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『回想の明治維新』3

 さらに付け加えておかねばならないことは、維新のドサクサまぎれに、外国商人は日本から、「濡れ手に粟」の利を得ていることが彼の眼にはあまりにも明らかであって、日本人のお人よしに大いに驚いてもいる。
「実際のところ、この内戦時代(戊辰戦争)にはキリスト教世界の津々浦々から雲霞のごとくやって来たあらゆる種類の詐欺連中が稼ぎに稼ぎまくったいわば英雄時代なのだ。・・・かれらの道徳水準はきわめて低かったと認めねばなるまい。・・・専門など問題ではなかった。どのヨーロッパ人も、この遠い日本では、必要とあらば司令官にも教師にも、技師にも医者にも、砲術家にも財政家にもなれると、まともに思っていたのである。」
日本人の目には、ヨーロッパ人は誰でも何でも出来ると映っていたのであり、「かりにヨーロッパ人の機械技師が、たとえば医者の仕事を断った場合、それは俸給額が足りないからに相違ない」などと日本人は考えた。それほど、明治初年頃は、日本は西欧の文明を欲していた。

 「日本のいくつかの港が外国人に対して開かれたばかりの頃は、すべての物が純金の小判や銀の円に交換されるので、どんな取引も莫大な儲けとなり、このために信じがたいほどの多数の投機家たちがこの国にやってきた。」
彼らは、治外法権を利用して、売れ残りの商品に高額の保険をかけ、粗暴なサムライに喧嘩を売り込み、倉庫に火をかけさせ、自分がこうむったとされる損害の勘定書を日本政府に叩きつけて、大儲けをしまくった。

 メーチニコフには、日本人がじつにおとなしい人種だと見えた。彼は言っている、口論し合っている日本人の姿をついぞ見かけたことがなかった、ましてや喧嘩などこの地ではほとんど見かけぬ現象である。なんと日本語には罵り言葉さえないのである、と。


 当時日本を訪れた西洋人の例にもれず、彼も日本人の〈原始性〉にも大いに驚いている。大抵のこの時期の外国人が述べていることだが、肉体労働者は、褌一丁でいること、これは西欧人から見ると裸同然なのだ。

 「イギリスのお上品な淑女は、行く先々で、両手で目を覆い、顔を赤らめて『ショッキング!』と叫ぶ。東洋民族のなかでも際立っている日本人のこうした裸好きを私が初めて目にしたのはここ、横浜駅頭であった。」そして付け加える、こんな裸好きは、日本人は大陸から来たと言うよりマレー・ポリネシアから来た種族ではないかと。
 「目下のところ、文明開化をめざす政府は、こうした日本人の裸好きと執拗な闘争を繰り返している。政府は年頃の娘たちが街中をわれらが祖エヴァのような略衣で歩き回るのを禁止したし、公衆浴場では男湯と女湯をしっかり区切るように命じている。・・・これらの取り締まりが、日本の社会道徳になんらかの影響を与えるなどと思ったら滑稽千番であろう。どこの国であろうと、裸と道徳のあいだには直接の関係などありはしない。・・・日本人の裸好きは彼らの習俗の原始の純潔さの証明であり、そうした純潔さが、いまやあいついで上から課される官製の偽善によって消えようとしている。」
 服を着ている人間が、着ていない人間より品性が劣っているということはありえない。

そして彼は、日本の着物の美しさの延長として肉体労働者の刺青がある、つまり入れ墨は衣服なのだ、ということに気がついた。

 そしてまた、例にもれず、当時の日本人の識字率の高さと教育体制の完備、大衆が小説をよく読むことに驚いている。そしてこんなことを言う、「書物的知識と文化が国民の最下層にまで、血となり肉となって深く浸透している・・・しかし、わが西欧文明は、中国的東洋の難解な書物中心主義とは比較にならないほど、多面的で広範で、豊饒であることにわたしにもはっきりと分かる。だがその一方で、幾度となく、次のことを認めざるをえなかった。すなわち中国=日本的文化と比較すると、わが西欧文明は、早熟、跳ね上がり、つまり民衆の習俗と気性の奥底にまで深く根をおろしていない、なにか寄生的な兆候を明らかに示していると。」
 じつにそうなのであろうと想像される。中国のことはいざ知らず、日本は万葉以来、いかな辺境の地にあろうとも言の葉が絶えないのである。

 そして言葉は叡知を含んでいるものである。「はたして西欧の最先進諸国が、せめて初等教育だけでも国民の最下層にまで普及しようと真剣に考え出してから、それほど時間が経っているであろうか?・・・日本でわたしに仕えてくれた召使にとって、祖国ロシアの雑誌のコラムや誌上で多大な情熱と才能を費やしてその論証にこれつとめている理論的命題の一部など、とっくに自明の理であった。云々」
叡知は教養から生まれる。

 「大坂の一商人である加藤祐一と言う人は、同業者向けのパンフレットに書いている。『異国では神霊を授かった人や預言者が現れて人々に道徳と秩序を説いた。それでも日常生活では人々は狼のようにたがいに咬みつき合い、政治的、宗教的敬意の口実のもとに、言語道断な悪業の数々がなされたのだと言って、そうした人々の教えを無視した。

 それに対し、我が国には預言者も神霊を授かった人もいたためしがないが、それでもわれわれは仲良く平和に暮らしてきた。このゆえんは自然が優しく思慮深い母のように、われわれに接してくれたことにある。だが、自然は労働と熟慮という恵み深い必要性から人間を逃れさせるような無償の施しで、われわれを甘やかしたりはしない。だが、そのかわり自然はわれわれの労働に潤沢に報いてくれる土地と気候を与えたくれたのである。われわれの力と能力を、自然の恵みを耕すことに向けさえすれば、われわれの生存と幸福は、よりよく確実に保証されるというのに、一体なぜたがいに敵対したり競い合ったりするだろうか?』等など。

 これを書いた著者はバックルやアダム・スミスの名前など、もちろん一度も耳にしたことはなく、この国で初等中等学校のごく一般的な『社会教科書』(人間の徳)からくみ取ったのだ。・・・話を簡単にするために、ここでは日本でもっとも知られている学校的道徳の教えを一つだけ引くことにする。しかもこれは詩の構造というものをいささか読者に知ってもらうことにもなろうから。
マコト ダニ
マコトノ ミチニ カナイナバ
イノラズ トテモ
カミヤ マモラン 」

西洋人のエゴと宗教とに辟易している著者の溜息が聞こえてくる。

 貧乏な彼に与えられた東京外国語学校ロシア語の講座を受けもった彼は、一年半の日本滞在の後、体調を壊しスイスに還る。そして、この好奇心にあふれた漂流者は、この不思議の国、日本に関する本を渉猟し読みふける。本書(明治17年刊)に述べられている日本史の知識は驚くべきものだ。ザビエルを初め西欧人による日本論ももちろんのこと、『大日本史』『日本外史』を深く読んだのであろうと思われる。

 日本に福沢諭吉と言う人がいたごとく、ロシアにもこういう人がいたということを、小生は知った。


              
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