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『ガリア戦記』

シーザーはローマ皇帝のarchetypeだ、とある先生が言っていたが、その意味が、『ガリア戦記』を読んでわかった。つまり、統治者としてもっていなければならない大衆からの人気、絶え間なく生じてくる諸問題や絶えざる変化に対する冷静沈着な態度、しかしこうと決めたら素早い行動、寛容と残酷とのケースバイケースの使い分け、兵士の心をつかむ話術、誠実さ、嘘をつくときでさえ誠実であるこの男は。絶えず戦略を練り直し、反省はしても否定はしない。休息とは無縁の精力的な生涯。

 
 シーザーが、ガリア総督に任命され、同地へ出発したのは紀元前58年。以後9年間のガリア遠征の内容を記したのがこの本。誰が言ったか忘れたが、戦争とは芸術であると。このシーザーによって書かれた本は、まさにそのことを証明している。目的―理念の保持、そのために労した巧みな戦術、長期にわたるその力の配分。同時代人のキケロは、この書を評して曰く「率直で優雅で余計な装飾がない」と。

 当時のガリアは、主に今のフランスを中心として、スイス、ドイツ南西部、ベルギー、イギリスの一部辺りで、多くの部族が割拠していた。

シーザーが当地へ赴任したころ、一部族の傭兵としてガリアに来ていたゲルマニア兵が、その本拠地であるライン川以東に帰らずここに居座ったことから、スイス辺りに住んでいたヘルウェティイ族が、西の平地を目指して移住を始めた。

このとき生じた部族間の紛争を、シーザーは、ローマの軍事介入の絶好の機会と捉えた。策謀をたくらむ族とゲルマニア軍の排除を目的として進撃。ここから8年にわたりシーザーはヨーロッパ中を駆け巡る。

あらゆる謀略、恩賞や名誉心に訴える巧みな演説、考える暇を与えぬ素早い行動命令、沼地で戦う披露困憊した兵士らの息遣い、読んでいてふと『平家物語』を思い出した。

かの物語は、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常と響くなり・・・」という仏教臭芬芬たる始まりではあるが、この物語の本命は、眼前に見えるような生き生きとした戦いや駆け引きである。この世は無常。そんなことは分かり切ったことだ。それよりも、戦いの生き生きとした姿を見よ、そう言っているようにも見える。

そういうことを考えると、また思い出すのは能『邯鄲』だ。若い主人公盧生は、この世の一大事を訪ねばやと旅に出る。途中で休憩した宿でうとうとする。そして自分が王様になって栄耀栄華を過ごすこと50年。ところがそれは、粟飯の一炊の夢であった。盧生は、人生とは一瞬の夢に過ぎぬと悟ったのだった。

しかし、それにしても、どう考えても、この能でもっとも輝かしい部分は、夢の中での主人公の王となった時の欣喜雀躍の舞である。作者は世阿弥だか誰だか知らないが、この作品を輝かしめているところは、この世の世俗的な栄達である、というよりも喜びである、と感じないではおれない。

         *

シーザーは、ガリア人やゲルマニア人の生活習慣の報告もしていて、ガリア人は、少なくとも小生が思い描いていたような野蛮人では必ずしもなく、階級によってはギリシャ語で文書を書くし、商人のもたらす日用品も使用している、ゲルマニア人は、戦闘能力を衰えさせる農耕を嫌い、遊牧民のような生活をしている、云々。

われわれは、ついつい自分の生活圏を絶対的・普遍的なものと見がちだが、例えば、違う国に育った人たちはどう感じているんだろう、とか、あるいは、違う時代に、たとえば戦争時代に生きていたらどう感じていたんだろうとか、想像することがじつに難しいものだ。自分の生活圏から生じた感覚以外の感覚を間違ったものだと言ってしまうことがなんと多いことか。

有名無実となりかかっていた共和政時代にデビューしたシーザーは、ルビコン川を渡るチャンスを逃さなかった(賽は投げられた!)ついに最高権力を手に入れる。そして、彼を嫉む人たちの手にかかって死ぬ、「ブルータス、お前もか!」。まあ、こう言わせなければ劇にはならぬ。そして彼の甥オクタヴィアヌスが帝国時代の幕開けとなる。

しかし、以後いかなる皇帝もシーザーのような理想的な権力者になり得なかったようだ。シーザーは、ローマ皇帝のarchetypeであって、prototypeではない。


 

  

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17条憲法2

 梅原氏の考えをざっと書くとこうなる。冠位十二階においては、上から順に、徳・仁・礼・信・義・智となっている。中国の『隋書』倭人伝には、「倭(日本)には、内官に十二等あり、大徳から始まって、大・小の仁・義・礼・智・信がある」と、書かれている。しかし聖徳太子は、順番を徳・仁・礼・信・義・智と決めたはずではないか。おそらくこの誤り!は、当時の中国では、儒教の仁・義・礼・智・信という順番が当然であると皆が思っていて、まだ非文明国の日本人はアホな奴らだ!きっと誤って使ったのだろう、直しておいてやるわ、とわざわざ書きなおしたに違いないのだ。

 余計なお世話とはこのことだな。しかし実際は、漢籍に精通した太子が間違うはずはない、そのうえ仏教にも打ち込む太子が考えた末に順番を変えたのである。彼の深い志が解らぬお前らの方がアホなのだ。もっとも、道教の文献の中には太子流の順番もあるとのことだがね。

 出典の思想にあまりとらわれずに、第一条から第十七条までざっと見ると、まず第一条は、何事を決めるのにも、仲良く話し合え、自分の論を絶対正しいいと思い込んで、相手を攻撃することなかれ。まあ、とにかく態度を和らげること。→態度の推奨

 第二条は、仏教の教えによると、すべての人には善心があって、この教えを信じて精進すれば、よい人となりうる。→個人の心の問題

 第三条は、天皇というリーダーの言うことに従え。そうでなければ、秩序がたもてぬ。→現実的、法的強制

 第四条は、上の者も下の者も態度の基本を礼とせよ。→態度の推奨

第五条は、役人は、欲望を捨てて仕事にはげめ。百姓の訴えは一日に何千件とあるから、それに対処するに忙しいはずだ。賄賂を受け取と正しい裁きが出来ない。→現実的、法的強制

第六条は、勧善懲悪はもっともだ。人にへつらったり、隠れて人の失敗をそしったりするのは、国の乱れのもと。→態度の推奨

第七条は、職場では自分の与えられた任務にはげむこと。上に着く者がよい人か悪漢かで断然違ってくる。昔の聖人は上の地位にはそれなりの人を選んだという。→現実的、法的強制

第八条は、朝早く出勤して、遅くまで仕事をしなさい。緊急の処理が必要なことがある。→現実的、法的強制

第九条は、何はともあれ、他人を信じることが大事だ。疑ってばかりいると災いがやってくる。→心の問題

第十条は、怒るな。もし人の言動を見て怒れてきたら、ひょっとして自分の方に非があるのではないか、と疑ってみよ。→心の問題

第十一条は、功ある者に賞を与え、罪あるものを罰せよ。→現実的、法的強制

第十二条は、地方役人らは、百姓から搾取してはいけない。百姓の主は王(天皇)ただ一人であるぞ。→現実的、法的強制

第十三条は、役人たちは、その部署の仕事を全般的に知っていなければならない。たまたま病欠などの後、出勤してもすぐ仕事を続けられるよう、同僚は常に連携していなければならない。→現実的、法的強制

第十四条は、人を羨むな。とくに仕事人は自分より才能があると思われる人がいると羨んでしまう。じつは、そんなに才能がある人はめったにいないもんだ。ましてや聖人など千年に一人でるかどうか。だから、ばかばかしい嫉妬などしている暇があれば、一生懸命仕事をしてりゃいいの。→心の問題

 第十五条は、臣下は私心を捨てて、公の為に尽くそうとすべきである。私心があるとどうしても他人を恨むことになる。そうなると、ついに公の制度を壊すことになる。これは、初めに言った和の精神ですよ。→態度の推奨

 第十六条は、百姓を使うときは、農作業や蚕作業のない、比較的暇な冬にしなさい。→現実的、法的強制

 第十七条は、小さな事柄はよいけれど、大きな事柄に関しては、独断でものを決めるな、必ずみんなで議論して決めること。→現実的、法的強制

 まあ、こんな風に言ってしまうとあぢ気なくなるけれど、言いたいことは、太子の作った憲法は、宗教的なというか各自の心を問題にしている部分と、日常こういう態度でおれば上手くゆくという、いまどきよく売れるハウツウ本『○○力』みたいな部分と、人の悪しき行いを阻止するために現実的なあるいは法的拘束をもうけるべきだというところと、混在していることだ。

 太子が、このような憲法を発布しなければならなかったほど、裏を返せば、当時の日本はもちろん法律はないし、役人らも、賄賂、中間搾取、サボタージュなどが蔓延し、太子はどうしてもここを改め、中央集権の秩序ある先進国にしたかった、と同時に、どうしてもそういう制度だけでは、結局上手くゆかぬ、一人ひとりの心の問題、いわばこの世を超えた世界からの視点(価値)、つまり仏教をどうしても取り入れなくてはならないと考えた。これほどの全般的改革、無謀とさえいえる、前代未聞の企てに彼は彼の全能力をつぎ込んだ。そして、このあまりにも一本気な姿勢は、初めから伝説的な太子の生涯の最後に付け加わった伝説―奇怪な死、を想わずにはいられない。
  

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17条憲法1

小生は生まれて初めて聖徳太子の作った憲法17条を読んだ。誰でも知っている「和をもって貴しとなす」から始まる短い憲法だけれど、研究者たちによると、そのほとんどの言い回しが、四書五経、その他の漢籍・仏典などから採られているらしい。

 そういうことを調べた研究者たちの博識および情熱に頭が下がるが、600年当時はすでに日本の知識人たちは、輸入されたすべての文献を完全に薬籠中の物としていた証拠でもある。

 第一条のところは、「一に曰く和らぐを以て貴しとし、逆ふることを無きを宗とせよ。人みな党(たむら)あり。また達(さと)る者少なし。ここを以て、或いは君父に順(したが)はず。また隣里に違ふ。然れども、上和らぎ下睦びて、事を論ふにかなふときは、事理(こと)自づからに通ふ。何事か成らさらむ。」

 福永光司先生によると、この第一条だけで、『礼記』『荘子』『左伝』『論語』『孝経』『論衡』『韓非子』から引用され、特に『荘子』からは二度の引用があり、『荘子』の思想の影響がつよいという。(梅原猛)

 これを聞いただけで、小生はもう勉強の意欲をなくしてしまう。しかし、『日本書紀』が書かれたのが、太子が憲法を作ってから100年くらい後なのだし、(とは言っても、おそらく太子が書いたものはそのまま残っていた可能性があるが)、そもそも太子は、外国語の言葉を引用したとしても、原典の文脈そのままで引用したとは限らないのではないか、とまあ、言い訳をつくっておいてから、自分なりにいろいろ考えようとしたのだけれど、これなかなか難しそうだ。

 それで、まあ搦め手から迫ってみよう。聖徳太子がこの憲法を発表する5か月前、前年の12月に冠位十二階を考案した。徳・仁・礼・信・義・智のそれぞれ大・小でもって十二、よく判るように色付け
した布を着けさせた。そして明くる年の正月一日に施行、諸臣たちの冠に着けさせた。

 こんな大胆な政治改革を断行した勇気たるやすごい。いままで、いい加減に仕事していた官僚たちの反発も烈しいものであったろう。よくやった、えらい、と拍手を送りたくなるな。そして三か月後、17条憲法発布である。ということは、憲法発布は、冠位十二階の理論的根拠を示すものであり、その徹底した理論は、そこいらの官僚や豪族の有無を言わせぬものであったろう。

 その翌年、太子は斑鳩宮(いかるが=法隆寺辺り)に移り、そこで『勝鬘経』そして『法華経』の研究に没頭すると同時に、小野妹子らを隋に送る。607年第一回遣隋使派遣とたぶん学校で習ったのではなかろうか。しかし、実際は600年にすでに遣隋使を送っているんだが、どうしてそうなっているのか、その問題は今は置いておこう。

 ともあれ、冠位十二階施行という現実の政治断行と仏典(この世を相対化してしまう法)の研究との間に、17条憲法発布があることに注意しよう。

 
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兼好法師和歌3

 兼好は、二条為世門下生のうち四天王のひとりと言われたそうだが、その中ではもっとも真面目に二条派の教条を、つまり古今風の発想を守った歌人であるらしい。のちに二条良基の、頓阿・慶運・兼好の個性を評して、「兼好は、この中にちと劣りたるやうに人々も存ぜしやらむ。されども人の口にある歌ども多く侍るなり」とある。
『家集』2の、

 石山にもうづとて、あけぼのに逢坂をこえしに

 雲のいろにわかれもゆくか逢坂の
   関路の花のあけぼののそら


 逢坂の関と別れて行くにつれ、道沿いの桜の花盛り、空は徐々に明るくなってきて、雲の白がだんだん分かってくる。

 〈めでたし〉と小生なら評したい歌ではある。また、こういう歌もー

 雪ふる日、比叡の山にのぼりて

 のこりつるまきのしたみち猶(なほ)たえて
   あらし吹きしくみねのしら雪


 降った雪の隙間にわずかに残っている木々の落ち枝が、さらなる大雪のために被われて道が閉ざされてしまった、この峯は。

 ここには、あの京極派の新風が感じられないであろうか。

 1350年、南北朝の対立は頂点に達し、ちょうどこのころ兼好も亡くなるのであるが、政治的混乱とともに京極派の活動は消滅する。しかし、歌人たちは政治においてはロビイストあるいは一時的なプロパガンダニストではあっても、彼らの詩的感覚は正直なものであって、京極派の発見した新しい世界は、その後の歌壇全体に大きな影響をあたえずにはおれなかった。


   

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