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マインドコントロールの効用 10


 われわれはたえず己の心の意味の世界から、この世のサイン(道標)に向かって、意味の流れの修正を求めている。そのとき、あたかもこの世の物質的不連続の隙間に、われわれが補填をし、意味の流れを生じさせているようにもみえる。

 読書とは何か。文字という道標だけから意味の流れを生じさせることはできるであろうか。読書とは、読者の心が、文字という無意乾燥な不連続的物質の隙間に、伝導体を補填し意味が流れるように、たえざる努力をすることである。そのさい、それはあくまで自分流にやるので、作者の心の流れと一致しているかどうかわからない。しかし、読者の務めは、作者がこういった意味で言っているであろうと想定しつつ道標を解することである。
 したがって一つの道標ともう一つの道標との隙間が大きくなればなるほど、われわれはその隙間を埋める努力を要求される。日常の習慣的行為においては、われわれは特に努力をせずにそれを無意識にやっている。

心理学の実験であるように、真っ暗のスクリーンに明るい点を一瞬灯し、次の瞬間に別のところに同様の光点を灯す。すると、われわれは一つの光点が動いたように知覚する。これは文字通りわれわれが隙間を埋め意味の流れを生じさせたといえる。こんなのを錯覚(知覚のトリック)と呼ぶこともあるが、では正しく知覚するとはどういうことか。

 この世の中の動き。例えば電車が動いているのを見てわれわれは電車が動いている!と言う。確かにどう考えても電車は動いているはずである。しかし、おそらくわれわれの身体は、つまり生理解剖学的には、それをばらばらに分解して、例えばところどころの位置の電車に分解していて、再度われわれの心が隙間を埋め流れを作っている、そういう二度手間の作業を行っているに違いない。そういう習慣がついているからこそ、先ほどの二光点の実験の錯覚が起こりうるのではないだろうか。映画はそういうわれわれの知覚の習慣を利用している。

 手品師はきっとわれわれの知覚のメカニズムに精通しているにちがいない。しかし彼は解剖学者ではないし、そうあらねばならぬ必要はない。われわれの見ている景色が網膜上では逆さに映っているといっても、現実の視覚とは関係がないし、逆立ちをして「自分が地球を支えている」と主張しても現実感はない。ふだんわれわれは動いているものを動いているものとして正しく知覚している。生理解剖学的にどうあれ、そういう習慣的現実感をもって知覚している。


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