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「水手」の語源

水手も水夫も〈かこ〉と読むことは知っていたが、なぜそう読まれるようになったのかは知らなかった。

 先日『日本書紀』の第十巻「応神天皇」の条を読んでいて判った。もちろんそれは地名起源説話、つまり一つの後付け話であろうけれど。

 「応神記」(古事記)は、応神天皇の事績につて、朝鮮との外交と交易以外、とりたてて話がない。それとて、母神功皇后の仕事の続きみたいなものである。大体の印象は、応神天皇はお酒が好きで終始起源がよろしい。ここはむしろ後継ぎオホサザキ命(後の仁徳天皇)への言及が多い。

 日向(宮崎県)に、有名な美人がいることを応神天皇が御耳になさって、宮中に呼び寄せられた。そのとき、息子の一人オオササギがちらっと目にして、その美しさに激しく心を動かされてしまう。彼はとても率直だったから、この女性(髪長媛 かみながひめ)を欲しいという。そのことをお知りになった天皇は、この息子に媛をあげようとおぼしめす(なんと気前のよろしいことか)。そして親子で御歌の応酬をされて、めでたしめでたし。

 「日本書紀」では、そこに別伝。
 淡路島で御狩中の天皇が西の方を見られると、数十頭の鹿が海を泳いで、播磨の港に入っていく。(ここは今の兵庫県加古川市の加古川河口付近らしい)天皇のたまわく「どうして鹿がこんなに来てるの」。側近たちも不思議に思って、使者をやる。判ったことは、日向の諸県君牛(もろがたのきみうし)と言う人は朝廷に勤めていたが、歳をとって退職し故郷に帰った。しかし、朝廷を忘れることができず、我が娘髪長媛をたてまつる。そのために、大ぜいに鹿の頭付きの皮を着せて、天皇のおられるところに向かわせていたとのことであった。
 天皇大いにお喜びになって、御船に引き揚げさせられた。それが着いた港を、時の人は「鹿子水門」(かのこみなと)と呼んだ。それが加古港と字を変え、また、船をこぐ人(水手)を〈かこ〉と言うようになった、という。
 
 思うに、昔から加古川の河口に港があって、加古(かこ)を鹿子とも書けることから、そこに、日向から来た髪長媛を乗せた船がそこに到着した話がひっついて、このような地名起源説話が生まれたのだろう。

しかし、大事なのは説話を生む構想力があるということであろう。その本源は神話を生む力であり、物語を生む力であり、ひいては現代において小説を生む力につながるものと思われる。それはたんなる慰め事であるとは思えない。




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