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『紫文要領』 2

光源氏の母である桐壺更衣は強い後見のいない人で、源氏を生んでまもなく他界する。非常に聡明な源氏が7歳に達したとき、帝は高麗の人相見に源氏を占わせる。「光源氏は天皇という最高の位にのぼる相の人ですが、しかしそうなると世が乱れ憂いことになりましょう。しかし政治を補佐する立場の人になるかというと、それもちょっと違います。」と言って高麗人は首をかしげる。それゆえ帝は源氏が政争に巻き込まれることを恐れて、源氏を臣下に下した。

 これが非常に重要な伏線である。いったいこの人相見の予言は何を意味しているのか。源氏は出生においても少年時においても順風満々ではない。しかし、源氏は容姿の点でも芸事においても、知力体力あらゆる点で抜群である。あらゆる「良い点に目をつけること」が物のあはれを知ることの本質である。それゆえいずれ源氏を帝にしなければならないが、・・・

 物のあはれの体現者である光源氏は、当然多くの女性に感動し恋をするが、帝の后である藤壺との密通は最大の罪である。しかし、作者はこれを断罪するのではなく物のあはれの究極と見る。そしてこれこそ必要不可欠の事件なのだ。もちろん藤壺も源氏も罪の意識で悩み仏道に救いを求めるかもしれないが、まさにそのことが物のあはれなのだ。仏道ですらも物のあはれの深化の一助にすぎない。

 この密通で生まれた子が長じて冷泉帝になるのだが、この秘密を知っているのは僧都と王命婦だけである。そして藤壺死後、夜の勤めを終えたこの齢七十過ぎの僧都は冷泉帝と二人きりになった時、その秘密を冷泉帝に語る。

 『薄雲』のこの部分に宣長は固執する。何故老僧都はこの期に及んで秘密を冷泉帝に明かさねばならなかったか。そしてそれを知った驚天動地の冷泉帝。彼は何を悩んだのか。

 宣長の解釈によるとこうなる。僧都は語る、「仏のお告げによってこの秘密を語るのです。いつまでも帝がこれをお知りにならないことが、このところの天変地異や世情の騒然を起こすのです。帝としてのあなたが今あるのは親(源氏と藤壺)のおかげです。それなのに、親である源氏を臣下にして仕えさせておけば天は黙っていないでしょう。」

 それを知った冷泉帝は悶々とする、その事実を知らないで父を臣下として仕えさせてきたことが辛くてならない。そして一旦は帝の位を源氏に譲ろうとするが、このときは、源氏はやんわりと拒否する。

 注目すべき点は、天変地異が源氏と藤壺の密通の罪のゆえと一般に解釈されそうだが、そうではなく、冷泉帝が源氏を臣下においていた故だということ。そして、密通を犯した源氏が非難されるようなことは少しもなく、むしろもっとも深い物の哀れとして肯定され、もしこの秘密を冷泉帝が知らずにいたら帝に天罰がおりるだろうとしていることである。

そこから、源氏は帝の父であるゆえに太上天皇の尊号を与えられることになる。ここにおいて、源氏は最高の禁忌を犯し、かつ最高の地位を得ることに成功する。この綱渡り的な矛盾を生きることによって、源氏は最高の物のあはれを発揮し、これによって初めの高麗人の予言は解決された。

『源氏物語』の作品構成。初めに物のあはれというテーマが式部の頭に鳴る。そして作品の中心にこのテーマを凝集させ、末端に、そこからすべての曲折が有機的に絡み合い、見事な長編小説に仕上げている。式部の手腕おどろくべしと宣長は激賞する。



   

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『紫文要領』1

 今では誰もが〈物のあはれ〉と聞けば『源氏物語』を連想する。そしてこの物語が〈物のあはれ〉を表すために書かれたと最初にはっきり言い切ったのは本居宣長である、ということも多くの人が知るところである。

 この『紫文要領』は宣長の『源氏物語』というか紫式部信仰告白の書であって、これを読む人は、〈物のあはれ〉という判断基準で、快刀乱麻を断つごとく、あらゆる旧来の源氏解釈をばっさばっと切っていく若き宣長の一本気に気圧されるのではなかろうか。

 今では物のあはれという言葉はあまりにも有名になり過ぎたが、この『紫文要領』を読んで思うに、物のあはれは簡単に言えば感動するということであって、さらに言えばその感動する心がいちいちの情況に応じて的確な方向性をもって現れてくる運動のことであり、そしてその運動の軌跡が美しいのだ。

 宣長が言うのは自然の風物のみならず人事のことにおいても、何に接しても心が動く、そしてそれからなかなか離れがたいのが、物のあはれを知ることであり、したがって恋をすることももちろんそうであるし、不倫の恋をすることもさらにいっそうあはれは深いのであって、それを不道徳だの何だのと批判するのは物のあはれを知らない人だ。また他人の悲しみや難儀を見て何も思わぬ人、他人をけなしたり強く咎める人、自説をかたくなに主張する人、知ったかぶりをする人なども物のあはれを知らない人だ云々。

 物のあはれを知る心は、ものをより好いように見ようとする、好い面を見ようとする。姿かたち、ふとした表情、立ち居振る舞いの美しさに鋭敏であり、いろいろな能力、地位といったものまで、素直に肯定的に見る。

 しかし宣長のこの本のなかで小生が一番面白いと思った点は、紫式部は『源氏物語』という長編小説を非常に意識的に計算して創ったという点である。〈物のあはれ〉をどのようにすればもっとも効果的に表現できるかを事前にしっかり考え、全体の構成にとりかかった、ということを示している点である。

 物のあはれという言葉で表現されるたぐいの心の動きがある。それを物語の個々の場面で登場人物の言葉や態度のうちに、上手く配置して表さねばならないが、さまざまな登場人物に一様にばらまくことから始めるとその効果は薄いし、かえって作り物めいて見える。むしろ一人の主人公を圧倒的な物のあはれの体現として、そこからすべては流れだし、末梢の個々の部分でそれが反映するように考える。

まず主人公をもっとも優れた好い点を備えた人物にすること。主人公にもっとも優れた地位を、最高の栄誉を与えること、つまりは主人公その人を最終的に天皇の位に着かせなければならない。 

次にその主人公にもっとも深い物のあはれを経験させなければならない。もっとも深い物のあはれとは何か。それは、もっとも困難な恋を経験させることである。もっとも困難な経験とは何か。それは禁断の恋、最高の禁忌、すなわち臣下の者が后と恋に陥り密通するという大罪、これを犯すようにしなければならない。

最高位と最大罪という矛盾を、主人公一身に背負わせ、解決しなければならない。そのためにはどのように筋を組み立てていかねばならないか。



       

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知多半島一周

数年来の念願の知多半島自転車一週を果たした。幸いその二日間は上天気であった。事前に自転車の整備を怠ったため、出発直後30分くらい時間のロスを生じた。

 まず東浦町に住む友人M氏を訪ねるべく、半島の中ほどの道を進んだ。大高の街を過ぎてからは、できるだけ車の通らない道を選んだ。これがよかった。独特のちょっと肥しの匂いが混じった空気と畑やハウスがどこまでも続く丘陵地帯。

  つひ思ふここは日本かかつて見ぬ
     なだらかな丘遠く続けり

 そうだ、知多半島には山がない。二時間半でM氏宅に着いた。彼はいつも笑顔の人だ、彼と会っていると余計なことが消えていって、透明な気持ちになる。用意しておいてくれた昼食を共に閑談、しかし長居によって再出発の気力を殺がぬよう早めに別れた。

 しかし、ここから常滑方面に向かったのはよいが、何度も道に迷い海岸沿いの道にでるのに苦労した。後で知ったが、ずいぶん余計な道をたどっていたのだ、しかもわざわざアップダウンの多い道を。
友人の家からは東南方向に下っていけばいいだけだとたかをくくって地図を持って行かなかったのが百年目。しかし、

 誤まってまた誤まってわが人生
  もはやこの質(たち)生きるしかなし


ようやく海が見えてきてほっとした。海岸沿いの道を軽快に走ったが、脚とお尻がとても痛くなって、坂井という所で休憩した。海の堤防のところで寝ころんで、数名の人たちがスノーボードのような板を履いてハンググライダーみたいなのに引っ張ってもらって水上をすいすい行ったり来たりしているのを見ていた。

すぐ近くで見ていたのだが、なぜあんなに上手にできるのか不思議だった。風は向こうからこちらの岸に向かって斜めに吹いている。それなのにどうしてここから出発して海の向こうに行って、しかもいつまでも右に左にすいすい滑っておれるのだろう。ヨットなら分かる。しかしただのボードに乗っているだけで、風に煽られて岸にぶつかってこないのは、どうしたわけだろう。・・・などと考えていたら時間が経ってしまった。が、疲れも取れた。

がんばって、予定の師崎(知多半島先端)辺りまでは無理としても、内海(うつみ海水浴場)ぐらいまでは行けるかもしれない、内海まで行けばどこか空いている民宿はあるだろうと考えて、そこからずいぶん頑張って飛ばした。

義朝の首を洗ったという池のある野間(のま)を通り過ぎたのが5時くらいで、これじゃとても6時までに内海には着けまい、あまり遅くなって素泊まりだけさせてくれるのは難しいかもしれない、などと考えながらぐんぐん飛ばす、5時40分くらいのところで、日吉苑というホテルが見えた。

部屋が空いているか尋ねると、一つだけ空いてます、ただそこはエアコンが壊れていますがいいですか。二食付きで12000円ですが、という。食べるのが目的じゃない、きっと多すぎるほどの海の幸を出してくれるんだろう、これを半分に減らして安くしてよ、と内心思ったが、そんなこと言える訳がない。温泉も入りたいし、疲れてもいる、どんな部屋でも寝られれば渡りに船だと思うべきだと、とっさに判断した。

部屋の準備ができるまでしばらく待っていてくださいと言う。海辺を散歩したかったのでちょうどよかった。夕日はすでに伊勢湾のむこうの山の端に接している。このかなり赤い光が今の自分の疲れた体によく似合うと思った。ランボーの「もう秋か、それにしてもなぜ永遠の太陽を惜しむのか・・・」という風情とは全然ちがう、沈みゆく太陽への共感が胸を満たしていた。

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目の前の岩は赤く照らされ、黒々とした水の上を白い波が執拗に大きな音を立てながら押し寄せていた。太陽が沈み、闇が深くなるにつれ、白い波がますます白く、しかしその距離感がますます不分明になっていって、なぜかだんだんこちらに迫って来るように思われ、恐怖を感じた瞬間、踝を返してフロントに戻った。

早速えらくしょっぱい温泉につかり、夕食を済ませ、窓際の椅子に座って、ぼーっと海上の光の明滅を見ていた。ちょうどこの季節、窓を開けておくと、よい風が入ってきて、エアコンなどなくていい。

 ちらちらと揺らぐ灯かりの対岸に
      突如火の玉あれは花火か

万一のため睡眠薬を呑んで寝た。


朝、朝食を一番に済ませて、またあの水際に行った。

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 朝日させば波間の水の透明の
     海いろ深し宝石のごと

出発8時。昨日の遅れを取り戻すべく急いだ。しかし、あまり無理をすると後でダウンする恐れがあるから、体と脚の疲れ具合に注意した。それから、サドルに当たるお尻というか股間の痛みを軽減するために、下り坂はできるだけお尻を浮かせた。

かなり飛ばしているつもりでも、プロというか、例の競走用みたいなえらく細いタイヤでハンドルがぐっと下に曲がった自転車に乗って、ヘルメット、サングラス、スパッツみたいな専用服を着ていく人たちが、どんどん追い越して行く。あっという間に遠くを走っている。やっぱり違うなぁ、あの自転車と言い、格好と言い・・・、あれに較べると、小生の自転車はギヤこそたくさん付いているが、ハンドルはマウンテンバイク的だし、前には買い物かごが付けてあるし、うしろは荷台に鞄がぐるぐる巻きにしてある。恰好もフツーのTシャツと黒ズボン、日本手ぬぐいで頭と首を被っている、どうみてもフツーの、というよりちょっと変わったおっさんだ。負けるに決まっている。

1時間と少しで、昨日その辺まで着くはずだった〈まるは食堂〉に到着。そこの海岸沿いの駐車場で休憩。と、二人の女性が写真のシャッターを押してくださいときた。二人とも高いヒールを履いて、とてもスタイルがよく、ミニスカートがまぶしい。20歳代と思われるが、ちょっと化粧が厚い。とにかく喜んでシャッターを押してやった。iPadだ。いろいろなポーズを撮った。

「どこから来たの?」「名古屋から」「二人ともスタイルがいいねぇ。モデルなの?」「(頭を横に振って)ううん。これから大阪へ行くの」「どうやって行くの?」「車で」そんなことをしゃべって、別れたのだが、その後で、どうしてか芭蕉の句「一つやに遊女もねたり・・・」が浮かんできた。

そこから半島の先端、師崎港までは、わずか10分ばかり、ここへ来たという証拠にフェリー発着場の写真を撮り、軽い達成感を覚えたと同時に還りの道中の困難を思った。というのは、途中の半田(はんだ)から我が家まで迷わずに心地よい道を通って行ける自信がなかったし、疲労とお尻の痛さがさらに強くなるだろうと予想したから。

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それから二時間ばかり、右に海を見ながら走ったのだが、向こう岸に渥美半島がずっと見えるはずだが、どうも様子が違う、かといって三ヶ根山のような山も見えない、おかしいなぁと思っていたが、途中で三河湾の形をよくよく思い出してなんとなく了解できた。

途中、時志(ときし)観音というのがあって、そこが見たくなったこともあって休憩。そのとなりにあった喫茶店の人にむこう岸の地理について確認してもらった。咽がえらく乾いていたので、氷を食べた。

 海中より現れいでたる仏様
     三河の海をまもらせたまふ


このお寺自体はどうってことがないが、この半島には建物とか境内の木とかがなかなか素晴らしい寺が多いことに気が付いた。

木と言えば、この辺りに四肢が曲がったような松の木が道路沿いに生えていて、形から想像するに、若いとき何度も台風か何かで痛めつけられたために、上に伸びず這うように生きる道を選んだといった感じがする。


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その姿に共感を覚えて、

 真っ直ぐに伸びるもよけれわれこそは
     この生き方を天与と思ふ




ちょうど正午ごろ、半田駅の前を通り過ぎた。広い道路に近代的なビルが建っていて、なにかちょっと気になって、一筋、二筋裏通りを走ってみた。するとやっぱり細くて暗い路地にバラックの、あるいは半分朽ちた長屋が並んでいる。概してこの半島の街は一筋入ると、こんな細い路地が入り組んでいて、なぜか家屋は黒く塗られているのが多い。

いまの日本の地方都市は、とくに大都市から離れた海辺の町はこんな感じだろう、しんとして、老人と猫しかいない。古い街道は車こそ通れ、埃だらけのガラス戸の内側のカーテンは閉められっぱなし。若い人はこんな町を離れたくなるだろう。しかし旅人はこの様な風景にこそノスタルジックな魅力を感じ、むしろそこに新しい現代住宅を発見したら興ざめるのである。

とにかく半田を過ぎてどんどん北に走ると新しくできた広々とした道路になっている。どこを走っているのか全然わからない、がとにかく北方向へ進んだ。幸い快晴で太陽の位置が明瞭だから方向は間違いない。ある大きな交差点に出た。道を挟んでコンビニが二軒ある。

そのとき、はっと息をのんだ。昨日M氏が、ここを曲がれと教えてくれた交差点、まさに昨日通った交差点だった。キツネにつままれた気持ちだった。なーんだ、ここに出たのか。ならば、M宅の近くだ。それならってことで再度M宅に。近くの喫茶店でお茶し、それから、行きに来た道と違うコースを通って帰った。どこにでもある都会の郊外の広い道で車も多く、ぜんぜん面白くなかったので、イヤホンで朗読を聴きながら帰った。


    

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夏の思ひ出

 

  エサ時は指に群がるメダカども
      現金とも見え いとしくもあり
        

   

       メダカ餌1  



   何となく義母を邪険にする女(ひと)が
      平和憲法を賛美してをり



   朽ちかけた鳥居の下をくぐりゆく
      老婆がひとり炎天の下



   蝉止んで緑陰の午後をさな子が
      二人蹴る石音のかそけさ



  

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うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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