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無の発見

 仏教の教えと言うと、あまりに末広がりに広がって、何だか漠然として、小生の頭ではどうも掴みきれない。バラモン教やヒンズー教の広大な背景から生まれた教義は、一見相反するようなものが複雑に入り組んでいる。また、仏陀の千年以上のちには、日本でも新しい解釈による諸派が生じ、われわれは死ぬと僧侶に経を読み聴かされる。

 適当な概論書から想像するところによると、仏陀の教えのエッセンスは、何といっても〈無〉ということになると思われる。これは、猛烈な思想だ。何というか思想にならぬような思想だ。ゼロの発見がインドでなされたと聞いているけど、この〈無〉の発見もインドでなされたというのも、それと符合しておもしろい。

 人も知る、ゴータマシッダルータは、王子に生まれながらも、早くから病・老・死をいたく恐れ、この世は「苦」以外の何物でもないと思い込み、出家した。そうして到達した最初の発見が「無」ということだった。

 だが、「無」とは何か? こう問うことによって、小生はすでに躓いているような気がする。何故なら「無」ということを考えようとしているからだ。まあいい。そのまま考えることにしよう。

 「何もない状態」ということを、考えることが出来るだろうか。ノーである。まず、単純にこの物質宇宙を思ってみると、音もない、重力もない、光もない真っ暗な箱の中を想像しよう。これは無であろうか?
しかし、そこにはじっさい無数の素粒子が飛び交っている。またいかに箱が軽いとは言っても、それによる重力は消せない。その箱の重力の中心に位置しても、実は宇宙は永遠にじっとしていない。動いている。しかもそれは等速とは限らない。つまり重力は変わる。

 おそらく、現実には、この物質宇宙においては、「何もない状態」はないと思われる。では、観念の世界に飛び移って、今考えた素粒子や重力やらを、頭の中で消去してみよう。つまり〈ない〉と考えてみよう。その場合、われわれは何を思い描いているであろうか。あらゆる物がない世界を思い描いているか? ノーである。なんかしーんとした真っ暗闇を思い描いている。つまり、暗闇が「ある」のである。
 では、この暗闇を消してみてください。

はい、消しました。
おっと、そのとき何がありますか? 
何にもありません…。真っ暗闇も思考から消してしまいました。
じゃ、そこには何がありますか?
何もないですね。
ならば、「無」に到達しましたね。おめでとう。

 しかし、そうなると、それはまったく考えることができないあるものであり、・・・つまるところあるものですらない。もはや言葉だけだ。「何もない」や「無」は「ただの言葉」にすぎない。

 われわれの言葉はおもしろいもので、初めの経験を遥かに飛び越えて、経験できない領域に観念を拡張する傾向がある。

 この場合、初めの経験とは、われわれが無いという言葉を実際使う場面を思い出せばよい。

 たとえば、この部屋にはなにもない、と言うとき、それは、いま話題にしている物がない、あるいは関心のあるものがない、ということである。それは、在るべきものがない、つまり「在る」+「不在」=「無い」、つまり、「在る」<「無い」なのであって、この部屋にはなにもないというとき、「在る」-「在る」=0ではなく、必ず「在る」を前提にしていて、それに「不在」が加わるのである。

 現実問題として、「普段この部屋にはなにもない」とわれわれが言うとき、空気や光や暖かさがあるが、そのような物は問題にしていない、ということである。つまり、「在る」とか「ない」とかは、ただ関心を示す言葉である。

 では、超越的観念とでもいうべき「無」は・・・・?

 ところで、仏陀が語ったとかいう「無分別智」とか「無実体」とかは、現実の一線を越えた無に限りなく近いのか・・・。

 分別が無い知恵。われわれが普段口にする、大きいとか小さいとか、よいとかわるいとか、それらはわれわれが物事をそのように分けるから、そう言えるのであって、それらは実際分けられないものであるし、また相対的であって、自然の分節ではない。われわれの日常生活はあくまで便宜的なものだ。

 そんな区別は、いわば夢まぼろしであって、実は何にも無いのだ。ということは、実体とか分別とかは、無という大海に浮かんだ人工島のようなもので、無に支えられているということを知らなければならない。そのことを知った上で、普段の分別の知があるということを知らねばならない。

 このことに即して言えば、この世は無常であることを悟るには、無常でないものを何か指し示すことができないが、それを悟らなければ、この世の無常を知ることができない、ということになるか。

 無実体も同じだ。本来何もないのに、人は実体を云々する。しかし、その実体を語っている実態は無実体に支えられている。

 では、その「無」って何? 人は経験できないものの前では沈黙を守らなければならない(笑)


 なんか禅問答みたいになってしまったが、こんな言葉を思い出した。

 「あまりに現世的な人は、現世そのものすら理解することはできない」
(チェスタートン)



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テーマ : 哲学/倫理学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

Kontaさん。コメントありがとうございます。
暗黒物質は、ご指摘のように、何か分からないが何かあるということを観測データから知ることができる、という点で、無ではありませんね。
脳のあるところが侵された人で、向こうから飛んで物が何か認識できないけれど、常にそれを正しくキャッチできる症例があるそうです。
認識のメカニズムの不思議さを思います。

素粒子論とか宇宙論とかは、難しい数式はぜんぜんわからないけれど、そこから引き出される宇宙の構造を概念的に想像するのは楽しいですね。
重力とか、広がりとか、波動とか、・・・今まで日常生活から得られた言葉でもって、極端な世界をことをどうやって表現できるか。これが面白いです。

無の力

なでしこ☆さん、こんばんは。
無と0との違いをご指摘された線でいくと、仏陀はこの世の構造を一次元富ましたということになりますね。
この宇宙あるいは人生というわれわれが認識しているところのものは、ひょっとして・・・・。

禅問答

umama01さん、こんばんは。
やはり禅問答になってしまうでしょう。
われわれは知る側にしかいないから、どこまで認識が進展していっても、結局同じことしか言えませんね。
realisticに言うと、無とは認識の限界を示す指標である、となるんでしょうか。

No title

無とは少し違いますが、宇宙は暗黒物質というもの、つまり何かわからない物質のほうが、わかっている物質よりもずっと多く存在し、また暗黒エネルギーという訳のわからないものが全宇宙のエネルギー9割を占め、このエネルギーは離れれば離れる程強く働くというもので、そのために宇宙は加速度的に膨張しているらしいですね。こうなるとほとんど禅問答であります。

まさに、現世的な人ほど・・・ホントです。

うたのすけ様、こんばんは。
このテーマは、私に結構合ってます。有難うございます!

無になると0より理解しやすいかと思ったけど・・・。
結構、そうでもなさそうですね。
無は0と同じ意味に捉えがちですけども、仏教で考えると0ではないことに気づかされました。
すなわち、0だと決して∞と同じように人が体験する事はできないイメージ領域ですけれど。
無になると、「無の境地」というものに到達した人が、
結構居るんですよね?少なくとも、仏陀は。
だから、「現世的な人は、現世そのものを理解できない。」って言う人は、
けっこう皮肉が聞いてて、これは、これで逆説的で面白いな。

以前、うたのすけ様が「宇宙の暗黒の沈黙?」だったかな?
0のテーマについて私にレスしてくださり、その部分は印象的だったのですが。
無には、0に向かう人間の意欲心的なものを感じてしまう私です。
0には、人間的なものを排除する、宇宙的(=神の領域)な静寂=理解不要を感じる私でした。
これが解れば人間も神となるのか?ははは!怖い~っ。

#や♭の音楽は、この世の普遍的なものだったんですね。
宇宙には空気が無いから音もないのか・・・。寂しいですかね?

No title

暗闇とは即ち光のない状態なんですけどね。。。

実際のところ、無とは何もない状態ではなく、人間にとって何があるか分からない状態と言った方が正しいのだと、自分的には考えております。
分別があるかどうか……どこで分けて良いか分からない知恵。
実体として存在しているかどうか分からない状態。
結局は主観的な禅問答に入り込んでしまうのは避けられませんけれども。。。

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