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『伊勢物語』

 『伊勢物語』再読

 人も知る、「むかし、男うひかうぶりして、奈良のみやこ春日の里に、しるよしして、狩にいにけり。」・・・で、 さっそく、そこで目にした女に心を奪われ和歌を贈り、「昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。」という初段から始まる。

 じつに『伊勢物語』は、みやびの宣言の書である。男は京で高貴な女性を奪おうとして、見付かり東国へ逃れる。さまざまな女性に心ひかれ、子供のように無邪気な心でただちにアタックする。しかしまた大人びた人の情を知る男。光源氏そっくりである。

 業平も源氏もともに高貴な血筋であり、臣籍降下した氏の出である両者は、日本人の感性が生みだしたみやび男の典型である。源氏は若い時にちょっと中流風情と遊びはするが、彼の生活はほとんどが宮廷のなかである。作者紫式部が、いわば伊勢の荒削りのみやびを、その宮廷女性としての感性でもって洗練させ、ついにもののあはれとしての典型を生みだしたのであった。式部の長大で詳細な物語は、今から見ると異様なまでに美的関心に集中しており、伊勢が知らなかった仏教的諦念でさえ美に仕える思いとなる。

 それにひきかえ、伊勢物語におけるみやびは、はるかに土俗的であり、奔放であり、野趣に富んでいる。この歌物語は、あたかも業平の一代記のような体裁をとっているが、しかし業平以前の古歌をも含み、作者はどうやらさまざまな伝承歌を基にした話をも含ませたものであるという。

 業平は和歌を、恋しまた情が動いた数だけ歌ったであろうが、物語を書いたとは思えない。伊勢物語は当時のある文化意志をもった集団の手になるものであるかもしれない。なんにせよ、小生にとって面白いのは、この歌物語が当時の日本民族の明瞭な幸福の概念であるという点だ。

 妻の貞淑さにほだされて新しい女と手を切ったり、別れた女とよりを戻そうと連絡するが無視されたり、同僚の女と思うように逢えずしかしきっぱり別れられなかったり、またいい加減な気持ちで付き合ったり別れたり、男を求める年増女、落ちぶれた知人や上司を思いやって心から付き合ったり、出張の夜、逢う約束をするが接待の酒宴のために逢えず無念の別れをしたり、大胆に迫ったり、急に気が小さくなって思いを遂げられなかったり、厭味なジョークを言ったり、粋な計らいをしたり、・・・
要するに、昔ありける男は、悲喜こもごもの、現代なら週刊誌が喜びそうなエピソードを生きる。

 しかし、昔ありける男の物語は歌物語、つまり、話は結局同時に歌の素材でもある。そして、週刊誌とは違って、一途であり切実である。週刊誌の書きぶりは、その心は、他人事であり、悪意であり、蔑視である。そこには愛情がない。

 むかし男の物語は、いかなる過去の行為についても、愛情をもって眺める。いかなる状況に陥ってもそこに幸福を見出す。若い時は苦労を苦労と思わない、というようなものだ。

 そして、この永遠の青春は、終にこんなことをつぶやく。

思ふこといはでぞただにやみぬべしわれとひとしき人しなければ (124段)
 
 つまり、思うことを言わないで終ろう。自分と同じ気持ちの人はないのだから

 そして、有名な最後の歌(125段)

つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを

 何と単純で正直な一生。

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