この季節
この季節、クマゼミの鳴き声が「もう起きろ、もう起きろ」と、耳元でせっつく。時計を見るともう7時を回っている。カーテンを開けると、年老いた人間をけだるくさせるような夏の空がすっかり広がっている。
顔を洗って、キッチンでグレープフルーツを切る。なんか今朝は心が躍っている。気が付くと頭の中で、ビートルズの「I saw her standing there」が鳴っている。ははーん、このためなんだと気が付く。
昨日you tubeでこの曲を聴いたのが、ずーっと続いているのだ。人は眠っている間に完全にリセットされるのではないのだね。では、眠っている間に、この音楽はどこにあったのか、鳴っていたのか。
すでに今、体の隅々まで震わしているリズムギターの刻みは、眠りの間、自分の体の内で続いていたのか、それとも自分の外にあったのか。人は容易に記憶っていう言葉を使うけれど、記憶というのはじつに何と言うか…。要するに、どうして過去が現在に蘇るの。
まあいい。こんな暑い夏の午前、難しくことを考えるのはよしたほうがいい。それよりも、いつものように朝食後は、庭の空気を吸い込みながら、メダカに餌をやる。

餌をばら撒くと、口をパクパク開けて群がってくるのが面白い。まるで新興宗教の信者だ。教祖から見るとこんな風に見えるのか。人間とはかわいい動物だ。キリスト教の神から見ると・・・いやそんなはずはないだろう。
夏の花。サルスベリ。ムクゲ。ヒメムクゲ。クソカヅラ。サルスベリは紫がよい。

枝垂れ梅もこの時ばかりと存分に葉をつけお化けのようになっている。これがまた暑苦しい。

いつも〈初夏〉という言葉から連想するイメージ。
簾(すだれ)が微かに動く風通しのよい部屋から海を見ること。
氷の入ったガラスコップにコカコーラを注ぐ時の爽やかな音。…
そこではキイス・ジャレットのピアノのタッチが調和する。その音は風に吹かれて部屋から夏空に抜けていって、後に残ることはない。気が付くと、いろいろな人種の人たちが、あちこちのテーブルや砂浜で、アイスコーヒーを前に、静かに話合っている。
そんな空想をしていると一匹の蚊が腕にとまる。一瞬、針を皮膚に差し込むのを確かめて、パチンとつぶした。玄関先に蚊取り線香をたく。この香はいいものだ。それにしても、蚊はやはり好きになれない。
子供のころ、扇風機の羽の白や薄水色がとても新鮮だった。それが電気屋さんの店で回っていて、前に付けられたリボンが揺れる。それが涼しげだった。今でも、それほど暑くないときには扇風機を回す。扇風機の首振りの微風を背後に感じるときは、なんと心地よいことか。
この心地よさはエアコンでは決して味わえない。でもエアコンの心地よさというものもある。わが家に初めてエアコンが、当時はクーラーと言っていたが、クーラーが付いたのは、たしか中学三年の夏だったと思う。父が一つの和室を洋室に変え、その部屋に付けたのだった。
小生は、夏休みを利用して、しばらく長野県に逗留していた。帰ってきて、あの和室がすっかり洋風の応接間に変わっていて、その部屋の涼しさ、というより冷たさに感動した。あの時の感覚は今でも肌に残っている。カーテンは細かいメッシュの黒色で、庭の景色もとても涼しげに見える。
そして、新式のステレオから流れている曲は、とは言ってもその瞬間流れていたかどうかは、じつははっきりしないが、マントヴァーニ・オーケストラの「シャルメーン」だった。それがまた新鮮だった。…すべてはあの時代の日本人の夢だったのだ。
夏の思い出は、芋づる式に次々と浮かんでくるけれど、書き続けてゆけば、あまりに煩雑になるだろうから、今はここまでにしておこう。
「まくらのさうし」ふうに書いたつもりやけど…。


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顔を洗って、キッチンでグレープフルーツを切る。なんか今朝は心が躍っている。気が付くと頭の中で、ビートルズの「I saw her standing there」が鳴っている。ははーん、このためなんだと気が付く。
昨日you tubeでこの曲を聴いたのが、ずーっと続いているのだ。人は眠っている間に完全にリセットされるのではないのだね。では、眠っている間に、この音楽はどこにあったのか、鳴っていたのか。
すでに今、体の隅々まで震わしているリズムギターの刻みは、眠りの間、自分の体の内で続いていたのか、それとも自分の外にあったのか。人は容易に記憶っていう言葉を使うけれど、記憶というのはじつに何と言うか…。要するに、どうして過去が現在に蘇るの。
まあいい。こんな暑い夏の午前、難しくことを考えるのはよしたほうがいい。それよりも、いつものように朝食後は、庭の空気を吸い込みながら、メダカに餌をやる。

餌をばら撒くと、口をパクパク開けて群がってくるのが面白い。まるで新興宗教の信者だ。教祖から見るとこんな風に見えるのか。人間とはかわいい動物だ。キリスト教の神から見ると・・・いやそんなはずはないだろう。
夏の花。サルスベリ。ムクゲ。ヒメムクゲ。クソカヅラ。サルスベリは紫がよい。

枝垂れ梅もこの時ばかりと存分に葉をつけお化けのようになっている。これがまた暑苦しい。

いつも〈初夏〉という言葉から連想するイメージ。
簾(すだれ)が微かに動く風通しのよい部屋から海を見ること。
氷の入ったガラスコップにコカコーラを注ぐ時の爽やかな音。…
そこではキイス・ジャレットのピアノのタッチが調和する。その音は風に吹かれて部屋から夏空に抜けていって、後に残ることはない。気が付くと、いろいろな人種の人たちが、あちこちのテーブルや砂浜で、アイスコーヒーを前に、静かに話合っている。
そんな空想をしていると一匹の蚊が腕にとまる。一瞬、針を皮膚に差し込むのを確かめて、パチンとつぶした。玄関先に蚊取り線香をたく。この香はいいものだ。それにしても、蚊はやはり好きになれない。
子供のころ、扇風機の羽の白や薄水色がとても新鮮だった。それが電気屋さんの店で回っていて、前に付けられたリボンが揺れる。それが涼しげだった。今でも、それほど暑くないときには扇風機を回す。扇風機の首振りの微風を背後に感じるときは、なんと心地よいことか。
この心地よさはエアコンでは決して味わえない。でもエアコンの心地よさというものもある。わが家に初めてエアコンが、当時はクーラーと言っていたが、クーラーが付いたのは、たしか中学三年の夏だったと思う。父が一つの和室を洋室に変え、その部屋に付けたのだった。
小生は、夏休みを利用して、しばらく長野県に逗留していた。帰ってきて、あの和室がすっかり洋風の応接間に変わっていて、その部屋の涼しさ、というより冷たさに感動した。あの時の感覚は今でも肌に残っている。カーテンは細かいメッシュの黒色で、庭の景色もとても涼しげに見える。
そして、新式のステレオから流れている曲は、とは言ってもその瞬間流れていたかどうかは、じつははっきりしないが、マントヴァーニ・オーケストラの「シャルメーン」だった。それがまた新鮮だった。…すべてはあの時代の日本人の夢だったのだ。
夏の思い出は、芋づる式に次々と浮かんでくるけれど、書き続けてゆけば、あまりに煩雑になるだろうから、今はここまでにしておこう。
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NYに行く 4
誰でも知っているように、ピカソは生涯たえず作風を変えていった画家だ。それは、早熟の天才がどんどん新しい局面を創造していったとも言えるし、既成品をどんどん壊していったとも言える。彼のような非常に多産な画家については、もう言葉を失うしかないけれど、小生にとっては、この作品を前にしていると、何と言うか、驚きと一種独特の不安で満たされる。一言で、〈存在の爆発と新しい神話の誕生〉
この絵をキュービズムと言っても、べつにかまわないが、いわゆるキュービズムからは決して出てこないものがある、あるいはそういうにしてはあまりに豊富である。また抽象絵画と言ってもよいが、この画面には、明らかに5人の女性が見てとれる。
人は目がなければ描くことはできない。抽象化から絵画芸術は始まったという人があるが、でたらめに色や線や面を配することはできない。どうしても目の前の具体的なものから始めなければならない。近年、でたらめに絵の具を塗りつけたり振りかけたりして、絵画作品とする人たちがいるが、小生に言わせれば、それは宝くじを買うようなものだ。極めてまれに心を動かす作品も生まれようが、99%以上がカスである。
一万五千年前の人たちが洞窟の壁に描いた動物や人は、模倣であるか、それとも抽象化であるか。石器時代の女性の土偶は模倣か抽象化か。実際これらを鑑賞する人は、石器時代の人たちは何ゆえこの様なものを描いたのだろう、あるいは創ったのであろう、と考える。想像するに、まず対象に対する驚きが根本にあろう。そして描いたり作ったりするのは、対象を捉えようとすることではあるまいか。対象を捉えるとは、その内奥の特徴的な力を捉えることだ。動物や女性がもつ力を捉えようとすること、それはその力の源泉に近づきたいという誘惑、その力をふたたび呼び起こし、その力に少しでも与ろうとすることに他ならない。それら絵や彫像は純粋に模倣でもないし抽象でもない。むしろ模倣と抽象とが同義となるような行為ではなかろうか。
それは、すなわち強いて言えば、呪術と言いたくなるあるものではあるまいか。彼らの行為は、模倣・抽象という現代語のもっと向こうの、もっと原初的な行為、すなわち呪術、それは宗教のごく初期というか、根底にある衝動だ。われわれ現代人は、芸術と宗教と分けて考えるが、しかし、石器時代は、いわばそれらが混じり合っている未分化なある行為である。
いつも思うことであるが、われわれ現代人にもかすかにそう感じられるときがある。ペンダントをつけたり、要するにおしゃれをするとき、自分に新しい力が加わったような気がする時があるではないか。おしゃれをすること、それは美的行為か呪術的行為か。
ラスコーの壁画や縄文土偶を思い浮かべよう。小生はどうしても、あれらに超自然的な力に対する驚き、畏怖と祈願とが入り混じったものを感じる。あれらを前にすれば、牛や女性の存在そのものに対する驚き、畏怖や祈願が一体になった、ある感覚に襲われないか。だが、こういう感覚を素直に表しがたいのは、われわれはもはや古代人でないからである。
つねづね思うことであるが、現在のわれわれの感覚・思考でもって過去の人たちの心を考えることはできないのではないか。例えば、その昔、世の中に、オレンジと紫としかなかった時代があったと仮定しよう。そのとき、オレンジ色は、単一で基本的ないわば原色であったのである。いろいろな色を知っている現代人から見ると、オレンジ色は黄色と赤色とが混じったものだ、と断じる。しかし、当時の人たちが見るオレンジ色は基本的な単色であったのだ。そこには黄色も赤も含まれてはいない。そもそも黄色も赤もなかったのである!
そういう意味で、石器時代の人たちにとって、描くことは、〈呪術的なある単一な行為〉なのであって、われわれの言うところの分化した呪術と絵画との混じったものではないだろう。その行為はオリジナルな単一なものである。いつの時代についても、われわれはいまの感覚でものを言ってはいけない、と思う。芸術の起源は呪術的なある行為であって、芸術はそこから分化・発展してきた、そしてたえず変化しつづけてきたのであって、それでも今なお太古の残響が微かに残っている。現代芸術とはさらに哲学的、科学的、思想的、装飾的な意味が加わってきていて、じつに多義にわたり、また同時にそれらを排除し、純潔を守ろうとするようなある行為である、と言えまいか。
今となっては、大なり小なり芸術とは、われわれの感覚から日常生活によってつけられた手垢を落とそうとしてくれるものではないかとよく思う。われわれのすべての能力は、もっぱら生きるための、明日の生活のための効率のみに捧げられているように見える。しかしそこから目を転じて、何でもいい、何かをじっと見つめてみよう。するとそこから今まで知らなかった或る世界を垣間見ることができる。その世界とは、おそらく人間と自然とがどこまでも親密であるような関係であって、その多彩な相の一部をわれわれは見ることができる。絵画芸術とは、そのための案内図を提供するものではないか。つまり、われわれが自然の秘密を知ることができる早道は、いわゆる芸術を通してなのだ。
休むことなく新しい世界の入口を叩いては開けようとして、そのために膨大な作品を描いたピカソにとって、この『アヴィニョンの娘たち』は、その最大の力仕事であったように感じる。小生にとって、絵画の意義を考えるのに、ほとんどこれだけで充分だ。

もっとよく見ろ、もっとよく見ろ」と、
後ろに居る客観の影が背中を押す。
「目をつぶれば、描くべきものはないぞ」
存在が爆発する。
空間を破って形が現れる。
圧倒的な力をもって脱皮しつつ
女神たちは未聞の叫びを発する。
「表面は裏面。裏面は表面。全ては鏡像。」
先史のある窪みから
小刻みに溶岩が噴きだして次々に形を為す。
人間色の微妙な色が浮き出てくる。
わずかに残った青い空間が垂れ落ちて凝縮する。
誰か、捧物をたてまつったのは、
ああ、ついに新しい天の岩戸伝説が生まれる。
そして、ピカソはシャーマンになる。


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この絵をキュービズムと言っても、べつにかまわないが、いわゆるキュービズムからは決して出てこないものがある、あるいはそういうにしてはあまりに豊富である。また抽象絵画と言ってもよいが、この画面には、明らかに5人の女性が見てとれる。
人は目がなければ描くことはできない。抽象化から絵画芸術は始まったという人があるが、でたらめに色や線や面を配することはできない。どうしても目の前の具体的なものから始めなければならない。近年、でたらめに絵の具を塗りつけたり振りかけたりして、絵画作品とする人たちがいるが、小生に言わせれば、それは宝くじを買うようなものだ。極めてまれに心を動かす作品も生まれようが、99%以上がカスである。
一万五千年前の人たちが洞窟の壁に描いた動物や人は、模倣であるか、それとも抽象化であるか。石器時代の女性の土偶は模倣か抽象化か。実際これらを鑑賞する人は、石器時代の人たちは何ゆえこの様なものを描いたのだろう、あるいは創ったのであろう、と考える。想像するに、まず対象に対する驚きが根本にあろう。そして描いたり作ったりするのは、対象を捉えようとすることではあるまいか。対象を捉えるとは、その内奥の特徴的な力を捉えることだ。動物や女性がもつ力を捉えようとすること、それはその力の源泉に近づきたいという誘惑、その力をふたたび呼び起こし、その力に少しでも与ろうとすることに他ならない。それら絵や彫像は純粋に模倣でもないし抽象でもない。むしろ模倣と抽象とが同義となるような行為ではなかろうか。
それは、すなわち強いて言えば、呪術と言いたくなるあるものではあるまいか。彼らの行為は、模倣・抽象という現代語のもっと向こうの、もっと原初的な行為、すなわち呪術、それは宗教のごく初期というか、根底にある衝動だ。われわれ現代人は、芸術と宗教と分けて考えるが、しかし、石器時代は、いわばそれらが混じり合っている未分化なある行為である。
いつも思うことであるが、われわれ現代人にもかすかにそう感じられるときがある。ペンダントをつけたり、要するにおしゃれをするとき、自分に新しい力が加わったような気がする時があるではないか。おしゃれをすること、それは美的行為か呪術的行為か。
ラスコーの壁画や縄文土偶を思い浮かべよう。小生はどうしても、あれらに超自然的な力に対する驚き、畏怖と祈願とが入り混じったものを感じる。あれらを前にすれば、牛や女性の存在そのものに対する驚き、畏怖や祈願が一体になった、ある感覚に襲われないか。だが、こういう感覚を素直に表しがたいのは、われわれはもはや古代人でないからである。
つねづね思うことであるが、現在のわれわれの感覚・思考でもって過去の人たちの心を考えることはできないのではないか。例えば、その昔、世の中に、オレンジと紫としかなかった時代があったと仮定しよう。そのとき、オレンジ色は、単一で基本的ないわば原色であったのである。いろいろな色を知っている現代人から見ると、オレンジ色は黄色と赤色とが混じったものだ、と断じる。しかし、当時の人たちが見るオレンジ色は基本的な単色であったのだ。そこには黄色も赤も含まれてはいない。そもそも黄色も赤もなかったのである!
そういう意味で、石器時代の人たちにとって、描くことは、〈呪術的なある単一な行為〉なのであって、われわれの言うところの分化した呪術と絵画との混じったものではないだろう。その行為はオリジナルな単一なものである。いつの時代についても、われわれはいまの感覚でものを言ってはいけない、と思う。芸術の起源は呪術的なある行為であって、芸術はそこから分化・発展してきた、そしてたえず変化しつづけてきたのであって、それでも今なお太古の残響が微かに残っている。現代芸術とはさらに哲学的、科学的、思想的、装飾的な意味が加わってきていて、じつに多義にわたり、また同時にそれらを排除し、純潔を守ろうとするようなある行為である、と言えまいか。
今となっては、大なり小なり芸術とは、われわれの感覚から日常生活によってつけられた手垢を落とそうとしてくれるものではないかとよく思う。われわれのすべての能力は、もっぱら生きるための、明日の生活のための効率のみに捧げられているように見える。しかしそこから目を転じて、何でもいい、何かをじっと見つめてみよう。するとそこから今まで知らなかった或る世界を垣間見ることができる。その世界とは、おそらく人間と自然とがどこまでも親密であるような関係であって、その多彩な相の一部をわれわれは見ることができる。絵画芸術とは、そのための案内図を提供するものではないか。つまり、われわれが自然の秘密を知ることができる早道は、いわゆる芸術を通してなのだ。
休むことなく新しい世界の入口を叩いては開けようとして、そのために膨大な作品を描いたピカソにとって、この『アヴィニョンの娘たち』は、その最大の力仕事であったように感じる。小生にとって、絵画の意義を考えるのに、ほとんどこれだけで充分だ。

もっとよく見ろ、もっとよく見ろ」と、
後ろに居る客観の影が背中を押す。
「目をつぶれば、描くべきものはないぞ」
存在が爆発する。
空間を破って形が現れる。
圧倒的な力をもって脱皮しつつ
女神たちは未聞の叫びを発する。
「表面は裏面。裏面は表面。全ては鏡像。」
先史のある窪みから
小刻みに溶岩が噴きだして次々に形を為す。
人間色の微妙な色が浮き出てくる。
わずかに残った青い空間が垂れ落ちて凝縮する。
誰か、捧物をたてまつったのは、
ああ、ついに新しい天の岩戸伝説が生まれる。
そして、ピカソはシャーマンになる。


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NYに行く 3
さて目的の絵とは、近代美術館(MoMA)所蔵の、ピカソ作『アヴィニョンの娘たち』なのだ。小生がもっとも衝撃を受けた絵だ。20歳代のいつだったか覚えがない。

ついでに見てくれ、恥ずかしながらこれ、小生が27歳のときに真似してデッサンしたもの。

そのころまた、たしか京都の大原に行った時に、陶器のお皿に何でも好きなものを描いて、後でそれを窯で焼き上げて送ってくれる露店があって、そのとき記憶で描いたものとヴァリエーション。

笑っちゃうね。恥の上塗りもいいとこ。しかし当時絵と言えば、これがいつも頭から離れなかった。
さて、この美術館に入って、この絵がある5階に行ったのだけど、直行するのはためらわれた。心の準備ができていない。しばらく入口のものから順々に見て、目と心を慣らしてから見ようと考えた。しかし、不安もあった。もし直前に他の作品に感動してしまったり、あまりに多くの名画を先に見て疲れ、心身の調整ができず、目的の本命に感動しなかったらどうしよう。
それから、こういうこともある。以前からつねづね考えていたことだけど、本物が模倣品より、よいとは限らないのではないか、という疑問である。本物偽物というのは大した問題ではなく、むしろこちらの鑑賞準備状態が問題なのではないか。思えば、われわれ日本人は西欧の芸術を、例えば音楽はレコードで聴き、絵は印刷で見、本は翻訳で読んできたのである。みんな偽物である。しかしわれわれはそれでもって楽しみ、吸収してきたのではないか。
だからわれわれは多くの誤解をしてきたのだ、と人は言うかもしれない。しかし、誤解ほど面白いものはない。少なくとも、非常に個性的な誤解は正解より面白い。もちろん、個性的でありさえすればよいとは全然思わないけれど。むしろ個性的などというものは余分なことである。言いたいことは、要するに、こと芸術鑑賞に関するかぎり、正解も誤解もありはしない。感動したり、夢をもらったり、喰い入る深浅があるだけだ。
とはいえ、芸術に意味がないがないかというと、またそうとも言い切れないと感じる。言語芸術は、言葉の意味に触れずに味わうことはできない。言葉の有する意味を度外すれば、それは音楽になろう。では純粋な音楽に意味はないかというと、なかなかそうとも言い切れない。言葉による意味はなくても、音楽自体がもつ意味がある。そのことを鋭敏に感じとったワグナーは、あのような長大な〈楽劇〉を創った。書かれた文字についても同様で、書を見るごとに思うことだが、文字の意味にまったく触れずに味わうことは難しいとはいえ、見る人は書体そのものに意味を感じている。絵画についても同じことが言える。色彩の配置や線や形態が意味をもつ。
ところで、作品の意味は、作者が意図したモノであろうか。もし作者の中にすでに意図が内在していて、作品の意味は、その意図を明るみに出すのだとすれば、芸術作品ではない。むしろ意図は、作品の後で、あるいは作品の制作過程で、後から出てくるものではあるまいか。少なくとも、実際の制作から何らかのバイアスを受けるのではないだろうか。晩年のセザンヌの筆はとてもストイックである。けっこう多くの作品に余白がある。それは彼が意図しようとしたものをどうしても出せなかったというよりも、むしろ作品の方が彼に筆を入れるのを禁じたのだと、小生は感じる。つまり、作品には作者のあらかじめの意図を超えたものがあるのではないか。創造には、多かれ少なかれ何か神秘な付加がなければならないのではないか。
で芸術とはなんだろう。と話がどんどん逸れていくけれど、このMoMAの五階の作品群を見て、じつは考えていたのは、そのことなのだ。考えていたと言っても、結局は不毛な同語反復に終わってしまっただけだけど。…で、歩いて行くうちに、壁に掛けられている絵はだんだんと19世紀から20世紀へ近づいて行く。と、カメラやスマホを持つ人だかりがある。彼らが向かっているはゴッホの『星月夜』だ。小生も眺めた。遠くから見ると複製で見るのとそっくりだ。

もっと近寄って絵筆の一刷一刷を見たい。しかし、カメラを絵に向けている人が多く、絵にあまりに近寄るのは憚られた。しかし、ある瞬間、思い切ってうんと近づいて見ていたら、監視員に制された。たしかに何億円もする絵に小生の汚ない息を吹きかけてはいかんだろうな。
小生があるとき気付いた絵の見方なんだけど、まず適当に離れた距離から〈全体〉を見る。それから、うんと近づく。作者が絵筆を持って描いたであろう距離に近づいて、自分も作者になったつもりで、画家が描いたであろうと思われる順番に筆を入れていく。或る程度そうしたら、もう一度眺めながら後退する、するとピタッとくる距離がある。あたかも3Dの絵が浮かび上がってくるように。こういう瞬間に全体としての絵を掴んだという気持ちになる。いつもうまくいくとは限らないけれどね。
それにしてもゴッホの絵を見るのはつらい。彼の生涯を知ってしまっているからね。彼には見えたんだ、月や星があんなに強烈な渦巻く光を放っているのが。願わくば、彼の生涯をまったく知らずに彼の絵をゆっくり見たいものだ、そのときどう感じるであろう。えらくぎらぎらした絵だなと思うだけで通り過ぎてしまうかもしれないけれど。しかしまた、知っているからこそ、いつぞやゴッホ展で見た『ひまわり』の黄色に感動できたのだと思う。あれは、何というか、強烈な幸福への希求、あるいは仏陀の絶対安心とでもいう言葉が浮かんでくる。
『星月夜』から目を転じると、左手の向こうの部屋に、ちらっと『アヴィニョンの娘たち』が見えた。見たというより、向こうに見つめられたような気がした。ああ、見つかってしまったか。そんな感じで、なんかちょっと気が動転して、おろおろしてしまった。その瞬間、頭を掻いていたかもしれない。

ついでに見てくれ、恥ずかしながらこれ、小生が27歳のときに真似してデッサンしたもの。

そのころまた、たしか京都の大原に行った時に、陶器のお皿に何でも好きなものを描いて、後でそれを窯で焼き上げて送ってくれる露店があって、そのとき記憶で描いたものとヴァリエーション。

笑っちゃうね。恥の上塗りもいいとこ。しかし当時絵と言えば、これがいつも頭から離れなかった。
さて、この美術館に入って、この絵がある5階に行ったのだけど、直行するのはためらわれた。心の準備ができていない。しばらく入口のものから順々に見て、目と心を慣らしてから見ようと考えた。しかし、不安もあった。もし直前に他の作品に感動してしまったり、あまりに多くの名画を先に見て疲れ、心身の調整ができず、目的の本命に感動しなかったらどうしよう。
それから、こういうこともある。以前からつねづね考えていたことだけど、本物が模倣品より、よいとは限らないのではないか、という疑問である。本物偽物というのは大した問題ではなく、むしろこちらの鑑賞準備状態が問題なのではないか。思えば、われわれ日本人は西欧の芸術を、例えば音楽はレコードで聴き、絵は印刷で見、本は翻訳で読んできたのである。みんな偽物である。しかしわれわれはそれでもって楽しみ、吸収してきたのではないか。
だからわれわれは多くの誤解をしてきたのだ、と人は言うかもしれない。しかし、誤解ほど面白いものはない。少なくとも、非常に個性的な誤解は正解より面白い。もちろん、個性的でありさえすればよいとは全然思わないけれど。むしろ個性的などというものは余分なことである。言いたいことは、要するに、こと芸術鑑賞に関するかぎり、正解も誤解もありはしない。感動したり、夢をもらったり、喰い入る深浅があるだけだ。
とはいえ、芸術に意味がないがないかというと、またそうとも言い切れないと感じる。言語芸術は、言葉の意味に触れずに味わうことはできない。言葉の有する意味を度外すれば、それは音楽になろう。では純粋な音楽に意味はないかというと、なかなかそうとも言い切れない。言葉による意味はなくても、音楽自体がもつ意味がある。そのことを鋭敏に感じとったワグナーは、あのような長大な〈楽劇〉を創った。書かれた文字についても同様で、書を見るごとに思うことだが、文字の意味にまったく触れずに味わうことは難しいとはいえ、見る人は書体そのものに意味を感じている。絵画についても同じことが言える。色彩の配置や線や形態が意味をもつ。
ところで、作品の意味は、作者が意図したモノであろうか。もし作者の中にすでに意図が内在していて、作品の意味は、その意図を明るみに出すのだとすれば、芸術作品ではない。むしろ意図は、作品の後で、あるいは作品の制作過程で、後から出てくるものではあるまいか。少なくとも、実際の制作から何らかのバイアスを受けるのではないだろうか。晩年のセザンヌの筆はとてもストイックである。けっこう多くの作品に余白がある。それは彼が意図しようとしたものをどうしても出せなかったというよりも、むしろ作品の方が彼に筆を入れるのを禁じたのだと、小生は感じる。つまり、作品には作者のあらかじめの意図を超えたものがあるのではないか。創造には、多かれ少なかれ何か神秘な付加がなければならないのではないか。
で芸術とはなんだろう。と話がどんどん逸れていくけれど、このMoMAの五階の作品群を見て、じつは考えていたのは、そのことなのだ。考えていたと言っても、結局は不毛な同語反復に終わってしまっただけだけど。…で、歩いて行くうちに、壁に掛けられている絵はだんだんと19世紀から20世紀へ近づいて行く。と、カメラやスマホを持つ人だかりがある。彼らが向かっているはゴッホの『星月夜』だ。小生も眺めた。遠くから見ると複製で見るのとそっくりだ。

もっと近寄って絵筆の一刷一刷を見たい。しかし、カメラを絵に向けている人が多く、絵にあまりに近寄るのは憚られた。しかし、ある瞬間、思い切ってうんと近づいて見ていたら、監視員に制された。たしかに何億円もする絵に小生の汚ない息を吹きかけてはいかんだろうな。
小生があるとき気付いた絵の見方なんだけど、まず適当に離れた距離から〈全体〉を見る。それから、うんと近づく。作者が絵筆を持って描いたであろう距離に近づいて、自分も作者になったつもりで、画家が描いたであろうと思われる順番に筆を入れていく。或る程度そうしたら、もう一度眺めながら後退する、するとピタッとくる距離がある。あたかも3Dの絵が浮かび上がってくるように。こういう瞬間に全体としての絵を掴んだという気持ちになる。いつもうまくいくとは限らないけれどね。
それにしてもゴッホの絵を見るのはつらい。彼の生涯を知ってしまっているからね。彼には見えたんだ、月や星があんなに強烈な渦巻く光を放っているのが。願わくば、彼の生涯をまったく知らずに彼の絵をゆっくり見たいものだ、そのときどう感じるであろう。えらくぎらぎらした絵だなと思うだけで通り過ぎてしまうかもしれないけれど。しかしまた、知っているからこそ、いつぞやゴッホ展で見た『ひまわり』の黄色に感動できたのだと思う。あれは、何というか、強烈な幸福への希求、あるいは仏陀の絶対安心とでもいう言葉が浮かんでくる。
『星月夜』から目を転じると、左手の向こうの部屋に、ちらっと『アヴィニョンの娘たち』が見えた。見たというより、向こうに見つめられたような気がした。ああ、見つかってしまったか。そんな感じで、なんかちょっと気が動転して、おろおろしてしまった。その瞬間、頭を掻いていたかもしれない。
NYに行く 2
すでにニューヨークをよく知っておられる方たちにとっては当たり前のことではあろうけれど、初めて訪れて目に付いたところを少々語ろう。
まず何と言っても道路が混んでいる。イエローキャブ(タクシー)は、トヨタカムリが多い。日本ではやや大型の車ではあるが、向こうでは大きな感じがしない。それだけ、一般に大きめの車が多いような気がする。そして世界中の車が走っている。一般の車の色は比較的黒が多い。日本に多いシルバーはほとんどない。バスは大きくてエンジン音も大きい。車間距離10cmで曲芸のように走っているから、警笛がうるさい。車道も歩道も凹凸が多い。
マンハッタンは、ここ20年くらいに建ったと思われる50~60階くらいの新しいぴかぴかしたビルが林立しているが、それ以外、とくに周辺部は、その半分以下の高さの、いかにも古くて落ち着いたビルが多くい。薄茶色のビルの上辺や窓枠などの擬古典主義的な装飾、あるいはまたウエストサイド物語のあの赤煉瓦の壁と裏階段、マンションの最上階や一階の植え込みと鉄格子。そんな建物の側の歩道には街路樹が影を落として、その木漏れ日の中を歩いていると、何とはなしに懐かしいという感慨が湧く。
ふと思った、もし自分が20代の若者だったら、どういう気持ちでこのニューヨークの街を歩くだろう。いや、より正確に言えば、真っ先に浮かんだのは、もし自分が20代だったら、こんな風には感じないだろう、という思いだった。きっとそれほどノスタルジックな気分に呑まれていたのである。戦後のアメリカの黄金時代の映画や音楽に、今の若者もわれわれと同様に接しているであろう。しかし、それらが自分の来し方に混じり合うということは、彼らにはまだないであろう。ましてや、われわれの親たちが夢を育んだあの時代の空気を、ほんのわずかであるが、われわれもまた覚えているあの空気を、嗅覚的に知ることはないであろう。いかなる世代も、他の世代には伝え難い想いをもっているものだ。ITにまみれた超高層ビルの谷間にも、なお昔日の夢をいだく小生の耳に、夕暮れのようなパセティックな響きが聞こえてくる。おそらく今の若者、あの9・11を幼くして知った若者たちは、われわれとはまた違った、未来への期待と凋落とが混じり合った新しい響きを聞きとっていることだろう。
道路は概ね京都のように碁盤目をなしていて、南北をアヴェニュー、東西がストリートと言い、東・南から順番に番号が付けられていて、馬鹿でもすぐ分かるようになっている。これは合理的で、とくに旅人には親切でよいと思った。朝食はホテルの近くに店が多く、そこでは多くの種類のパンやハム、野菜、果物などがあり、好きなだけ注文して、そこで食べる所もある。歩きながら食べてもいる人もちょいちょいいる。たいていはホテルに持って帰って食べる。しかし、とにかく一様にみな包装がしっかりしていて、ナプキンというか紙を沢山つけてくれる。とても勿体ない、もっとシンプルでいいのにと思った。だから、歩道のゴミ箱は溢れていることが多く、ゴミ収集車も大きいのが目に付いた。どこもかも建物はエアコンが効かせ過ぎであって、これも勿体ないと思った。さすが、資源の豊富な国の人たちは、われわれとは感覚が違うと強く思った。
思いだしたが、飛行機はデルタ航空(アメリカ)だったけれど、もう5分もいると寒くてたまらないほど、エアコンが効かせてあって、(もっとも一万メートル上空はマイナス50度c以下だから、ここでは暖房の節約と言うべきかもしれない)、しかし、白人は、大人も子供もみなTシャツ一枚で長長時間、平気な顔をしているのには、驚かされた。小生は後に寒さ対策として、ズボン下、上着とマフラーを常に用意した。美術館では若い女の子などはタンクトップと恐ろしく短いショートパンツ姿で、これなどは小生の眼には半裸といってよく、こんな姿でエアコンの効いたところに、よく何時間も平気でいることよ、とあきれた。
いたるところで人々が話している言語の多様性。一番多く耳にしたのはスペイン語(たぶん)、次に英語、それから中国語であった。ホテルの受付や観光案内所での英語は、小生の耳には難解であった。メトロポリタン・オペラ劇場では今何をやっているのか尋ねたら、「キンガナーイ」と言う。何じゃらほいと首をひねっていると、ケン・ワタナベと言ったから判った、「キング・アンド・アイ」なんだ。別にとくに見たいと思わなかったから行かなかったけれど。まあこんな程度のリッスニング力で、よく来たものよ、自分にはまだまだめくら蛇の若さがのこっているなと嬉しく思った。ついでにすぐ近くにカーネギーホールがあったから、何かやっていたら聴こうと思って行ったが、ろくなモノをやってないと思ったからやめた。まあ疲れてもいたんだろう。
ヒルトンホテルとはいえ、作りはそうよいとは思わなかったし、水周りの直しのいい加減なこと、プロがやったとはとても思えない。また風呂の蛇口の操作の分かりにくいこと、筒状の取っ手を引けば水が出るのが判ったけれど、硬いのなんのって、老婆だったら絶対に出来ないだろうと思った。それから、櫛も髭剃りも歯ブラシも湯沸かし器も冷蔵庫もなく、困った。日本のおもてなし様式に慣れてしまっている小生は、アメリカン(グローバル?)スタンダードに無知であったことを今まさに知ったのだった。日本はガラパゴスの亀、絶滅危惧種なのか? グローバル化しなければならないなんて冗談言うなよ。
まあ、とにかく日本に育った小生から見ると、アメリカはほんとうに人種の坩堝だな、言語も肌の色もいろいろだし、だからとても背の高い人やとても低い人が均一の頻度で居る。セントラル・パークでは、一人でにこにこして踊っている(ように見えた)オジサンがいた。近くへ寄ると一ヶ月くらい風呂に入っていないような匂いがした。映画俳優のようなピカピカしたドレスを着た金持ちそうな人もいるし、夕方になると歩道に座って「Homeless Help me…」など書いて、缶缶を置いている人たちも毎日見かけた。3人のそういう人に1ドルくらいだけどあげて、観光客だと言うと「Have a nice trip」などと返してくれる。そう言えば、最後の日の夕方、そういう老人がいて、缶缶を振っているので、何セントか入れてあげたら、何か話したがっているので、少し話をした。するととてもにこにこして上機嫌になった。ははー、このオジサンはこれが楽しみなんだなと思うと、こちらも楽しくなってくる。ホテルに帰って、カップラーメンに目がとまった。日本から持ってきたものだ。湯がないから、食べること能わず、ずっとそのままテーブルに置いていたのだ。最後の朝に枕銭といっしょに置いておこうと思っていたのだけど、急にさっきのオジサンにあげようという気になった。
それで、そのカップラーメンと買ったばかりのメロンパンと水をもって、オジサンのところに行った。ところが、オジサンの姿はどこにもない。なんだもう仕事止めたのかとちょっとガックリ。帰り道、隣のブロックに女の子が「homeless help me…」を書いたボール紙とコップを前に置いて、膝を抱えて坐っている。20歳くらいか。顔を見ると表情は暗い。この子にさっきの飲食物に1ドル札を添えてあげた。カップラーメンについて説明をしたついでに、アメリカに来た理由などをしゃべっていて、つい彼女の隣りに坐り込んでいたんだ。するとたぶん中国人と思われるが、母子が通りかかった。お母さんは1セント硬貨をもって、女の子のコップに入れようとした、そのとき同時に子供(10歳前くらいか)に、自分の写真を撮らせようとした。その刹那、女の子はあわててボール紙の立て札を隠し、コップを引き下げ、その母に何か叫んだような気がするが、はっきりしない。それが、突然の素早い動作で、何かちょっと危険なことが起こりそうな感じがして、小生も一瞬身を引いた するとお母さんはコインを入れるのをためらったが、結局入れず、ややあって子供の手を取って遠ざかって行った。その瞬間、小生は何が起こったのか了解した。女の子は元の状態に戻った。小生は言った「なんで写真を子供に撮らせようとしたのか理解できない」と。女の子は言った「私もそうよ。あのような人は嫌いだわ」…彼女は小生に握手を求めた。小生も彼女の仕事の邪魔をしたくなかったから、握手をして別れた。そのとき、ついうっかり「good luck」と言ってしまった。しまったと思ったが、後の祭り。この言葉はこういう状況で使うべきでないと思った。
ほんとうに世の中には、いろいろな人が居るものだ。1ドル札を恥ずかしそうに入れて、さっと立ち去る人もいれば、あのお母さんみたいな振る舞いをする人もいる。


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まず何と言っても道路が混んでいる。イエローキャブ(タクシー)は、トヨタカムリが多い。日本ではやや大型の車ではあるが、向こうでは大きな感じがしない。それだけ、一般に大きめの車が多いような気がする。そして世界中の車が走っている。一般の車の色は比較的黒が多い。日本に多いシルバーはほとんどない。バスは大きくてエンジン音も大きい。車間距離10cmで曲芸のように走っているから、警笛がうるさい。車道も歩道も凹凸が多い。
マンハッタンは、ここ20年くらいに建ったと思われる50~60階くらいの新しいぴかぴかしたビルが林立しているが、それ以外、とくに周辺部は、その半分以下の高さの、いかにも古くて落ち着いたビルが多くい。薄茶色のビルの上辺や窓枠などの擬古典主義的な装飾、あるいはまたウエストサイド物語のあの赤煉瓦の壁と裏階段、マンションの最上階や一階の植え込みと鉄格子。そんな建物の側の歩道には街路樹が影を落として、その木漏れ日の中を歩いていると、何とはなしに懐かしいという感慨が湧く。
ふと思った、もし自分が20代の若者だったら、どういう気持ちでこのニューヨークの街を歩くだろう。いや、より正確に言えば、真っ先に浮かんだのは、もし自分が20代だったら、こんな風には感じないだろう、という思いだった。きっとそれほどノスタルジックな気分に呑まれていたのである。戦後のアメリカの黄金時代の映画や音楽に、今の若者もわれわれと同様に接しているであろう。しかし、それらが自分の来し方に混じり合うということは、彼らにはまだないであろう。ましてや、われわれの親たちが夢を育んだあの時代の空気を、ほんのわずかであるが、われわれもまた覚えているあの空気を、嗅覚的に知ることはないであろう。いかなる世代も、他の世代には伝え難い想いをもっているものだ。ITにまみれた超高層ビルの谷間にも、なお昔日の夢をいだく小生の耳に、夕暮れのようなパセティックな響きが聞こえてくる。おそらく今の若者、あの9・11を幼くして知った若者たちは、われわれとはまた違った、未来への期待と凋落とが混じり合った新しい響きを聞きとっていることだろう。
道路は概ね京都のように碁盤目をなしていて、南北をアヴェニュー、東西がストリートと言い、東・南から順番に番号が付けられていて、馬鹿でもすぐ分かるようになっている。これは合理的で、とくに旅人には親切でよいと思った。朝食はホテルの近くに店が多く、そこでは多くの種類のパンやハム、野菜、果物などがあり、好きなだけ注文して、そこで食べる所もある。歩きながら食べてもいる人もちょいちょいいる。たいていはホテルに持って帰って食べる。しかし、とにかく一様にみな包装がしっかりしていて、ナプキンというか紙を沢山つけてくれる。とても勿体ない、もっとシンプルでいいのにと思った。だから、歩道のゴミ箱は溢れていることが多く、ゴミ収集車も大きいのが目に付いた。どこもかも建物はエアコンが効かせ過ぎであって、これも勿体ないと思った。さすが、資源の豊富な国の人たちは、われわれとは感覚が違うと強く思った。
思いだしたが、飛行機はデルタ航空(アメリカ)だったけれど、もう5分もいると寒くてたまらないほど、エアコンが効かせてあって、(もっとも一万メートル上空はマイナス50度c以下だから、ここでは暖房の節約と言うべきかもしれない)、しかし、白人は、大人も子供もみなTシャツ一枚で長長時間、平気な顔をしているのには、驚かされた。小生は後に寒さ対策として、ズボン下、上着とマフラーを常に用意した。美術館では若い女の子などはタンクトップと恐ろしく短いショートパンツ姿で、これなどは小生の眼には半裸といってよく、こんな姿でエアコンの効いたところに、よく何時間も平気でいることよ、とあきれた。
いたるところで人々が話している言語の多様性。一番多く耳にしたのはスペイン語(たぶん)、次に英語、それから中国語であった。ホテルの受付や観光案内所での英語は、小生の耳には難解であった。メトロポリタン・オペラ劇場では今何をやっているのか尋ねたら、「キンガナーイ」と言う。何じゃらほいと首をひねっていると、ケン・ワタナベと言ったから判った、「キング・アンド・アイ」なんだ。別にとくに見たいと思わなかったから行かなかったけれど。まあこんな程度のリッスニング力で、よく来たものよ、自分にはまだまだめくら蛇の若さがのこっているなと嬉しく思った。ついでにすぐ近くにカーネギーホールがあったから、何かやっていたら聴こうと思って行ったが、ろくなモノをやってないと思ったからやめた。まあ疲れてもいたんだろう。
ヒルトンホテルとはいえ、作りはそうよいとは思わなかったし、水周りの直しのいい加減なこと、プロがやったとはとても思えない。また風呂の蛇口の操作の分かりにくいこと、筒状の取っ手を引けば水が出るのが判ったけれど、硬いのなんのって、老婆だったら絶対に出来ないだろうと思った。それから、櫛も髭剃りも歯ブラシも湯沸かし器も冷蔵庫もなく、困った。日本のおもてなし様式に慣れてしまっている小生は、アメリカン(グローバル?)スタンダードに無知であったことを今まさに知ったのだった。日本はガラパゴスの亀、絶滅危惧種なのか? グローバル化しなければならないなんて冗談言うなよ。
まあ、とにかく日本に育った小生から見ると、アメリカはほんとうに人種の坩堝だな、言語も肌の色もいろいろだし、だからとても背の高い人やとても低い人が均一の頻度で居る。セントラル・パークでは、一人でにこにこして踊っている(ように見えた)オジサンがいた。近くへ寄ると一ヶ月くらい風呂に入っていないような匂いがした。映画俳優のようなピカピカしたドレスを着た金持ちそうな人もいるし、夕方になると歩道に座って「Homeless Help me…」など書いて、缶缶を置いている人たちも毎日見かけた。3人のそういう人に1ドルくらいだけどあげて、観光客だと言うと「Have a nice trip」などと返してくれる。そう言えば、最後の日の夕方、そういう老人がいて、缶缶を振っているので、何セントか入れてあげたら、何か話したがっているので、少し話をした。するととてもにこにこして上機嫌になった。ははー、このオジサンはこれが楽しみなんだなと思うと、こちらも楽しくなってくる。ホテルに帰って、カップラーメンに目がとまった。日本から持ってきたものだ。湯がないから、食べること能わず、ずっとそのままテーブルに置いていたのだ。最後の朝に枕銭といっしょに置いておこうと思っていたのだけど、急にさっきのオジサンにあげようという気になった。
それで、そのカップラーメンと買ったばかりのメロンパンと水をもって、オジサンのところに行った。ところが、オジサンの姿はどこにもない。なんだもう仕事止めたのかとちょっとガックリ。帰り道、隣のブロックに女の子が「homeless help me…」を書いたボール紙とコップを前に置いて、膝を抱えて坐っている。20歳くらいか。顔を見ると表情は暗い。この子にさっきの飲食物に1ドル札を添えてあげた。カップラーメンについて説明をしたついでに、アメリカに来た理由などをしゃべっていて、つい彼女の隣りに坐り込んでいたんだ。するとたぶん中国人と思われるが、母子が通りかかった。お母さんは1セント硬貨をもって、女の子のコップに入れようとした、そのとき同時に子供(10歳前くらいか)に、自分の写真を撮らせようとした。その刹那、女の子はあわててボール紙の立て札を隠し、コップを引き下げ、その母に何か叫んだような気がするが、はっきりしない。それが、突然の素早い動作で、何かちょっと危険なことが起こりそうな感じがして、小生も一瞬身を引いた するとお母さんはコインを入れるのをためらったが、結局入れず、ややあって子供の手を取って遠ざかって行った。その瞬間、小生は何が起こったのか了解した。女の子は元の状態に戻った。小生は言った「なんで写真を子供に撮らせようとしたのか理解できない」と。女の子は言った「私もそうよ。あのような人は嫌いだわ」…彼女は小生に握手を求めた。小生も彼女の仕事の邪魔をしたくなかったから、握手をして別れた。そのとき、ついうっかり「good luck」と言ってしまった。しまったと思ったが、後の祭り。この言葉はこういう状況で使うべきでないと思った。
ほんとうに世の中には、いろいろな人が居るものだ。1ドル札を恥ずかしそうに入れて、さっと立ち去る人もいれば、あのお母さんみたいな振る舞いをする人もいる。


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