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「古事記伝ノ巻四」一面

 伊耶那岐命と伊耶那美命、略してイザナギとイザナミと書きます。この御夫婦の神が交わられて日本列島をお生みになったことはご存じのとおり。しかし、その初めは上手くいかなかった。

 淤能碁呂島(おのごろしま)において、イザナギはイザナミに「汝の身は如何に成るか」と問われる。イザナミは「吾が身は成り成りて成り合はざるところ一処在り」とお答えになる。イザナギは「・・・成り成りて成り余れるところ一処あり。だから、これを汝の合わないところに刺し入れて国を生もうと思う。いかが。」
 イザナミ「それはいい」。イザナギ「じゃ、この天の御柱を回るからね。貴女は右回りして、僕は左回りするからね。逢ったところで結合ね。」
 そう約束されて、回ったお二人。そしてばったりお逢いになる。イザナミ「あら、いい男!」。イザナギ「ああ、いい女! でも、女が先に言うのはよくないなー」と仰りながらもご結婚。
 で、生まれた子は水蛭子(ひるご)と淡島。こりゃいかん、ってことで、流し去られた。

 で、御二人の神どうなさるのか。

 「ここに二柱の神、議(はか)りてのりたまはく、『いま吾が生める子よからず。なほ天つ神の御所(みもと)に白(まう)すべし』と詔(の)りたまひて、すなはち共に参上(まゐのぼり)て天つ神の命(みこと)を請ひたまひき。ここに天つ神の命もちて、ふとまにに卜相(うら)へて詔りたまはく『女の先に言へるに因りてよからず。亦(また)還り降りて改め言へ』と詔りたまひき。・・・」

 つまり、お二人は天神つまり、一番初めに紹介されている天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)以下五柱の神神に、上手く子(国)が生めないのはどうしてか、訊きに行かれる。
 ここを、宣長は、どんな事でも、自分勝手な解釈をせず、とにかく天神の命を聴き従う、この私心がない態度が道の大義というもので、このえらい二神すらそうであるから、ましてやわれわれ凡人が解らぬことを勝手に理屈をこねてはいけない、という。

 ところが、天神もお解りにならないのか、占いをされる。〈ふとまに〉というのは、占いの一種らしい。〈うらへて〉は卜相(うらあへ)て、これも、天神すらこのように、解らぬことは占って神の御教えを受けられるものである。

 分からんものは分からん!これが大事なのよ。

 この話。そもそも男神より先に女神が先に言うのは女男の理に反する。それは、イザナギ・イザナミ以前から、ペアの神々はみな男が先に成りませるからだ。これ天地の初めからおのづからの理なりであって、「人の得測り知ることにはあらず」なんです。

 分からんものは分からん!これが素直な心なのよ。

 御二人が天神に訊きにいかれるとき、不良子(フサハヌコ)がどうして生まれてきたか、まだ御理解されていない。天神もお解りにならない。つまり、女神が先に言ったことと不良子が生まれたこととの因果関係がお解りにならない。

 ところが、後の人は、占いの教えを知ってから、初めの行為の吉凶を云々する。あるいは、陰陽の理屈から、つまり初めに理があって結果をいう。今の用語でいえば、一般公式から実例を演繹する、ということになるのかな。こういうのを〈漢心(からごころ)〉として宣長は激しく排撃する。

 また、御二人は悪いことと知っていながら、天神を敬うゆえにお尋ねした、とか、悪いことをすぐ改めたのはさすがだ、とかいう論は、そういう論が好きな儒者心だ、と排斥する。
         
ともかく、そのような理屈は、生きた現場に触れることはできない。ところが、上代の人々は現実に生きていたのであり、その生きざまは、まさに上代のコトバに表れているのであり、大和心はそこで躍動している。〈大和心〉は、宣長の徹底した言語実証主義から立ち現われる。




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テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

宣長

大野さん、コメントありがとうございます。
何千年と音声だけの伝達で不自由しなかったわれわれの祖先が、7世紀中国の漢字をsignとして利用し始めた時の、違和感たるやすごいものがあったと思います。そのため彼らは漢字の使用方法に込み入った工夫をこらした。宣長の仕事は、彼らのsignを解きほぐす実証的な作業だった。そこから、上代の人たちのこころばへとかカミの道とかが浮かび上がってきたのだと思います。ということは同時に古代文献がすでに漢文の便利さ(直接的意味作用)に汚染されているということの発見だったのではないでしょうか。
幕末維新から大正の人々の近代的感覚へ、知りたいことは山ほどあります。変わったことと、特に変わらなかったことを。・・・いずれまたご教示のほどを。

読ませて戴きました。

古事記を拝読。宣長の教えが良くわかります。かむながらの道は、信じるところから始まるのでしょうか。古事記の前に、維新関連を拝読。これも手間のかかる作業のようですね。いやあ、敬服しました。ありがとうございました。

生きている場所

^^☆ さん、ご返答ありがとうございます。
小生も、ときどき思い出したように、呪文の言葉が出ますよ「私は神の子、強い子良い子。今日も元気をありがとう」ってね。ご先祖は、小生が二歳のときなくなった祖父はどんな人だったのかなぁって、よく思いますし、父母のことを思い出すと、孝行ができなかった事が残念で無念で悲しいので、できるだけ思いださないようにしています。もちろん無限に感謝していますけれど。
ただ、一般論としてのご先祖となると、・・・むしろ太陽や山や空気や・・・谷口雅春氏の天地一切のものに感謝、っていうのがピンときます。
それから、あの世のことですけれど、われわれは本当はあの世に住んでいて、そこから生命の力を得ているけれど、氷山の一角としてこの世(現象世界で)物質的マスメディア的な日々が明るいから、この世だけで生きているとついつい錯覚してしまう。そして神話や芸術がこのことを強く示唆していると感じます。しかし、誰でも、ふと日常を離れた或るとき、ふとこんなことを感じることがあるのではないでしょうか。
この世のあらゆることは、道徳を含め、あの世とつながりをもっていると考えれば、道徳は集団的生物としてのあの世的生命とつながっているんじゃないかな、って考えます。

ありがとう御座位ます~^^

うたのすけさん~^^こんばんは☆
ご丁寧な御返事頂きまして、本当にありがとう御座位ます。

古事記では、物質的欲望は、それなりに肯定されているのですね~それは、大変ありがたいです~(笑)
さすが八百万の神々、懐が深いですね~(何事も、偏らず「中道」が良いという事でしょうか、、、)

伊勢白山道のブログも観て頂いたのですね~ありがとう御座位ます。
実は・・・私も霊的な事は、全く???ですし、うたのすけさんの様な博学でもないので(汗)
(おまけにオツムの方も???なので、汗)うまく説明出来ないのですが、、、

道徳については、伊勢白山道には膨大な過去記事がありますが、実は、とってもシンプル・・・
要は、常に「生かされている感謝の心~生かして頂いて ありがとう御座位ます」を忘れないとか、
他を思いやる事とか~(たとえば、両親や、命を繋いで頂いた御先祖様を大切にするなど~)それ位なんですよ

(未熟者で、難しい事は分からないのですが・・・)
霊的な事については、目には見えない世界や、「あの世」が、密接に「今」の「この世」と繋がっていて、
常に心や体に影響しているんじゃないのかな?と思っています。自ずと道徳にも影響してくるかと・・・
ごめんなさいね(汗)拙い説明で・・・もし良かったら、ブログ主に質問してみるのもオススメですよ~☆

あそこのブログ主は、教祖様ではなく、本当に頼りになる良い先輩って感じで、
伊勢白山道は同好会みたいなものです。リーマンさんって呼ばれています。サラリーマンのリーマン(笑)
しばりも全くなく、普通のブログと同じで24時間いつでも出入り自由です。
人助けが趣味みたいなので(笑)無料で、読者の相談にものっています。
(ちなみに、本も出してますが、印税も全額寄付されているみたいです、神事で稼ぐのは御法度とか・・・)

2007年の春頃から、ほぼ毎日記事を更新してますので膨大な数ですが、トンデモネタ(笑)から、
哲学、道徳、健康、科学、経済、その他、あらゆる分野のネタがあり読み物としても面白いと思います
もし、何か質問があれば、最新の記事のコメント覧へ、タイトルに「質問~」って入れてコメントすれば、
タイミングが合えば返答してくれます☆(もしくは、図書館か、立ち読みで本を読むという手もあります~)

(ごめんなさいね~私のオツムでは、霊的な事と道徳がどう結びつくのか?うまく説明出来なくて、、、)

私もコメント覧で遊んでますので、良かったら、お暇な時でも~~~♪
もちろん勧誘?ではないので御安心を~(笑)

また、こちらにも遊びにきます~^^☆

古事記

^^☆ さん、コメントありがとうございます。
ご紹介の「伊勢白山道」に参ってまいりました。なかなか癒されますね。そして多くの共感者が居らっしゃいますね。思いますに、人間は常にこのような救い~向上心が必要だということです。天理教、生長の家、幸福の科学、GLEなど、すべて霊的能力のある方々が、休む間もなく訴えておられるその情熱はどこから来るか、いつも考えさせられます。
しかし、小生は能力不足のために、霊的世界と道徳とがどうして結びつくのか、理解できないのです。この点につき、何かヒントがございましたら是非ご教示ください。
また、『古事記』の世界は、宣長によりますと、儒教道徳とはまったく違った世界なのです。たとえば、物質的欲望は、それなりに自然なこととして、そのまま肯定されます。
また、ときどき見に来てください。

はじめまして・・・

こんばんは☆はじめまして、宜しく御願いします~^^
 
私も、古来からの神道が好きで伊勢神宮には良く参拝にいっております。
古事記は、まだ少ししか読んでないので本日の記事は興味深く拝見させて頂きました。ありがとう御座位ます。

最近、精神世界系や総合でも人気みたいなのですが、、、
伊勢白山道http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20101212
というブログを良く見てます。普通のサラリーマンの方がブログ主なのですが、
古今東西の宗教や、健康、哲学、あらゆる面に精通してらして面白いです~

また、おじゃましたいと思います~^^☆

古層

なでしこ☆さん。鮮烈な共感的コメントありがとう。
日本は二回の大きな規模の国家神道を生み出していますね。
奈良時代と明治時代。それは国家として体裁をつくるのに是非とも必要だった。外面的にはよく知られるところではありますが、内面的には日本人の古層がしっかりと確認されているように思います。
それは、なでしこ☆さんの仰る日本人のセンスとしてフィっと表れるものではないかと思います。戦後おかしなことになってきても、やはり古層は残っていて、まだまだわれわれは日本人ですね・・・当り前か(笑)

うたのすけさん、こんばんは!

うたのすけさん、お久しぶりです!遊びに来ました!
ここに来るとやはり、日本人っていいな!って心からそう思います。
日本人のバランス感覚は、すごいんじゃないかな?
これが私の素直な感想です。
古事記は懐かしく感じ、宣長さんについての記事は勉強になります。やはり、日本人はセンスを大切にした民族なんだと心から関心しました。(これは、現代日本人の私の感想ですが・・・)
日本人を語るには、古事記が一番良いですね!
(つくづく肝心してしまいました。)
私にも、自信をくれてありがとうごさいます!←結構、センスはいいかもです!
日本人は日本人を理解するべきだと思います。
センスは生まれ持っての才能だから、外国人にはこのセンスは解らない。
白は白、黒は黒でしか理解できない世界。そういうお付き合いはギスギスして情緒がない(=現代日本のTV局も)ですよ。
イザナギ・イザナミ国産み物語もセンスを使う部分ですよね。
まさに、日本人ならでは!(←※コメント追加訂正しました!スミマセン)

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