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道徳とは何か1

道徳とは何かを考えてみた。

 まず〈それがないとどうなるか〉を第一に想像してみる。
 もし道徳がなければ、社会生活は円滑に進まないだろうと思われる。一番単純には、強いもの勝ちになるであろう。強いものが弱いものを支配する。強いものはしたい放題。気に食わない者は殺してしまえばよい。
 すると、この強者をねらう強者が出てくるであろう。さらにそれをねらう巧者が出てくるであろう。信頼はなく戦々恐々とした日々を送れねばならない。

 それが厭なら、人は他人に危害を加えてはいけない、とう法を作って、それを順守しなければならない。しかし、厭という者は弱者である。強者は法を嫌う。あるいは強者の支配に都合のよい法を作って、それを守るよう他者に強要する。
 すると、弱者が一時的に団結して、その支配者を倒そうとするであろう。倒した暁には内部分裂するであろう。そこからまた強者がのし上がってくるであろう。

 そういうわけで、終にはみなバラバラに、せいぜい家族単位で自活するしか道はなかろう。けっして集団として生きていくことはできない。文明はあるところで停止したままであろう。

 まあこれはもしもという想像である。現実の人間社会はそうではない。われわれは集団をなして生きていて、高度な文明を生きている。


 観点を変えてみよう。この地球上の生き物は、とにかく生き延びようとしている。種として個体数を増やし延々と生き延びようとしているように見える。ばらばらに生きている生き物もあれば、集団をなして生きている物もある。蟻は一匹の女王蟻を中心に完全な集団をなしている。その分業秩序は見事であり、あたかも全体で一つの生き物のようだ。

 ミナミゾウアザラシはハーレムをつくり、一匹の最強のオスが多数のメスに子を産ませ、それが強い集団を維持し、集団は長らく生き延びる。この種はそういう方略で生きている。

 お猿の集団も似たような生き方をしている。最強のボスは、餌もメスもまず己の自由にできる。しかし、集団に危機が迫ると身を挺して集団を守る。そういう責任感をもった強い猿がボスになって、集団は生き延びる。婚期が近付いたメスは他の集団に嫁ぎに行く。それが集団を維持する生物学的要請だ。(原始的な人間社会もそのようであったようだ。)これが、お猿という種が何時までも生き残るために採った方略だ。

 では、人間種はどういう方略を採っているか?
 人間は集団をなして生きるが、残念ながら、蟻のように生まれつき勤勉ではない。自ら進んで己に与えられた仕事をしない。でき得れば自分だけは楽をしたい、得をしたい、さらに他人よりリッチになりたいと思っている。そのために邪魔になる人間を抹殺したいと思う。そこで、どうしても集団を維持していくには、集団の構成員一人一人に働きかける掟を、生命は与えた。その掟はもちろん先天的な観念のように強く心に働きかえるものでなければならない。それが道徳というものではなかろうか。

〈人を殺してはいけない〉〈人の物を黙って盗んではならない〉・・・。それらは、人が生みだした掟ではない。天が、生命が、与えたものだ。あるいは言葉を代えれば、人間という種が、自ら生き延びるために採用した方略だ。




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テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

Umama01さん、こんにちは。
道徳の本質を突かれましたね。
この~べき、という、心に感じられる道徳の義務感はどこから来たのか、何ゆえであるのか、という問題が浮かんできたので、ちょっと自分ながら考えてみようと思います。
もちろん、これはあくまで実践の分野であって、考えるなんて余計な、愚にもつかぬ空想であると思っていますが。
仰るように、道徳とは人間に一番大切なもの。では、それは普遍的なものか。その概念は拡大、変化するものではないか。あるいは、どこまでいっても定義不可能な、人を導く力なのか。・・・

No title

(続き)・・・なんどコメント書いても、スパムメールと判定されました、とくる。なんでやねん?
 赤穂浪士もテロも、殺人以上の〈大義〉を重んじての行動であって、だからと言って、手放しに「殺人がよい」と感じているわけではなかったのでないでしょうか。
ただ、〈大昔〉には、ある集団が別の集団に襲いかかり、略奪、皆殺しがあったように思われます。その場合、そうするのがその人間集団の増殖発展に有利であって、殺人はさほど問題ではなかんでしょうね。となると、「殺人はいけない」ということは〈普遍的〉ではないかもしれませんね。
ただこの場合に面白いのは、仲間内の成員同士は一致結束し、殺人はおろか、裏切りすら「いけない」と感じていたということです。
いろいろ派生的な問題が浮かんできて、こんがらがってます。が、面白いですね。また、ご示唆お願いします。

No title

道徳とは、人の歩むべき道であり、人の積むべき徳である。
道に外れれば人の間では生きられず。
得を積まねば信頼や尊敬などの、社会から己を大事にしてもらうこともなく生きねばならない。

だからこそ、道徳は人間社会の中で最も大切なものである。
と、私は勝手に考えております。
要は自分が生きるために必要だからこそ、他人を大事にしようと考える考え方……ではないでしょうか??

No title

Kontaさん。コメントありがとうございます。
 小生も実は、道徳なるものが先天的(生命的)なものか、経験によって作られてきたものか、確たる考えがあるわけではありません。
 いまのわれわれが考えがちな道徳というのは、かなり宗教的な色合いに染められていると感じます。(もちろんそれはそれで、人間の道徳の変化を示唆するもので、重要なことだと思います。)小生が強調して書きましたように、それは生存における有効性という観点から論じられることではないかと。まあ、これも自信がないのですが。ついでに言えば、それらがまじりあって、道徳の概念は広いスペクトラムに及んでいて、これがまた、考察を難しくしているのではないかと思います。(続く)

No title

人を殺してはいけないという事ひとつとっても、いまの日本では大多数の意見でしょうが、江戸時代は、かたき討ちが称賛されていました。アラブの過激派などは露にもそんな考えを持っていません。国を愛するなんて事も今の教育ではご法度になっているようで、なかなか道徳の基準も一筋縄ではいかないようです。

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