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歴史は何のために1

 先日、あるネット上のコミュニティを見ていたら、日本の特攻隊を日本文化の精華と賛美する論を執拗に展開している人がいた。自国のために己の死を顧みない行為は世界に比類のない、日本の素晴らしい精神の発露であり、戦後はだんだんと失われてきつつある、なんとか復活させねばならない、と主張する。そのあまりに独善的で狭隘な言い方は、多くの人の反発を招いていた。
 
 その中に非常に歴史に詳しい人がいた。彼が言うには、己の死を賭して、敵に向かっていくというのは、別に日本独特物のものではない、独仏では、組織的な特高も現実に考えられていた、いかなる国の兵士でも、窮鼠猫をかむで、追いつめられれば、自爆的行為に走ったものは多いであろう、と。
 この人は、他にもたくさんの例を挙げて、日本という国の様々な在り方・やり方を、それほど独自ではない、どこの国もみな結局蓋を開ければ、国家的エゴイズムで動いている、と事も無げである。

 小生は、それらの議論を読んでいて、それぞれの立場を理解しうるけれども、どこかしっくりしないものを感じた。そしてなぜしっくりしないか、考えてみると、われわれは何のために歴史を学ぶのか、という疑問に行き着く。

 歴史というものは、人間が創ったものだ。人間が存在し始める前には歴史はなかった。いや、人間の前には類人猿がいたし、さらに前には恐竜や三葉虫もいた、もっと前には地球草創の歴史があった、と人は言うかもしれない。しかし、それらは、それらの事実自体で歴史と言えるか。そこに〈人間的な〉何かを付加されて初めて歴史と言えるのではないか。

 歴史とは過去の単なる事実ではない。過去の事実と現在のわれわれとの相互作用である。現在のわれわれを保証する現在性は、誰もが内部に感じている意欲である。それは絶えず未来に向かっている。

 だが、未来に向かうと言っても、盲目的に、行き当たりばったりに、闇雲に進むのではない。人は必ず先人たちがしてきたようにする。どんな人でも先人たちをモデルにして生きている。

 だから、われわれは過去に気づき、過去を見る。そしてそこに歴史が生ずる。そしてさらによく過去を知るとは言っても、でたらめに無限に知ることはできない。かならず取捨選択をせざるをえない。というより、人は己の未来への行動を律するために、まさにその人らしい選択をする。言いかえれば、歴史とはわれわれが生きるための鏡であり、うまく生きるためには、われわれの進路をより照らしてくれるように、たえず鏡を磨いていなければならない。

 思い込みや固定観念やある一定の見方などで錆びつかせてしまっては、我が道を照らすべき鏡もうまく光ってくれないだろう。

 さらに言えば、過去の事実というものはない。報告があるのみである。そして報告は人間がするものである。五人しか死ななかったという報告もあれば、五人も死んだという報告もある。とっさに見た物が黄色だったという報告もあれば、それは赤だったという報告もある。心理学的実験の暴くところによればわれわれの知覚の客観的真実の脆弱さは驚くばかりである。報告は嘘でもあるし、真実でもある。嘘から出た真もあれば、まことしやかなウソもある。

 われわれは、しかし心配するに及ばない。自分を信じてたえず真摯に鏡を磨くことを怠らなければそれでいい、と思う。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

なでしこ☆さん。発展的コメントをありがとう。
歴史をイメージ化するとは、つまり歴史を物語化するということですね。小生はそう解したいです。物語に夢を追う。そこには勇者もいれば裏切り者もいれば・・・。そしてより良い物語を創りたい。人間は、犬や猫のようにただ食べて寝て・・という生き物ではない。
すべてわれわれはよい作者(詩人)になるべきである。
そういえば、アリストテレスの『詩学』にこんな言葉があったのを思い出します。
「歴史家はすでに生起した事実を語るが、詩人は生起する可能性を語る」

こんばんは!

うたのすけ様、あまりで~んとしてない?んですね。ははは!

>われわれは、しかし心配するに及ばない。
>自分を信じてたえず真摯に鏡を磨くことを怠らなければそれでいい、と思う。
↑これ、うたのすけ様の希望だったんですね。
なでしこ☆少々早とちりして、レスしました。すみません。

しかし、人間は歴史をイメージ化することは当たり前!
具体的に例えるなら、
平成生まれの人が、
TVや洗濯機や冷蔵庫の無い世界を全然イメージできない?
出来ますよね?データがあるから。
昭和の初めの人なら、当たり前のリアルな世界で体験してる。
では、宇宙の歴史は、どう?・・・然り。
天文学的な方程式しか解らなくても、人間は宇宙をイメージ化する。
何でも、断片的にデータをたどってイメージ化しようとするでしょう?
よく生きるために、歴史をイメージする姿勢が大事ではないか?
と言いたかっただけなんです。

歴史には、生き証人がいるのですけど・・・それも報告(データ)ですからね。
また、闇(データがない所)を見るのは大切な事だと思います。
歴史が割り切れたら・・・怖い気もします。

No title

umama01さん。いつもながら明晰なコメントをありがとうございます。
世の中は単純な記号と法則によって成り立っている、ということを思い起こします。
「過去の失敗を二度と起こさないための知識」。外交と戦争とどちらが得か、あらゆる項を漏れなく洗い出し、それらを組み込んだ方程式を解け! センチメンタルな夾雑物を除いた、リアリストの明瞭さが光っていますね。大賛成です。

一方、小生は「戦記文学」も好きです。つまり、あたかも自分の過去の恥ずかしい過ちを、改めるべき失敗とはいえ、それに対するいわば苦笑いを伴った肯定ともいうべき感情が好きなんです。小生が鏡を磨くというとき、この感情を深めると言えるかもしれません。

No title

なでしこ☆さん、考え方によっては、問題はとこまでも難しくなりますね・・・。
一つは、歴史はわれわれを遥かに超えたものだと感じるからです。なかなかでーんとして見られませんよ~(;一_一)
もう一つは、なでしこ☆さんの仰ることは解りますが、なんか信じなければ見えてこない部分も世の中にはあるような気もするからです・・・。
歴史は、とても深くて暗くてよく見えない人の心の捨て場所のような気もします。
ともあれ、「いかに行くべきか」という問いがなければ、歴史も意味がありませんね。

No title

私の考えでは「歴史とは過去と同じ失敗を繰り返さないように学ぶための知識」と思っております。。。
だからこそ、特攻隊員の心情や歴史的意義「だけ」を学ぶことには何の意味も無いと思ってます。
……ちょっと冷酷な発想ってのは分かってますが。
あくまで第二次世界大戦を学ぶ意味は、「戦争の悲惨さ」や「死に直面した戦争行為」を学ぶのではなく、「資源を他国に依存し続けた場合、資源をストップされて脅迫されれば戦争するしかない状況に陥ってしまう……と考えておりますね。

ま、あくまで私の思想ではありますが。。。

こんばんは!

私は、歴史を信仰にしないようにしてます。政治もですが。
人は、考えたいように考える事はよくある。
偏見や欲が入ると真実は歪んでしまいますが・・・。
歴史には、聖書と同じように「曖昧な部分や真実でない部分」が
あると思いながら読むと真実が見えてくる。
だから、牧師さんから神様のこと尋ねられることがある!(苦!)
うたのすけ様のように、で~んとしていれば、歴史も冷静に見れるのでしょう。
目的は、今をよく生きるかの参考とできるか?ですよね?

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Author:うたのすけ
世の中の人は何とも岩清水
澄み濁るをば神ぞ知るらん

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