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ツィメルマン演奏会

 先日、クリスティアン・ツィメルマンのピアノ演奏会に行った。小生の好きなショパン、それも二つの「ピアノソナタ」が組まれていたからだ。

 音楽会の楽しみは、大きく三つの点がある。一つは、生の音響が聴けること。もう一つは、よく知っている曲に新しい発見をすること。もう一つは、よく知らない曲を聴けること。
 今回の最大の期待は、よく知っている、しかも大好きな曲の新しい発見部分があるにちがいないことであった。
 最初の「ノクターン」はまあ、演奏家にとって指ならしであろう、聴衆にとっては耳ならし、ってところだ。

 それから、「ピアノソナタ二番」。以前から考えていたこの曲の特徴がはっきりした。すなわちこの曲は、小生にとってもっとも非芸術的なというか、おどろおどろしい実存的な音楽だ。それは二十歳にして戦火の祖国を離れるショパンのあの、胸を引き裂かれるような青春の不安から始まるからではない、また三楽章に葬送の音楽があるからでもない。むしろ同じ楽章内にそれと並行してあの美しい想い出のような音楽が子守唄であるからだ、と気づいたことが大きい。それは死と誕生の共存であり、終わりが始まりであり、また始まりが終わりである。それに気づかぬこの世の生である意識こそ実は嘘であるとするような感覚だ。

 そもそもの初めから鋭い、刺すような不安。その不安の逃走のテーマが、恐ろしくいびつな形で走馬灯のように駆け巡る奇怪な終楽章を、今回はじっくり逃さぬように聴き取ってやろうと身構えていた。今回は尻尾を捕まえた様な気がした。しかし、捕まえた途端に消えてしまった。それは、初めからなかったのかもしれない。捉えたと思ったのは、こちらのいわば現世的な夢であり、ショパンはそもそも死の向こう側でしか作曲してなかったのだ。
 
 そして、「スケルツォ二番」。あまりに美しい世界を垣間見ることができるこの曲を聴きながら、小生はむしろス「ケルツォ一番」のことをしきりに考えていた。「一番」のあの出だしの狂気のような唐突さは本当に狂気だ。狂気になること、それがあまりにも感受性の強い二十歳のショパンの出発点にあったのだ。祖国は滅んでしまい、自分も二度と祖国の地を踏むことがない予感はすでにあったのだ。「二番」も唐突だが、それはすぐ不安であることが明るみに出され、そしてそれがそのまま美になっている!

 ショパンのあの地中海の波間に午前の太陽が輝いているような美しさは、「ソナタ第三番」で最高度に発揮される。

 この最高に格調高い初めの楽章は、ツィメルマンは今までにない(小生の頭にない)アクセントの付け方と微妙なテンポのずれでもって、小生にとってまったく新しいイメージを展開した。それは初夏の明るい朝凪が、けだるい真夏の午後に変わったような感じである。なるほどこういう感覚も含まれていたのかと思った、と同時に、いやこの感覚は以前から知っていたと直ちに思った。なぜだろう。

 そして終楽章では、今までまったく気付かなかった新しい線がはっきりと聴き取れた。それはあたかも通奏低音のように絶えず低音部で流れるメロディである。ツィメルマンはこれを主張したかったのであろう。それはあたかも絶えず逃げようとする不安を、左手でしっかりと捉まえて音楽に引きとどめておこうとするようである。

 それから、最後に「舟歌」で聴衆を酔わす。われわれを遠くの国々にいざない、星星の夢を与え、そしていつしか夢は消え失せる。
 
 最後の拍手がやみ、溢れる感動を胸に会場を出て家路に就く時ほど、寂寥感を感じることはない。とても寂しく孤独な感情に苛まされる。誰かと話がしたい。話してもむなしいとは知りつつ、誰でもいいから音楽を共有した人と一緒にいたい、という気持ちがしきりだ。一人で地下鉄に乗る。暗い道を家まで自転車をこぐ。むろん絶えず頭には音楽が鳴っているけれど、この寂しさ! これが厭だから音楽会には行きたくない。
 
 


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

コメント

内田光子

kontaさん、ずいぶんいろいろ聴きに行ってるのですねぇ。lそういえば、確かに内田光子はchopinって感じがしませんね。mozartとかbeethovenとか・・・。一度聴いてみたいです。2位だったとはまったく知りませんでした。

majorca

小生も一度majorca(魔女ルカって出た!!)の僧院に行ったことがあります。後で知ったのですが、chopinはその時天候が悪く結核がずいぶん悪化したそうですね。『24prelude』は大傑作だと思いますが、あの「雨だれ」はじつに不気味、病魔そのものって感じがします。

No title

ツィメルマンの演奏は、十数年前と去年と2度聞きました。
昔の演奏は、あまり印象に残っていませんが、昨年のは、かなり感情を込めた演奏をする人だという印象です。最近聞いた中では(あまり聞いていませんが)内田光子が一番良かったです。面白い事に、内田さんはショパンコンクールで2位だったのに、ショパンをほとんど演奏しませんね。

No title

Guten Tag、 Herr うたのすけ、

感動した音楽会のあとの寂寥感、なんかその感性わかります。
雨の少ないマジョルカ島で「雨だれ」を作曲したというショパンの感性にも通じるものかもしれません。
ジョルジュサンドと蜜月を過ごした修道院の側にあった見事なオリーブの木を思い出しました。
ツィメルマンのショパン聴いたことがないので今度聞いてみます。

シンクロニシティ?

菱海孫さん、こんばんは。リさんのピアノはまともに聴いたことがありませんが、何となく気になっていました。嬉しいですね。遠く離れていても、なにか通じているみたいで。
ときどき、ありますね、偶然の一致みたいなこと。

偶然

ちょうど今、ユンディ・リの『Chopin:Nocturnes』を聴きながら訪問しましたら、ショパンについての記事でしたので、なんとなく嬉しく感じました。と言っても、私はクリスティアン・ツィメルマンを聴いたことがなく、それほどにクラシックについて無知です。ただ偶然が嬉しく、コメントしました。すみません・・・。

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