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御一新と天皇

 大革命とはいえ、明治維新はスムースに行われたという。いろいろな理由が考えられる。一番よく耳にするのが、日本は江戸時代すでに、例えば高い識字率に表われているように、高度な文化を有していたこと。それからまあ、佐幕派と倒幕派には大きな共通の敵(目標)があったこと。そしてやはり天皇の存在があったからではないのかな、つまり〈大政奉還〉に始まった、ということをあらためて思う。

 徳川幕府は天皇から政治を委任されていたが、その政治が行き詰まってきたから、新しい政権に委任されるべきである。つまり、御一新は、露骨なたんなる世俗的な権力と権力との戦闘によるのではなく、いったん天皇に政権を奉還し、天皇の委任によって新しい政府が政治を担当する、というニュアンスを演出したことが大きいのではないかな。

 徳川時代は軍事政権国家である。そもそも徳川家康が軍事力で政権を獲得したのが始まりだ。とはいえ、形式的には家康は後陽成天皇から、源氏長者として征夷大将軍職を与えられたのであった。
 この制度は、官位官職制度とともに、古代律令制を踏襲するものであった。もちろん、禁中并公家諸法度というのかしらん、天皇(およびに公家)を京都御所に閉じ込め、そこから外に出すことも、他の大名が勝手に近づくことも厳しく禁じたけれど。

 幕府の、軍事力を背景にした、厳密な管理体制の下、江戸時代は長く安定した社会が続き、文化が栄えた。しかし、いわば徳川独裁体制であっても、その心のうちには、やはり政治を委任されているという意識が底流を流れていた。

 老中松平定信は、天明8年、(1788年)「御心得之箇条」において、「六十余州は禁廷より御預りしたもので、将軍職はそこを統治する仕事である」(wikipedia)と訴えている。これは、おそらく死者二百万人ともいわれる天明の大飢饉の対処について幕府の尻を叩く意味で、また批判をかわす意味で書かれたものではないだろうか。
 
 いくら強力な政権といえども、大危機が起こると、どこからか将軍職委任論が湧いてくる。これは、いまのわれわれの想像を超える深刻なことだったのではあるまいか。
その後では、ペリー来航。そしてやはり桜田門外の変である。大老が暗殺されるという事件が、すでに幕府の力が衰えていた、あるいは西欧列強との交渉は幕府の能力をはるかに超えた問題だった、ということを意味する。
 この事変以降、「幕府は朝廷から政治を委任されているのだ」ということが、家老、有力大名、公家らの意識の表面に上がってきたのではなかったろうか。
 そしてまもなく〈大政奉還〉は現実問題となる。
 
 徳川慶喜と倒幕派が議長の座を争うということは、権力の闘争である。しかし、新政府が取った方針は、とにかく、天皇親政―以後は天皇に政治権力を持たせること。そのことによって、このときの不安定を乗り越えようとした。そしてその言い分は、武家政権よりはるかに古い「神武創業に立ち返る」としたのであって、その形式は祭政一致を極めた。

 慶応四年三月十四日。京都御所紫宸殿内にて、まず西側にしつらえられた神座に、天上の神々を降ろすべく、神主がたぶん「オワー」と奇怪な叫び声をあげる。そして北側の御座から天皇が神座の前まで移動し、神々に誓い、祝詞を読み上げる「かけまくもかしこしアマツカミクニツカミ云々」引き続き〈五箇条の御誓文〉を読み上げ、そして署名。続いて東側の席に居並ぶ議定、諸大名、公家衆が署名。

 そして、この神の子孫である天皇を表舞台に出したのであったが、いずれこの天皇を西洋流の法理論体系にどのように納めるかの問題が生ずるだろう。明治の知恵の結晶が明治二十二年の大日本帝国憲法であった。

 法的に天皇の役割が規定されると、場合によっては天皇の責任なる問題が生じうる。はたして敗戦となって、いろいろ議論されてきた。まあ天皇機関説でいいのではないのかな、とも思うけれども、どのように決着がつけられたのであろう。
 あるいは小生なんか単純だから、天皇はわれわれ一般の人間とは異なるから、一般人について言われる例えば責任などという概念を天皇に適応できるか、そもそも現人神を法でさばけるかと思うが、そうなると独裁国家ではないかと反論される。なるほど尤もと思う。

 まあ法律のことを知らないからなんだけれど、とにかく日本独特の問題だな。こういう難しい問題を考え工夫していくのが日本人に課せられた使命なんだ。

         *

 それなのに、憲法なんかを外国人に創ってもらっててどうするの。しかし、考えようによっては、天皇は象徴という訳のわからん言葉でごまかされたのは、むしろ幸いしたのかもしれない。その神秘性とありがたさが現代的に表現されていて、人間宣言をされたにもかかわらず、なおいっそう当たり障りなく有り難く御存続されたとも考えられる。

 また、ついでにこういう逆説も考えてしまう。

 いっとき、「アメリカ合衆国日本州」なる言葉がよく言われたことがあった。考えようによってはなるほど、つまり、日本の伝統は今の日本人によっては守られないという危惧が強いゆえに、それなら、いっそのことアメリカに守ってもらう。安保条約のどうのこうの言ってないで、はっきり占領されていることを認め、「アメリカ合衆国日本州」と認めてしまえば、すっきりする。その場合、「日本州」は天皇をはじめ言語、風俗、習慣にいたる、非常に特異な伝統文化の地域であるがゆえに、アメリカは国家管理のもとこれを大切に保存する。ボストン美術館のように日本州全体が博物館的に永久保存されることとなり、観光客も増え、われわれは安心して従来の文化を生きられる。(笑)

 それにしても、日本人が〈日本〉を滅ぼす、とはどういうことか。変わったのは何か。

 そもそも日本人とは。
 それは、昔日の面影を追い求めるように、御先祖たちが夢見たものを、また己の夢としようとする人のことではあるまいか。


            
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

御一新

菱海孫さん、こんばんは。
言われてみれば、そうですね、「御一新」は日本人にしか分からないようなニュアンスがありますね。哀惜と聖なるものの前での謙譲と・・・。

No title

kontaさん。
そう、天皇は藤原氏以来権力者に利用されてきましたね。それが日本という国なのでしょう。
今もそんな感じがします。小生めったに上京しないのですが、皇居を見ると、・・・高層ビル群にがんじがらめにされているではありませんか。あれは、政治経済界が己の正当性を天皇から得ている姿ではありませんか。彼らは決して天皇をあそこから逃さないでしょう。小生、なんとかここから天皇をお救いできぬものかと思わずに皇居を眺めることはありません。

Sehr angenehm !

★さん。アメリカの傘の下のほうがソ連のそれより好かった、でしょうね。それはよく言われましたことですけれど、なんかちょっと切ないですね。
帝国主義への道への考察は、小生ぼんやりしてますけれど、また面白い考えが浮かんだら書きます。ただ、あの時(明治~昭和20年)あの道しかありえなかったですね。優れた軍人が輩出した時代だと思います。
蛍魂信じるでしょう・・・。

御一新

御一新とはよい言葉です。今日一般的となった明治維新と違い、御一新には夜明け前の人々の哀しみが籠っていると思います。

No title

考えてみたら、天皇は平安時代に藤原氏に実権を握られてて以来ずっと権力の象徴として利用されてきた訳ですね。
現代も、小沢が中国への朝貢外交に利用しようとしたり、
オバマが最敬礼したりと、不思議な存在感がありますね。

Guten Tag !

なんやかんやいっても戦後の日本はアメリカの後押しがあったからこその現在の繁栄?だと想います。これがソ連の傘の下に置かれたと仮定した時の日本の姿はお隣の国を見れば判るような気がします。

うたのすけさんの明治維新考察はかなり共感できるものですが、
その後の帝国主義への道への考察も次回ぜひ聞きたいものです。

蛍となって帰ってきた特攻兵士の魂は信じます!!!

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