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大和魂とは 3

 ついでに初期には大和魂という言葉がどのように使われているか、ちょっと調べてみました。 
  
 小生も『源氏物語』を読んでいたとき、大和魂という言葉が出てきて、アレッと思ったことを思い出します。 
 「乙女」巻で、源氏が息子の夕霧の元服をさせ、学問の必要性を述べた部分です。
 「才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ」という一文です。
 これは才(ざえ)というのは学問。つまり知識・理論。これに対して大和魂はそれを生かす手腕とでも言いましょうか。

 『今昔物語』で、善澄という学問のある人の話で、この人の家に強盗団がやってきた。善澄は縁の下でじっと息をひそめていた。強盗団が物を奪って家を出て行ったとき、彼は腹立ち紛れに、「お前らの顔は見た。検非違使に訴えてやる」と、怒鳴った。すると強盗団はで「見たな!」ってことで引返してきた。彼は大慌てでまた縁の下に隠れようとするが、頭を打ったなどして逃げ遅れ、強盗団に捕まって殺されてしまう。

「善澄の才はめでたかりけれども、つゆ和魂(やまとだましひ)なかりける者にて、この心幼き事を云て死ぬる也とぞ、聞く人に云ひ謗られける云々」
つまり、学才はあるが思慮分別がないということですね。

『大鏡』時平の話。もちろん菅原道真が主人公ですが、時平のことを、あさましき悪事を行ひたまへりし罪により、この大臣の子孫はいなくなった。しかし、やまとだましひなどは優れていた、とあります。道真が才ある人であったに対して、悪事をした時平のほうが、上手に政治を行ったということです。

『大鏡』道隆の話。筑紫に中国の賊が攻めてきた。大宰府の次官隆家は軍事についてはちんぷんかんぷんであったが、周辺の軍人達をすばやく召集し、大宰府内の文官まで巧みに組織して、見事賊を打ち破った。この隆家は大和心かしこくおはする人であったという。
つまり、急場を上手にしのぐ、融通が利くなどということですね。

 だいたいのところ、対比的に言うと、才が知識、理論、決まった方策。対して、大和魂は事に当たってケースバイケースで処理しうる能力のようですね。

『源氏物語』においては、紫式部はよく物事を対比的にとらえていますね。
例えば「絵合」巻において、しみじみとした古いものの味わいvs華美な新しい発展。業平の反出世的みやびvs天上人への志向の賛美。要するに〈あはれ〉vs〈をかし〉。これはそのまま、物語が展開していくなかで、歳とともに離反していく光源氏vs頭の中将の性格対比論になって表れているし、あの春秋優劣論は有名ですね。しかし、紫式部は、どちらかを排撃することはなく、それぞれがそれぞれにおいてよい、それぞれが必要なのだ、という。
       *

 結論として、このころの大和魂は、事物を処理するにおける柔軟性の意と考えられていた。

 そして、そのずーっと後、宣長は、大和魂を物に感動する心の動きとした。これは彼のキーワード〈もののあはれ〉と言いかえられる。 ここに彼の『源氏物語』の影響大なるを想像します。
宣長は紫式部の〈あはれ〉をさらに敷衍して、情緒的なもの、感情の動きとしてとらえ、さらに式部の対比的用法で、概念の鮮明化を図ったのではなからうか。すなわち大和心vs漢心(からごころ)という図式です。


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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

ドイツ人も日本の独特の文化のイメージをそれなりに持っているはずですね。小生も西洋に長く住んで、西洋の目から日本を見て見たいものです。また教えてください。

No title

一生は短く、そうそう何でも読むことはできません。小生は古典なんかは好きですが、スカイラインv35さんのように近現代史に精通してません。独断と偏見は小生のが強いでしょう。国を愛する気持ちは同じです。

大和魂を

源氏物語にみつけるられるとはなんと深い教養なんでしょう・・・

遅まきではございますが改めてこちらでも新年のごあいさつを、
旧年中はコメントも多く頂、ありがとうございました、
本年もどうぞよろしくお引き立てくださいませ!

大和魂という言葉にはイメージがあり、侍、神風(この二つの言葉は西洋人が日本を語るときひんぱんにきかれる言葉でもあります。)そして大東亜戦争と繋がってくる私的には特殊な言葉です。

しかしうたのすけさんの解釈には言葉の本質にもかかわってくるような、さらに宗教のようなものにも入ってくるようで面白い考察ではないかと想われ、紫式部女史も目を輝かされておられるのでは・・・笑

感動です。

うたのすけさんの古典の知識は素晴らしいですね。実は私は源氏物語を含め、殆ど読んだ事がありません。
しかし、うたのすけさんのブログを読んでいて、自分なりにおぼろげなものが薄らと(当てずっぽうですが)。。。

宣長の大和心は、例えば”鈴の音”を聞いて日本人は風情を感じ西洋人は雑音に感じる(教育や習慣ではなく、脳で処理される分野が違う(だったと思います))。見たいな感じで、大和心と漢心の違いを歌で表すと、といった所でしょうか。

そして、大和魂ですが、何とな~く例えばですが、”事物を処理するにおける柔軟性の意”という事も含め、
・いかなる政治形態とも融合してしまう天皇
・いかなる宗教とも共存してしまう神道
・いくら外来語が流入しても文法が崩れない日本語
・日本でのみ発生した武士という存在
などが中国と日本を比較した場合に大和魂と感じられたのでしょうか。平安時代なのでこれらの事が(未来の事も含みますので)はっきりと具体的に認識できる訳は無いのですが、何かを感じていたのかもしれませんね。か、又は現在大和魂を形で表すとこういう事だ、と言った所でしょうか。

長々と独断と偏見で私見を書いてしまいました。また何れお邪魔しますので、その時はよろしくお願いします。

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