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霊魂の発生2

 ついでに、『万葉集』をぱらぱらめくっていて、見つけた人魂なる語は、巻十六の最後、怕(おそ)ろしき物の歌と題してー

 人魂のさ青なる君がただ一人
  逢へりし雨夜は久しとぞ思ふ(3899)

 これなんぞは、人魂が危害を加えるかもしれないという怖れを感じさせる。

 他にはそんなニュアンスのあるものは見当たらないが、魂が肉体から遊離して、そこらに存在している感覚は、例えば、『巻十五』の激しい恋の歌―

 魂(たましひ)は朝夕に魂触(たまふ)れど
  わが胸にいたし恋の繁きに(3767)

 さらに、天智天皇が危篤になられた時に皇后が歌われた歌を連想するー

 青旗の木幡(こはた)の上を通ふとは
  目には見れどもただに逢はぬかも(148)

 これは、たましひという言葉はないけれど、明らかにそのようなものの存在を感じている。

 他にもあるかもしれない。


 それはそうと、「日本史は怨霊の歴史である」と主張する井沢元彦氏は、文献至上主義の歴史学界を非難してはばからない。歴史学界は、怨霊や祟りそして鎮魂などの用語が、せいぜい奈良末期にしか出てこないから、そういったことは、それ以前には、ましてや古代には無かったと言う。ははあ・・・大学のやっていることはそんなことか、と想像される。どこにそんなことが書いてある、引用文献は何かetc。

 こういう問題でまず引用されるのが、『崇神記』における三輪山伝説である。崇神天皇はヤマトタケルより古く、おそらく紀元100年~200年くらいの人だ。もちろん仏教も儒教も公式には入ってない時期だ。

 崇神天皇の御代に疫病が流行り、人々がどんどん死ぬ。天皇愁ひ嘆きたまひて、神床に居られた夜、大物主大神が夢に顕れたまひて、おっしゃった「これはわが御心である。それゆえ、オホタタネコをしてわが前を祭らしめたまへば、神の気起こらず、国もまた安く平らぎなむ」と。

 ここは、祟りという言葉は出てこないけれど、じっさいは祟っている。そして祟った神を祭れば、許される。これつまり鎮魂の儀式にもう一歩ではないか。神代のこのことから、人代においては祟りー鎮魂になるのではないのかな。

 井沢説の初めから怨霊の歴史であったという説は説得的である。しかし、古代人の感じていたのは、今われわれが言う怨霊ではなかったと思う。それは、もっとケガレに対する恐怖に近いもの、そして鎮魂も自然のある力に対する畏怖の念にもっと近いものではなかったのではないだろうか。古代人の感じていた諸力やニュアンスは、われわれにおいてはかなり薄れていたり、変容し強調されていたりするのではないだろうか。

 今の概念を古代の言葉や行為に当てはめることはできないのではないのか。比喩的に言えば、例えばわれわれの向こう側にある外国語の概念を考えてみるといいと思う。英語でradicalという言葉がある。日本語の辞書には、根本的なとか完全な、あるいは過激な、数学の根(ルート)、化学の遊離基など。文脈に応じた訳を当て嵌めることができるが、それぞれはネイティヴが感じるradicalという英語には一致しないであろうが、たしかに彼らはradicalの概念をもっている。彼らを古代人と置き換えればいい。

 古代の人たちの言葉や行為を、われわれ現代人が現代語でぴったり表現することはできない。そう考えると、「日本は怨霊の歴史である」と言い切る井沢氏もある意味正しいし、「文献にないからない」と言う歴史学界の先生たちもそれなりに正しい、と言える。

 真理は中道にあり。めでたしめでたし。

        ぱちぱち。

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テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

大津波

umama01さん。
ありがとう。小生は東海地区で、なんともありません。仙台の友人が心配だったのです、今朝連絡がつきました。
今は「大場より急場」。外国部隊も総動員して救助活動してほしいです。

No title

ご無事でしょうか??
私はとりあえずコメントした方された方の安否を回っている程度しか出来ませんが。
小人ですので、今はこれが精一杯。。。

おおたたねこ

なでしこ☆さま。
おおたたねこさん、一度聞いたら忘れられない名前ですねぇ。
小生は、大田胤子と思っていたら、おお/たた/ねこ と区切るのですね(-_-;)
あんまり文献の検索ばかりしたくないのですが、さっき垂仁記を見直していたら、唖の御子は出雲大神の祟であるとはっきり書かれているではありませんか。「祟出雲大神之御心」ってね。
ときどきは、努めて古代人の心を想像してみたいですね。やっぱり、現代のわれわれの心性に彼らの感覚も流れているにちがいないと感じます。
 よきにつけ あしきにつけて われわれに
   ながるるものは こだいたましひ 

懐かしい名前を見つけて・・・

うたのすけ様、こんばんは。
以前、「梅花」のうたのご指導を頂き、
すばらしく生まれ変わった歌を喜んで拝見いたしました。
(よろしければ今後も、ご指導をよろしく御願いいたします!)

さて、
オオタタネコさまのお名前(崇神記)を見つけてコメントさせて頂きました。
このような記事は、なかなか、思いつかないものです。
古代びとの考えを、外国語から推理するとは!
面白い考えかたですね。ははは!

最後の部分で、
「真理は中道にあり。」まさにそうだと感じます。
祟るという感覚もカッコイイですけど、タマシイ感覚を重視した古代人も素敵です。

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