スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

クリスマス

クリスマスは小生はどうも縁がないけれど、街に出るとイルミネーションが輝いて、音楽がなっていて、子供やカップルは楽しそう。

去年はクリスマスの起源について書いたから、何か他のことを書きたいが、妙案が浮かんでこない。

欧米ではクリスマスのにぎやかな祭りは、もとは自然の恵みへの感謝に関係する宗教行事から、それが長く続いて文化となったものだろう。新嘗祭やお正月のように日本の風土から生まれたものではないから、この日に国旗を挙げる気にはならないが、日本でも子供や商売人が、何かキリスト教に関係した祭りとしてわいわい喜んでやっているのはほほえましい。

日本でアメリカ嫌いの人は、おうおうにしてキリスト教徒が暴力的であると思っているような気がする。しかし、キリスト教は暴力を奨めているとは思えない。もちろん日本人よりアメリカ人の方が暴力に訴えることが多いらしいけれど。

キリスト教が危険と思う人は、苦悩深き青年が殺人をするから包丁が危険であると思うに等しい。詐欺が容易であるからパソコンは危険であると思うに等しい。そんな風に言えば、あらゆる人にとって、必ずあるものが危険と言える。事実、それらは危険である。人間がその使い方を誤ると危険である。しかし危険にするのは人間である。悪いのは人間である。

なべて世の物は、それがとくに高度な物であればある程、たとえば原子力のように、使い方によっては、それだけリスクが大きいものだ。

イスラム教やユダヤ教のようにある集団にのみ神の恩寵が下されるという信条は危険だ。しかし、キリスト教においては、開かれており、対象はすべての人人なのであって、これが最も高度であり、したがって最も危険である。

というのも、それはあらゆる閉鎖性にたいしても積極的に理解を求めてゆこうとするからである。しかし戦ってまでとはイエスは言っていない。

『新約聖書』はイエスの言行録であり、イエスの死後100年くらいに編纂されたものだ。パウロはまさか自分の書き遺したものが、永遠のバイブルに収められるとは思っていなかったであろう。

神というものを、別に人格神のように考えずとも、永遠に愚行を繰り返すわれわれが、考え続けなければならない〈正しい行い〉の指標として、たまたま例えば神という名詞を置いた、と思えばどうか。イエスの言行は、そのためのヒントであると考えればどうか。

     神といひ仏といふも世の中の
         人の心のほかのものかは          源実朝



              
              人気ブログランキングへ
               にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村             
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

うたのすけ

Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。