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『古事記と日本人』

渡辺昇一著『古事記と日本人』再読。

『古事記』に表れた神話とゲルマン神話が酷似していること。明治維新の神道オンリーの方針は、用明天皇以来の皇室の方針に反対する偏狭さがあったこと。神代と人代を分かつのは、皇室の九州時代と大和時代における豪族との対応の違いであって、前者においてはいわば平和外交が主であり、後者は戦争と殺戮となること。などいろいろ共感したり、教えられ考えさせられることが多かった。

 また興味深かったのは、カントには祭りの概念が欠けている、という点だった。祭りは神様を喜ばせようとすることであり、芸能の起源である。われわれは、悦びのために存在していると言っても言い過ぎではない。しかるに、カントには勤労とか義務とかが最重要であり、これはプロイセン・ドイツの男性的原理の社会にふさわしく、プロテスタント的傾向もこれを支持する、という。

 この解釈に疑問を感じつつも、たしかにカントは人間の集団的陶酔の民俗学的ルーツの探求はしなかったように思う。というより、そのようなことは問う必要がなかった。彼にとって、快楽の感情の及ぶ範囲を正確に測定すればよかった。

 そしてまた渡辺氏は、国家についての二つの傾向がある。一つは国家の起源を超自然的要因に結びつける。もう一方は現世的な要因のみで成り立つ。だんだん、前者が少なくなって、後者のように考える傾向が増えてきている。啓蒙主義の後、アメリカは独立宣言を発表したら国家は成立。フランスは革命を起こし憲法を作成したら国家は成立。ソ連は言うに及ばず。これらは容易に大量殺戮に向かう、「日本はその起源が神話に基づき、その文化の中枢部はかつて啓蒙されきることがなかった。ここに日本が二十一世紀を生き抜く鍵があると言ったら超自然的すぎるであろうか」と書いている。

 欧米の国家観については、小生疑問があるが、渡辺氏の言う日本の文化の中枢部とはもちろん皇室のことであろうし、そしてこれが存在する以上、存在させている以上、日本人のいわば本能的な親和力、秩序形成力が保たれている、これなくば日本はニュートラルな弱小国になる、とも思う。
  (これなくてはいけないのですか、というレンホーの声が遠く聞こえる)

 しかし、そういう中心を持たぬ他国が、その良さを認めたところで、ではこれから持とうとして持てるはずもない。むしろ、その弱点を突いてくるであろう。近現代史を見てのとおりである。どこの国の人だって愛国心はあるし、個人的な信仰はもちうるし、政教分離を憲法で謳わなければならないほど宗教的だ。

 では、どうしたいいんだろう、日本。

     
   
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テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

こんばんは、みかさん。
我が国の為政者は、我が国の理想を失わず、かつまた我が国を他国から守るべく、人事を尽くしてもらいたいですね。

それぞれの使命、役割を全うし、人事を尽くして天命を待つことでしょうか?

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