は昔から、白髪三千丈ではないが、虚偽を押し通すのを国策としている。それはいいとして、戦後わが国はあまりに紳士的というか、正義は黙っておればいずれ天が味方してくれると思いたがる。じつはそれも己の弱さを隠すための虚偽であるのに、そのことに気がつきたがらぬ。

 また、この年、医療費の重圧から農村漁村の貧者を救済するために国民健康保険が創設された。

     保険
 みちの人の教へのままにしたがいて
   身をすくよかにたもてとぞ思ふ


 家のためこがねしろがね積まむより
   身のすくよかにあるやまさらむ


 そして冬がきた。冬の庭は簡素でいい。そんな中、つわぶきと次いでサザンカが花をつける。

  つはぶきのはな
 みそのふ(御園生)の菊も紅葉もうつろひて
   ひとり時めくつはぶきのはな



 

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8月15日 2

口角に泡を飛ばして主張する
    わが国人は和を尊ぶと

         これは皮肉ではありません

あつものに懲りてをかしくなったのか
    改憲イコール開戦といふ


 あのいくさもし勝ったなら喜びで
    紙面かざらむ大手新聞


 戦争や恋愛があるおかげで
   人はなんと生き生きとなるか


 大西郷やすくにに祀られようが
   そんな小さいことは気にしない



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8月15日 1

ぼくは、この時節になるときまって思いだす。
 それは、幼稚園からの帰り道ー
 うんこがしたくてたまらなくなった。
 家までまだだいぶんある。
 しようがないから、歩きながらうんこをした。
 知らぬ顔をして歩いていたが、
 臭いは隠しようがなかった。
 ある家の前で見知らぬ小母さんが気づいて、
 あれ○○さんとこの子じゃないのぉ、
 洗ったげるわ、うちに入りなさいと
 言われ家に入れられ、お風呂場に連れていかれ、
 ズボンとパンツを脱がされ、下半身に何度も
 水をかけられ、きれいにされ、
小母さんの子供のものとおぼしきパンツを
はかされて、…帰宅した。
汚れた衣類は洗ってくれたようだ、
そのあとの事は憶えていない。
ただ、そのとき感じた気持ちは、
はっきりと覚えている。
その小母さんにたいして
ひどく恥かしいという気持ち、
余計なお世話を恨めしいという気持ち、
そしてちょっぴりありがたい気持ち。

それから、また思いだす。
小学校の6年生の時のこと。
学年全体でマラソンがあった。
距離として2~3kmだったと思う。
ぼくは走るのがもともと苦手なほうで、
しかもすぐ息が切れる。  当然、
前半から落ちこぼれグループで、とても
最後まで走り切れない予感がした。
途中で先生が後ろからはっぱを掛ける。
一人だけ置いていかれるのが嫌だから、
周りの仲間たちに「真面目に走るのなんか
バカバカしいぜ、ゆっくり行こう」とか、
そのようなことを言って、急ごうとする
仲間をけん制した。・・・
ゴールはどうだったか、憶えていない。
たぶんビリだったのだろう。
後になって、その時の自分の卑怯、ずるさは
じぶんの心の中でどんどん大きくなって
痛い棘となった。
それだから、もちろん以後、
長距離走には積極的に参加して、
たとえビリでもベストを尽くそうと
思うようになったけれど。

 いろいろと昔の思い出が浮かんでくる。
 でも、なぜか恥ずかしかったこと、
弱い自分、悪事をなしたことばかり浮かんでくる。

故郷の田舎町の小さな駄菓子屋で
ガムを盗んだこと、その時の気持ち。
受験に落ちて、馬鹿だと思われたくないために
自他に対して
巧みな言い訳を考えたこと。
その時の正直な気持ち・・・
思い起こせば、顔から火が出るようなことが
いくらでも浮かんでくる。

あれから年月が流れ、今となってぼくは、
あれらは逃れようもない自分なのだ、
あれこそ自分なのだ、という気持ちが
どんどん強くなっていく。
 居直りではないが、そういう自分を
 むしろ肯定しようという気持ち。
思いだせば思いだすほど、むしろ自分の
 過去にたいする愛おしさが強くなっていく。

         *

 ところで、ぼくは日本という国に愛着を感じている。べつに愛国主義者などという仰々しいものではないけれど、ごく自然にわが国を愛している。最近では日本の歴史を知れば知るほど、いっそうその感がはっきりしてくる。日本の歴史を知ることは、自分の過去をうまく思い出すことと同じじゃないかと思う。馬鹿なことも、愚かなことも、しかしそれらはみんな自分じゃないか、と感じられ、愛おしさを感じないではおれない。

          *

 さて、ここからは作り話。
 高校生になったある日、ぼくは些細なことから
 友人たちと喧嘩をした。相手は三人だった。
 多勢に無勢。ぼくの顔は腫れ、血まみれだった。

 祖父母は、そんな姿のぼくを見て泣いた。父はどうしてこうなったかを問いただした。母は、ぼくの顔を洗って拭いてくれ、なぜか笑顔でぼくを抱きしめてくれた。それ以後ぼくは、くじけそうになった時いつも、このときの母のまなざしがたすけてくれた。

 相手の生徒たちはぼくの非を口を揃えて言った。そして、他のまったく関係のないおしゃべりな生徒たちも、なぜかぼくのほうが悪いと言っているらしかった。そういうときぼくは非常な孤独を感じ、途方に暮れたことを覚えている。ぐうぜん喧嘩を見ていたパルさんは、喧嘩の原因をつくったのは相手たちだと言ってくれたが、マック校長は、ぼくを校長室に呼び、一枚の紙と鉛筆を渡し、ここに反省文を書けと言った。

 そのときの校長の顔をぼくはまじまじと見つめた、というのは校長は本気でそう言っているのか、たんに世間体を慮ってそうしているのか、どうも真意を測りかねたからだ。そのときの校長が醸し出す空気をぼくは忘れることはできない。

 それから何日かしてから、ぼくの大好きな親戚のヒデ叔父さんにその話をしたら、叔父さんは縁側で黙って聞いてくれていたんだけど、しばらくして煙草の煙をふーと吐き出してこう言ったんだ、「まあ、利口な奴らは反省ってやつが好きなんだな。俺は馬鹿だから反省しないよ。」そのときの、ぼくを見つめる叔父さんの爽やかな顔は、―いつも爽やかな人だったけれど、ほんとうに魅力的だった。

 それ以来ぼくは、やってしまったことを、後になって、こうなってしまったのはあれがけなかったの、こうすべきだったのと、やいやい言う人を信用することはできなくなった。その後だんだんと分かってきたけれど、反省を声高に言う人の多くはとても冷たい目をしている。自分がやってしまったことに対する愛情が欠けている。それがわかったんだ。



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テーマ : 思うこと - ジャンル : 学問・文化・芸術

メソポタミア粘土板2

 東北大震災のとき津波が街々を襲っている映像を思い出して、想像してもらいたい。もし、あれが紀元前5000年に起こっていたら、その時われわれはどう感じ、その後どう語ったであろうか、と。もちろん、文字はない。ましてや写真やカメラもない。大洪水が目に焼き付いて、そのときの恐怖と絶望感が深く心にのこるだろう。そして百年経ち、二百年経ち、千年経ちするうちに、われわれは物語するであろう、例えば、地底に眠る巨大龍が、時々は根返りして大地を揺らすが、この度は目を覚まして大暴れ、そして海のはるか向こうから大波を立ててやってきて、木々を倒し、人々を喰らい、辺り一面を壊滅させてしまった・・・、などという神話を生むであろう。

 聖書のノアの箱舟の物語とあまりにも似ているメソポタミア粘土板の物語から、あの地域の太古の人々に共通の核となる出来ごとがあったのではないか、という話があった。つまり忘れられない大洪水の記憶が人々の心ふかくに続いていたのではないか。

 聞くところによると、一つの仮説として、黒海に起こった大洪水。1990年代に行われた黒海の調査によると、近くの海底には古い海岸線の跡があった。海底には古代の家の柱と思われる人工物が散乱していた。そして海底の泥は二層あって、深い方の泥に含まれていた貝殻を調べてみると、この貝は淡水でしか生息しない貝であった。

このことから、大昔おそらく紀元前6000年ころまでは、黒海は淡水の湖だった。そして、その前から続いていた地球温暖化によって海面上昇がおこり、ついに今のイスタンブール辺りで決壊が起こり、地中海の海水が、どっと黒海に流れ込んで、黒海を広げると同時に多くの集落を根こそぎ流してしまった。もちろんボスポラス海峡もその時できた。その水量たるや、一日に何万トンか知らないが、それが何日も続いた。

このときの洪水が、恐怖で怯えた古代人の口から口へ、世代から世代へと、伝承されていった。千年経ち二千年経ちして、文字を発明した人たちは、物語にその大きな記憶を書き留めた。

もう一つの仮説として、大洪水はメソポタミア地域のチグリス川、ユーフラテス川によく起こっていて、大洪水と思われる地層の跡があるとのことであるから、こちらの大洪水の記憶が物語の起源かもしれない。

旧約のノアの箱舟の着地点であるアララト山が今のそれであれば、こちらの川説が有力かとも思うが、かのアララト山が本当にこれかどうか…

それで、思い出される話がわが国にもある。それは『出雲風土記』の中の〈国引き神話〉だ。ネットでも読めるから、是非読んでもらいたいな。これは実に美しい文章だ、もし小生が有名な先生だったら、「声に出して読みたい日本語」のベストスリーにあげるな。

 これは要するに、出雲の神である八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が、初めに創った出雲の国が小さすぎたので、もっと大きくしたい、それで、朝鮮半島の一部や、隠岐の島、能登半島の一部を切り取って、ロープに結んで、えんこら引っ張って、元の地にひっ付けた、そのときに宍道湖(しんじこ)や中海ができた。

この話は、今から8000年前~6000年前に起こった温暖化による海面上昇(縄文海進)ののち、4500年前くらいのとき、寒冷化によって海面低下が起こり、島根半島ができた。この出来事が比較的早く進行したのだろうか、人々の心に残り、何千年と口移しで伝えられて、このような神話を生んだとも言われている。

今後、地質学的調査が進んでいろいろなことが判ってくるだろう。けれど、小生思うに、一番重要なことは、神話や伝説の背後にどのような驚くべき事実があったかではなく、その地域の人たちが、大災害のような圧倒的な出来事に直面して、いかなる経験をしたか、言葉を換えて言えば、いかなる物語を生みだしてきたかが、重要であり、また面白いことだと思う。



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メソポタミア粘土板1

 大英博物館のディレクターであるMac Gregor氏の手になる『A History of the world』を読んだ。これは大英博物館の収蔵品から百個選んで、それぞれにまつわる話が書かれている。その中の一つ、メソポタミア粘土板についての部分、ほんの5ページを占めるにすぎないが、なかなか面白かったので紹介しよう。

 関心のある方は、すでに御承知だと思う。この粘土板は、いまのイラク北部にあった、古代都市ニネヴから出土したもので、紀元前7世紀ごろつくられたそうだ。大きさは約15 cm四方の大きく割れた一断片で、隅は欠けている。同じような大小の粘土板断片が、大英博物館にはおよそ十三万個あるというから、驚きだ。もちろん、ただの粘土板と思ってはいけない、紙もパピルスもなかったこの地においては、粘土板は書きしるすためのノートである。書かれている文字は、例の楔形文字である。
 
 1870年ころ大英博物館の近くに印刷会社があった。そこで見習い士として働いていたジョージ・スミス君は、ランチタイムになると決まって博物館に足を運んでいたんだ。そこで古代メソポタミア粘土板に出会った。そしてなぜかこれに魅惑され、彼は楔形文字を勉強し読めるようになった。これぞ運命の出会いと言うべきだな。

 ある日、かれはこの小さな板片を読んで、はっと息をのむ。ここに書かれているのは、あの〈ノアの箱舟の話〉ではないか。なんでこの話が、大昔のメソポタミアの地に! 茫然自失の後、彼は狂喜のあまり服を脱ぎ捨てて叫んだ、「僕こそ、忘れられた2000年の後にこれを読んだ最初の人間だ!」

 彼の発見が世界に与えた衝撃はいかなるものか。当時のヨーロッパの情況を想像するに、18世紀の啓蒙主義を通り抜け、フランス革命も産業革命も遠い昔、いまや近代理性の時代であって、「神は死んだ」とさえ口走る哲学者が出た時だ。とはいうものの、人間の起源に関しては、一般の頭の中を占めていたものはまだ聖書
の教えだったんだな。

 1859年、ダーウインが『種の起源』を発表したとき、笑いと怒りとが渦巻いた。「えー?人間が猿から分化してきたんだって!笑っちゃうじゃないか。聖書にはちゃんと書いてあるぜ〈人間は神によって創られた〉って」。『聖書』を啓示の書として文字通り信じる立場の人にとって、進化論は悪魔的空想であったろう。しかし理性の進行はとどめようもなかった。

 そのような時である、スミス君の発見が世に出たのは。『聖書』(旧約)が書かれたのより400年も前にすでにメソポタミア粘土板に、非常によく似た大洪水と箱船の話が書かれていたとは、驚くじゃないか。

 で、この事実は何を意味するのか。『聖書』原理主義者の一部の人は、「どうだ。この発見で聖書の正しさが証明された」と喜ぶ、しかし多くの人は、それはすべてただの伝説―大洪水を基とした作り話じゃないのか、と考えた。しかし、同じ中東とはいえ、かなり離れたところに、同じ話が、しかも400年の時を隔てて書かれたということは、それらが共通の記憶となる、核となる事実がもともと遥か昔にあった、そしてそれが口承で、あるいは書かれたものとして伝わっていったか。

 ところで、スミス君の発見した粘土板に書かれている物語は、じつは、『ギルガメシュ叙事詩』っていう、ドラゴンクエストかスターウオーズみたいな(よく知らないけれど)、ある英雄が理想郷をもとめて様々な困難を乗り越えてゆく物語の一部(第7章)だということがのちに判ったのだ。

 つまりこういうことにならないか。大洪水と箱船の伝説が、太古の昔からあの中東辺りにあった。アッシリアの(メソポタミアの)人々は、自分たちの英雄冒険物語の中に、その伝説を組み込んだ。いっぽう、苦悩を愛するユダヤ人たちが、自分たちの物語を作るにおいて、洪水伝説をあのように、つまり『旧約』的神の罰として組み込んだ。それは大いにありそうだ、『日本書紀』を読んでいても、あちこちの話を時代に関係なしに、引用しているのが明らかだし、『古事記』もきっと太古の話を、稗田阿礼の記憶で、とは言っても記憶とは創られるものだから、組み合わせているのだろうな。

 それで、この著者MacGregor氏が強調していることは、人類初の叙事詩『ギルガメシュ叙事詩』が書かれたということは、人間の歴史においてのターニングポイントとなる、ということなんだ。

 つまり紀元前3000年以前、中東で文字が発明されたが、それは初めは賃金支払いだの租税だのの記録として、実用のためだった。しかし紀元前2000年頃からこのような英雄叙事詩が、つまり英雄の希望や恐れなどが洗練された形で、書きとめられ始め、それがその地域の人々に共有され、さらに他地域の言語に翻訳され広がっていった。それはホメロスやアラビアンナイトに通じる〈文学〉の誕生であった。事実を記録する手段としての書き言葉が、観念の世界を探求する手段となった、と。


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Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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