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天皇とは

一人の生身の人間が、超越的な観念の対象とされる不合理は、もともと世界中にあった。今でも王を戴く国は、程度の差こそあれ、そうである。しかし、日本の天皇は男系が百二十五代続いてきたことが際立った特徴だ。

一般参賀で皇居に集まっている人々を見ると、さながら女王蟻を巣の中心に置き、働き蟻が延々とした道のりを整然と行き来している様を連想する。日本という国は、蟻や蜂のいわば本能的社会と似ているような気がする。ここではすべての個体が平等ではない、少なくとも一個体は例外である。

ところで西欧に人間は例外なくみな平等だという考えが生じた。生まれながらの階級の撤廃であり、もちろん現実には個体差があってその完全な実行は難しいにしても、頭の中では王侯貴族も平民も金貸し業者も〈同じ人間〉であるという思想が芽生えた。この〈同じ人間〉とはいったいどういう意味であるか、その定義はじつに困難だ。

小生はこの平等思想の発生はやはりキリスト教においてであって、そしてその発端の刺激を与えたのは、あの福音書のイエスの教えであったと思う。
一つだけ例をだせば、例えば百匹の羊のうち一匹が迷ってどこかに行ってしまった。羊飼いは九十九匹を抛っておいて、迷った一匹を探しに行った。つまり、九十九匹は問題にならないのであって、迷った一匹のみが問題なのだ。つまり、神は迷った一人のみを気にかけるのである。そして、迷った一人とは私であり、あなたであり、彼であり、彼女であり、・・・すべての個人なのである。この徹底した、根源的な救済思想、個人個人が神に救われるという点において、人はみな平等であるが来たのではなかろうか。

そうして人々がこの思想の後をぞろぞろと信者となって歩いていくうちに、その集団の中にこっそりと悪魔が紛れ込んだ。この悪魔は外見は信者そっくりなので、いつ紛れ込んだか誰も分からない。そしてその影響力というか感染力はとても強く、誰が最初の悪魔であるかも判らない。

悪魔とはじつは復讐の鬼であって、叫ぶ「人は平等であるはずだ。したがって強い奴を倒せ。美しい奴を倒せ。金持ちを倒せ」と。いつしか悪魔に賛同する信者が圧倒的多数になった。人々は万人平等と口で唱え、その意味は上に出る者を引き摺り下ろせということになった。ついに平等思想が平均化という神を拝む宗教ー社会主義や共産主義という宗教が大きな力をもつようになった。不幸にして学校では学業や運動の優勝者はもみ消されるような〈いびつな〉影響を蒙った地域もでてきた。

 しかし、さすがに人類は進歩して、そのような平等思想は悪魔に誘導された悪平等だとして、見直されるようになってきた。
だが、長年の思考習慣は完全には消し去られることはない。しかも平等思想の根底に宿っているあの根源的な炎は消えることがない。だから、その定義が困難な〈人はみな平等〉が生き続けている頭脳の人々から見ると、(われわれももはやそうかもしれない)どうしても日本の天皇は理性的には理解できない。

いまふとローマ法王のことが頭に浮かんだ。ちょっと天皇と似ているような気がするが、全然違う。ローマ法王は神を守る職業集団のトップである。大学教授と同じように力と選挙で選ばれる。天皇は職業ではなし、血によって決定されている。

世界史を大局的に見て、ハンチントンではないが、世界を幾つかの文明圏に分けることができるだろう。日本は日本一国でとても特殊な文明圏を成している。

日本文明に比較して、西欧文明は、理性的にやはり一段進歩しているように感じる。それは個人個人の心にある超越的観念が集団の秩序を維持しているように見えるからである。それは我彼のうんざりするほどの長期間に及ぶ軋轢から生じた、いわば普遍的(と小生には思われる)な方式であるように見える。もちろん、リスクも大きく、悪魔の反撃をうけたり、暴力を用いたりする必要が生じる。しかし、なんとかそれらを乗り越え、少しずつ進歩していく可能性を秘めている。
それに引き換え、日本民族の秩序維持能力は、より優れている。それはいわば生物学的・本能的であり、天皇という存在をいわばスケープゴートにして、ここに超越的価値をおき、それで秩序を守ってきた。この構成員全員による無意識裡の共同謀議が千五百年以上続いてきたのである。

日本人はもともとの性格が、他の文明国の人人より、意識的に教えられなくても、秩序を守る方向に働きやすい、というのも、民族の秩序形成方法が、原始的な生物学的に深いところから来ているからである。教えられなくても、電車に乗るとき自然に列を並び、街にゴミを捨てず、契約を守る傾向が強いのだ。

しかし日本民族のこの生物的本能的な秩序維持方式は、今後世界の軋轢の中で、上手く機能していくだろうか。
明治まではよかった。いや最近まではよかった。しかし、ものや人の出入りが頻繁になるにつれ、価値や生き方の異なる諸文明がさらに激しくぶつかりあうだろう。日本民族はこの修羅場を乗り切っていかなくてはならない。
さてさてこれからどんな風になっていくか。




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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

高度経済成長のつけはとても大きいような気がしますね。それに、今お隣の中国の台頭が心配です。共産党という反愛の権力宗教のみが認められている中国と付き合っていかねばなりませんね。鳩山さん大丈夫かなぁ?

No title

そうですね。例えば朝の山手線のラッシュ、あれが1/3が日本人、1/3が白人、1/3が黒人では、いかなる人種の人間であってもお互い生理的に受けつけないでしょう。いくら日本国民が国際化の必要性を唱えても、無意識のうちに日本人のみを前提として建設されている社会を変革するのは想像出来ない事と思われます。明治維新なみの労力と犠牲を伴うかもしれません。
天皇については僭越ではありますが、”万世一系”も”開かれた皇室”も富国強兵で活用しきり高度成長で消費しきっているのかもしれませんね。
仰るとおり日本民族にとって修羅場の時かもしれません。

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