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万葉巻15・16

 『万葉集』巻十五は全体として物語の流れがあって分かりやすく読める。大きく分けて二つの部分からなり、前の部分は遣新羅使節の航海途上で創られた歌からなる紀行文学である。

 難波津(大阪港)から瀬戸内海、北九州、壱岐・対馬を経て新羅へ向かう。航海は予想を超えて長引き、しかも外交は失敗に終わった。使節らと都で待つ妻との逢い難さ、相思う気持ちから連想的に、後半の中臣宅守と狭野娘子との贈答歌に移る。
 宅守は越前国に配流。都に残る娘子との間で交わされた歌は六十三首にも及ぶ。

 万葉歌人では、概して女性の方が情熱的、繊細にして大胆。与謝野晶子系が目立つ。というか、だいたい男性がなんか水っぽく軟弱だ。草食系男子とか言うけれど、我が国では今に始まったことではない。古代からそのようであった。
 狭野娘子の歌
  君が行く道の長手を繰り畳ね
  焼き滅ぼさむ天の火もがも 3724

  我が背子が帰り来まさむ時のため
     命のこさむ忘れたまふな 3774  

          *

 『万葉集』全二十巻のうち、第一巻から第十六巻までがいわば本体で、一旦ここまでが完成され、十七巻から二十巻までは大伴家持周辺の作であり、時代的にも新しく、後で付け加えられたものとされている。 

 ということは、この巻十六は最後に残った雑纂という感じは否めない。題詞にも「有由縁并雑歌」とある。作歌事情が付されている歌も多く、また雅とは反対の露骨で猥雑な狂歌からまるで意味のない超現代歌まであって、考えようによっては、その広がり、新しい領域への可能性に満ち満ちている。連歌・俳諧への意志はここに胚胎している。
 
  一二の目のみにはあらず五六三
    四さへありけり双六のさえ 3774  
 (人間の目は一つか二つ。それなのに双六の目は五六三四なんてのがある。面白いなぁ双六の目は)

 からたちのうばら刈り除け倉建てむ
  糞遠くまれ 櫛造る刀自  3832
 (からたちの木を切って倉をたてよう。 櫛作りのおばさんよ、うんこはあっちへ行ってしてよ。)

 童ども草はな刈りそ八穂蓼を
  穂積の朝臣が腋草を刈れ  3842
 (草を刈らずに穂積さんのわきを刈ってやれ)

 我妹子が額に生ふる双六の
   牡の牛の鞍の上の瘡  3838
 (妻の額に生えた双六の牡牛の鞍の上のかさぶた)

 これは題詞に「無心所著の歌」つまりまったくナンセンスな歌と書いてある。こうなると、音楽でいえば、ジョンケージの『4分33秒』であって、芸術の極点にして否定。創作の発展的解消である。
 言語芸術は万葉で始まり万葉で終わるといえる所以である。


  
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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

藤の花

もう藤は終りと見受けられます。今は、木はなんじゃもんじゃやえごなどかな。巻14東歌は方言なども入っていて難しいのが多いですね。

No title

kontaさん、じつに万葉はいろいろな人がいろいろなことをいろいろな言葉で歌っています。天皇も、乞食も、遊女も。民主的というか平等というか混沌というか・・・。そして現代週刊誌のようなのもいっぱいあります。古代も今もほんと民衆の心はおんなじっていまさらのように実感します。

藤の花

そろそろ藤が咲くかしら。
「春へ咲く藤の末葉のうら安に さ寝る夜ぞなき子ろをし思へば」(14巻・3505)

No title

万葉集には格調の高い歌ばかり載っていると思いきや
結構しょうもない歌が載っていて面白いですね。

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