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大正天皇5

大正天皇即位後、いわゆる大正政変があり、第一次世界大戦のおかげで、わが国の貿易は黒字に転じ、大戦景気で潤う。しかし国内物価は高騰し、米騒動が起き、寺内内閣総辞職、原敬の政党内閣が発足。
ちょうどこのころ、大正天皇に病魔が忍び寄っていた。この年、1918年(大正7年)10月、天皇は風邪のため(?)天長節観兵式を欠席、11月の陸軍特別演習では乗馬を恐れ、左足に変調をきたした。12月の帝国議会開院式も欠席。
1919年(大正8年)天皇の変調は誰の目にも明らかとなった。2月には原敬首相も天皇に〈何かご病気がありや〉と日記に書いている。このころの公式行事における天皇のうつろな表情の写真を見るにつけ、小生は心が痛む。
体力は落ち、食事中も姿勢を維持することができなくなり、このころの慰み事であった散歩と玉突きも難しくなった。言葉もだんだん不明瞭になり、原敬は、〈御幼年時の脳膜炎が再発してきた〉のではと書いている。
1920年(大正9年)、政府は天皇の様子についての発表を行う。3月、第一回発表「侍医三浦謹之助によると糖尿病と坐骨神経痛」があると。第二回目の発表時には、政府は裕仁皇太子(昭和天皇)の外遊を急遽検討、翌年3月に出発。その時の皇太子の写真や映画は、人々に新しい希望を与えたに違いない。
1920年(大正10年)大正天皇のご病気について、さらに発表が続く。10月、第四回発表では、天皇はもはや快方に向くことはないとされた。人々は、大正天皇は脳の病気を患っていると、風の便りで聞くようになる。もはや歩くことも、はっきりした言葉も発することができず、親しい者を見分けることもできなくなった。11月、裕仁皇太子は摂政に就任した。
大正天皇の、この全体的な活力の低下、運動・記憶・知覚の徐々なる低下は、おそらく多発性の脳梗塞のためであろう。
その原因は何であろうか? というより、肉体の病理学的原因はどうあれ、小生が感じるのは、大正天皇は天皇になって以降、近代国家形成のために必要とされた君主像を強制された、そのことが、あの〈天真爛漫な〉天皇をして病気に向かわしめた、と。
誰でも中年にさしかかる頃、どうしようもなく嫌でたまらぬことを強制され、それから逃げることが出来なければ、発病するのではないか。うつ病やリウマチや心臓病など、その人の気質体質に応じた病気という逃げ道に行かざるを得ないのではないだろうか。



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テーマ : 歴史上の人物 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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西暦1913年 - 大正政変

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