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奈良見物 3

不退寺に着いたのは、日もだいぶん西に落ち、夕闇が背後からそっと近づいているころであった。門前は鬱蒼とした木々でなお暗い。門から本堂がすぐそこに見えるが、灌木の茫々たる茂みで、かなり隠されている。落ち葉が散らかり、あまり手入れはされていない様子である。あの末摘花が侘び住まいの荒れ果てた屋敷をいやでも思い出させる。

 門は四脚門。左手に料金窓口があるが、このところ使用した形跡はなく、窓口はしっかり閉じられている。この寺はあまり人が訪れないのであろうか。荒れ果てた古寺とさえいえる。小生も業平ゆかりの寺というのでなければ、わざわざ寄らなかったかもしれない。

 勝手に入っていくと、「石棺」を示す矢印のままに進むと、住職と思しき老人と中年婦人がいる。そこで料金を払う。縁側で焦げ茶色の猫が眠そうな目をこちらに向けている。

 石棺は、大昔近くの古墳から運んで来られたものであるらしい。説明には「心ない草刈りの人らが鎌を研いた痕が沢山残っている」とある。しかし、昔の人たちにとって石棺がとくに貴重なものであったわけではなかろうに。石棺は石風呂に見えた。

 本堂に入ると、さっきの老人が危なっかしい足取りで、急いで追ってきて電気を灯け、尊像などの説明を始めた。今まで何千回と客に向かって繰り返したであろう有り難い説明は、しかし小生の耳にはほとんど入ってこなかった。ただ、ここがあの業平が建立した、あるいは少なくとも一時は居たところだという思いが、胸の内に反響していた。

 この本堂は古めいたしっかりした建物だ。庭正面から見直すとさらにはっきりする。そしてまた、所せましと生えている躑躅や椿が剪定を免れて茫々となっているのが、何となく似つかわしい。

 古寺・・・業平の青春の恋物語、筒井筒の思い出は、謡曲『井筒』にあますところなく描かれた。

 「さなきだに物の淋しき秋の夜の、人目稀なる古寺の庭の松風ふけ過ぎて、月も傾く軒端の草。忘れて過ぎしいにしへを、しのぶ顔にていつまでか、待つことなくてながらへん。げに何ごとも思ひ出の、人には残る世の中かな・・・」

 そして、井筒の女は昔を想い、昔を演じる。
 「今は亡き世になりひらの 形見の直衣身に触れて 恥づかしや 昔男に移り舞 雪を廻らす花の袖・・・ここにきて 昔ぞ返す在原の 寺井に澄める月ぞさやけき
「月やあらぬ 春や昔とながめしも いつの頃ぞや
「筒井筒 井筒にかけしまろがたけ 生ひにけらしな 生ひにけるぞや 
「さながら見みえし ・・・業平の面影
「見ればなつかしや・・・

      *

いったい今は昔とある古人は言ったが、昔とはなんであろうか。

過去とは何か?

年表を開けて、今は2010年だ、1945年は大東亜戦争が終わった年だ、794年は平安遷都だ、それらは過去のことだ、というとき、それは実は過去ではない。文字通りすべて同じ平面上にある現在だ。恐竜がこのあたりを練り歩いているところを想像しても、それだけでは過去ではない、現在の映像だ。

 とすると、過去の過去たるところは何に拠るのか。それは「懐かしい」という感情にあるのではないか。

 翻って今とは何か?

 今という瞬間はない。それは微分学的観念にすぎない。「今何をしている」と問われて、「今は手を洗っている」というとき、今とは5秒か10秒くらいのことであろう。「今伊勢物語を読んでいる」というと、ここ一週間くらいのことであり、「今料理学校に行っている」というと、2、3年のことををさすであろう。つまり、今とは関心の領域を示す用語だ。

 とすると、小生のように常に大昔のことを想っている人間にとって、今とは何か。むかし男ありけりの物語はじつに今に属し、そしてそれが懐かしいと感じるならば、そのゆえに確実に過去たりえている。昔が今によみがえるとは、そういうことではないのか。歴史に触れるとは何か。

 懐かしいという感情。それは、あの時は二度と還ってこないという思いである。取り返しがつかないという思いである。
 その時、年表の右から左に増える年号の無機的な羅列とは別に、それと垂直に交わる深みがあるのに気付く。それこそ、真の過去と現在とが交流する生きた歴史であり、自分がそのうちにあることに気づく。




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