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国語の意味

 前にも書いたことだと思うけれど、例えば夏目漱石や三島由紀夫の小説を文庫本で読むと、漢字はもちろんのこと仮名遣いも変えてある。これが小生には不思議でならない。文豪の作品を勝手に変えていいものか。それは犯罪にならないのであろうか。

 出版社はどのように考えているのだろう。今の人に読み易いように、と考えているのなら、大きなお世話だけではない、そのために却って原文を読めない若者をつくっている。昔は、漱石を読もうとする人なら、だれでもそのまま読めた。

 言葉の自然の変化はしようがない。それはそれでいい。しかし、明治以降、西欧の文明の眩しさに目が眩み、漢字の複雑さや歴史的仮名遣ひは、近代的発展の邪魔になるという考えが生まれた。あまつさえ、漢字廃止論、さらには日本語をローマ字表記にせよという声さえあがった。

 今から思うと笑いごとのようではあるが、じつは決して笑ってはおれない状況ではないと思うのだ。われわれは、すでに戦後国語改悪の大網に捕らえられていて、そのことに気が付いていないからである。

 戦後GHQ主導のもとに多くの改革がなされた。憲法や皇室典範などについては、この改革はおかしかったのでは、と気づいている。それについて今なお手をつけることさえできないでいるけれど、これじゃいけないということに多くの人は気づいてはいる。しかし、国語改革については、ほとんどの人が気づいていないのではなかろうか。

 しかも、政治制度とは違って、国語はわれわれ日本人としての行為や感性を支える根底、いわゆるアイデンティティの基礎ではなかろうか。そしてわれわれ日本人の心性は、古事記・万葉以前から連綿として続く国語によって養われてきたのではなかったか。

 もし小生が小学校の国語教師であれば、小生は子供に古典のいくつかを何度も朗読させ、そのリズムや音響やイメージを身につけさせ、自然に暗記させる。漢字は躊躇なく早くから読み書きさせる。憶えられなくてもそれはそれでいい。とにかく早い時期から触れさせる。古典を身につけること、それはすぐには何の役にも立たないし、あるいは忘れてしまうかもしれない。しかしそのリズムやイメージは無意識の底に潜み、行動や発想に影響を与えずにはおかない。いつの日か日本人としての品性を規定するのではないだろうか。そんなふうに漠然と思う。

 今の教育熱心な家庭はどうなのだろう。教育ママは、ややもすると子供を早くから、英語や中国語を学ばせ、そのほうが出世にも有利であるし、また日本経済に利するであろう、と考えているのではないだろうか。もちろん小生もそれには大賛成だ、それと同時に、国語の伝統にしっかり触れさせているならば。

 学級崩壊などと言われるが、いったい親たちは家庭でどんな言葉を発しているのだろう。テレビや漫画ではどんな言葉が飛び交っているのだろう。小生とて偉そうなことは言えない、戦後生まれ、戦後教育をばっちりと受けてきた。国語は好きでなく、読書も嫌いだった。しかし、あるとき気がついた。遅まきながら、成人してから、伝統的な国語の美しさに気がついた。気がついたら、少しずつでも直していけばいいのである。

 そうするうちに、明治以降の、とくに戦後の国語教育、とくに漢字制限と仮名づかいの変更が、いかにわれわれをして、ご先祖たちとの精神的繋がりを失わしめてきたかが判ってきたのだった。

 人間は自分の感覚を疑うことは難しい。己の閉鎖性を乗り越えるには、大昔の先人たちの言葉に、つまり伝統に耳を傾けるのが、もっともよい方法だと思うが、いかがであろう。



               
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