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奈良見物 1

 先週末、橿原に用事があるついでに奈良見物をしてきた。今年平城遷都一三〇〇年記念ということで、奈良市は常に増して地域のアピールを行っている。

 せっかくだから、平城宮跡に行きたいし、そこに行くなら、そのあたりの名所を、いろいろ回りたいし、ということで、西大寺駅でレンタサイクルを借りた。いつも家ではマウンテンバイクを乗っているので、このママチャリに乗ると何となく優雅な感じがする。飛ばす気にならないのがいい。折から天気もよく、暑くもなく寒くもなく、風も軽微だ。

 一一月中旬とはいえ、今年はまだまだとくに寒いっていうほどの日はないので、今日のような日を小春日和というのは変なのかなぁと思いながらも、口をついて出てきた歌が「はーるの、うらあらあの、隅田川~」。

 十分かそこらで秋篠寺到着。門前駐輪して入っていく感覚がカジュアルで気持ちいい。

 さほど広くない参道の両側には萩の小枝が迫り出していて、初秋の小さな赤い花びらの爛漫を幻のうちに見る。そこを折れると木立のかげは苔の海。その細道を通り抜け、料金小屋をすぎると、明るい御庭が広がっていて、そのやや右手に本堂と思しき建物がある。所々に紅葉した木が背景の緑から浮き出ている。

 堂内諸尊像を見る、と言うのも変な言い方であると感じられ、むしろこちらが見られている。仏像を見るときはいつもそうだ。薬師如来を中心に、創られた時代がさまざまな尊像が十体くらい並んでおられる。このように並べ置いた古人の心を思う。

 この中でやはり伎芸天のちょっと首をかしげた優美な御姿が異彩を放っている。これすでに天平時代の作であるとすれば、われわれがいま不器用にも 宗教と美術とを分けて考えている、ある心の動きが本来単一なというか単純な不可分なものだと思われる。信仰と享受はわれわれにとって分かちがたいものなのだ。

 本堂とは別の方角に、ちょっと変わった、むしろ近代的な一宇の堂がある。近づくとボランティアの男女が入り口でビニール袋を渡すので、靴をそこに入れきざはしを上る。堂内正面奥で解説が言うには、いつもは六月六日の一日しか開けないが、今は特別秘仏開帳期間で開けている、これは大元帥明王という尊像である云々。

 この尊像は、全身真っ黒で、なんとも恐ろしい形相をしておられる。獣のようでもあり般若のようでもある憤怒の極致、怒髪天を衝くとはまさにこのことだ。筋骨隆々、蛇を肢体に巻きつけ、腕は六本、手には法具と武器を持っておられる。
 
 キリスト教文明においては、右手に武器と左手に聖書を持つが、密教においてはさらに沢山の手に法具と武器を持つ。そして、金剛杵のように、法具はすでに武器である。もちろん仏教においては、戦闘ははるかに精神的な意味であろうが、解脱に至る道は非常な困難を伴い、尊法護持のためには超人的力を必要とするようだ。

 この濃密な密教空間を去って、ママチャリはまた爽やか秋の空の下、平城宮跡に向かった。レンタサイクル所で、地図をもらい、しっかり説明をしてもらっていたおかげで、迷うことなく、あっという間に平城宮跡に到着。とはいっても、小生は裏の片隅から入っていたことになるが、守衛さんに道を聞いたら、この自転車が一番いいんだよと、えらく褒めてもらった。なんでやねんと思ったが、そのすぐ後で判った。

 広い。あまりに広い。これは歩いて回れるようなところではない。南の朱雀門から北の大極殿を見ると、たいていの人は行く気が萎えてしまうに違いない。ましてや西の端にある資料館や東の端にある東院庭園もすべて見て回ろうとする人がいるだろうか。

 小生は歩いている人たちを尻目に、軽快に風を切る。微かな優越感が胸をよぎる(こんなことで!)。しかし、お年寄りを見ると気の毒に思った。まして遷都一三〇〇年ということで、大挙してここを訪れ、あの酷暑の日なか長蛇の列をなしてイヴェント会場前で並んだであろう、お年寄りや肢体不自由の人たちのことを思うと、心が痛んだ。

 一三〇〇年前、ここが日本の中枢だった。霞が関と皇居だった。とはいっても、これから国家をどのように創っていくのか、どのように体裁を整えていくのか、もっとも悩ましい、もっとも希望にあふれた、じつに熱い時代であったと想像する。

 八世紀初頭。大宝律令七〇一年。平城遷都七一〇年。古事記編纂七一二年。養老律令七一八年。日本書紀編纂七二〇年。総理大臣は差し詰め藤原不比等。

 梅原猛氏の説においては、本居宣長の『古事記』は超歴史的であり、永遠の神の道が説かれている、しかしそれは違う。津田左右吉の『古事記』は、六世紀の大和政権の成立過程で成った、天皇制確立のための神話制作であるが、それも違う。『古事記』はまさに八世紀の産物であって、それは過去の神話ではなく、当時の政治のこれからを担った書である。すなわち、新しい天皇制の確立(持統天皇→アマテラス、皇后から孫へ)と同時に、反抗者(スサノヲ系)の排除とその鎮魂の書であり、その為の祓(はらえ)こそ中臣祝詞(大祓)であり、これらと大宝律令は軌を一にしている、伊勢神宮(アマテラス)、出雲大社(スサノヲ)、春日神社(タケミカヅチ)に日本神祭の秘密がある云々と。

 梅原学説は全体的にはなかなか精緻で説得的ではあるかもしれない。しかし、神話の政治的のみでの解釈には無理が多すぎるのではないか。『古事記』をこれからのヴィジョンを示している書とするには、小生に言わせれば、面白すぎるのだ。もちろんそれもあるかもしれないが、何かもっと無意識的な広がりがあるように感じる。また、宣長流に大事なのは政治機構よりも信仰の側にある。つまり、たとえば「天地初めて発けし時、高天原に成れる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神」を文字通りそのまま信じた〈こころばへ〉なのである。
 つまり、日本のシステムはこのように創られてきたことの解明はむろん大事であろう。が、だからといって、そのシステムと日本人の根源的な〈こころばへ〉とは、また違う。そして、これからのシステムの改変が絶えず過去に問い合わせをしなければならないのは、この〈こころばへ〉ではなかろうか。

 国家神道を創ることとはなんであろうか。奈良時代と明治時代。理想としの〈あの日本人〉と国家のシステム。

 まあ、難しい話はさておいて、先に進もう。平城宮跡をあちこち軽快に乗り回していたら、すでに日は西に傾いている。自転車を五時には返さねばならない。返す先は奈良市の真ん中の近鉄駅近くのバスターミナル横に決めている。そこへ行くまでに途中、法華寺と不退寺に寄ろうと思っている。

                                つづく


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