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『ばらの騎士』雑感

METの昨秋公演の『Rosenkavalier』の映画を観ました。
人気があるだけあって、素敵ですね。これはR.シュトラウス本人が語っているように、モーツァルト的喜劇であって、一目瞭然『フィガロ』のパロディですね。主なる三人の関係は『フィガロ』の伯爵夫人とケルビーノと伯爵との関係ですね。

この作品は、十八世紀ウィーンの宮廷文化のオマージュだとも言われますが、むしろ小生には、同じことかもしれませんが、十九世のハプスブルグ家の夕映えに思われてなりません。概して小生はシュトラウスの音楽は〈あのハプスブルグ帝国〉の終焉といったイメージが付きまとうのです。その最たるものは一九四五年の『変容』(Metamorphosen)。戦後廃墟となった諸都市。これでもうあの栄光は永久になくなった。
そして新しい青春の時代が始まるであろう。が、そこには美が存在しない。美は追憶においてしか存在しない。
それが、シュトラウスの無調音楽の調性音楽への復帰(融合)とパラレルなことかもしれないと空想をたくましくします。

『ばらの騎士の』真の主人公というべき元帥夫人は、始まりから〈時が経つ〉という現実に危機を覚えている。若い愛人オクタヴィアンには未来があるばかりであって、時に関してはまったく無垢である。だから愛についてもまったく無垢である。が、元帥夫人は愛の不可能を知っている。それで、夫人は彼を若いゾフィーに譲る。
だから、うがった見方をすれば、元帥夫人はエゴを超えた真の愛に目覚める。とすれば、これから結ばれる若い二人はまた新たな人生という〈茶番劇〉を演じ続けることになる。目覚めたものは去っていかねばならない。

そして今度気がついたことは、気さくでざっくばらん、下品なことを臆せず口にするオックス男爵に対して元帥夫人は、貴族というもの言論についてのストイシズムを説く。そして男爵が登場しているときには、いつもワルツが鳴る。このことは意味深いのではなかろうか。
つまり、親愛なるウィーンの貴族たちよ、君たちはワルツやシャンパンに現を抜かしていつの間にか貴族としての矜持を失いつつある、だから君たちの時代は終わりつつあるのだよ。いやあの高貴な貴族の時代はとっくに終わっている、そして君たちも古びつつある、と。

ヨーロッパの歴史は、一方で終わりを告げ、他方で新しい、しかし今までと根本は変わらぬワルツを踊り続けるであろう。

要するにR.シュトラウスの音楽は、栄光のヨーロッパの夕映えの美しさを思わせる。


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