スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

NYに行く 1

生まれて初めてニューヨークに行った。若いときに非常に感銘を受けた絵を、いつかは一度、本物を見てみたいと漠然と思っていたのだが、このところ絵のことを考えていたら、ふと見に行こうと思い立った。全行程、たった一週間、一日中自由にできるのは、なか4日である。もちろん、本命の一つさえ見ることができれば、それでいいのだけれど、せっかく地球の反対側まで行くのだから、ついでにあの市にあるお宝を存分に見てやろうと思うのは自然の情だ。

 近代美術館にある目的の絵については後で言うとして、とりあえずニューヨークについて感じたことをちょっと触れたいと思う。まず、4日間の行動の概観。

1日目 まず本命の近代美術館(MoMA)へ。開館から閉館まで一日を過ごす。夜、川向うからとエンパイアステートビルの上からマンハッタンの夜景を見る。

2日目 開館から閉館まで、メトロポリタン美術館(MET)で過ごす。帰りセントラル・パークを通る。

3日目 午前グッゲンハイム美術館。午後、再度METで閉館まで。その後、夕食のため、市内をぶらつき、偶然大聖堂とグランドセントラル・ステーションを見る。

4日目 開館から午後3時まで、再再度METへ、3時~閉館までフリッツコレクション美術館へ。

 ということで、ほぼ予定通り、効率よく美術館巡りをできたのだけれど、想定外のことは、METにあれほどのお宝があるとは思っていなかったので、連続三日間、足の痛いのも忘れて通うはめになった。それでも、とても見足りなかった。

 話のついでにMETのことから話すことにしよう。もちろんこの世界的に有名な美術館はとても広いということは想像していた。だから、開館30分前にしてすでに入口の左右に長蛇の列ができているのを見ても、そう心配はしなかった。きっとこれらの人が、中に入ったら、散らばってしまうであろうし、たいていはいわゆる〈ニューヨーク観光客〉で、ここにせいぜい2時間くらい居て、出ていくだろうと思っていたから。

  MET入口1


しかし、METは小生の想像以上に広く、日頃から方向感覚には自信があるのだけれど、少なくとも初日目は、いったい自分が館内のどこをどう歩いているのか分からなかった。ホテルに帰って、館内地図を広げて、自分の足跡を思い出し、照らし合わせて検討したが、完全には解明できなかった。

 一階と二階とに、エジプト、ギリシャローマ、オセアニア、西洋中世、近代、現代、アメリカ、アジアなど計20ほどのセクションに分かれていて、それぞれが、モーレツに広く、1つ~3つの出入口をもった多数の部屋に分かれていて、迷路の秘宝館と言えばぴったりである。初日チケットを買って、そのままなんとなく入っていたのがエジプト部門で、入るや否やもう全身鳥肌。何万年前の石器から末期王朝の前まで、けっこう飛び飛びに3分の2くらい見たところで、すでに昼の1時を回っていた。焦った。ゆっくり見てはおれない。大急ぎで館内のカフェで昼食をとり、ただちに近代西洋絵画部門へ。しかし、そこまで行く途中、アジアの壺などの名品が並ぶ通路を通るさ必然的に足が止まり、また、中世美術部門の一角をさらっと通り抜けることはできなかった。中世美術がこんなに素晴らしいとは。しかし、刻々と時間が過ぎる。冷や汗が出る。とても一日では無理だ。近代絵画の部屋に到着したのは、もう4時ごろだったか・・・というようなことで、とうとう三日連続でMET詣でをする羽目になった。

それでも、結局は幾つかの部門は断念せざるを得なかった。一個一個に時間をかけてしっかり見たい、しかしそうすればするほど多くは見れない。館内はかなり冷房が効いているが、時間との戦いで熱い汗がでる。だんだん眼が痛くなって、終わりごろには目がかすんでくる。足の裏が痺れてくる。だがもうここへ来ることはあるまい、そう自分に言い聞かせて、全力を尽くす。

ギリシャのものはずいぶん沢山あったな。英仏はおもに武力で、遅れてきたアメリカ帝国は財力で、世界のお宝を手に入れたのだな。一財産を築いた長者が美術品を蒐集し、死後美術館に寄付するというのはいいことだ。おかげでわれわれはこれらを見ることができる。ギリシャの壺はなんでこんなに集めたのだろうと思うほどある。そういえば、愛知万博があったとき、ギリシャ館で見た壺が気に入った。よくできたレプリカで、きっと最後の日に展示品の一部は売ってしまうのではなかろうかと期待し、最終日に行って、これを売ってくれと言った。しばらく係員は上の者と相談した。10万円で売りましょうと答えた。馬鹿言え、模造品にそんな高値をつけるんじゃない!(もちろん本物なら1ケタ違うだろうが) 2~3万なら買うつもりだったような気がする。が、今思うに、とにかく買わなくてよかった。ギリシャ人め、楽して儲けようとするから、今のような危機に陥るのよ。

ただ一か所、非常にイヤなところがあった。最後の日に入ったアジア部門だ。ここは、入口からしてアジアは中国なりというような雰囲気になっていて、いわばこの中国館に入ってからしか、朝鮮やとくに日本のものを見れないようになっている。この造りからして、朝鮮・日本は中国の属国か一地方という印象を与える。しかも、ここ中国館は、今だけかもしれないけれど、他の部門とは違って、がんがん音楽を流して、スポットライトに照らされた現代アートを所々に配して、古代の貴重な器物は、えらく暗くて、たとえばあの周~漢の青銅器などはよく見えない。小生はこの趣味の悪さに吐き気を催したので、中の方にはとても入っていく気がしなかった。

たしかに、古代アジアにおいては中国が圧倒的な文明を誇っていたし、日本をはじめその周辺の国々は中国をお手本として文明を築いてきたことはたしかである。だからといってあたかも周辺の国々が中国の属国のごとき印象を与え、あまつさえ今の中国の発展を誇示するような、派手なパフォーマンスが許されるのだろうか。しかもここは美術館であるはずだ。日本は独自の文化を築いている独立国であることは聖徳太子以来の国是であることを知ってほしい。

少し前、中国主導のAIIBにヨーロッパ各国は参加の意を表明した。あのときのイギリスの身の変わりの早さには驚いたが、政治経済とはそんなもので、西欧諸国の強欲は今に始まったものではない。METもついに中国の財力に参ったか、と思わずにはおれない。

さらに、情けなく感じたのが日本ブースだ。中国ブースがガンガン変な音楽を流しているからだろうか、日本ブースに入る入口にはガラスの扉がある。MET広しといえど、扉があるのは、ここだけだと記憶する。おかげで、疲れた鑑賞者は扉を押してまで、入っていく気がしない。ガラスの向こうの地味でさえない所に入って行く気が起こらない。とくに外国人はそういう気持ちになるであろう。じっさい、入ってみると中は閑古鳥が鳴いている。ここがたぶんMET中で一番閑散としている。派手さで集客している中国側から見ると、もう文化果てる極東の小島という印象を与える。

しかも、何か知らんが、お宝も冴えなし、配置がいかにも悪い。れっきとした歴史をもつ日本文化が分からない。例えば、入って即、鎌倉期の仏像が一体立っていて、扉のすぐ横には二十個くらいの根付が並んでいる。どういうつもりだろう。根付は立派な日本文化である。江戸、明治~現在に至るまでを、もっと沢山、詳しい説明を付して、並べるべきである。しかも平安時代以前のものはなかったような気がする。絵巻もあまりなかった。鎌倉~江戸期のものが、ブースの初めから終わりまで混然、雑然と置いてあるのみだ。見ていると泣けてくる。

小生が考えるに、まず入り口に、スポットライトで照らされた縄文の火焔土器を、赤毛氈の上にでもでんと置く。それから、縄文から始まって、各時代の代表的なお宝を並べる。とくに焼き物の変遷、多様性は、わが国は世界随一だ。いま日本でやっている大英博物館展の百点の中に、朝鮮物の茶碗で日本で金継ぎしたものがあったが、あれはものすごく素晴らしい、割れた茶碗をあのように、模様を付した金で継いで、さらに一段と素晴らしい美術品!と見なした日本茶人の感性に脱帽だよ。あんなのも並べたい。江戸時代は、斬新な柄の着物をいっぱい並べる。ギリシャのブースでは、壺がこれでもか、これでもかと、腐るほど並んでいるのに! 大量の根付を北斎漫画の近くに並べる。それによって日本人の創造的・楽天的なユーモアのセンスを見せつける・・・
まあここでぐだぐだ泣き言を言ってもしようがない、METは日本の美術品をあまり重要視していないのかもしれない。とりあえずEmailで意見しておこう。


 

   ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村  


  
スポンサーサイト

クチナシの香 2

それから一年もしないあいだに、お婆さんは他界されたのだのだけれど・・・

 とにかくその鉢植えをもらってから、しばらく、たぶん1週間かそこら、小生はこのクチナシの香りを楽しんだ。ところで、ちょうどそのころ梅雨っぽい日々のつれづれに、一冊の本を読んでいた。その本のおかげで、小生は、明るい南国の空の下、芳しく色彩豊かな花々や優しい瞳に囲まれた、自由で怠惰な、そして神秘な日日に、遠く想いを馳せていた。その本は、ポール・ゴーギャンの『ノアノア』(タヒチ紀行)。

 生来の遊惰なたちである小生。その学生生活の夢見心地の真っただ中に、クチナシの香りがやってきたものだから、夢から覚めるどころか、(タイミングが悪い!)、夢の中で、現実感覚(クチナシの香)と美の世界(ゴーギャンの作品)とが、分かちがたく繋がり合い、溶け合い、放置するままに、年年深めあって、固定観念のようになってしまった。

もはや小生、現実にそんな桃源郷のようないいところはないととっくに観念しているが、思えば、人は、むしろ勤勉な人は、終生心に南国の海と空をいだいていて、定年後は向こうに移り住みたいと考えている人がけっこう多いと耳にする。

 いま思うに、たしかにゴーギャンは、その昔、この地上に生きていたし、彼がタヒチ島に足を踏み入れた時はすでにフランスの植民地になっていたはずで、ひょっとして彼は、南国の夢など見ていなかったのかもしれない。そして絵画は絵画であって、つまり作品の制作という手仕事には、われわれの預かり知らない実際的な工夫・努力が必要であって、それはこちらの怠惰な夢とは何の関係もないはずだ。小生は『ノアノア』に騙されていたのではなかろうか。あるいは勝手に放蕩の夢をいだいていたのではなかろうか。この期に及んで、ふとこんな疑問が浮かんできて、もういちど彼の作品に接しなくてはならない・・・。

 西洋絵画集で、主だった画家の作品を注意してざっと見ていくと、19世紀に入って、とくにドラクロワでもって、絵画はぐっと変わってくる。それはあえて言えば、色彩の配置、そのダイナミズムとでも言おうか。その後、印象派の衝撃の真っただ中で、モネなどはその道を極端に推し進めたが、むしろ印象派の影響から脱しようとして、幾多の個性的な才能が花開いた。そしてゴーギャンは一つの曲がり角、と言うよりも、彼をもって一つの大きな新しい枝が出てきたように見える、と言えばオーバーであろうか。

光を捉えようという革命的視覚実験の、あたかも巨大な新花火の爆発実験の余波を受けて、画家たちは、それぞれの資質に応じた問題に、不本意にも見舞われることとなった。その問題とは、たんに視覚的な問題ではなく、結局むしろ思想的と言っていいような問題だ。つまり、物を見るとはどういうことか、対象を描くとはいかなることか、目によって物の内奥を捉えることができるだろうか。自然に触れようとしている自分とは何かなど、うまく言葉で表すことはできないが、とにかく存在の根源に迫るような問題に触れなくてはならなかったように思われる。

ゴーギャンの新しさは、色そのものが一つの意味を、思想をもっているように描いたところではあるまいか。彼の大胆な色彩画面が、幻惑的な装飾とあいまって、何物かと戦っているように見える。小生は彼の自画像を好むが、それらは彼の表そうとしたところと隠そうとしたところの、微妙なせめぎ合いから生まれてきたように見える。

彼の『私記』のなかに、ストリンドベルクのゴーギャンへの絶縁状のような手紙を読むことができる。彼は書いている、「ゴーギャンは、窮屈な文明を憎む未開人であり、創造主を妬んで、暇をぬすんで小さな創造をする巨人のようなものであり、他の玩具を作るために自分の玩具をこわす子供であり、大衆とともに空を青と見るより、赤と見ることを好んで、否認し、挑戦するものである。」じつにその通りと思う。誰でもゴーギャンのヨーロッパ文明への憎悪、未開人の美の発見を口にする。しかし、彼はタヒチ島にのがれて満足を得たのであろうか。否。

彼が好んで表そうとした大胆不敵、不逞の裏に、彼のふと顕れる繊細さ、しかもそれをあまりにも平気で表すので、かえって人はそれに気付かない。そんな気がする。だから複雑そうに見える彼の性格は、じつはあまりに率直であることからくる、と言ってもよいかもしれない。今回、『私記』をあらためて読みなおして思うに、これは、百パーセント文字通り、信じて読まなければ、きっと間違うと感じる。
ゴッホについて書かれた部分は、こんなくだりで終わっている。「ジャン・ドランは、その著『怪物』のなかに書いている、『ゴーギャンが〈ヴィンセント〉という時、その声はやさしい』と。そのことを知らなくても、よく見抜いている。ジャン・ドランは正しい。そのわけは人が知っている。」 どんないきさつがあろうとも、ゴーギャンがゴッホと、たった二カ月といえど、生活を共にしたのは、偶然とは思えない。かれが、アルルにいるゴッホの呼び掛けに応じたのは、「ついにヴィンセントの真剣な友情にほだされて」と、さらりと書いてはいるが、じつはゴーギャンの心の最深部が望んで応じたのではなかったか。そして彼はそのことを充分意識していたと思われる。

世人は、ゴッホの異常性やゴーギャンとの付き合いについていろいろな事を言うだろう。しかし、ゴーギャンは、あらゆることについて、一切弁解がましいことは口にしなかった。それは、当時のヨーロッパ人の常識にたいする侮蔑のゆえである。彼は、ゴッホの発病後にふれて書いている「精神病院にいれられて、何カ月かの間隔をおいては充分な理性をとりもどし、自分の身の上を理解したり、人も知るあの驚嘆すべき何枚かの作品を、嵐のように描いた人間の、かぎりない苦しみだけは言っておきたい」。

ゴーギャンには、タヒチに行こうと、どこに行こうと、逃れられないものがあった。それは、当時タヒチ島はフランスの植民地であり、すでに文明人に侵されていた、という意味ではない。それは、彼自身の内部からくる強い反抗心であり、それは無限の海のような原始への尽きせぬ苦しい憬れではなかったか。

フランス人の父とペルー人の母との混血の彼は、少年にしてすでに大西洋を行き来し、その船中において父を亡くし、17歳にして見習い水夫となり、南米航路についている間に母を失っている。彼が本格的に絵画修業に乗り出したのは35歳を過ぎてからだ。43歳パナマに脱出。タヒチ島行きが叶うのは43歳のときだ。

こころ自由(まま)なる人間は、
とはに賞づらむ大海を。
海こそ人の鏡なれ。(ボードレール)

しかし、彼を南海に駆り立てたものは、いわば文明のくびきへの反逆であり、この傲岸不遜のポーズをとらざるを得ないようにしているものは、むしろ深い悲しみであった。彼の絵に反逆を見ることはできない。むしろ祈りとも悲しみとも見える。小生は、いまそんなふうに彼を理解する。『雪の日のブルターニュ』を、南国における死に際にまで筆を入れていたというエピソードを知って、いっそうその感じを強くする。

「モーレア島は水平線上にあり、太陽がそれに近づく。私は、ぼんやりとその悲しげな信仰を追っている。わたしは、これからも永遠につづく運動を感じている―断じて消えないであろう普遍の生命。
そして夜がくる。すべてが憩う。私の眼は、私の前を逃げてゆく無限の空間のなかに、ぼんやり夢を見るために閉じられる。そして私は、私の希望の悲しい進行を心楽しく感じている。」



   くちなしの香りのもとは幾重なる
       真白き花のなかにやありける


     


     にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村


    

     

クチナシの香 1

 
   この香りそのみなもとはいづくにと
          問へど白々くちなしにして

 わが家には、花の大きさが異なる三本のクチナシの木がある。一本は地植え、小ぶりの花をつける二つは鉢植え。いずれもそこら辺りからちょっと失敬して、挿し木から育てたものだ。

クチナシ小1 クチナシ大

以前にもこの香について触れたことがあるけれど。

 いつもこの季節、初夏の光の輝きをうけて、白い花を咲かせ、甘い、クリーミーな香りを放つ。家族はあまり好まないが、この香は、小生にとっては、ある思い出と分かちがたく結ばれていて、どうしてもこの季節、その思い出にふけりたいという思いからのがれられないのである。

 しかし、この香を嗅ぐとき、本当にあの時のこと、あの時に育んだ夢を思い描いているのであろうか。いや、どうもそうではないようだ。けっして、あの時のあれこれのいちいちを思い出しているわけではない。何となく漠然と、もっと正確に言えば、香そのもののが、いまだ映像として浮かびあがってくる以前の情動を包含していて、そこにはせいぜい形をなさぬ諸ニュアンスが遥曳しているだけのようであって、そして、後になってはじめて、たとえば人に説明でもしようして、その情動に問い合わせをする。そうすると向こうから答えが帰ってくる。だからうまく問い合わせをしたいものだ。〈思い出す〉とはそういうことのような気がする。

 ・・・それは、小生が大学に入った年のことであった。江戸川の近くに下宿先を決めておいた。4月には修繕が終わるはずのその家は、工事が遅れていた。大家さんは今まで住んでいたその家から、隣の新築に引っ越しをしていた。それで、大家さんは、あと1~2カ月、修繕が終わるまで、近くに仮の下宿先を手配したので、とりあえずしばらく、そこに逗留してくれと連絡してきた。

 その仮の下宿先というのは、そこから歩いて2分くらいのところにあり、黒っぽい連子格子をしつらえた、古いがっしりとした家で、いまから思うと明治期の建物と思われる、その家の玄関脇の暗い8畳か12畳くらいになる二間続きの部屋があてがわれた。どうせ一時の仮住まいだと思い、机やタンスの置きどころが定まらず、部屋の一角に運び込んだまま置いておいたような気がする。布団は広すぎる部屋の真ん中にひいて寝た。

 もとより下宿人をおく意図のない大家さんというのは、80歳くらいの老婆の一人住まい。ほかに下宿人はなし。さすが、最初に挨拶に行ったときは、この老婆の娘という人が応対してくれた。この娘家族はここから車で30分くらい離れたところに住んでいるという。

 学校から帰ると、暗い広い部屋に居て、なんとなく落ち着かない。しんとした家で、ラジオやレコードをあまりかけるのも、お婆さんに悪いような気がするし、勉強したり本を読むという雰囲気でもなかったから、やたら外出し、その辺りを散歩しまくっていた。そこは広々とした江戸川沿いで、土手からの景色はとてもよかった。富士山が朝は朝日を浴びて大きく見えた、夕ぐれは夕日でシルエットになって、黒々とした富士は小生の暗い心の中心のようにも思われて、ためにいっそう周囲の夕焼け色が華やいで、飽きず眺めたものだった。

 しかし、たぶん数日もしないうちに、お婆さんも下宿人のことを気にかけていたのか、小生が部屋に居ると、声をかけてくれるようになった。お茶でも飲みませんか。―その声を今でもはっきり思い出すことができる。―たぶん小生の部屋の隣の部屋だったと思うが、角火鉢だったかどうか、これまたハッキリしないけれど、火鉢には鉄瓶がちんちんと鳴っていたような・・・子供のころの記憶とごっちゃになっているかもしれない。お婆さんは小生を火鉢の脇に誘い、そこでお茶菓子をだしてくれた。

 この老婆は、「高砂」によく描かれる姥のように、細身・小柄で、髪型から着物まで典型的な昔の老婆であった。顔はシンプルな雛鳥のようで、歳のわりに(じっさい何歳だったか思い出せないが)目がはっきりしていた。動作も声もしっかりしていた。火鉢の炭火で煙草の火をつけ、目を細めて、さも美味そうに煙をくゆらし、話もなかなか洒脱であった。だから小生も窮屈な思いはしなかった。「学校はどうですか」「食事はどこで」「ストリップ見に行きますか」など訊いたり、関東大震災の写真を見せてくれたりした。

 かくするうちに、2カ月ほど経って、件の家の修繕は終わり、小生は予定どおり引越することになった。すぐ近くだったから、友人がリアカーを借りて手伝ってくれた。その日は小雨が降ったりやんだりで、友人が牽くリアカーの後姿がなんとも寂しげであった。小生の気持ちは、しかし〈ちゃんとした〉明るい六畳間に自分らしい巣をつくる期待が大きかった。

 前置きが長くなったが、その後である。ちょうどこの季節、だから小生が引っ越ししてから1カ月後くらいであろうか、お婆さんが小生の下宿にやってきて、これをあげると言って、植木鉢いっぱいに真っ白い沢山の花をつけた植物を下さった。その香りは音楽のように、ぱっと六畳の部屋に満ちた。


       

       にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村


     

『日本霊異記』

『日本霊異記』の著者は、景戒というお坊さん。時代はだいたい聖武天皇から嵯峨天皇あたりまで生きた人だ。それでこの本は、ちょうど『万葉集』が世に出た時と同じころ書かれたものだ。

 雄略天皇の御代の雷神の話から始まって、桓武天皇の御代の僧の転生話と平城天皇賛に終わる。多くは、8世紀、聖武天皇から桓武天皇の御代における怪異な話だ。この時代は大変な時代であった(いつの世も大変だけど)、とにかく戦乱につぐ戦乱、そして飢饉と疫病の蔓延で、民衆はちょうど山上憶良の貧窮問答歌さながらの状態であったろうと思われる。だからこそ、聖武天皇は巨額を投じてでも大仏を造らねばならなかったし、だからいっそう民衆の生活は苦しくなる、しかし頼るものとては仏の慈悲しかない。

 なんでこんなに苦しい生活をしなければならないのか、きっと悪いことをした報いに違いない。この本の正式名は『日本国現報善悪霊異記』というのだそうで、つまりこの世でのわれわれの行いの善悪によって、その報いがもたらされる。そのような不思議な話を聞き集めたものである。しかし、報いは一代限りではなく、世代を越えてもたらされる。前世で悪いことをしたものだから、今世で苦しい思いをする。そんな話もある。

 ここでの116の奇怪な話は、似たような話が多く、いくつかの類型に分けられる。乞食僧に施し物を拒否した者が悪い死に方をする、お経をあげることによって、あるいは仏像を作ったり、写経をしたりして、罪や困難から救われる。一時的に死んで地獄に行き知人に遇って話を聞く。役人が税金を過酷にとったり誤魔化したりして、地獄で相応の苦しみをする。

 神道は外道だと排斥する話もあれば、生贄を行う異教を捨てて仏教に帰依せよという話もある。概して、神道の神や巫女は神通力があるが、転生やあの世の報いなどに関しては、何の力をも持ちえない。心の善悪や平等というえらく道徳的な話もあれば、現世利益のための信仰を勧めもする。中には、閻魔大王の使いに対して賄賂を推奨する話もある。吉祥天女像のような美しい女が欲しいと願うあまり、ついつい無意識裡に天女像と交わってしまったお坊さん、事がばれて恥ずかしい思いをする、しかし作者は一途な信仰は叶えられると結んでいる。まあ、おおらかというか、ようするに、話はハチャメチャであって、当時の一般民衆がいかに迷信を生き生きと生きていたのかを想像できて面白い。

 それぞれの話は、どこの何某がいついつ、という言葉から始まる。中には、具体的な有名人も出てくる。藤原仲麻呂の乱で功績があったとされる佐伯伊太知は、地獄で閻魔大王にひどく鞭打たれている。傍らの人が理由を訊くと、大王の書記官が言うには、伊太知は生前おこなった善いことと言えば、法華経の69384文字を書き写しただけだが、悪いことはそれよりもっと沢山したからだと答えている。もっとも有名な話は、例の称徳天皇と弓削の道鏡の不倫の話だろう。こういうところを読むと、いまの週刊誌のようで、一の事実から百の面白い話を創作したように感じられる。

 この作者、景戒という人は本当に信仰があったのだろうか、といぶかる。終わりの方で、彼は懺悔して曰く、「ああ、恥ずかしいことだ。せっかくこの世に生まれてきたけれど、生きる手立てに苦労する。因果応報のゆえか、愛欲にまみれ、煩悩の生活を繰り返し、あくせくして身を焼き焦がしている。僧といっても俗生活をしていて妻子をも養わねばならないのに、常に衣住食にこと欠き、安らかな気持ちになれない。昼も夜も餓え凍えている。わたしは前世において他人に施しをしなかったのだ。いやしい、さもしい自分だ」と。

 そうして彼は夢を見る。夢の解釈にいろいろな辺理屈をつける。その後、彼のお堂が狐に荒らされたり、息子や大切な馬が死ぬ。これは何の前兆であろうか。陰陽道や天台の哲理の事はよく解らないし、まだ勉強もしていないので、それを避ける術も知らない。ただただ歎いているだけである、と述べている。

 いまさら陰陽道もなにもないではないか。それなら、彼は他人には因果応報や仏の慈悲について説いても、じっさい彼自身はついに、いろいろな考えに迷わされていたのではなかったか。というよりも、むしろ因果応報を考えている限り、確信に至る道は閉ざされているのではないか、と考えさせられたりもする。


     

     にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村


     

政治音痴の感想

 テレビや新聞で、よく集団的自衛権の問題を見る。なんであんなことが問題になるかとふと思う。それは、わが国が自分の力で自国を守れないという不安感のなさしめるところではないか。

 同盟の誓いなんて、過去を振り返れば一目瞭然、いざとなったらいかなる国が他国を守るか。アメリカなんかは、裏切る前に、いろいろともっともらしい理屈をつける。よく言えば、外交に強い。ロシアなど多くの国は、どうどうと先ず裏切る。後で下手な理屈をつける。ずうずうしいから他国から嫌われる。

 では、どうすればいいの。とりあえず自分(わが国)は強いという自信をもてるようになるべきだ。いざ戦いになっても負けないという自信を持つこと。初めから誰かに頼らなくてはならないという考えを捨て、いつも毅然とした態度を見せられるよう訓練すること。

 強力な軍事力をもつということではない。現在毎日のように、大量のハッカーが世界中の政府や大企業などに入り込んで、じつに手の込んだ方法で情報収集や破壊活動を行っていると聞く。今日の新聞にも、日本年基金機構の流出事件は中国系だとアメリカの会社が断定したとある。これは、小生の目には戦争準備状態に見える。先の大戦からはっきり判るが、軍事力のハードの部分は必要ではあるが、それより諜報力がモノを言う。

 70年前、世界最高のハイテク戦艦であった大和・武蔵も、その位置・動きは把握されていた。そもそも、ミッドウエー戦以来、わが国の通信はほぼ傍受解読されていたというではないか。それなら、いかな大和・武蔵も鉄くずに等しい。

 そういう意味でも、核戦力は不要であると考える。ついでに言えば、そんなもの持っていたって、正常な人間なら使えっこないし、朝原やビンラディンやイスラム国に洗脳された子供らなどキチ○○の手に渡ったら、こんな地球が滅びても構わぬと考えている奴らに、こちらの核武装が抑止力となるはずがない。

 むしろ、大事なことは、他国の核や化学兵器の施設やミサイル基地がどこにあるか、ミサイルや潜水艦が今どこに向かっているかを、正確に丸裸に把握する情報収集能力を持つことが、強いことの秘訣ではないかと思う。兵器は通常兵器でいい、とは言っても性能はいいに越したことはない。

 したがって、小生の提唱は、まず強力な諜報員の養成。バイリンガル・トリリンガルの人間が多くいれば、その中から優秀な諜報員が出てくる可能性が多くなる。育ちのいい日本人は諜報活動ときくと顔をしかめるが、要するに優秀な外国人と親しくなることだ。子供の内から外国語ができるようにしたいと考えている大人が多いご時世は結構なことだ。

 そして、スパイ衛星など情報収集ハイテク技術の絶えざる改良が大事だ。先に言った、他国の軍事施設の場所を正確に知ることと、パトリオットのような迎撃機械をわが国のあらゆる所に配置すること。ハッカーに対しては、遮断はもちろん、偽情報流し、逆探知破壊などの巧妙な対応ができるよう、強力な専門家を早急に養成せねばならない。毎日、わが政府高官の通信や企業秘密が外国に垂れ流しになっていると思うと、残念でならない。

 これらはすべて、他国に戦争を仕掛けるためではなく、あくまで万一の時の防衛のためであることを確認すべきである。まず防衛に自信を持てば、そんなに厳しい集団的自衛に縛られることはないと感じた。


     


     にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村


     
プロフィール

うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。