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知覚と存在

普段われわれが物を見ているとは、ただ無意味に漠然と見ているわけではない。
物を見るとは、行動することすなわち外界に対して働きかけることが、世界という混沌から、物を浮かび上がらせるということだ。

だから、知覚された〈物〉とはわれわれの行為のあるいは同じことであるが欲望の関数である。
「鹿を追う猟師山を見ず」なのであって、枝打ちに来た山師は鹿の足跡などは眼中にない。
様様な関心の人が世の中には居る。だからこそ、様々な〈物〉が存在する=表象される。
ゆえに、様々な名詞が動詞が形容詞が・・・・言葉がある。
もともと、それらは、惰性的に無関心に在る訳ではない。それら自体で、われわれとは無関係な『存在』なのではない。

ということは、われわれが全く新しい関心をいだいて世界(混沌)に対峙しつづければ、新しい〈もの〉が浮かび上がる。それは、空想ではない。世界の分析だ。



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