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大和魂とは 2

 小生は、何の疑問もなく、「大和心」と「大和魂」と同義語として考えていましたし、今でもそう考えています。しかし、両者のイメージは少し違う。大抵の人もそうでしょう。それで、歴史に無関心な家人に、それらの言葉から受けるイメージを尋ねたら、後者は戦争と結びつくイメージだと語った。かく言う小生も、なんとなく「やまとごころ」というと〈たをやめぶり〉、「やまとだましひ」というと〈ますらをぶり〉って感じがする。まあ、大体がそのように使用されているんでしょう。それはそれとして・・・、

 唐突ですが、基本事項の確認をしておきます。
人間とは二足歩行をし、食べて寝てうんこして、という生き物か? ノーである。
人間とは観念を生きるものであり、理想をもたずにおれない生き物である。
そしてまた、
国家とは国境で囲まれた単なる土地であるか? ノーである。
われわれが国を守るというとき、それは端的に文化を守るという意味である。
日本の文化の最たるものは天皇である。

 このことは、共産主義者以外の日本人ならほぼ理解できると信じる。

 スカイラインV35さんのご指摘、日本人の戦争時における心情を表すものとしての大和魂とは、吉田松陰の

 かくなれば かくなるものとしりながら やむにやまれぬ 大和魂 

であるとは、同感の至りです。
 
 宣長の大和心がたをやめぶりとすると、これはますらをぶりでしょうかね。根っこは同じであろうし、相補うことによって、より感情の動きということが強調されますが、またずいぶんと違う方向をむいていますね。

 それにしても吉田松陰がどうして大和魂という言葉を使ったのか、と考えるとやはり水戸学ですね。いまの小生の知識では分かりませんが、吉田松陰→水戸学→南朝正統論→北畠親房と連想されます。親房は、主著において〈やまと〉なる国柄を詳述し、皇国の何たるかを説いてやまない。・・・ 想像するに、南北朝の戦いのときに初めて、天皇というものの存在理由およびその本質がもっとも先鋭に問はれたのではなかったか。

 で、水戸学は、ついに尊王倒幕のエネルギーとなって戊辰戦争になだれ込んでいく、さらに想像をたくましくすれば、長州の明治天皇擁立で南朝復活を果たした。

〈やまと〉が現実の行動に迫られたとき大和魂になったのでしょうか?
それが水戸で朱子学の影響を強く受けて動的になったのでしょうか?
 





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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

ありがとうございます。いろいろ連想が湧いてきて面白いです。また黒田教室も覗いてみます。

こんにちは

宣長の大和心を”たおやめぶり”、松陰は”ますらをぶり”との指摘はしっくりきました。平時と有事、内と外、文化と政治、静と動、そして生と死、等々いろいろな意味をくみ取れるのかもしれませんね。

突然ガラッと話は変わりますが、私は最近FC2ブログの”黒田裕樹の歴史講座”を良く読んでいるのですが、このブログは日本史の通史と、たまに特集的なものをやっています。コメントを入れると専門的な返信もありますので、自分の利用したいジャンルで上手く活用すると良いかもしれませんね。いらぬお節介かもしれませんが(因みに私は単なるブログ活用者で一ファンです)・・・(汗)

それではまたコメント入れますので頑張って下さい。応援しています。

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