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熊野

 紀伊の国、熊野は今でこそ特急電車で名古屋から3時間で行けるが、鉄道がなかったその昔は、紀伊半島は山が深く、海岸線は概して岩がせり出している。ただでさえ半島という地形は交通に不便な、いわば閉じられた土地である。反面、海には開けており、ここ熊野は海に繋がる古い話が伝わり、古代的な気がいまなお漂っている。

 鬼が城

 熊野には奇岩が多い。この海岸は波の浸食によるものか、大きくえぐられて、鬼が口を開けているようにも見える。伝説によると、桓武天皇の御代、この辺りに出没する鬼と呼ばれていた海賊多娥丸を坂上田村麻呂が成敗した、そこからここを鬼が城と名付けたとある。

鬼が城祈り
鬼が城13 (2)

 鬼の棲む岸壁険したえまなく
     とどろく波に泡の飛び散る


  徐福宮

 その昔、一説によると、中国は秦の時代とも、徐福なる人が不老不死の仙薬を求めて、海のかなたを目指して出帆した。そうして辿り着いた所がこの地であり、ついにここで生涯を終えたそうである。はたして徐福は目的を果たしたのだろうか。どういう思いをこの地にいだいたのだろうか。

徐福宮小
 海と集落に囲まれて、こんもりと楠の木の塊があるでしょう、その木の脇に小さなお社(徐福宮)がある。

  思ひきや海の誘ひに乗りし人
     つひにこの地に骨うづむとは


 花の窟(いわや)神社

 イザナミの命は火の神を生んだ時、陰部に大やけどを負って、その為に死んだ。そして黄泉の国に行く。そこは出雲の地であるはずなのだが、なぜか『日本書紀』の一説には、イザナミ命が亡くなられ、紀伊の国の熊野の有馬の村に葬られた。ここの人、この神の魂を祭るは、花の時に花をもって祭る、とある。現在は、年二回のお綱かけ神事として残っている。

イザナミ神社小 2

 御神体は、拝殿に祀られているのではなく、高さ45メートルの巨岩である。これはどう見ても女陰岩に見える。とても神さびていて、目の前に立つと、現代人である小生でも敬嘆してしまう。日本一古い神社と言われているのも大いに諾うところだ。

イザナミ岩2
 ポスター

 火の神を生みしイザナミやうやくに
     熊野の海に癒されい坐す


 七里御浜

 波が強く、泡が舞って霧となって、海浜は靄がかかっているように見える。

七里浜小


 波高き海岸線の果ての果て
     靄(もや)たちこめる夕日影みゆ

 
 毎年8月17日には、この海岸で大花火大会が催され、5尺の大花火が海面に映し出されて、こよなく見事なものであるらしい。この日には熊野市内外の交通が制限され、すでにすべての宿が来年の予約はいっぱいであるという。

  夢に見る海を圧する大花火



     

     
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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術

秋日阿保歌

     秋日阿呆歌 (終日あほか…)

  天高く馬や豚らのよくこえて
     われらが腹のかてとなるかも


  行楽は飽きぬ(秋来ぬ)食欲満たすため
     神よわれらをゆるしたまへ
 

  赤や黄や色めくもみぢ見に来るも
     人は色めく浮世話に


  帰り来ぬ今をあしたと写真撮る
     人のあはれさ時のむなしさ


  分け入っても分け入っても益もなし
     薄が原にお宝はなし


  訳言っても訳言っても石あつめ
     分かってくれる人はなし(笑)



 先日、熊野の浜辺で見つけた石。デザインが出色

 
     熊野石18
      約3cm×4cm


           

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『神々の沈黙』

   ジュリアン・ジェインズ著 『神々の沈黙』 雑感

 宇宙の広がりは有限なのだろうか、無限なのだろうか。そして宇宙が誕生した以前はなにがあったのだろう。自分はどうしてこの地球上にいま生きているのだろう。灼熱の球体にどうして生命が誕生したのだろう。一体何のために。

 この様な事を考えて、ぞっとしたことがない人は、いないであろう。時に訊かれることがある、「あなたは神を信じますか」と。小生はためらうことなく、信じていると答える。そして付け加える、しかし自分が信じる神は、自然と言い変えても、少しも差し支えがない、と。しかし、よく考えてみると、それは宇宙生成の話まではいかなくとも、目の前にある動植物のあまりに手の込んだ生き方を思うだけで、われわれ人間の知能を遥かに超えたものを感じ、その感じを「神を信じる」と表しているように思う。つまり、自然に対する驚異の念を〈神〉と言っている。

 それにしても、生命というものは不思議なものだ。ぬるくなった地球上のあるときに、海の中で単細胞の生物が誕生した。その後、それは変化し、分化し、進化して、非常に多くの生物種が生じた。それらは捕食しあい、あるいは利用しあい、共生しあいして、いま地球上に何万種の生物が生きているのか知らないが、おそらくすでに滅んでしまった種の方が多いのだろう。

 想像するに、この宇宙には、地球のように、生き物が存在している惑星はたくさんあるのではなかろうか。そして、一旦そこに単細胞が出現すると、生命はその惑星に粘着し、何時しか何万種の異なった生物となって、その環境に驚くほど適した、あまりにもバラエティに富んだ生き方をするようになる。

 とにかく生命がある惑星に、一旦取りつくと、もう何が何でもそこで生き延びようとしているように見える。火山の大爆発、地震や津波、巨大隕石の衝突、繰り返す氷河期などの、あらゆる困難を乗り越えて、生き延びようとしているように見える。だからこそ、生命はあの手この手でいろいろな種となって、そのどれかが生き延びればよいというように見える。DNAはそれを知ってか、たえず新しい変異を生みだしている。それは生命の指令によるものなのか。

 そうして自分は今ここに生きている。自分の属している人間種は、今や地球上でもっとも繁栄している生き物である、かつて恐竜がもっとも繁栄していた動物であったように。われわれホモ・サピエンスもいずれ滅びるのであろうか。

 紀元三万年前~二万五千年前に、ネアンデルタール人が消えてゆき、われわれの祖先ホモサピエンスが生き延びたという。なぜそうなったのか。諸説あるけれど病因説がもっとも納得できそうだ。それにしても、両者の大きな違いは、解剖学上から推定では、言語能力における違いらしい。会話ができるようになって、生活の様々な場面で、とくに狩猟において、ホモサピエンスは圧倒的に有利になった。

 さて、ここからが『神々の沈黙』の著者、ジュリアン・ジェインズの推論なのだが、言葉の始まりは、もっとも重要な行動、つまり狩において、仲間に知らせる「呼び声」だった。そして、その叫びの強さによって、状況を指し示す。その音の差異化、次にたとえば「より速く」というような意味を生ずる修飾語(修飾的叫び)を生みだし、このことが様々な石器を生みだす契機になった。そして、叫びに少しずつ変化が加わり、ついに名詞を生みだすに至る。

 これは、紀元前二万五千年~紀元前一万五千年に起こった。そして、それと軌を一にして、洞窟の壁などに絵を描き始めるようになった。事物を表す名詞は新しい事物を生じさせる。

 ジェインズは、この頃の人間には、われわれ現代人がイヤでも持っている〈意識〉がなかったという。だから、仲間から頼まれた仕事をし続けるには、意識的に持続させることができないので、いわば他動的な誘導が、すなわち〈内なる声〉が、必要であった。その内なる声を、彼は〈幻聴〉というのだが、それは脳のどこかの部分が司っているに違いない。

 そして、この〈幻聴〉こそ神々の起源であるとジェインズは主張する。かつて、おそらく地球上のあらゆる古代民族において、宗教をもたない民族はなかった。そこの人々には、要所要所において、行動を誘導してくれる神の声が聞こえていた。で、この声はどこから聞こえてきたのであろう。

 解剖学的におおざっぱに言えば、いまわれわれの脳においては、(右利きの人間においては)左半球に言語を司る中枢がある。だから、その部分に脳梗塞が起これば、右半身不随と失語を生じる。では、その部位に相当する右半球の領域は何をしているのか。

 ジェインズによると、神々の命令が、まさに右脳のその領域で発せられ、それが、左右脳をつないでいる前交連という神経線維束を通って、左聴覚野に話しかけたり、聞かれたりしていた。そうして、いわゆる統合失調症の人たちが幻聴を聞いている時、同じことが彼らの脳にも起こっているとジェインズはいう。もちろん現代の彼らの聞いているのは神の声とは限らない、いろいろな声である。多くは文化的に規定された優越なる声である。重要なことは、彼だけの耳にしか聞こえないのであり、その言葉はあまりにもリアルなのである。

 ホメロスが書いたと言われる『イリアス』の登場人物は、読んだ人はよく知るところだが、いざという時いつも誰かの神が働いてくれる。ジェインズは言う、彼らに「主観的な意識も心も魂も意思もない。神々が行動を起こさせている。」「とにかく何らかの決断が要求されることがすべて、幻聴を引き起こすに足る原因になった。」「この声こそが意思だったのであり、意思は神経系における命令という性質をもつ声として現れたのであり、そこでは命令と行動は不可分で、聞くことが従うことだった。」
 『イリアス』の物語りは、いったい何時から語り伝えられていたかは不明だが、とにかく紀元前10世紀よりうんと以前の人たちには、神々の声が聞こえていた、つまり統合失調症状態だった。

 しかし、いつしか神々の声は聞こえなくなっていった。それゆえ人々は自分というモノを考えざるを得なくなった。自分の時間空間的な位置を、自分の像を、歴史を、〈物語化〉しなくてはならなくなった。このことの過程を、エジプトやメソポタミアの遺文、とくにホメロスやプラトンらの著作と旧約聖書を、とくにその言葉の語源的検討を、ジェインズは長々と述べている。

 どうして神々の声が減衰し、意識が発達してきたか。一つには、脳の左半球優位の人間が、右半球の機能を徐々に習得していった。つまり神々の声の役割を得ていった。交易などで多少多様な人々との交わりにおいて、いわば自分を投影することが始まった。激しい争いが続いた。そのとき、たまたま神々の声に従えなかった人々や、うまく他人を欺いた人たちが、むしろ生き延びた。そういう人たちの遺伝子が広がるとともに、意識を習得する能力が広がっていった。それらは、紀元前二千年くらいから始まったという。

 神々の声の衰退が進むと同時に、人々は幸福な幼年時代のノスタルジアに浸るように、神託・神懸り・預言・占い・憑依などに縋るようになった。そうして、詩もそうだった。
 その時期に、詩はそもそも遠くから神々によって詠われたものだ。つまり古代では、預言者と詩人は分けられぬものであって、もともと語られていたのは、韻文であった。(これには全く同感だ。)古代の詩が、語られうというよりも歌われるということは、詩歌もおもに右半球の働きによるものではないか。

 それで結局、著者は何がいいたいのか。意識はもともとDNAに組み込まれたものではなく、学習されたものであり、抑圧された昔の精神構造の痕跡の上で、われわれは危ういバランスを取りながら生きている。選ばれた人、例えば、統合失調症の人が自分にしか聞こえない声に従うように、われわれも信念をもって行動しうる。古代人の行動と偉人の信念による行動の起源は同じなのだ。もはやわれわれ凡人には、知識の増加とともに思案に迷い、思い切った行動ができない。

 結局われわれの行うこととは・・・。

 エデンの神話とはなにか。神の恩寵の喪失、人間の堕落、失われた純真さ、そういう風に考えること自体が、人類最初の偉大な意識的〈物語化〉としての位置を占める。そうして、著者ジェインズ自身が、この本を書くのも、結局やはり〈物語化〉しようとする営為なのだ、と言っているのは、自説正当化であり、自己卑下でもある。

 なんか、あまりにも、はしょった話し方になったけど。

 この『神々の沈黙』という日本語タイトルの、原題は「The Origin of Consciousness in the Breakedown of the Bicamerarl Mind」だということで、直訳すれば、「二中枢の心の崩壊における意識の起源」とでもなる。訳者は、Bicameral Mind というのを、二分心と訳しておられる。解りやすく言えば、二つの心とは、神々の声と人間の意識ということに他ならない。

 ジェインズの線でいくと、思うに、あらゆる芸術家は神々の領域をもたねばならない。その領域からの声が強ければ強いほど、すぐれた芸術を生むのではなかろうか。それなくしては、いかに作品に苦労の跡が見られようと、まあいわばただの理論すぎない。

 世界中のどこの地域でも、多かれ少なかれ、古代の神ムーサの息吹が蘇る。幸か不幸か、わが国においては、だいぶん薄れてきたとはいえ、つねに神々の微風がいたるところに吹いているのを感じる。それは、たとえば詩歌となって残っており、いまなお多くの人々が、俳句や短歌などをたしなんでいるのみならず、若い人たちも自然に新しい言葉の遊びを楽しんでいる。言の葉の幸はふ国。これが〈やまとごころ〉とか〈日本人的〉といわれるものなのであろうか。

 すべて神の道は善悪是非を、こちたく定せるようなる理屈はつゆばかりもなく、ただゆたかに、おほらかに、みやびたるものにて、歌のおもむきぞ、よくこれにかなへりける。(宣長)


 
     

     
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壺狂い

 この季節になると、陽射しが伸びて、障子を明け放った部屋の畳は奥深くまで照らされて、部屋全体がとても明るくなる。空気は乾いていて、縁側で日に当っているのが心地よい。

 いなかの家では、離れ座敷の床の間に壺などを置いて眺めていたものだが、他人に住まわせてからというもの、そういうことはできなくなった。しかし、この季節、秋の午後、柔らかい日差しに当った床の間は、信楽の古い壺がよく似合う。そして、その情景がつねに瞼に浮かんでくる。

 思い返せば、いっときとは言っても、30歳前くらいからしばらく20年間ぐらいは、焼き物とくに壺にはずいぶんハマっていたものだ。今までどれくらいの壺を手に入れたり、手離したりしただろう。この期に及んで、かなり多くの壺だけでなく骨董がらくたを手離したが、どうしてもまだ手元から離れない壺が4個残っている。


 小生が骨董屋で初めて買ったのが、中国の明の時代のものだと思うが、小さな青磁の花器だった。それは、ほんとうに好きで買ったものではない。なんとなく一つ骨董といえるものが欲しかった。いろいろ迷っているうちに、店の主人がこれを買っておきなさいと言われるままに、買ったものだ。永らく持っていたが、いつぞや手離した。しかし、それを買ったおかげで、中国陶磁を書物や骨董屋や美術館などでずいぶん勉強させてもらった。たとえ5万円で買ったものを5千円で売ったとしても悔いはない。

 以後、いろいろな骨董屋を巡った。そしてレパートリーはずいぶん広がった。最終的に手元に残したのは、やはり日本のモノと朝鮮モノだな。さてその中での4この壺を紹介しよう。

   1.


小百姓 小百姓2


 これは、ある骨董屋で何度も手にとってみて、とても好きになった小壺である。好きになった物を、長いあいだ思案し、何度も触らせてもらって、ついに額に脂汗を書きながら買った初めてのモノだ。これは、江戸時代中期~後期の越前焼で、いわゆる〈おはぐろ壺〉だ。骨董屋の主人が、さすが貴方は良い目をもってますなぁと、おだてた。

 これのいいところは素朴な鉄釉がのって、小さいながら、灰冠り、釉だまり、ひっつき、火ぶくれがあって、見所が多い。幾つかの疵さえ見どころである。しかしそれらすべてがあまり派手ではないのが、この小壺のいいところだ。〈小百姓〉と命銘した。とはいえ、、冬の午前、これに椿の一二輪でも活ければ、あっと変身、たちまちのうちに〈通小町〉になる。

 もし三途の河の渡し守が、一つだけ持って行ってもいいと言ったら、これをもって行くかな、小さいから邪魔にならないし。

 2. 

秋日和2 秋日和3

これは、鎌倉時代の信楽焼。表面がずいぶんすすけていて、穴も空いている。たぶん、竹林かどこかに雑に捨てられて半分土に埋もれていたのではあるまいか。それゆえ釉薬はむろん艶もない。しかし、この土味とだいだいっぽい色は、まぎれもなく古信楽のものだ。もちろん古信楽には、もっと茶色~灰色っぽいものもあるが、この赤松色系に小生は惹かれるのであって、これこそ、秋の午後の柔らかい日差しに当って、最高の美しさを発揮する。〈秋日和〉と命銘した。


  3.

木曾殿1 木曾殿2


これもかなり初期に買ったものだ。たぶん11世紀の猿投(さなげ)窯か常滑窯か。とにかく平安時代のものは、猿投から常滑にかけて、今の名古屋の東側から知多半島にかけて、似たような土である。聞くところによると、知多半島有料道路を作った時に、ずいぶん窯跡があったそうだが、工事を遅らせるわけにはいかず、埋もれた焼き物をずいぶんつぶしていったそうだ。

 三筋壺という3本の筋が入った壺がこの時代のこの辺りによくあるが、この壺は5筋、しかもすべての筋が肩より上に引かれている。これは珍しい。この壺の魅力は、見ての通り、窯の中での激しい燃焼のために飛び散った小石と釉薬だ。口がきれいに割られているのは、おそらく骨壷か経筒入れとしてかに利用したものではあるまいか。このほうが蓋をしやすいだろうから。

  4.

一文字 一文字2


これは、朝鮮の李朝時代の壺というより大徳利か。灰色の上に刷毛ではいたような白い線が全体を取り巻いている。だからこういう柄を刷毛目という。この壺の特徴は、何と言っても、胴体にすっぱりと白い釉の部分が抜けているところだ。これをもって、小生は〈一文字〉と銘をつけた。朝鮮モノはかなり好きで、特に一般民衆が使った素朴な茶碗などが大好きで、小皿を何枚か持っている。漬物なんかを並べるとすごくいい。朝鮮の雑器の素朴な味わい、そのなんとなく侘びしげなところがいいとする柳宗悦に同意する。だから、王族の使用したあまりにも美しい白磁はむしろ好きではない、というか、一時は好きであったが、飽きる。

 それにしても、壺のよさというか、焼き物のよさは、見るだけではだめで、触らねばわからない。だんだん慣れてくると、見ると言っても、触るように見る。触覚で見るようになる。穴のあくほど見つめるのだが、その時の心境は、このモノを〈よく〉見ようとしていることである。この点が最高の魅力であるべきだと思おうとしている。これを恋心と言うのだろうか。悪いようには見ない。悪い所があるとしても、それには目もくれない。世には女狂いがいるが、彼らは、きっと女の肌触りに見果てぬ夢をいだくのであろう。それとおなじように、壺狂いにとっては、壺に、どんなに見ても、いじくり回しても、飽くことがない深遠を夢見るのである。

これは、まあ結局は、惚れた者の弱み。馬鹿者の道楽・・・。。

 
      

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読経の声

わが家のお寺は浄土真宗である。葬式やら法事やらでお坊さんが詠うお経が長たらしくて、いつも苦痛に感じる。だから、このところずっと法事は断っている。お金だけ出して、そちらでよろしくやっといてください、という塩梅である。この苦痛はなぜなのか、考えて見るに、あの坊さんがお経を詠うあいだ畏まっていなければならない。それから、あの文句というか歌詞というかが気に食わない。内容はよく分からないけれど、とくに「ナミアブダブツ」が気に食わない。あの音楽というか、抑揚がとくにイヤだ。なんか田舎っぽい。ちょっとしか聴いてないけれど、他の宗派の歌のがずっと洗練されているように感じる。それから、決定的には、あのお坊さんの声が気に食わない。やや高音で、割れたような嗄れ声だ。これで「ナーモアーミダーブウー」と何回もやられたら、気持ち悪くて汗が出てくる。
ましてや、もし死んでからもしばらくは音が聞こえるとしたら、あの窮屈な棺桶の中であれを聴かなければならないとしたら発狂モノだ。

 それで、あるとき知人に、違う宗派のお寺に換えたい、真言宗なんかは銅鑼など鳴りモノがあって歌も楽しそうだし・・・、と言ったら、換えないほうがいい、浄土真宗のほうが安上がりだからという。しかし、お布施料なんかそう違うものなのか。小生は、多少高額でも、いい声で詠ってくれて、袈裟もあでやか、鳴りモノつきのグッド・パーフォーマンスをやってくれれば、その方がいいと思う。

 つい先日、『古事談』(鎌倉時代に書かれたゴシップ集)にこんな記事を読んだ。題として「頼宗(藤原道長の息で右大臣)、定頼(公任の息)により読経練磨の事」とある。要するに、頼宗が、読経の名人である定頼に、読経を教えてもらう話だ。

 頼宗は定頼について読経を習う。中宮彰子のサロンに、小式部内侍という女房がいた。この人は和泉式部の娘であって、母と同じく、好色であった。頼宗も定頼もこの女を愛した。あるとき、定頼がこの女房の部屋を入ろうとして覗いたら、ななんと、頼宗はこの女房と抱き合っていた。先手を取られていたのですな。そこで定頼は得意の美声で法華経を読んで帰った。と、女房は歓喜のあまり、頼宗に背を向けて大泣き。頼宗も枕に涙を流してしまった。頼宗は定頼に負けたと思った。それからというもの、頼宗は一大決心、法華経を読むこと万回にして、覚えてしまった。

 本の注には、頼宗は愛欲に溺れる自分の迷いから法華経で抜け出すことができた、というように書いてあるが、そうかなぁって思いません? むしろ定頼の美声によって、女の心を取られた、それほど読経というのは男の魅力であるのだ、と気付いたのではないのかな。

 平安時代の物語などでも、よく読経のことに触れていますが、当時は、読経を詠むということは、いわば芸能であって、自由なリズム、節廻しで、オペラ歌手のようにいかに良い声で詠えるか、これが当時の貴族の教養の一つであったよう。定頼は法華経を、きっと往年のドミンゴのような声で詠ったのでしょうね。


       

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澄み濁るをば神ぞ知るらん

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