スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

道徳とは何か3

(続き)人間を内側から強く縛る道徳の及ぶ範囲はどれくらいなのか。どこまでが先天的であり、どこからが後天的であるのか。

 たとえば、もっとも重いこととして、人を殺してはいけない、というのがあげられる。しかし、これとても本当に先天的、無条件的であるか。ローマの剣闘士たちは、闘技場での殺人を控えるか。赤穂浪士は吉良上野介の首を打ち取るのを悪いこととして辞めるか。むしろ彼らは打ち取ることが道義だと感じていたのではないか。

 いやもっと卑近な例がいくらでもある。嫉妬に駆られ、あるいは復讐の念にかられ、殺人を起こした人に、同情することはよくある。また好んで殺人を繰り返す者を死刑にするのに異論を述べる人は少ない。
 つまり法が道徳的であるのか、と疑問をいだくことはありうる。

 ましてや、もっと軽いことについては、たとえば人に嘘をついてはいけない、嘘をつくことは悪いことだとは誰でも口にする。しかしほとんど実行されない。それどころか、状況によっては嘘をつく方が良いことだと称賛されうる。この場合は、嘘をつくという行為より、その心はいかにという点が、重要視される。

 ただ問題は、それはまさに、その嘘をつく心が善かったのか悪かったのかは問われているのではないか、ということである。つまり、人はその行為が表面的にあるいは内面的に、善いのかどうか、たえず気になるのであって、そのことがつまり道徳が人間に先天的に備わっていると感じられる点ではなかろうか。

 そのことは、たとえば国家間の紛争において明瞭にみてとれる。強い国家は弱い国家に戦争をけしかけ、持ち物を強奪したり、占領したりする。強いものが弱いものを奪って何が悪いと居直れる国はなぜかない。必ず何らかの言い訳をする。「ガリア戦記」から「東京裁判」に至るまで、じっさいは強いものが弱いものからものを奪っているにもかかわらず、戦争には大義があった、あるいは、正当であったという裁決をしたがる。嘘でもいから己の正当性を世にそして己に示さねば気がすまない。

 なぜ堂々と力=正義と言えないのか。それこそ一番初めに述べた、人が集団で生きるに必要な知恵を生命が与えてくれたからではなかろうか。戦々恐々としてバラバラで生きていたのでは未開のままだ。


もっと力を↓↓

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

Umama01さん、ありがとう。
たしかに、じっさいの行為と口先と心理とが、どの程度どうなのか、考えようによっては、難しいところですね。

No title

嘘は嘘でもホワイトライ(相手を思いやった嘘)なんてのもありますからね。。。
難しいところです。

ちなみに、力=正義にならないのは、そういう主張を堂々とすれば世界中が力を併せて攻撃してきても、それは正義になるってところなのでしょう。
亜米利加が幾ら強大でも、世界中の全ての国家と敵対しては勝てません。中国も露西亜も同じ。
同じようにどんな国でも、外敵よりも内敵がやっかいなのでしょう。
だからこそ、口先だけでも正義にこだわり、自分たちの行動を正当化し続ける訳ですね。。。

あ、それと。
ついさっき我がブログへのリンクを発見いたしましたので、相互リンクしておきました。。。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。