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文字の力3

今回の展示品には、文字の書かれた木簡がえらく多いが、よくもまあ朽ちずに残っていたものだと感心する。湿地のような水分が多いところでは、木の腐敗を促進する微生物が繁殖しにくいそうだ。それにしても墨は千年以上経ても消えないものか。

 時は欽明天皇のころ(6世紀後半)、中国の律令制度を倣って、中央集権を目指していたころだ。政治家たちは、中国伝来の文字の持つ圧倒的な便利さを利用せずにはおれなかったはずだ。7世紀には役人は習字に習熟することを最も必要としたことであろう。

 さらにこの時代、仏教が伝わってくる。それは仏像と経典であって、経典も読まなくてはならない。僧たちもこぞって漢字の習得に努めたであろう。

 7世紀、8世紀の木簡は、儒教や仏教の経典、帳簿、荷札、手紙、日誌、借用書、漢字の勉強、和歌の練習板、として利用されたことが、読みとれる。それは何でも書ける、要するに今の紙として利用されたようだ。ということは、紙はまだ少なく、高価だったのかな。

 少しずつ地方の名前も表記するようになる。『続日本紀』の和銅6年5月2日に、「畿内と7道諸国の郡・郷の名称は、好い字を選んでつけよ。」とある。尾張は、一時は〈尾治〉と表記されていたようだ。木簡はどんどん出土されているらしく、それによって、当時の漢字表記の変遷がかなり明らかになってきている。


       

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今日この頃

 
 さうさなぁサムラコウチの曲よりも
   苦労話に人感動す

 広島の人はなにゆゑかう言ふの
   あやまちはもうくりかへしません

 つややかな氷のうへに選手立てば
   あたり一瞬真空になる

 スケーター狭いリンクで競ひあふ
   もっと遠くに行けばいいのに

 スノボーの選手は空に舞ひあがり
   その悲しみは天使にも似て

 カーリングその点数のつけ方は
   謎のままにてよしと決意す



   

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文字の力2

ところで、日本人は漢字が入って来るまで、それらしい記号を発明できなかったのか、する必要を感じなかったのか。まあ、解らないことだらけだけど、あるとき中国から漢字というのがやってきた。『古事記』によると、『論語』と『千文字』が初めてもたらされたのが応神天皇(4世紀または5世紀?)のときとあるが、それは間違いで、『千文字』が書かれたのは6世紀らしい。ともかく漢字という複雑な記号の羅列なんかを見た事もない日本人にとっては、文字通り〈犬に論語〉だったろう。

 今回の「文字のチカラ」によると、日本でいちばん古い、三重県で出土した土器に書かれた墨書文字は、〈田〉である。弥生~古墳時代の墨書には〈田〉が多い。では、当時のこれを書いた人は、これを、どういうつもりで書いたのか。「た」と発音していたのか。どういう書き順で描いたのか。田んぼのことを意味して描いたのか。

 解説によると、当時の少数の日本人は、〈田〉という字の形が、お米とそれを作る場所に関係したことを表すということを知ったのだろう、そして、田という字の形に何か呪術的な力を、おそらく豊作の祈りをこめて書いたのだろう、と。

 呪術的な記号として漢字を用いた。古墳時代(4世紀)に中国のものを模倣して作られた青銅鏡(浜松出土)に並んだ記号は、中国の意味のある銘文ではなく、文字としては出鱈目の図形である。ただ、それぞれ異なった記号が並んでいるということに意味があるということは理解するようになった、という。

 中国渡来の文化人に手ほどきを受け、日本人が中国文書を自在に読めるようになる聖徳太子の時代までの300年間の進歩。古墳時代の中期(5世紀)造られたという七支刀、稲荷山古墳の鉄剣は明らかに意味のある文であることから、漢字は意味を示す文字であるということを認識していた。

 また昨年(平成25年)、石川県能美市の古墳から出土した須恵器に〈未〉〈二年〉と読める字が刻まれていたことから、5世紀末には、一般人もけっこう漢字を書けるようになっていたらしい。

 中国では、すでにそのころ文字は紙に書かれていて、『魏書』(3世紀)の〈東夷伝倭人条〉、いわゆる魏志倭人伝には、そのころの日本の様子や卑弥呼が書かれていて、おかげで面白い論争が絶えない。

 『隋書』(656年)によると、倭国には当初は文字は無く、木を刻み縄を結び文字の代わりとしていたが、百済から仏教を導入した後、初めて文字を使用するようになったと伝えている。これはどうも信じがたい。

 『旧唐書』(くとうじょ、945年)に、日本の国号が倭から日本に移行している。日本の主張を受け入れてくれたんだな。702年、遣唐使一行が楚州の海岸に到着した時に、現地の人々から得た感想に、

 「しばし聞く、海の東に大倭国あり、これを君子の国という。人民は豊楽にして、礼儀はあつく行われる。いま、使人を見るに、儀容は大いに浄し、あに信ならずや。」

 また736年に玄宗皇帝が聖武天皇に贈った勅書には、日本を「礼儀の国にして、新霊の扶くる所なり」とあるそうだ。

  
  
 

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文字の力1

先日、「文字のチカラ」展というのを名古屋市博物館でやっていたので、見に行った。

 その解説書には、いま世界で使われているすべての文字は、古代エジプトのヒエログリフか中国の漢字が、起源である、と書かれている。小生はいつも不思議に思うことなのだが、かつて人間は何千年間、ひょっとして何万年間、話し言葉でもって意思の伝達をしてきた。それをどうして〈わざわざ〉目に見える記号に置き換えようとしたのか。

 いつだったか、エホバのおばさんが、言葉は人間にのみあると言ったとき、では、鳥や猿やどんな動物でも、危険が迫っているぞとか、あそこに餌があるぞとかを仲間に知らせるとき、鳴き声が明らかに違う、彼らの声は、言葉ではないのか、と反論したことがある。

 そもそも、あらゆる生き物がもっている形態や機能は、意味もなくあるわけではなかろう。生存のために何らかの役に立つためにある。声を出す動物は、その発声には何らかの役目がある。

 とにかく人間は、何万年かのあいだに、他の動物よりはるかに細かい意味まで音声で伝達することができるようになった。人間の喉頭の構造はいかにもいろいろな音を出すのに便利なようになっている。そのように発達してきたというが、人間が話そうとするからそういう肉体的構造になったのか、その逆か、それは生命という神のみぞ知る。

 かくも様々なことを伝達できるようになった紀元前何千年前の人たちがどうして、さらに文字を発明せねばならなかったのか。ちょっと想像するに、伝達事項がものすごく増えて、人間の記憶力がそれに追い付けなくなった。話し言葉だけでは記憶違いが多くなった。たまたま岩を刻んでおいたら、それがずっと残って、それが正しい目印になった。

 聞いたことは時間が過ぎ去るといつしか消えたり変化したりする。ところが刻んだものは変化しない。これに気付いたとき、音声的意味を視覚的記号に置き換えることの便利を知った。まあ、なんにせよ、全く次元の違うものを結びつけたというのは、なんかすごいな。


 

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