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はやぶさ君

 先日、日本の小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還した。はやぶさは、「いとかわ」という直径500メートル余りの非常に小さな惑星(岩石?)に接着し、その砂のごく僅かを採取してきたという。さまざまな故障があったらしく、一時は地球との連絡も途絶え、瀕死の重傷を負いながら宇宙空間をさまよい、予定より三年も遅れて、なんと七年ぶりに、地球に帰還したのだった。
 はやぶさは、大気圏に突入後、間もなく燃え尽き、肝心要の「いとかわ」の砂入りのカプセルを地上に見事送り届けた。
 この快挙に日本中が湧きたった。いくつかの世界初の画期的な技術が成功を導いたのだという。そして、はやぶさに対する人々の共感についての新聞の記事が目をひいた。
 
「ネットには、はやぶさを人や動物に見立てた漫画をはじめ、応援歌や実物大模型などを勝手に作り、ゴール間近の旅路に声援を送る人であふれている。山川草木だけでなく機械にも人格を見いだし、愛着を抱く。大量生産、大量廃棄とは異なるモノとの対し方がここにも垣間見える」(日経6月13日)

 小生がここに感じたのは、そもそも生命とは何ぞや、という疑問である。

 はやぶさは、その構造がいかに複雑であろうとも機械である。いかに自動修復できるよう設計されているとしても機械である。機械とは物質の組み合わせである。それは生命ではない。しかし、人はその機械の快挙(!)に、拍手を送り、あまつさえその苦労(!)に涙する。そのとき人はそれを生命と見做してはいないだろうか。

 では、生命とはなにか。生き物は生命であるとはだれもが言うが、科学者が細菌の遺伝子を調べている時、それを生命と見做しているか。ただ塩基コードの配列と見ているのではないか。脳科学者がヒトの脳を調べている時、それは血流だのシナプスの伝達の具合など、要するにまさに脳神経を調べているのはないか。それは機械の構造を調べるのと寸分の違いがない。

 ただ、両者の違いをあえて言えば、その機械は人間が創ったか自然が創ったかの違いである。人間が創ったものは、今のところ、人間がプログラムしたものしか出てこないが、自然が創ったものは、今のところ、未知なる部分が圧倒的に多い。

 で、いちおう〈生命〉とは自然が創った機械である、と言えそうである。ところが、もしその機械のメカニズムがかなり解明されたとしよう。つまり、細菌の生死や変異はこういうものか、ヒトの脳の局所の働きはこういうものか、ということが〈解った〉とわれわれが思ったとしよう。と、その時にはわれわれが創ったロボットすなわち精巧な機械と区別することはできない。
 
 ところで、他の生き物は知らず、人間は物質機械に働きかける知性のほかに感情という機能がある。それは他人にたいする愛憎―愛憎による判断力である。その対象はヒトのみならず、他の〈生き物〉に対しても、何に対しても起こりうる。今回のはやぶさに対する人々の愛着、応援、また自己修復の努力とか満身創痍とかの言葉を使ってしまうのは、感情的にはそれを生き物と見做している。ということは、この場合、〈生命〉とは人が愛したり憎んだりする対象である。

 だから、生命というのは何によって決めるのか、という問題がある。

ところで、知性という機能はどういうものか。それは、〈もの〉を知るのに相応しい機能であろうか。どうもそれはちょっと違うような気がする。

 知性は〈もの〉を解剖し、それを諸部分に別け、その働きを見出す。しかし、それはいわば隠された自然の線に沿って解剖するであろうか。それはむしろ知性の線の沿って解剖しているのではないか。それは、ものの〈探究〉というよりもわれわれの〈役に立つ〉ということを絶えず念頭において進めるやり方ではないか。

 科学の発端はともかく、今やその方法は露骨である。あらゆる〈もの〉が、いわば方眼紙のような幾何空間に並べられ、どこまでも細分されうるし、自由自在に統合される。その目標には生活の便利と書かれている。

 ついでに言えば、この科学的方法は、もちろん初めはたまたま西欧で発達したものだが、いまや世界中どこででも、日本でも中国でもアフリカでも使用でき応用できることは見ての通りで、科学主義が西欧の固有のものではない。それは、人間の普遍的な知性のゆえに、教われば誰でも気づき、人間の居る所ならどこでもある。さらについでに言えば、早く発達した西欧ではまた科学的方法論の人間の生における、その領分と有効性についての哲学的反省も早く芽生えた。

 ところが、数学の発達と科学実験を行う装置の急激な発達は、われわれの従来の物質観を変えてきた。一昔前までは、物質といえば、どんなに小さなものでも、大きさがある、位置がある、などと思われてきた。ところが、量子力学は、電子なんてものは、そこら辺に確率的に存在する、と教える。超ひも理論というのかしら、ものは粒子ではなく振動ではないかと。
 まあ、こういった表現はいつもわれわれの認識の限界を指し示すのだろうが、こういった新しい科学の知見は、便利のためではなく、〈もの〉の実在に迫る探究ではないかという反論が予想される。

 しかしながら、〈もの〉とは何か? 科学は、平たく言えば、厳密に科学によってとらえられる現象だけをとらえている。つまり、それは〈もの〉そのものが、カント的にいえば、われわれの先天的な(たとえば時間・空間という)感性のフィルターを通して入ってきたものが、悟性というこれまた人間にもともと備わった方法によって解釈されているだけなのではないか。だからこそ科学的方法は万人にとって普遍的でありうる。
 だがしかし、人間にはそれとことなる全く異なる先天的機能もある。それによると〈もの〉そのものは、また違った様相を見せる。それが、例えば芸術であり、道徳なんて分野だ。
 なんか話が逸れていく・・・要するに、例えば物質とは何か? それは〈もの〉の、われわれの科学的アプローチに応ずる局面のことである。


自分の知っている世界と知らない世界の
区別がつけれればどんなにいいだろう。
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テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

霊魂

こんばんは。紀瀬美香さん。『日本古学』によるヒントありがとうございました。小生も霊魂や転生について考えたことがしばしばります。追々お話したいと思います。
「人間の霊魂は神霊の一微分を付与されている」というのは、よく解るつもりです。小生は、たとえば人は死ぬとこの肉体の桎梏から解放されるがゆえに自由となり、魂の一部を分枝したり、あるいや他の分枝と融合したりすることができる。それも人間のだけではなく、動物でも植物でもと感じます。ただ動植物の霊魂は分枝能力が低いのではないかと思っています。
美香さんの神と人の違いを海水になぞらえて説明されているところから、小生はニュートンを連想しました。科学者といえども神を感じるものです。彼は、自然の数学的記述が可能なのに驚いて、「ゆえに神は不要」と考えず、「ゆえに神の技は驚くべきものである」と驚嘆しました。
「日本古学」では、神の霊力を霊徳と表現するのですね。その言葉づかいが面白く感じます。このあたりまた教えてください。
『日本古学』を少し学ばせて頂きます。

科学と哲学

kontaさん、こんばんは。科学と哲学は初めは区別がない大まかなscienceだった、ギリシャ時代はそうだと思います。科学が今言う科学に分離してきたのは、おそらく微積分(空間の無限分割と集積の数学的可能性)が確立してきたころ、おそらく17世紀ではないでしょうか。
そしてまた現代の宇宙論や素粒子論は、再び哲学的難問を、つまり我々の認識そのものを問うことを示唆しているようで、面白いですね。

人間が創ったか自然が創ったか

いつも楽しく拝読させていただいております。
似たテーマについて、一部日本古学でもとりあげておりましたのでご紹介させていただきます。
いわゆる、人間業か神業かということと同じことかなと。
「人間が創ったか自然が創ったか」について、日本古学では以下のように説明しております。
(記事#0012『人間は万物の霊長』より)
人間の霊魂は、神霊の一微分子を付与されており、人間も神の霊徳に似た妙用をそなえていると昔から言われております。  
 しかしながら神と人は同じではありません。たとえば大海の海水とコップに汲み取った海水は、その質においては同じですが、分量の大小多寡はとても比較できるものではありません。大海の海水の中では鯨のような大きな魚類が生活することができますし、珊瑚や海藻などをはじめ、さまざまな生命体を育むことができますが、コップ一杯の海水ではそのようなことはできません。これはその分量が寡少であるからに他なりません。
 これと同じように、神の霊徳は天地を震動させるほどの神変霊異をも顕現されますが、普通の人間の霊魂は、そのような霊異を顕すことは不可能です。しかしながら、人に尊敬されるような、いわゆる「器の大きな」人は、並み以上の霊魂をそなえているといえるでしょう。~

No title

なんだかよくわかりませんが、宇宙論など、宇宙は無から始まったなんて言われると、科学だか哲学だか宗教だかわからなくなりますね。

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